■米、イラン革命防衛隊に「テロ組織指定検討」■朝日新聞

15 August 2007

ニューヨーク・タイムズ(電子版)紙は14日、ブッシュ政権がイラン

の革命防衛隊を「テロ組織」として指定することを検討している、と報

じた。イランの核開発疑惑や、隣国イラクの内戦状況には革命防衛隊が

関与しているとみていることが理由。だが、主権国家の軍隊がテロ組織

に指定された例は今までなく、反発も大きそうだ。

複数の政府高官の話として、今月中にも指定を発表する可能性があると

伝えた。

ただし、国連での追加制裁論議の進展状況次第では、先送りの可能性も

あるという。同紙によると、ライス国務長官は最近、国連による追加制

裁がこれ以上遅れるなら、米国は単独行動に出ざるを得ないと欧州諸国

に警告している。

政権内部では昨年、イランには外交で圧力をかけるべきだとしたライス

長官の主張が通った。だが最近、チェイニー副大統領の側近らが軍事介

入策を再び主張しており、ライス長官はこうした強硬派を抑え込むため

にもテロ組織指定に傾いている模様だという。

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8月16日 AFPによると、米国が大統領令によってイランの軍事組織、

革命防衛隊をテロ組織に指定するとした米ワシントン・ポスト紙の報道

が事実であることがわかった。15日、米政府関係者との取材で明らか

になった。テロ組織指定の目的は、革命防衛隊の資産凍結などだという。

ニューヨーク・タイムズ紙は、イランの核開発計画に対し、国連安全保

障理事会がより広範な制裁措置の実施へと迅速に動くなら、テロ組織指

定延期の可能性もあると報じている。

国営イラン通信によると、イラン外務省関係者は「こうした報道は無意

味なプロパガンダであり、米国によるイランに対する心理作戦だ」と語

った。

イランに対する追加制裁への動きがあるなか、米国政府はイランに対す

る「武力行使は考えていない」と発表。一方で、ダナ・ぺリノ米大統領

副報道官は、外交努力を強調しながらも、いかなる場合でも武力行使の

選択肢は除外されないと述べている。

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■イスラム革命防衛隊 またの名をパスダラン■

イスラム革命防衛隊またはパスダランは、1979年のイスラム革命後

に編成された。革命防衛隊は、正規軍とは分離して運用されているにも

かかわらず、多くの場合、イラン防衛での重要な役割のゆえに、防衛隊

そのものが軍事力と考えられている。革命防衛隊は、正規軍の機構と並

行する、陸・海・空の部隊から成る。

新しいイスラム体制の当初から、パスダラン(パスダラン・イ・エンゲ

ラブ・イ・イスラミ、またはイスラム革命防衛隊)は信頼できる軍団と

して機能した。国家安全保障におけるその役割は、体制擁護および敵対

勢力の除去から、軍の一部門になるまでに発展した。

しかしながらホメイニは、左翼ゲリラとシャーへの忠誠が疑われる将校

による脅威に対抗する手段としてパスダランを創設し、革命の防衛者と

して指定した。新しい共和国の憲法は、革命そのものを擁護する責任を

パスダランに与えると同時に、イランの領土保全と政治的独立の防衛を

軍に委任した。

1979年の創設以来、パスダランは任務と機能において根本的な変化

を遂げてきた。独立した省のあるパスダランはイランで最も強力な組織

の1つに発展している。国内・国外の情報組織として機能するばかりか、

政府の政策に対する影響力も相当なものだった。当初の政治力に加え、

数年のうちに、革命とイスラム・イランを防衛するための強力な軍事的

手段になった。

国際戦略問題研究所によれば、1986年、パスダランは、単独もしく

は正規軍と共に行動する、35万人からなる大規模部隊に組織される。

小規模な海軍と航空部隊とを持ち、ペルシャ湾でヒットエンドランの任

務を要求するまでになる。2000年までに革命防衛隊海軍は、海上の

石油採掘用プラットフォーム、またはいくつかの湾岸の小島に建設され

た仮設基地から攻撃を開始するのに最適の戦力になった。

パスダランは、ラフチやラフサンジャニのような聖職者の指導の下、「イ

スラム革命の目と耳」として、また政府内の反革命活動またはイスラム

政府の政敵を粉砕するためのホメイニの特殊任務部隊として、行動する

ものとされてきた。長年イスラム革命会議指導部は、敵対人物を除去し、

自分の地位を押し上げるのにパスダランを利用した。ちなみに、ハメネ

イ大統領とラフサンジャニ大統領報道官マイリスは、共にパスダランの

元指揮官だった。

パスダランは、ホメイニその他の宗教的権威の継続する支援があるあい

だは強力なままである。ムジャヒディンやフェダインのような武装左翼

集団を除去しつつ、イスラム革命会議のすべての期待を満たす。ポスト・

ホメイニ時代には、政府の変化を承認する、しないで、巨大な権力を振

るうことができた。革命擁護を主要任務としたパスダランとは対照的に、

イラン軍の主要関心事はイラクとの戦争の遂行だった。

パスダランの最初の作戦指揮官は、テヘラン出身の元教師、アッバス・

ザマニ(アブ・シャリフ)だ。イスラム法学部の卒業生であるザマニは、

1971年のヒズボラ創設者の1人だった。ベイルートに初めて旅した

1970年の初め、彼はレバノンにおけるパレスチナ解放機構( PLO)

や他のゲリラグループなどとの接触を確立する。

パスダランはレバノンで極めて活動的だった。1982年夏までのイス

ラエルの第2次レバノン侵攻後の短期間、パスダランはシーア派が優勢

なベッカー峡谷に約1000人を配備しており、レバノンでのイスラム

国の設立を意図したアマル主流派の分派、イスラム・アマルに一貫した

支援を提供している。シリアの世俗的なバース党体制は、レバノンにお

けるパスダランの存在は、役にも立つが脅威にもなると見ている。断言

されている、レバノンでの反米テロへのパスダランの関与については、

依然として確認が難しいままである。

80年代、パスダランは大民兵バシジを組織してもいる。1985年、

イラン・ニュース・エージェンシーは、パスダランのバシジ部隊司令官

が、約1万1000ヶ所のセンターで訓練を受ける準軍隊には300万

人近くの義勇兵がいると、声明したのを報じていた。特にバスラ周辺で

のイラク兵に対する「人海」攻撃を行うために引き抜かれた義勇兵は、

バシジ将兵である。またパスダランは、ホメイニの指示により、革命に

奉仕する女性の訓練も開始していた。


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