▼女性たちよ▼CODEPINK 02 March 2006

今週、イラクで残忍な行為がエスカレートして1300 人の生命を奪った
こと、世論調査が米兵の72%がイラクを離れたがっているのを露わにす
ること、ジョージ・ブッシュの支持率が彼の大統領任期で最低レベルに
陥っていることを、私たちは知った。大統領のウソがこれほどまで多く
の死と生活の破壊の原因になっている。私たちはすぐにも行動を起こさ
ねばならない。この狂気が終わるまで、私たちは国境を越えてつながり
結束しなければならない。

来週、国際女性デーを祝って勇敢なイラク人女性の一団が彼女たちの国
を飲み込んでいる暴力と殺害とカオスに対しての説明責任をジョージ・
ブッシュと議会に守らせるためにワシントンDCに集まる。彼女たちは
シーア派、スンニ派、クルド人、宗教と非宗教の女性の代表者となる。
彼女たちは、殺しに対する嫌悪と、ブッシュ政権と米国が決めた当局の
不法行為や暴力を止めるという決意で、結束している。

連帯して一緒に抵抗することが彼女たちに対する私たちの義務である。
緊急の平和の呼びかけに署名すること、それを友人知人らに回して流通
させること、そして国際女性デーの反戦行動に参加することで、私たち
は一緒に踏んばることができる。

この頃のバグダッドは、ストリートには死体が、歩道には血の海があり
そして親は子供たちを家の中に閉じこめていると私たちの派遣した代表
は知らせてきた。どこもかしこも危険なのだ。

緊急の呼びかけの中で言ってるように、「これは、私たち自身と子ども
たちのために望んだ世界ではない。やる気と心の奥底の愛でもって、私
たち女性は結束して血の雨と破壊を止めるために国境を越えて立ち上が
っている。」

仲間に加わって、
Join us,
Dana, Farida, Gael, Jodie, Medea, Nancy, Rae & Tiffany

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▼ バグダッドに住むイラク人女性リバーベンドのブログから▼
27 Feb.2006

外出禁止令が出ていても、ここ数日不安で暴力的な状況が続いている。
私たちは家にこもり、ひたすらこの状況が変わって、好転するのを待ち
望んでいる。電話も通じなければ電力事情もよくならない。でも、今の
私たちには電気や電話、燃料のことなど些細な悩みに思えてくる。この
頃のイラク人には、こういったことに文句を言うのも手の届かない贅沢
になっている。

発砲と爆発の音はたいてい夜明けに始まり、夜遅くまで絶えることがな
い。一昨日、私たちの住む地区にある近所の大通りで小さな銃撃戦があ
った。けれども、地域のモスクが襲撃されて夜明けに死体が1つ、3つ
先の通りで見つかったのを除けば、状況は比較的穏やかだ。

近所の人たちは、男性がこの地域の警備をするかどうかで議論を続けて
いる。地域の警備は戦争中や戦争直後の混乱期にもやったことだ。今回
厄介なのは、モスクや家屋を襲撃する暴徒ばかりか、イラク治安部隊も
恐れなくてはならない点にある。

ここ数日、スンニ派とシーア派の住民がすばらしい連帯を見せているの
で、これが内戦とは思えない。私が言ってるのは法学者や狂信的な連中
や政治家のことではない。ごく普通の人たちのことだ。私が住むあたり
はスンニ派とシーア派がいっしょくたに暮らしているが、スンニ派もシ
ーア派も一様にモスクと聖廟が攻撃されたことに激怒している。電話が
通じないので、私たちはすこぶる原始的な通信手段を取り決めた。どこ
かこの地域の家が襲撃された場合には、宙に向かって3回空砲を撃って
知らせるのだ。もし空砲を撃つ手段がとれないときは、家の誰かが屋上
にあがって事態をまわりに知らせなくてはならない。

昨日、スンニ派とシーア派の聖職者がモスクで一緒に祈りを捧げる様子
がTVで放映された。力づけられる光景ではあったが、私は怒りを抑え
ることができなかった。なぜこの人たちは自分の宗派の武装集団に撤退
しろと言わないのか。モスクやフサイニーヤ(一種のシーア派モスク)
への攻撃をやめろと言わないのか。人々を恐怖に陥れるなと言わないの
か。TVに映し出された光景はあまりにもウソっぽく、虚しく見えた。
まるで平和なよその国の光景のようだった。イラク政府はうろたえてい
るようなふりをするばかりで暴力と流血に歯止めをかけるためになにも
手を講じない。外出禁止令を出しただけだ。それに、アメリカ人たちは
いったいどこにいるのか?たまにヘリが飛び交っているけれども、成り
行きに任せて、だいたいは知らん顔を決め込んでいる。

私はひたすら読んで、聞いている。内戦の可能性についてだ。けれども
これが内戦かもしれないと思ったりもする。1年、2年....そして10 年
ほどが経過して振り返ってみて、「2006年2月にそれは始まった」
ってことになるんだろうか?
目覚めてみてはじめて悪夢を見ていたことに気づくように。

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▼リバーベンドのブログから、無法者どもの襲撃▼11 Feb.2006

深夜2時過ぎ、通りのクルマの音が大きくなる。2階の窓から通りが見
えることを思い出して2階に上がり窓の外を見ると、何本か先の通りに
照明がきらめいているのが見えた。彼らがどこから来たのかはっきりと
はわからなかったけれど、何か尋常でないことがこの一帯で起きている
ことは確かだった。クルマの音がますます大きくなり、ドアがガチャガ
チャ鳴って、照明が閃いていた。

一度だけ、私は叔父の家で強制捜査に遭遇したことがあったが、あれは
2003 年のことだった。それにあのときの強制捜査はアメリカ人による
ものだった。イラク人によるものと思われる強制捜査に遭遇するのは、
これが初めてだ。

叔母の家族はスンニ派、シーア派、キリスト教徒が入り交じった隣人の
中で暮らしている。叔母は穏やかではあったが、憤慨していた。「ろく
でなしたちの強制捜査はこの2ヶ月で3度目よ。いつまでたっても平和
や静寂はこやしない。」

20分後、私たち家族は全員居間に集まっていた。石油ストーブと隅に
ある小さなランプを除いて部屋は暗かった。私たちは皆、着替えて毛布
にくるまり、神経質に待っていた。もうかれこれ午前4時だ。

手入れの部隊が近づくにつれて、外の物音が大きくなってきた。ドアを
あけろと怒鳴ったり、ドアを銃でガンガン叩く音がときどき聞こえた。
前回の強制捜査ではこの通りだけでも4人の男性が連れ去られた。2人
は20代頭の学生で、ひとりは法学部、もう一人は工学部の学生だった。
そして3人目は60代初頭のお祖父さんだ。問題を起こしたわけでもない
彼らは、ただ外に出るように命令されて白い小型トラックに乗せられ、
他の地区出身の男性の集団と一緒に連れ去られた。家族はそれ以来彼ら
の消息を聞くこともなしに、死体で発見されることを予測して、日に何
度も死体保管所を訪れている。

私たちは待った。ただ待った。5時ちょい前に彼らはやって来た。大き
なガラガラという音を庭の門で鳴らし、「門を開けろ」と怒鳴り散らし
ながら。外にいる叔父が大声で「開けます、開けます」と言うのが聞こ
えた。次の瞬間には彼らは家の中にいた。突然家は、どかどかと足を踏
み鳴らして部屋という部屋に押し入り、怒鳴り散らす見知らぬ男たちで
いっぱいになった。もう滅茶苦茶だった。庭に軍用懐中電灯が見えたか
と思うと、光が玄関から入ってきた。叔父が外で、妻と「子どもたち」
が家の中にいるだけだと、大きな声で言っているのが聞こえた。何を捜
しているのか?何か不法行為があったのか?と彼は尋ねた。

突然2人が居間に入ってきた。私たちは皆、叔母のそばのソファに座っ
ていた。彼らは大きな軍用懐中電灯を持っていた。ひとりが私たちにカ
ラシニコフ銃を向けて「お前らの他に誰かいるか?」と叔母に吠えた。
「いいえ、私たちのほかには外であなたたちと一緒にいる夫だけです、
家を調べればいいわ。」

彼らが、目と口だけが出るマスクをつけているのが見て取れた。残りの
兵士たちが家を歩き回り、タンスやドアや戸棚を開ける音が聞こえた。
外の大きな叫び声で、突然それは終わった。侵入してきたのとほぼ同じ
速度で彼らは立ち去った。バタンバタンとドアが閉まり、部屋はだんだ
ん元の暗さに戻っていった。私たちは再び暗闇にとり残され、ソファか
ら動く気力もなく、門の前に2人の男を歩哨に残して連中が立ち去って
いく音を座ったまま聞いていた。やっと家に戻ってきた叔父は憔悴しき
っていた。

数時間後に私たちは2軒先の隣人が亡くなったことを知った。アブーサ
ーリフは70代の男性で、イラク人の傭兵が襲撃したとき、心臓発作を起
こしたのだった。彼の孫はすぐに彼を病院に連れて行くことができなか
った。なぜなら兵士たちが捜査が済むまで拘束していたからだ。あとで
孫が言ったところによれば、その日イラク軍が手入れを行っている間、
アメリカ軍がこの地区を包囲してイラク軍を守っていた。これはアメリ
カ軍との共同作戦だった。

彼らは叔母の地区だけでも19 歳から40 歳までの12 人の男性を連行し
た。後ろの通りには50 歳以下の男性のいる家はひとつもない。弁護士、
技術者、学生、普通の労働者、その全員が新生イラクの「治安部隊」に
よって連行されてしまった。共通するのは、彼らがスンニ派の家族であ
るという事実だけだ。

1ヶ月ほど前、私たちがどこかのアラブ系衛星TV番組でコマーシャル
を見ていたときのこと。イラク治安部隊のコマーシャルを流していた。
テロリストの襲撃があった際にイラク人が通報することになっている電
話番号をリストアップしていた。

「強盗や誘拐からあなたを守る警察なら、この番号へ」
「テロリストからあなたを守る国家警備隊や特殊部隊はこちらの番号へ」

でもね、
新生イラクの「治安部隊」から守ってもらうには、一体誰を呼べばいい
わけ?