▼殺害された記者の最終特電▼英インディペンデント紙
13 October 2006
http://news.independent.co.uk/europe/article1868072.ece

真実を伝えたがために殺された記者の最後の特電
これはアンナ・ポリトコフスカヤがノヴァーヤ・ガゼッタ紙のために書
いた未完成の最後の記事である。これは10月7日土曜にアンナが殺さ
れる前に簡単に書かれた。2つの独立戦争後、騒然とした北コーカサス
地方になんとか秩序を回復させようと、ロシアの後押しを受けるチェチ
ェン軍がチェチェンのありとあらゆる世代の若者を拷問していると彼女
は書く。

以下はアンナ・ポリトコフスカヤの未完の記事である。

毎日、何十というファイルが私のデスクを横切る。「テロ」を理由に投
獄された人びとに不利な刑事事件のコピーや、まだ調査している人びと
に言及するファイルだ。なぜ私が"テロリズム"という言葉に引用符をつ
けているか?

この人びとの圧倒的多数が当局によりテロリストとして「準備された」
ものであるからだ。テロリストとして人びとを「準備する」業務習慣が
2006年には正真正銘の反テロの努力に取って代わっている。そして
復讐心の熱い人たちが、いわゆる潜在的テロリストにその恨みを晴らす
のを許している。

検察も判事も法律に則った動きをしておらず、罪のある人たちを罰する
ことに関心を持っていない。それどころか、クレムリンの反テロの得点
記入カードをよく見せようとの政治的命令に従って動いている。訴訟は
ブリニ(パンケーキ)のように原材料に手を加えて仕上げられている。

有罪判決を受けたチェチェンの若者の母たちが私のもとに送ってきた手
紙を紹介しよう。

「要するに、有罪と宣告されたチェチェン人には矯正施設が強制収容所
となっているのです。チェチェン人ということで差別されます。大半と
いうか、ほとんど全員が、でっちあげられた証拠に基づいて有罪になっ
ています。」

「劣悪な環境に拘置され、人間として辱めを受け、彼らはすべてのもの
に憎悪を抱くようになります。有罪判決を経験した人はみな、これまで
の人生のすべてをメチャメチャにされて私たちの元に戻ってきます。そ
して、これまたメチャメチャな状態の、彼らを取り巻く世界をどう理解
するかです、、、」

私は心底、この種の憎悪を恐れている。いずれ爆発することになるから
だ。そして、これほどまで世界を憎悪する若者には、すべての人間が部
外者のように見えるものだからだ。

テロリストを「準備する」ことが習慣的に行なわれていることは、2つ
のイデオロギー的アプローチで疑問を呼ぶ。私たちは無法と戦うために
法を使っているのか? それとも、「彼らの」無法を私たちの無法に合
わせようとしているのか?

先日、ロシアの要請に応じ、ウクライナがベスラン・ガダエフという人
物をモスクワに引き渡した。彼はチェチェン人で、8月初めにクリミア
で書類審査を受けてる間に身柄を拘束された。

彼は元々住んでたところを追われてウクライナに移り住む羽目になった
のだ。私に届けられた8月29日の彼の手紙を少し引用してみよう。

「ウクライナからグロズヌイに引き渡され、警察署に連行されました、
そして{アンゾルの家族とその友人の家族を殺したのか}と聞かれまし
た。私は絶対に誰も殺してない。ロシア人であれチェチェン人であれ、
血を流させるようなことはしていないと答えました。でも警官は、{違
う、お前は人殺しだ}と断言しました。そこでまた、私はそれは違うと
言いました。」

「彼らは私を殴り始めました。最初は右目のあたりを2度殴りました。
意識を失いましたが、意識が戻ると私を縛りあげ、膝の後ろに固定した
金属棒に手錠でつなぎました。元々手錠はされていました。それから彼
らは私を持ち上げて、というか私の脚の後ろにくくりつけた金属棒を持
ち上げて、1メートルほどの高さのスツール2脚の間につるしました。
そしてすぐに、私の小指に針金をつけました。ゴムの警棒で殴りつけな
がら、電気ショックを加えたのです。」

「どのくらい続いたかわかりませんが、あまりの痛さに意識を失いかけ
ました。これを見て彼らは、{どうだ、話す気になったか}と聞きまし
た。私は、話しますと答えました。でも、何を話せばいいのかわかりま
せんでした。ほんの少しの間でも拷問を受けずにすめばと思い、口をき
いたのです。彼らは私を下ろし金属棒を取り外すと床にたたきつけまし
た。{喋れ}と彼らは言いました。」

「話すことがありませんと私が言うと、右目のあたりを金属棒で殴りつ
けました。さきほど殴られたところです。そうしてまた私を吊り下げて
同じことを繰り返しました。それがどのくらい続いたか憶えていません。
彼らは私に何度も水をかけました。」

「昼ごろ、警官が近づいてきて、{ジャーナリストが何人か話を聞きに
来ている。3件の殺人と1件の強盗を白状しろ}と言いました。」

「その警官は私に、{もし同意しなければ警察はまた同じこと(拷問)
をお前に繰り返す、そして性的に痛めつけて口を割らせる}と言いまし
た。私は同意しますと答え、ジャーナリストの取材に応じました。警察
は{尋問の際に負った傷は逃亡しようとしたときのものだと証言しろ}
と強要しました。」

ベスラン・ガダエフの弁護人、ザウル・ザクリエフは、人権団体に連絡
して、依頼人がグロズヌイ警察の敷地内で身体的・精神的暴力にさらさ
れたと知らせた。

ガダエフは「山賊罪」で起訴され、グロズヌイの第一刑務所の病院棟に
拘禁されているが、そこの書類には彼の負傷が詳細に記録されている。
ザクリエフ弁護士はチェチェン共和国の検察官にこれらの苦情を提出し
ている。

▲記事はここで終わっている。