▼イスラエルの戦争プロパガンダ▼CNN ニュース番組より
06 August 2006

激しさを増すイスラエルによるレバノン侵攻作戦に関して、米CNNのニ
ュース番組「 CNN RELIABLE SOURCES 」で放送された談話から、以下
は注目すべき箇所の記載です。

→CNN番組ホスト ハワード・カーツ:
本日ワシントンのスタジオにはABCニュースのホワイトハウス担当記者
アン・コントンと、ワシントンポスト紙ペンタゴン担当記者で、新刊書
<Fiasco:The American Military Adventure in Iraq>の著者である
トーマス・リックスを迎えています。
「トム・リックス、あなたはイラクを含め軍事紛争をたくさん取材して
おられますが、軍隊同士が互いに撃ち合ってるような類の紛争ではない
状況の中で市民の犠牲者が増えてることが、いよいよ大きな問題になっ
ているんでしょうか?」

←ワシントンポスト紙ペンタゴン担当 トーマス・リックス記者:
「その通りだと思います。ただ現在では市民の犠牲者に関して、双方の
軍にとって戦場の一部になっていると思います。その一例を挙げると、
一部の米軍アナリストたちの話によれば、イスラエルはレバノンから発
射されるヒズボラのロケット砲を意図的に放置しており、ロケット砲が
発射されていればイスラエル側もレバノン侵攻に関する倫理上の均衡を
保つことができるというのがその理由です。」

→CNN カーツ:
「ちょっと待って下さい。イスラエル側が基本的にはPR目的のために
イスラエル市民の犠牲者が出ればPR戦において有利になるという理由
で、意図的にヒズボラの火力を維持させていると言うんですか?」

←リックス記者:
「はい、軍事アナリストたちはそう言ってました。」

→CNN カーツ:
「それは意外なことですね。自国の市民を殺させることが自国の利益に
つながるという発想は、誰も自分の国の市民が殺されるのを見たくはな
いが、この戦争への認識という観点では、自国の利益に働くということ
ですか。」

←リックス記者:
「その通りです。倫理上の優位性という問題に関して役に立つんです。
なにしろ、レバノン侵攻作戦では市民が同様に殺されていくでしょうか
ら。」(以下略)

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以下、幾つかの事実

何よりもまず、進行中のイスラエルによるレバノン侵攻作戦が、10年
前に米国のネオコン活動家らがイスラエル首相に提案した「クリーン・
ブレイク」戦略に沿ったものだとしたら、イスラエル政府のヒズボラ・
ロケット砲への無策とも思える対応にも違った意味が読みとれる。

例えばイスラエルの爆撃により多数のレバノン市民が殺されたレバノン
南部の町カナにはヒズボラのロケット発射拠点はなかった。ここをあえ
てイスラエルが爆撃した理由は、ヒズボラ及びアルカイダへの挑発とい
う意図があるかもしれない。オサマ・ビンラディンが米国本土攻撃を思
い立ったのは、1996年にイスラエルがカナの町を空爆して多数のレ
バノン市民が虐殺された事件(イスラエル軍作戦コードネーム「怒りの
葡萄作戦 」)がきっかけと言われている。

今回のカナ空爆には、例によって、米国製のバンカーバスターが使われ
ている。

8月7日、イスラエル市民の犠牲者36人に対し、レバノン市民の犠牲
者は1000人を超えた。なお、イスラエル市民としか書かれないが、
犠牲者の約半数がイスラエル・アラブ、つまりパレスチナ人なのである。
(http://palestine-heiwa.org/note2/200608071629.htm )

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▼中東広報戦争 大皿に盛られたニュース▼独スピーゲル誌
28 July 2006 by マシアス・ゲバウアー記者(イスラエル駐在)

爆弾や兵隊と同じように、プロパガンダはあらゆる戦争につきものだ。
それでも、外国人記者の扱いに関するイスラエル政府の専門性は注目に
値する。記者が必要とするものは何でもそろえてくれる。しかもランチ
つきである。

午前9時、電話が鳴った。時間どおりだ。「こちらは政府広報室です」
と女性の声が伝える。「本日はどうなされます?予定がおありでしょう
か?」 そうして次々に提案してくる。インタビュー同行者、カチュー
シャロケットが着弾したハイファの住居までのツアー、被害者へのイン
タビュー付。軍事専門家も同行し、ロケットの種類についての解説も。
「お望みなら、放送用素材もありますよ。」

さらにサービスは続く。「見どころはこれからです」とイスラエル政府
広報担当の女性は言う。「誘拐された兵士の両親のインタビューをハリ
ヤで催します」。彼女の説明によれば、7月12日からヒズボラに拘束
されている兵士、エフード・ゴールドワッサーの両親がホテルで待って
いるとのことである。通訳は?必要ない。「両親は英語が達者です。ご
心配なく。」

たくさんのジャーナリストがやって来るが、ほとんどは政府広報室専用
車付だ。およそ15人の撮影隊がセッティングをする。20人ほどのラ
ジオや新聞・雑誌記者がコーヒーや特別に用意されたサンドウィッチを
楽しむ。ほどなく両親の登場である。マイクの束が用意されており、ま
るで政治家のような扱いだ。

父親のシュロモ・ゴールドワッサーはあまり話すことがないようだ。話
が続くように平凡なフレーズを警護官が両親に耳打ちしている。「彼ら
息子を誘拐した者たちには息子エフードの安全に責任がある」とゴール
ドウォーター氏は言う。「息子をすみやかに帰してもらいたい、無傷で
」 彼は他に記者に伝えることを思いつかない。自分は父親であって政
治家ではないと彼は言った。

「笑顔を見せないで」、報道陣の質問が爆発しカメラマンが叫びだす。
「ゴールドワッサーさん、こちらへどうぞ。どうか笑顔を見せないでく
ださい」とカメラマンの1人が言う。兵士の子供時代の話を知りたがる
者もいる。「視聴者の心の琴線に触れるでしょうからね」、あちこちで
何度も母親が家族のアルバムを広げて見せた。カメラマンの注文に応じ
る母親の姿はロボットのようで、もし要求があれば、泣いてみせること
もできたはずだ。その要求がなかったのは幸運だった。

不名誉な見世物は90分あまりも続いた。両親は政治にも戦争にも無関
係であると言った。彼らは公的な場に姿を見せることで息子を救えると
教えられていた。すべては外国人記者向けにイスラエル政府広報室によ
って組織され、演出されている。両親や市民らの苦悩が、現在の戦争の
理由のひとつとしてもっと注目されるためにである。だが、両親はこの
物語において、せいぜいエキストラとして登場するに過ぎない。

プロパガンダは、特に国家がその武力行使の決定が正当化され、正しい
と世界に見て欲しい時には、戦争の一部となる。湾岸戦争への経緯やア
フガニスタンで現在行われている戦争でも、あるいはもっと不誠実な例
では、米国の2度目のイラク戦争でも、事情は同じである。広報担当職
員で構成された巨大な部隊が、紛争の立役者に対するメディアや大衆か
らの支持獲得をめざして感情を盛り上げるイメージを作り上げる。それ
らは標準的な手順であって、戦争のための広報活動である。

もちろん、全ての情報がそのような管理された状況で流布されていると
は信ずるべきでない。だが、ヒズボラのロケット弾による犠牲者(民兵
との戦闘が始まってから現在までに17人が殺されている)、そうした
犠牲者をメディアで見せたいというイスラエルを批判するのは難しい。
実際、そうした犠牲者が、まさに現在レバノン南部で猛り狂うイスラエ
ルの軍事作戦を煽っているのである。

野を駆けるPR戦士

それでもイスラエル政府が行う外国人記者への支援と管理は、紛れもな
く過剰に思われる。政府広報室から記者証明書を受け取るとすぐに電子
メールと電話のあらしにさらされる。他の紛争地帯を取材する際には、
ドイツ人記者らはいつも極めて懇切丁寧に振舞うよう努力しながら取材
相手を見つけ出し、自分で連絡先を手配しなければならない。ところが
イスラエルでは記者たちはサービスもとてもよい、全て込みのパッケー
ジ旅行に出かけることになる。

綿密に練られた取材案は移動手段、ランチ、厳選された軍事専門家付で
これら全てが記者側の要求を待つまでもなく提示される。多くの記者た
ちは政府側の提案を快く引き受ける。何日間も、イスラエルの砲兵部隊
の映像が世界中のテレビ画面を占領しているが、もちろん理由のひとつ
はPR戦士が常に撮影部隊を連れて日暮れ時に最前線を駆け巡っている
事情による。ソフトで暖かな夕暮れの日差しはカメラマンや写真家の好
むところなのだ。

水曜に届いた電子メールはその好例だ。それには11件のニュースが提
案されている。イスラエル側の難民は?いいだろう。それとも、アラブ
系イスラエル人の苦悩は?イスラエルのある村が離散した事情の件は?
自宅を放棄することになった市民の話?元人質の話?それとも、10年
間攻撃されている村の話は? 全て手配済みだ。

どこかへ出かける必要もない。「取材相手には電話で連絡できます」と
広報部の女性は言う。「ラジオ向け報道ならそのほうがよいでしょう」
担当者らは、記者たちの求めるものを正確に知っている。ラジオやTV
のジャーナリストは頻繁に放送に出演する必要があり、めったにホテル
を出る機会がない。そんなとき、カチューシャロケットが着弾すると、
電子メールで目撃者リストが送られてきて、目撃者らの携帯電話番号ま
で含まれているのだから、記者には大歓迎となる。

言葉の壁も積極的に解決されている。その目撃者リストには使用言語情
報も含まれているのだ。イスラエルのような移民国家では選択可能な言
語は多様だ。英語、フランス語、スペイン語、ロシア語、もちろんドイ
ツ語を話す人も街ごとにいる。困難な同時通訳も政府広報室が過剰なほ
ど手配してくれる。

だが、イスラエル政府の広報専門家たちは、そろそろ仕事に行き詰って
いる。レバノン南部の国連出先機関を爆撃してから世論は反イスラエル
に転じており、同国の行き過ぎた武力行使が再び大きな問題になってい
る。そして、この戦争は今にも終わりを迎えるようにはとても思えない
のである。

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▼ベイルート通信より▼

7月30日、イスラエル軍はカナというレバノン南部の町を空爆。カナ
と周辺住民が避難していた建物をミサイルが直撃して建物は倒壊、一瞬
にして55名が犠牲になった。犠牲者は全員民間人で、そのうち37名
が子供だった。

イスラエルに対し世界中から非難轟々となった。即時停戦を求める国際
世論が沸騰し、イスラエルであっても48時間の暫定的な空爆停止を強
いられた。

1996年の「怒りの葡萄作戦」の際も、イスラエルは同じカナの町で
国連の避難壕を「誤爆」して102名の避難民を虐殺している。この時
も世界中から猛烈な非難を浴びて、イスラエルは停戦受け入れを強いら
れた。

だが、即時停戦を優先した当時のクリントン政権とは違い、ブッシュ政
権は「恒久的・永続的な停戦」に固執し、イスラエルが一定の戦果を挙
げるまで戦争を止めさせる意志はない。イスラエル軍は暫定期間中であ
ってもベッカー高原への空爆を継続、地上でも国境沿いの村でゲリラ掃
討の手を緩めなかった。暫定期間が明けるや否や、特殊部隊がバアルベ
ックの病院でヒズボラ幹部を狙った大胆な拉致作戦を敢行。ヒズボラも
一日に200発を超えるミサイルを発射するなど、応酬は激化した。8
月4日にはイスラエルはベイルート北部の高架橋3本を爆破、首都を北
部と結ぶ幹線道路も断ち切った。

ローマ会議の失敗

フランスやドイツの外相が次々と戦火のベイルートを訪問、停戦を求め
るのに比べ、米国のライス国務長官の腰は重かった。国際圧力に尻を叩
かれるようにライスは7月26日にローマでレバノン支援国の外相級会
議の開催を呼びかけ、それに先立つ24、25の両日にレバノンとイス
ラエルを歴訪している。

だが、ライスのレバノン訪問はどうやら停戦のために重い腰を上げたと
言うより、来るローマ会議で即時停戦に反対するためのアリバイ作りだ
ったように思われる。

ライスはレバノンでまずセニオラ首相と会談し、緊急人道援助を申し出
ている。その後、国会議長のナビーヒ・ベッリと会った。シーア派でア
マルの党首であるベッリは、地下壕に姿を隠すナスラッラー・ヒズボラ
議長の唯一の代理人だ。だからライスとベッリの会談はイスラエルとヒ
ズボラ間の代理交渉と見てよい。

この会談で、ライスは停戦と同時にレバノン国軍と多国籍軍が緩衝地帯
に展開すること、ヒズボラの兵器は国境から30キロメートル以遠の地
点まで撤去することなどを盛り込んだパッケージ案を提示した。

ベッリはこれに対し、即時停戦と捕虜交換交渉開始を要求、ヒズボラの
武装解除を含め、他の問題については後にレバノン国民対話で解決する
という代案を提示。会談は完全に平行線をたどった。

ベッリ案は、「開戦」前の現状復帰そのものだ。イスラエルとしては何
のために世界の轟々たる非難を浴び、自国民も犠牲にして戦争に踏み切
ったのかわからない。これではイスラエルが呑めるはずもない。

だが、この会談のおかげで、「イスラエルが攻撃を続け新たな軍事バラ
ンスが現出しない限り、現状では停戦も多国籍軍派遣も不可能だ」とい
う言い訳をライスは手にいれた。そしてローマに乗り込むと、「停戦は
永続的かつ包括的なものでなければならない」と押し切り、ほとんど一
国で即時停戦要請が出るのを食い止めた。

なお、ローマ会議の数時間前にはイスラエル軍がレバノン南部ヒヤーム
にあった国連レバノン暫定部隊(UNIFIL)施設を「誤爆」し、停
戦監視員4名を殺害している。基地はヒズボラの施設から離れている上、
爆弾の直撃を受ける前に何度もUNIFIL側から、危険だからこの地
域への爆撃をやめるようイスラエル軍に要請していたことも判明してい
る。このためアナン事務総長は「意図的な攻撃だ」と異例のイスラエル
非難を行った。中国など殺害された監視員を派遣していた諸国の怒りも
激しい。

ナスラッラー暗殺狙いか?

開戦当初のインフラを狙った大規模空爆は一段落し、イスラエル軍の作
戦の焦点は、国境からレバノン側に数キロ入り込んだところにある村落
の制圧に移っている。村ごとにというか、民家を一軒一軒調べ、山や谷
を捜索し、ゲリラや武器庫、ミサイル発射装置などを一網打尽にしてい
く。

イスラエルが本来の目標を達し得ないとして、どんな場合であればイス
ラエル軍の面子が立つか?

ひとつの可能性はヒズボラのカリスマ指導者、ナスラッラーを殺害した
場合だ。思えばイスラエルにとっての悪夢は、1992年に前任のアッ
バース・ムーサウィを殺害した後に始まった。1993年、1996年
の掃討作戦の失敗。2000年の一方的撤退。1998年と2004年
の捕虜交換。いずれもイスラエルに煮え湯を飲ませたのはナスラッラー
だった。

預言者ムハンマドに連なるといわれる血統の良さ。穏やかで説得力のあ
る語り口。だが、いったん演説を始めると、炎のような情熱的な言葉で
大衆の魂をとらえる。そして言ったことは必ず実行する、実行できない
ことは言わないことから来る信頼感。1992年以降のヒズボラにとっ
て、このカリスマ指導者の存在は決定的に大きい。イスラエル軍と政府
の幹部は開戦以来、いや開戦以前でさえ、ナスラッラー抹殺の意志を隠
そうとしていない。

だが実際にそんな事態が起きた場合、状況が果たして鎮静化するのか、
それとも反イスラエル感情が今以上に燃え盛って収拾のつかないことに
なるのか、予測はできない。

最悪のシナリオは、イスラエルのシリア攻撃だ。イスラエルで「シリア
に一撃を加えない限り、ヒズボラ相手の勝利もあり得ない」という世論
が盛り上がると、第五次中東戦争勃発は避けられなくなる。

絶え間ない戦争

あの激しい内戦中でさえ、日本のメディアがレバノンに注目することは
稀だった。最近では2005年2月にハリーリ首相が暗殺され、反シリ
ア・デモが燃え盛った時にだけ、一時的に日本のメディアもレバノンに
注目したが、その後レバノン情勢が袋小路に陥っていくと、メディアの
関心も冷め切ってしまった。

今回、この戦争のおかげで日本のメディアも流石にレバノンに焦点をあ
てて、「ヒズボラとは何か」などと報道している。

それはそれで結構ではあるが、ひとつだけ苦言を呈するなら、7月12
日の「確かな約束作戦」に至る経緯がほとんど報じられていないことだ。
だから、「平和なときに一方的にヒズボラがイスラエルに挑発を仕掛け
た」といったイメージができあがっている。

事態の経緯はそんなに単純ではない。ヒズボラが平和を破った、戦争を
仕掛けたと言うが、そもそもイスラエルとヒズボラは相互承認もしてい
ないし両者の間には平和条約もない。両者は不断の戦争状態にあった。

イスラエル軍は南部を撤退した後も、一日何十回という頻度でレバノン
領空を侵犯し、漁船を拿捕し、羊飼いを殺害してきた。このイスラエル
の脅威が現実に存在していたからこそ、シーア派国民はヒズボラの武装
継続を支持し、反シリア勢力はヒズボラを武装解除できなかったのだ。
現にヒズボラ活動家の暗殺を専門に行ってきたモサドのスパイ網が摘発
されてきている。

ヒズボラもまたイスラエル国内にスパイ網を築き、秘密工作を行ってき
ている。パレスチナ人のインティファーダの影にも頻繁にヒズボラの姿
が見え隠れする。つまり、両者はずっと影の戦争を戦ってきたのであっ
て、決して7月12日に「突然平和が破られた」わけではないというこ
とだ。

今回の戦争が過去10年間の衝突と違っているのは、「4月合意」の枠
が崩れた点である。1996年のイスラエル軍による南部大空襲と、ヒ
ズボラのミサイル攻撃が、双方の民間人に甚大な被害を与えたので、今
後は民間人やインフラ攻撃は控え、双方の戦闘員・軍事施設の攻撃に限
定しようと生まれたのが「4月合意」である。過去10年間、曲折はあ
ったものの、この合意は守られてきた。今回のヒズボラの捕虜獲得作戦
も、この枠内で行われた。

これに対し、いきなり空港や港、道路や通信施設などを破壊しつくして
何十万もの民間人をホームレスにしたのはイスラエルである。ルールを
先に破ったのはイスラエルのほうなのだ。

▲By 安武塔馬(やすたけとうま):
レバノン在住。日本NGOのパレスチナ現地駐在員、テルアビブとベイ
ルートで日本大使館専門調査員を歴任。現在は中東情報ウェブサイト
「ベイルート通信」編集人としてレバノン、パレスチナ情勢を中心に日
本語で情報を発信している。
http://www.geocities.jp/beirutreport/
著作に「間近で見たオスロ合意」、「アラファトのパレスチナ」(上記
ウェブサイトで公開中)がある。