▼首相の靖国参拝 アメリカの歴史観・アジア戦略と対立▼
朝日新聞 30 April 2006

日本の歴史問題への対応が、日本と中国、日本と韓国との関係ばかりか、
日本と米国との関係にも悪影響を及ぼしかねないとの懸念が米国内の日
本専門家、エリート、そして国務省内にも広がっている。

「靖国」が示す歴史観は先の戦争を正当化するもので、日本の戦争責任
を認めたうえで成り立つ戦後の国際体制の否定に通じると見ているため
だ。

「戦争を正当化することは、日本と戦った米国の歴史観と対立する。異
なった歴史解釈のうえに安定した同盟は築けない」というのはジョンズ
・ホプキンズ大学ライシャワー東アジア研究所のケント・カルダー所長。
「多くの米国人が靖国を知るようになると、日米関係の障害になりかね
ない」と危惧している。

ジョージ・ワシントン大学アジア研究所のマイク・モチヅキ所長も「米
国のエリートは概して靖国神社の歴史観には否定的。歴史問題が原因で、
日本に対する批判的な見方が強まっている」と指摘する。

ブッシュ大統領が首相の靖国参拝を批判することはないにしろ、外交を
担う国務省内には、日米が協力して中国を国際社会のパートナーにして
いこうというときに、日中首脳会談もままならぬ日本に対していらだち
がある。

「隣国と対話できない日本は、米国にとっても役に立たない。日米同盟
が機能するのは、日本がアジアのなかで役割を果たしてこそだ」とカル
ダー所長は解説する。

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▼日本の新たな軍事的野心▼ジャーナリスト、エミリ・ギヨネ
ル・モンド・ディプロマティーク April 2006

アジアの地政学的な中心に位置することから「太平洋の要石」と呼ばれ
る沖縄は、第二次世界大戦以来、日米の戦略的決定に翻弄されてきた。
太平洋戦争でその最も悲惨な戦闘の舞台の一つとなった後(沖縄戦は23
万人以上の死者を出す。そのうち9万4000人が民間人だ)、米国の軍事
的な植民地となり、今なお37の米軍施設を負わされている。人口135万
人の土地に米兵2万6000人がその家族とともに駐留する。

情況は変わろうとしている。日米の新たな戦略協議の主題、その骨子は
2005年10月29日ワシントンで日米防衛外務担当閣僚が行った会議を受
け発表された中間報告書「日米同盟:未来のための変革と再編」に示さ
れており、最終的に2006年4月23日、日本がグアム移転費のうち60億
9000万ドルを負担することで合意、協議は大筋で決着した。

中間報告には米軍部隊の再配置、すなわち、海兵隊 7000人の沖縄から
米領マリアナ諸島グアム島への移転が盛り込まれている。グアムは沖縄
より広く、人口が少ないだけでない。米国防総省によれば、東南アジア
の急進的イスラム主義グループの活動に対処するのにより適した位置に
ある。

この決定は、在日米軍の総規模や韓国における計画と比較すれば、見た
目ほどめざましいものではない。89の米軍施設を擁する日本は、グアム
移転後もなお4万人の米兵を抱えることになる。日本はアジアにおける
米国の最も親密な同盟国として、また軍事戦略の支柱としての役割を果
たし続けることになる。

一方、この地域におけるもう一つの米軍の拠点たる韓国では、2008年
までに駐留米軍3万7500人のうち1万2500人の削減が予定されている。
国民の反対が大きく、また北朝鮮との和解を模索しているため、米国と
の同盟関係に距離をおき、より多角的な外交を重視する方向に向かって
いる。

日韓の違いは財政面にも表れている。日本が在外米軍の「最も気前のよ
い受け入れ先」であり、年間40 億ドル以上、駐留経費の75%を負担し
ているのに対し、韓国の負担率は40%、拠出総額は8 億4000万ドルあ
まりにすぎない。

グローバルな同盟への歴史的転換

日米の新たな二国間合意は、冷戦後のアジアにおける米軍再編というだ
けにとどまらない。そこには日本の外交・国防政策の変化があますとこ
ろなく表れている。すなわち、米国との政治的、軍事的な同盟関係のか
つてないほどの強化である。2005 年10月29日の中間報告発表の場で
ライス米国務長官が述べたように、「日本の防衛を唯一の目的とし、地
域の安定を潜在的な目的とする協力関係」から「グローバルな同盟」へ
の転換が、この合意によって実現されることになる。

「歴史的」と評されるこの合意は、1945年9月2日の降伏文書調印に始
まる日米関係の第三期を画するものである。1951年9月、サンフランシ
スコ講和条約と同時に調印された日米安全保障条約では、日本に米国の
基地と軍を維持することが定められた。この頃、武装解除されていた日
本の目と鼻の先で朝鮮戦争が勃発していた。1960年1月、この条約はそ
の前提となっていた力関係の変化を受け、日米相互協力および安全保障
条約に改定された。期限は10年、その後はどちらかの通告後1年で終了
する。新条約では相互性の概念が導入されるとともに、基地の使用や核
兵器の日本への持ち込みに際し日本政府と事前協議をすることが米国に
義務付けられた。それから46年後の新たな同盟合意により、両国の戦略
的パートナーシップはあらゆる状況に対処できるものへと拡大される。

新同盟の布石となったのは、2001 年以後の情勢を受けて可決された特
別措置法である。これにより自衛隊は、1992 年のカンボジアに始まる
従来の海外派遣とは異なり、国連の枠外でグローバルな任務に当たるこ
とを認められるようになった。日本の外交と国防の専門家レジーヌ・セ
ラの見解によれば、これらの任務は法的にも形式的にも1960 年の日米
条約の対象には含まれない。2001年10月には「テロ対策特措法」成立
によって、アフガニスタンのタリバン政権と交戦する多国籍軍の後方支
援のために自衛隊がインド洋に派遣され、2003 年には「イラク復興支
援特措法」によって、イラク南部サマワに出動した。

日米のパートナーシップの拡大は2005 年10月29 日にワシントンで開
かれた中間報告の記者会見でラムズフェルド米国防長官が言った「テロ
との戦い」にとどまるものではない。大きな動機となっているのは中国
が大国として台頭しつつあることだ。2005 年6月28日のインドとの防
衛協定の調印から1年足らずのうちに進められた日本との新たな同盟協
議は、米国政府にとって中国「封じ込め」戦略の一環として位置付けら
れている。米国政府から軍事支出が不透明だと指弾される中国は、日本
政府の新防衛大綱でも北朝鮮とともに安全保障上の懸念材料として名指
しされている。

中国に対する日本の戦略上の懸念を強めているのが、朝鮮半島が統一さ
れるかもしれないという見通しである。そうなれば核保有の可能性のあ
るミドルパワーが誕生し、平壌のみならずソウルにおいても外交の重心
が中国にシフトして、現在進行中の社会的、政治的な変化が一層進むこ
とになるからだ。

米国の国家情報会議がCIA に提出した2020 年報告の中で、「アジアに
おいて大規模な国家間紛争が起こる可能性は依然として他の地域より高
い」とされている状況下で、日本政府は、この地域においても国際舞台
においても、外交・軍事の両面で第一級国たらんと決意しているように
見える。第二次世界大戦後、かつてなかった姿勢である。日本は非常に
高度な軍備を保有し、年間400億ドルという巨額の防衛予算(米国、英
国、フランスに次いで世界第四位)を持っている。しかしながら平和憲
法を備えていること、国連安保理常任理事国入りが行き詰まっているこ
とにより、海外への出動を制限されている。「普通」の軍事大国として
の地位を回復するには、米国との防衛協力を強化することが最も有効な
方法と見るのはそのためだ。

「統合運用体制」への変革

この政策の主な手段の一つが、2005 年10 月29 日の中間報告で掲げて
いるような、両国の部隊の「相互運用性の向上」である。この方針は米
軍再編の柱の一つであり、具体的には、情報の共有および共同の演習や
作戦を円滑に行うために日米の意思決定中枢が抜本的に再編される。沖
縄に関しては、米国側は一部の施設の共同使用を認めるつもりがあると
強調する。「日米両政府が明言しているのとは裏腹に、グアム移転によ
って沖縄の基地の負担が軽減されるとは限らない。自衛隊が米軍に代わ
ることになる可能性が高いからだ」と琉球大学教育学部の教授、山口剛
史は嘆く。

他には、東京の横田基地には日本の航空総隊司令部を移転して米空軍司
令部との連携をはかるとともに、共同統合運用調整所を設置することが
予定されている。同じく東京近郊にあるキャンプ座間では現在の米陸軍
司令部が改編され、統合任務が可能な作戦司令部組織が設置される。

このような相互運用性の必然の帰結として、「自衛隊を統合運用体制に
変革する」ことが予定されている。この新たな機構の役割・任務は中間
報告では明確に定められていないものの、現在の自衛隊のように国土防
衛のための出動のみに限定されるわけではない。この点、合意は実に巧
妙に書かれている。あいまいで、制約が設けられていないために、両国
政府が自由に運用できるようになっているのだ。琉球大学の山口教授は
自衛隊の「このような変革は憲法違反」と憤慨する。

マッカーサー将軍の指揮のもと米占領軍によって原案が作られた1947
年の憲法は、第9条において、日本国民が戦争と国際紛争を解決する手
段としての武力の行使を放棄し、戦力は保持しないと規定している。こ
の憲法はすぐに暗黙の変更を加えられることになった。冷戦という状況
下でマッカーサーは1950年日本に対し7万5000人からなる警察予備隊
の設置を求め、これが母体となって4年後に自衛隊が生まれており、現
在では約 24 万の隊員を数えるに至っているからだ。自衛隊の合憲性を
巡っては大きな議論があり、たとえば社会党は1994 年になるまで公式
には合憲と認めていなかった。

政界では1945 年の降伏以来の謙虚な姿勢が薄れ、ナショナリズムへの
回帰が見られるとはいえ、国民は今なお憲法の平和主義にこだわりを持
っている。駒澤大学法学部教授の西修は、「世論の大半が憲法改正に前
向きだからといって、9条の改正が賛同を得られるとは限らない」と言
う。しかし「国民の意識は変わりつつある」と国立公文書館アジア歴史
資料センター研究員の牟田昌平は言う。「景気が後退した時期に、保守
派の考えが世論のうちに浸透し、右傾化が進んだ。小泉首相はこれまで
の首相より保守的な路線をとっており、特に歴史問題に関してはそれが
際立っている。もう一つの兆候は、特にここ数年、一部のメディアが非
常に右寄りになってきている。左の意見が聞かれることはますます少な
くなってきた」

今回の改定をめぐっては、とりわけ米軍施設のある県の政治家と住民の
間に強い反対が起こっている。たとえば広島の南西方向にあり、米軍再
編計画による部隊の増強が予定されている岩国市は、2006 年3月12日
に住民投票を実施した。この住民投票には象徴的な意味合いしかないと
はいえ、反対票が 89 %と圧倒的多数を占めた。だが、地元の抗議は何
ら重みとなることもなく、再編計画は住民にも議会にも諮られないまま
両国政府の上層部のみによって決定されつつある。

平和主義体制の終焉か

相互運用性の向上は、日本の部隊がとりわけ技術面で米軍と同じ水準を
維持するために、変革を必要とするということも意味している。将来の
合意文書に、「双方がそれぞれの防衛力を向上」させ、「技術革新の成
果を最大限に活用」するという二重の動きが規定されているのもこれに
よる。

両国間の協力分野の中でも特に1998 年に北朝鮮の弾道ミサイルが日本
領空を通過した事件以後、中心課題となったのが弾道ミサイル防衛(B
MD)である。10月29日の中間報告にも BMD に関する「それぞれの能
力の向上を連携させる」と記されている。1967 年以降、日本が政府の
方針によって武器と軍事技術の輸出を禁止してきた現状からして、米国
の軍事技術の移転は産業界にとって重要な意義を持つ。

とはいえ、この方針は2004年12月に小泉内閣によって部分的に解除さ
れた。視野にあるのはミサイル防衛における米国との協力である。「三
菱重工と川崎重工という日本の2大軍需企業にしてみれば、解除を正当
化する理由として、技術的課題があることを主張できるだろう」とレジ
ーヌ・セラは指摘する。防衛庁は2010 年末までにパトリオットミサイ
ル124基を調達する意向を表明している。当初は米国から輸入し、続い
て三菱重工に製造させるという計画である。

日本が20世紀に行った植民地化を今なお記憶にとどめている近隣アジア
諸国は、平和主義に貫かれた戦後体制の見直しに向かおうとする日本の
変化を快く見てはいない。アジア太平洋地域では、ナショナリズムが高
まり、戦略上の問題も抱えているうえに、米国が数多くの安全保障条約
や相互協力条約を交わしてきた結果、軍拡競争が止まらずにいる。この
地域は今や中東に次ぐ世界第二の武器市場となっており、1990 年から
2002 年の間の購入額は1500 億ドルを超えた。

だが、米国が「軍事革命(RMA)」に乗り出して以降、アジアに向けて
行ってきた先端軍事技術の輸出が度を越していることは、地域内にも批
判する国が出てきている。APCSS主催の別の会議の議事録によれば、こ
れらはテクノロジー偏愛に傾いた「思いつき、技術革新、テクノロジー
の世界」に属するものであって、「低強度の脅威、特にテロへの対処や
暴動鎮圧作戦には不向き」である。

この会議の参加者たちは、米軍再編がアジア太平洋地域に及ぼす波及効
果を懸念した。米国の軍事的優位の確定と強化を目的としている限り、
米軍再編は「新たな脅威を創出する」ことになりかねない。