「私はどうしてもこの映画が撮りたかった」
と述べるのは、自宅を抵当に入れ、製作費を捻出したというエピソード
付きの映画「グッドナイト、グッドラック」で監督、脚本、出演の3役
をこなしたジョージ・クルーニー。
彼は目下公開中の映画「シリアナ」の演技で今年のアカデミー助演男優
賞をゲットしている。
映画「グッドナイト、グッドラック」は1950年代「赤狩り」と呼ば
れる時代に終止符を打った伝説的ニュースキャスター、エド・マローと
記者たちの熱き6ヶ月間を描く。エド・マローは言葉を武器に、組織と
権力に立ち向かいアメリカを救った男と呼ばれており、ケネディ大統領
も彼の番組を聞くのを楽しみにしていたと聞く。
妻のジャクリーヌ・ケネディによれば、ジョン・F・ケネディはエド・
マローの「大ファンで、彼をお手本にしようとしていた」そうなのだ。
さてそのジョージ・クルーニーが人気の政治ブログ「HuffingtonPost」
に自らこんな投稿をした。

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▼「私はリベラルだ。リベラルだと言ったよ!」▼HuffingtonPost.com
(I Am a Liberal. There, I Said It!)
13 March 2006 by ジョージ・クルーニー

私はリベラルだ。それについて言い訳するつもりはない。むしろ自慢だ。
あまりにも多くの人たちがそのレッテルから逃げている。まるで「私は
ナチだ」と言ってるみたいに、影でこそこそ言っている。禁句みたいに
ね。

でも、「リベラル」だと言えないのは、「黒人にもバスで前の席に座る
権利がある」、「女性にも投票権が認められるべきだし、男性と同じ給
与を受け取る権利がある」、「マッカーシーは間違っていた」、「ベト
ナム戦争は過ちだった」、「サダム・フセインはアルカイダと協力して
いないし、911テロにも関わっていない」という主張に背を向けるのと
同じだよ。

今は信じられないほど偏向した時代だ。(どうしてこんなことになって
しまったか?)でも私にはわかる。国民がだんだんと協調の場を探そう
としている。で、私としてもどうしても同意してほしいと思っているの
は、すべての国民に、権力に対して質問することが認められているとい
うことだ。国の指導者らに説明責任を果たさせるために声を上げるのは
非国民などではないということに合意すべきなんだよ。

私がマローに関する映画を作るきっかけになったのはそれだ。「異議と
不忠を混同すべきではない」、「自分の国で自由を放棄しながら、海外
でそれを広めることなど不可能だ」とマローは言ったが、まるで現代の
ニュースにコメントしているみたいじゃないか。

批判されるという恐怖が人を麻痺させている。大勢の民主党員が戦争に
賛成したのはそういうことだろ。2003 年当時、同胞の多くが「サダム
とビン・ラディンに何の関係がある?」、「イラクが911テロで何をし
たというのか?」と言ってたじゃないか。全部ウソだとわかっていた。
だから、そういう民主党の連中が「だまされた」なんて言うのを聞くと
ムカついて叫びたくなるんだよ。「クソッタレが!おまえらだまされた
んじゃなくて、非国民呼ばわりされるのが怖かっただけじゃないか」、
とね。

結論を言おう。どんなことになっても、自分の政府に質問することは、
単なる権利ではなくて国民の義務なんだよ。言論の自由を主張しておき
ながら、振り返って「でも私にはひどいこと言わないでね」なんて言え
るわけないだろう。大人になって、攻撃を受け止めようじゃないか。
私はリベラルだ。さあ攻撃してくれ。