「寛大で自由な民主主義が組織の絶対権力の姿に近づいています。これ

は歴史に残るシフトです、そしてメディアはその見かけを認めてはいけ

ないが、これを大衆うけのよい盛んに論じられている問題にして、直接

行動にかけさせる必要がある」とジョン・ピルジャーは言いました。「大

多数の人々が真実と真実の意味を否定されたならば言葉のバスティーユ

の牢獄と呼ぶものになだれ込む時だと、偉大なる告発者トマス・ペイン

は警告しました。いまがその時です。」(トマス・ペインはアメリカの独

立革命はコモンセンスと書く。)

喝采して迎えられるオーストラリアの映画作家で醜聞暴露者、ジョン・

ピルジャーによる最新のレクチャーを1時間にわたりお送りします。

先週ルパード・マードックがダウ・ジョーンズとウオールストリートジ

ャーナルを乗っ取る競りに勝ったとき、オーストラリアのメディア王は

アメリカの最も古くて、最も尊敬される、広く流通した新聞のひとつを

自分の巨大メディア帝国に持ち込みました。マードックのメディアコン

グロマリッド(巨大複合企業)ニュースコープは、フォックス TVネッ

トワーク、21世紀フォックス、数社の衛星ネットワーク、

MySpace.com、出版社ハーパーコリンズはもちろん、他にも175の

新聞を所有します。

メディア帝国を積んでいくことの他に、マードックは彼の政治的アジェ

ンダを推進するため自分のメディア保有物を利用することで繰り返し非

難されてきています。2003年、マードックの175のすべての新聞

がイラク侵略を支持しました。侵略の下準備となるもので彼は英国元首

相トニー・ブレアに訴えました。ブレアの権力中枢部の側近グループに

はマードックのことを「ブレア内閣の24番目のメンバー」と呼ぶ人も

いるほどです。

50億ドルの取引について発表後、マードックはウオールストリートジ

ャーナルの編集の独立性を維持するには安定した収益を上げる必要があ

るとニューヨークタイムズに話しました。「自由につながる最初の道は

生存力」とマードックは言ったのです。

ルパート・マードックの同郷人のひとり、やはり英国に住むオーストラ

リア人は強烈に意見が異なります。すぐれた調査報道ジャーナリストで

ドキュメンタリー映画作家のジョン・ピルジャーは、法人型メディアに

対する辛辣な批評家です。ほとんど半世紀近く前にピルジャーはジャー

ナリズムで彼のキャリアを開始しています。50本以上のドキュメンタ

リーを作っており、何冊もの本の作者です。新著のタイトルは「フリー

ダム・ネクストタイム:帝国に屈しないこと」です。

以下、ジョン・ピルジャーのレクチャーからお届けします。

(このトランススクリプトは無料です。ですが寄付してくださると助か

ります。)

=======================================

•  法人型メディアに屈しない 帝国に屈しない■デモクラシーナウ!

07 August 2007 by ジョン・ピルジャー

いわゆる PR(パブリックリレーションズ)の父、エドワード・バーネ

イ(アメリカ人広報マン。1891年ウィーンに生まれ1995年没。

戦争宣伝から商品の売り込みまで、ありとあらゆるプロパガンダに従事

した。心理学者ジークムント・フロイトの甥。多様な心理学手法を駆使

して世論操作、大衆の合意形成を行う)は、私たちの国を支配する真の

権力である、見えない政府について書きました。彼はジャーナリズム、

メディアを引き合いに出していました。それは法人型メディアが発明さ

れてすぐの80年も前のことです。ほとんどのジャーナリストが語らな

いか、知らない歴史であって、それは法人の宣伝広告の到来とともに始

まりました。新しい法人が報道機関を乗っ取り始めたとき、「商売にす

るジャーナリズム」と呼ばれるものが発明されました。大広告主を惹き

つけるためには、新しい法人報道機関はちゃんとした体制の中心となる

柱石、客観的で公平で釣り合いがとれている、らしいと思わせる必要が

ありました。最初のジャーナリズムの一派が設立されて、リベラルな中

立という神話が商売にするジャーナリストをぐるり囲んで疾走しました。

表現の自由の権利は新しいメディア、すばらしい法人と関連したのです。

そしてこのすべてが、「まったくのインチキ」でした。

国民が知らなかったこととして、プロになる目的でジャーナリストたち

はニュースと専門家の意見が当局筋によって優位を占められるのを保証

せねばならなかったということでした、そしてそれは変わっていません。

ニューヨークタイムズをよく調べて、国内と海外の主要な政治記事の筋

をチェックすると、政府や他の既存の関係者によって支配力をふるわれ

ていることに気づくはずです。それがプロのジャーナリズムの真髄(本

質)です。自主独立のジャーナリズムが締め出されたとか締め出される

とか、ほのめかしているのではありません。でもそれはどうも恥を知る

名誉な例外であるらしい。イラク侵略に向けての前段階でニューヨーク

タイムズで演じたジュディス・ミラーの役割について考えてもみてくだ

さい。そう、彼女の記事はスキャンダルになりました、でもウソに基づ

いた侵略をはかどらせることで有効な役割をつとめた後にすぎません。

さらに、ミラーの当局筋や既得権益の機械的繰り返しは名高い W.H.ロ

ーレンスといったような多くの有名なタイムズ記者の記事となんら違わ

ないのです。ローレンスは1945年8月広島に投下された原爆の実際

の被害を隠蔽する手助けをしました。「広島の廃墟に放射能なし」が彼

の報告のヘッドラインでした、そしてそれはウソでした。

この目に見えない政府の力がいかに成長したかよく考えてみましょう。

1983年、グローバルメディア主義が50社によってあっさり容認さ

れました、そのほとんどがアメリカ企業です。2002年、これがわず

か9社に減少しています。今日、それはおそらく5社ほどです。ルパー

ト・マードックは、巨大グローバルメディア企業は3社になると予言し

ています、そして彼の会社がそのひとつになるだろうと。この権力の集

中はもちろん米国に限りません。英 BBCは放送を米国にまで広げている

と発表しています。理にかなった、客観的で、ニュートラルなジャーナ

リズムをアメリカ人が必要とすると考えるからです。 BBCはそれで有名

です。彼らは BBCアメリカに着手しています。その広告を見ているかも

しれませんね。

BBC放送は1922年に始まりました。アメリカで法人型メディアが始

まる直前です。創立者は、偏らないことと客観性がプロ精神の真髄だと

信じたジョン・リース卿でした。同年、英国の体制は包囲下にありまし

た。組合はゼネストを呼びかけていて、トーリー党(保守党)は革命が

起ころうとしているとたまげました。できたての BBCが彼らを包囲から

救うことになりました。内密に、リース卿はスタンレー・ボールドウィ

ン首相の反組合のスピーチを書いて、全国にそれを放送したと同時に、

ストライキが終わるまで自分のチャンネルで労働者の指導者らが述べる

のを許しませんでした。

どうやらパターンが示されました。偏らないことは間違いなく原理原則

だった:体制が脅威にさらされたときにはいつでも見合わせられる根本

方針。そしてこの根本方針が以来ずっと維持されてきています。

イラク侵略を例として挙げます。 BBCの報道に関する2つの研究があり

ます。ひとつは、 BBCがイラクの報道規模の2%を反戦の異議表示に割

いたことを示します、2%です。 ABC、NBC、CBSの反戦報道の規模

より少ないんです。ウェールズ大学による 2つめの研究は、侵略への準

備段階で BBCが大量破壊兵器について言及した90%がサダム・フセイ

ンが現にそれを持っていると示唆してブッシュとブレアが正しいとの含

みを明らかにするものでした。今は BBCとイギリスのメディアが英秘密

諜報機関 MI6によって利用されていたのを私たちは知っています。オペ

レーション・マスアピール(大衆アピール)と呼ばれる作戦の中で、サ

ダムの大量破壊兵器について兵器がサダムの宮殿や秘密の地下倉庫に隠

されているといったニュースを MI6の工作員がもくろんだのです。この

記事は全部インチキでした。でもそれが核心ではありません。核心は、

MI6の工作は無用だったということです、なぜならプロのジャーナリズ

ムが独力で同じ成り行きを演出しようとしていたのですから。

侵略後すぐのワシントンの BBCの一員マット・フレイの放送を聞いてく

ださい。彼は UKと世界中の視聴者に「疑いはない」と言いました、「残

りの世界、特に今は中東に望ましいことをもたらす、アメリカの価値観

をもたらそうとの欲求は、特にアメリカの軍事力と結びつけられる。」

2005年に同じリポーターが、侵略の設計者ポール・ウォルフォウィ

ッツを「民主主義と草の根のなりゆきの力を情熱的に信じる」人物と、

ほめたたえました。それは世界銀行での重要でない事件の前でした。

このどれもが珍しくはありません。 BBCはごく普通に決まり文句で、侵

略を誤算、見込み違いと説明します。違法、正当な理由のない、ウソに

基づく、そのどれでもなくて見込み違い(誤算)だというのです。

目下の BBCニュースでは「失敗」の言葉と共に、「間違い」や「へま(大

失敗)」が当たり前です。もし防衛力のないイラクへの意図的で計算さ

れたいわれなき違法な攻撃が成功してたなら、それはおみごと(申し分

なかった)と少なくともそれは示唆します。この言葉を聞くたびに私は、

考慮に値しないことを標準化することについて書いたエドワード・ハー

マンの最高のエッセーを思い出します。メディアの使い古した決まり文

句がしようする、そしてしようとたくらむのは、戦争の低落(堕落)、

切断された手足、不具にされた子どもたち、私が見てきたことすべての、

考慮に値しない思考を絶することを標準化するためです。冷戦に関する

私のお気に入りの記事のひとつは、米国をツアーしていたロシアのジャ

ーナリストの一団に関心を持ちます。最後の訪問日に彼らは司会者から

印象を訊ねられました。「来る日も来る日もあらゆる新聞を読み TVを見

ていて気づいたこと、きわめて重大な問題での見解がすべて同じだった

ことに、われわれがひどくびっくりさせられたことを言っておかねばな

りません。われわれの国でこの成果をあげるには、ジャーナリストを強

制労働収容所に送ります。爪だってはがします。ここではその必要がな

い。その秘訣は何なのです?」とスポークスマンは言いました。

秘訣は何か?ニュース編集室、マスコミ媒体大学、ジャーナリズムのジ

ャーナルでめったに聞かれない質問です。しかしそれでもその質問に対

する答は何百万という人の命には決定的です。昨年8月24日、ニュー

ヨークタイムズは社説でこう宣言しました:「いま私たちにわかってい

ることが当時わかっていれば、イラク侵略は世間一般の抗議で止められ

ていたであろう。」このびっくりするような告白は事実上、やるべきこ

とをやらないことで、彼らに挑みそれを暴く代わりに、ブッシュとその

一味のウソを受け入れ大げさに言って繰り返すことで、ジャーナリスト

が国民を裏切っていたと書いていました。タイムズが言わなかったのは、

その新聞や残りのメディアがウソを暴くというのが、百万人がおそらく

今日生きていることに匹敵するということでした。それが、今の若干の

上層の主流派ジャーナリストの考えです。彼らの中で公然とそれを口に

する人はほとんどいません、彼らは私にそう言及しています。

皮肉にも私が全体主義社会から報道したとき、自由社会とやらでいかに

検閲が機能するかを学び始めました。1970年代の間中、私は当時ス

ターリン主義の独裁国家、チェコスロバキアでこっそりと映画を撮って

いました。小説家の Zdener Urbanekを含め、反体制グループ「チャー

ター77」のメンバーにインタヴューしたのです、そこで彼が私に話し

たことがこれです。「独裁国家にいるわれわれは、あることに関して、

西側にいるあなたより運がよい。新聞で読んでることはなにも信じない

し TVで見ることは何も信じない、プロパガンダとウソとわかっている

からだ。西側にいるあなた方とは違う。われわれはプロパガンダの後ろ

を見ること、行間を読むことができるようになっている。そしてあなた

方とは違い、本物の真実が常に破壊活動分子なのをよく熟知している。」

バンダナ・シヴァはこれを服従の知識と呼んでいます。「当局の発表で

真実でないと打ち消されるまではどんなことも決して信じるな」と書い

たとき、偉大なアイルランドの醜聞暴露者クラウド・コックバーンはそ

れを正しく理解させました。

最も古い戦争の決まり文句に真実が最初の犠牲者というのがあります。

それは違います。ジャーナリズムが最初の犠牲者、損失です。ヴェトナ

ム戦争が終わったとき、雑誌「 Encounter 」は、戦争を取材してきた

名高い記者、ロバート・エレガントの記事を公表しました。「近代史で

初めて、戦争の成果が戦場ではなしに、印刷されたページ、とりわけ TV

の画面に映しだされたすべてで決着をつけられた。」と彼は書きました。

戦争に負けたのは報道で戦争に反対したせいだとジャーナリストに責任

を負わせたのです。ロバート・エレガントの見解はワシントンで広く受

け入れられた名言になりました、そしていまでもそうです。ヴェトナム

に負けたのは批判的な報道のせいと信じたので、イラクでペンタゴンは

ジャーナリストを軍隊の中に抱き込むことを発明しました。

まったく正反対のことが真実でした。若い記者として私はサイゴンでの

最初の日に、主な新聞社と TV会社の支局を訪問しました。ある支局で

はぞっとする写真が留まってる壁のピンボードがあるのに気づきました、

ほとんどがヴェトナム人の死体と切断された耳や睾丸を持ち上げるアメ

リカ兵のものでした。ある局には拷問される男性の写真、拷問者の頭上

には「報道機関にしゃべるのを、これで悟るだろう」とある、貼り付け

式のマンガの吹き出しがありました。この写真のどれも公表されてもい

なければ電送されてもいません。なぜかと私は訊ねました。国民は絶対

にそれを受け入れようとはしないと言われました。とにかく、それを公

表するのは客観的でもなければ公平でもないと。最初、私はこの真偽は

ともかく真実らしいロジックを受け入れました。私もまた、全悪魔から

アングロ・アメリカの世界を浄化した道徳の大浴場、ドイツや日本との

よい戦争という歴史話でもって育ってきていました。でも、ヴェトナム

に長くいるにつれ、私たちのひどく不快な事態、残虐行為は、他に類の

ないことでもなければ逸脱してもいない、戦争そのものが不快な事態、

残虐行為なのを実感していきました。それは大きな新聞ネタでした、そ

してまれなニュースでした。なるほど、軍の作戦や有効性はとてもすぐ

れた報道記者らによって異議を唱えられました。でも、「侵略」という

言葉は一度も使われませんでした。使われた気持ちを和らげる言葉は「巻

き込まれる」でした。アメリカはヴェトナムに巻き込まれた。結果はと

もかく善意でした、へまな巨人、アジアの泥沼にはまる、という作り話

が絶え間なく繰り返されました。故国に戻って破壊活動分子の(滅亡さ

せる)真実を語ることがダニエル・エルズバーグやシーモア・ハーシュ

のような告発者に残されました。ハーシュにはソンミ村大虐殺のスクー

プがあります。ソンミ大虐殺があった1968年3月16日、ヴェトナ

ムには649人の報道記者がいながら、ひとりもそれを報じなかったの

です。

ヴェトナムでもイラクでも意図的な政策と戦略は大量虐殺に近いもので

した。ヴェトナムでの何百万もの村民の強制追い立てと無差別砲撃地帯

の建設、イラクでの古くさい攻城のような1990年代に遂行したアメ

リカが強いた禁輸制裁、そして国連児童基金によるとそれによって年齢

5歳以下の50万人の子どもが殺されました。ヴェトナムでもイラクで

も計画的な試みとして民間人に対し禁止された武器が用いられました。

オレンジ剤(ダイオキシンを含む強力な枯れ葉剤)はヴェトナムの健康

な遺伝的常態と環境的常態を変えてしまいました。軍はこれをオペレー

ション・ハーデース(地獄作戦)と呼びました。これを議会が見破った

とき、よりやさしいオペレーション・ランチハンド(農場援助の手作戦)

に改名されたものの、何も変わりません。これはほとんどイラク戦争に

対する議会の反応の仕方です。民主党はこれを強く非難し、烙印を押し

替えて、継続してきています。

ヴェトナム戦争を追ったハリウッド映画は、考慮に値しない思考を絶し

たことを標準化することでジャーナリズムの延長でした。なるほど、軍

の戦略に批判的だった映画もありましたが、そのどれもが侵略者の苦悩

に集中するよう気おつけていました。初期の映画は今では一流の作品と

みなされてます。「ディアハンター」のメッセージは、アメリカは苦し

んでいる、アメリカは一撃を食らわされた、アメリカの男連中は東洋の

野蛮人を相手にベストを尽くしている、でした。メッセージはいっそう

有害なだけでした、なぜなら「ディアハンター」は出来も演技もあざや

かでしたから。私が映画館で思わず大声で抗議した唯一の映画であると

認めねばなりません。オリバー・ストーンの喝采して迎えられる「プラ

トーン」は反戦映画と言われました、そしてヴェトナム人を人間として

ちらりと見せました、でも、とりわけ侵略者のアメリカ人を犠牲者とし

て奨励もしました。

これを書こうと腰をすえたとき、「グリーンベレー」に触れるつもりは

ありませんでした。ジョン・ウエインがこれまで生存した誰よりも大き

な影響力を持つ映画人だと読むまでは。私は1968年アラバマ州モン

ゴメリーで土曜の夜にジョン・ウエイン主演「グリーンベレー」を見ま

した(私は当時汚名を流したジョージ・ウォレス知事にインタヴューす

るためそこにいたのです)。私はヴェトナムから戻ったばかりで、この

映画のばかばかしさ、非常識さが信じられずに、大声で笑いまくりまし

た。私の周辺の空気が非常に冷え込んでいくのに長くはかかりませんで

した。南部のフリーダムライダー(公民権活動家)だった私の同伴者が、

「とっととここから逃れて、死にもの狂いで走ろう」と言いました。

ホテルに戻るまでずっと私たちは追いかけられましたが、追跡者たちは

ヒーローであるジョン・ウエインが第二次世界大戦で戦いたくなかった

のでウソをついたのを知っているのかどうか疑問に思いました。しかも

なお、ウエインのまやかしの役割モデルは多数のアメリカ人をヴェトナ

ムでの死に追い立てました、ジョージ W.ブッシュとディック・チェイニ

ーは注目に値する例外であるのに対して(2人は徴兵逃れをした)。

昨年ノーベル文学賞の受賞式で脚本家ハロルド・ピンターは画期的な演

説をしました。彼はなぜかと疑問を呈したのです、彼の言葉を引用しま

す。「スターリン主義者のロシアであっても、組織的残忍性、広くはび

こった残虐行為、自主独立した人に対する冷酷な抑圧は西側でよく知ら

れていた、なのにアメリカの国家犯罪は単に外面的に記録に残されるに

過ぎない、まして詳細に報道する(文書で証明する)などもってのほか

である。」そしてさらに世界の全域での無数の人間の死滅と苦しみ、受

難が、おそらくは手に負えないアメリカの権力に帰するのだ。「だが」

とピンターは言った、「あなた方はこれを知ろうとしない。なかった。

あるわけがない。あっても、なかったこと。なんでもなかった。重大な

ことでなかった。」ピンターの言葉は超現実的な雰囲気に余りありまし

た。 BBCは英国で最も有名な劇作家のスピーチを無視したのです。

私はカンボジアに関する若干のドキュメンタリー映画を作ってきました。

最初の映画は「ゼロ年:カンボジアの黙殺した死」です。ポルポト政権

出現の触媒の働きをするものを提供したアメリカの爆撃を説明します。

ニクソンとキッシンジャーが始めてポルポトが仕上げたこと、 CIAファ

イルはもちろんとしてそれに疑いはありません。私は PBSに「ゼロ年」

を提示するとワシントンに渡りました。それを見た PBSの重役たちはシ

ョックを受けました。彼らは身内でひそひそ話し合っていました。外で

待つように言われました。結局、ひとりが姿を表して「ジョン、われわ

れは君の映画は高く評価する。しかしだ、米国がポルポト政権の行動の

下ごしらえをしたというのがじゃまをする。」と言いました。

「証拠に疑いをはさむのですか?」私は幾つかの CIA文書を引用してい

ますと述べました。「まさか、だがね、われわれは新聞雑誌的な審判に

かけることにした。」と彼は返答したのです。

さてこの「新聞雑誌的審判」はジョージ・オーウェルが創り出していて

も不思議ないことばです。実際、ポルポトによってカンボジアに招待さ

れたわずか3人のジャーナリストのうちのひとりをなんとか見つけ出し

ました。そしてもちろん、彼は映画に反対しました、そしてふたたび PBS

から非難されることはありませんでした。「ゼロ年」は60カ国で放送

されましたし、世界で最も見られたドキュメンタリーのひとつになりま

した。米国では一度も上映されていません。カンボジアに関して作った

5作品のうち、1本はニューヨークの PBS局、WNETによって放送され

ました。夜半 1時頃に放送されたと思います。ほとんどの人が眠ってい

る時間帯の1回放送ベースで、エミー賞を受賞しました。なんと驚くべ

き皮肉なのでしょう。賞には匹敵しても観客に匹敵しないとは。

ハロルド・ピンターの破壊する真実は、帝国主義とファシズムを接続さ

せ、ほぼ報道されたこともない歴史闘争を説明すると考えます。これは

メディア時代のきわだった黙殺です。そしてこれは今日のプロパガンダ

の隠れた核心です。プロパガンダがこれほど莫大な範囲なのに、多くの

アメリカ人がよく承知して理解するのにいつも私はひどくびっくりさせ

られます。もちろんシステムの話であって個人のことではありません。

さらに、問題はジョージ W.ブッシュとその一味であると今日たくさんの

人が考えます。なるほど、ブッシュ一味は極端です。でも、私の経験で

は前に行われてきたことの極端版それ以上のものではありません。私の

生涯において、いっそう多くの戦争が共和党よりも自由な民主党によっ

て始められています。この事実を無視することで、プロパガンダ・シス

テムと戦争を仕掛けるシステムが続くのを保証します。過去10年間、

英国を動かす民主党の支局があったのです。明らかにリベラルなブレア

は近代のどの首相よりも多く英国を戦争に従事させています。なるほど、

彼の最近の仲よしはジョージ・ブッシュです、でも初恋は20世紀後半

の大統領で最も暴力的なビル・クリントンでした。ブレアの後継者ゴー

ドン・ブラウンもまたクリントンとブッシュのファンです。先日、ブラ

ウンが「大英帝国のことで英国が謝罪しなければならない時代が終わる。

われわれは祝うべきだ。」と言いました。

ブレアのように、クリントンのように、ブッシュのように、ブラウンは、

歴史闘争は口説き落とされたとのリベラルの真実を信じます。アメリカ

帝国で死んでいる何百万人のように、英帝国のインドでイギリスが押し

つけた飢饉(凶作)で何百万人が餓死したことは忘れられるだろうと。

そしてブレアのように、後継者は商売にするジャーナリズムが味方につ

くと確信しています。悟ろうが悟るまいが、大部分のジャーナリストは、

イデオロギーでないとみなされ、もっともな真ん中と示す、近代のまさ

に支柱であるイデオロギーの民衆指導者になるよう仕込まれます。制限

なしなのでこれまでに知っているなかで最も力があり最も危険なイデオ

ロギーなのは確実といえます。これが自由主義です。自由主義の価値を

否定しているのではありません。そんなことは断じてありません(とん

でもない)。私たちはみなその恩恵を受けています。でももしその危険

性、制限なしの野心的計画、すべてを消費するそのプロパガンダの力を

打ち消せば、真のデモクラシーに対する私たちの権利を否定することに

なります。なぜなら、自由主義と真のデモクラシーは同じではありませ

んから。19世紀に自由主義はエリートの領分として始まりました。そ

して真のデモクラシーがエリートによって回されたことは一度もありま

せん。それを獲得するため常に闘い、苦労してすすんできたのです。

反戦連合「平和と正義連合」の上級メンバーが最近述べたことを引用し

ます、「民主党は事実であることという政略を使っている」彼女のリベ

ラルな歴史的言及の論点はヴェトナムでした。民主党議会が戦争に反対

票を投じ始めてから、ジョンソン大統領はヴェトナムからの撤退を開始

したと彼女は言いました。そうではなかった。 4年も経った後に部隊は

ヴェトナムから撤退したのです。その間米国は、ヴェトナムで、カンボ

ジアで、ラオスで、それより先に殺した総数よりもっと多くの人々を爆

撃で殺しました。そしてそれはイラクで起こっています。昨年以来、爆

撃が倍増してきています。これは報道されていません。この爆撃を始め

たのは誰か?ビル・クリントンが始めました。1990年代を通じて、

イラクの婉曲に「飛行禁止区域」と呼ばれるところでクリントンは爆弾

を雨あられと降らせたのです。同時に彼は、私が言及してきたような詳

細に記録された50万人の子どもを含め、おそらく百万人を殺す、経済

制裁と呼ばれる古くさい攻囲を押しつけました。いわば主流メディアで

はこの大虐殺についてほとんどなにも報道されませんでした。昨年、ジ

ョーンズ・ホプキンス公衆衛生学部によって出版された調査が、イラク

侵略以来、侵略の直接の結果として65万5000人のイラク人が死亡

してたことを発見しました。ブレア政権は信頼に足る数字であるとわか

っていたのを当局の文書が示します。2月に、この報告を書いたレス・

ロバーツは、その数字はルワンダの大量虐殺についてのフォーダム大学

の調査での死者の数に等しいと言いました。ロバーツのショッキングな

暴露(新事実)に対するメディアの反応は黙殺でした。ハロルド・ピン

ターの言葉では、ある世代には申し分なく組織的殺害の最大のエピソー

ドといえるものは、「なかった。たいしたことではなかった。」

自分のことを左派とみなす多くの人々がブッシュのアフガニスタン攻撃

を支持しました。 CIAがオサマ・ビンラディンを支援していたことは無

視されました。クリントン政権がひそかにタリバンを支持したこと、 CIA

でのハイレベルの要約した報告を彼らに与えていることも、米国では知

られていないも同然です。タリバンはアフガニスタンを横切って石油パ

イプラインを建設する巨大石油会社ユノカルの隠れたパートナーでした。

そしてクリントン当局がタリバンが女性を迫害するのを思い出させたと

き、彼は「我慢できる」と言いました。ブッシュがタリバンを攻撃しよ

うと決めたのは911の成り行きとしてではなく、2ヵ月早い2001

年7月だったとの人を動かさずにはおかない証拠があります。これは公

に米国では知られていないも同然です。アフガニスタンにおける民間人

犠牲者の規模のように。私の知るところでは主流記者でただひとり、ロ

ンドンのガーディアン紙のジョナサン・スティールだけがアフガニスタ

ンにおける民間人犠牲者を調査していました。そして彼の見積もりでは

2万人の民間人が死んでいます、そしてそれは3年も前のものでした。

永続するパレスチナの悲劇はかなりの部分で、いわゆる自由な左派の黙

殺と追従(承諾)によるものです。ハマスはイスラエルの破壊を誓うと

繰り返し説明されます。ニューヨークタイムズ紙、 AP通信、ボストン

グローブ紙の中から好きなほうを選んでください。どれも一般的な否認

としてこのくだりを使います、それは間違いです。ハマスが10年の停

戦を命じていることはまったくと言っていいほど報道されません。もっ

と重要な、この数年、イスラエルの現実と呼ぶものの承認に等しい歴史

に残るイデオロギーのシフトをハマスが経験してきているのは知られて

いないも同然です。そしてイスラエルがパレスチナの破壊を誓うことは

口に出せないでいるのです。

パレスチナに関する報道でグラスゴー大学による先駆者となる調査があ

ります。英国で TVニュースを見る若者に彼らはインタヴューしました。

90%以上が不法入植者はパレスチナ人だと思っていました。見れば見

るほど知らなくなる、ダニー・シェクターの有名なフレーズです。

現行の最も危険な黙殺は、核兵器に関してと冷戦の復活です。東欧での

いわゆるアメリカの防衛シールドがロシアを服従させ、へこませるため

に立案されたのをロシアは明瞭に理解しました。さらに新聞の一面はプ

ーチンが新たな冷戦を開始だなんて言います。そして、長いこと抱いて

きた野望、核を使わない在来型戦争と核戦争との区別をぼやけさせよう

と計画される「確かな兵器の補充( RRW)」と呼ばれるまったく新しい

アメリカの核システムの開発については黙殺します。

とかくするうち、リベラルなメディアがイラク侵略の前に演じたとほぼ

同じ役割を演じることで、イランは抵抗力を弱められています。そして

民主党としては、変わりばえのしないリベラルなワシントン主流派のプ

ロパガンダ機関のひとつ、上院外交委員会の影響力にどうしてバラク・

オバマがなってきたか、調べてみることです。オバマは軍隊を本国に帰

したい一方で、こう書きます、「イランやシリアといった長年にわたる

敵に対して軍事力を除外してはならない。」自由主義のオバマからの以

下を聞いてください:「前世紀の危険が差し迫った瞬間、私たちの指導

者たちは、アメリカが行いと模範によって世界を導き、それを取り除く

ことを保証しました、国境の向こうにいる何十億という人々が要求する

自由のために私たちは立ち上がり戦うことを保証しました。」

これが、どのアメリカ人の生活にも、そしてアメリカ人以外の私たちの

多くの生活に浸透するプロパガンダの核心、そう言いたければ洗脳の核

心です。だから、右派から左派まで、俗人から神をおそれる信心深い人

まで、この半世紀に米国の政権がその大部分が民主的な50の政府を転

覆させてきているのをほとんど知らないことになるのです。その課程で

30カ国が、無数の命が失われる攻撃を受け爆弾を投下されてきていま

す。ブッシュ叩きはいいんですが、それに正当なものであるし、でも何

十億が要求する自由のために立ち上がって戦うことでの民主党のたわご

と、人を誘い寄せる呼びかけを私たちが受け入れ始めたその瞬間、歴史

闘争に負けて、私たち自身が黙殺されてしまいます。

ではなにをすべきなのか?これは私が話す講演でよく聞かれる質問です、

この会議の人たちほどに知識みなぎる講演でもよく質問されるのが興味

を起こさせます。いわゆる第三世界の人々はめったにしないというのが

私の経験です、なぜなら彼らは何をすべきかを知っているからです。そ

してある人は自由と人生とで償いをしてきていますが、彼らはすべきこ

とがわかっています。民主主義の左派の多くがまだ答を持たない質問で

す。

客観的な本物の情報、破壊する情報は、相変わらず最も影響を及ぼす強

い力のままです。そしてメディアが国民を代弁すると考えるワナに陥っ

てはいけないと考えます。スターリン主義者のチェコスロヴァキアでそ

れは信頼できませんでした、そして米国でも信頼できません。

今日ほど急速に国民一般の意識が増大しているのを私がジャーナリスト

の非常に長い間に一度たりとも見たことがありません。なるほど、その

方向づけや具体化は不確かです。ある程度までは、人々がいま政治的選

択肢には深刻に気を許さないせいと、民主党が選挙人の左派をそそのか

し、分裂させるのに成功しているからです。それにもかかわらず、全く

の教化のスケールと上級な生き方の神話、現行のねつ造される恐怖状態

を考慮すると、この増大する国民一般の批判意識の強さは、ますます注

目すべきことです。

昨年、ニューヨークタイムズがあの社説でなぜ本音を吐いた(白状した)

のか?ブッシュの戦争に反対するからではありません、イラン報道をご

らんなさい。あの社説は、国民一般がメディアの隠された役割を悟りだ

している、あの国民が行間を読み始めていると、まれな承認だったので

す。

イランを攻撃するとなると、その反動と社会の激変は予言するのが不可

能です。国家防衛と本土防衛指揮権発動が危急の際の政府のあらゆる局

面にまさる力をブッシュに与えます。憲法が一時停止にされる見込みも

なくはありません。何十万ものいわゆるテロリストや敵の戦闘員の全員

にひとわたりする法律がすでに認められています。これらの危険は国民

一般によって理解されていると私は考えます、国民は911以降よくな

ってきています、そしてサダム・フセインをアルカイダと結びつけるプ

ロパガンダからだいぶ違ってきています。昨年11月彼らが民主党に投

票したのがその説明です、裏切られるのを除いては。だが、彼らは真実

を必要としています、そしてジャーナリストは、権力のご機嫌取りでな

しに、真実の代理人であるべきです。

会社組織のメディアを監視し、解体して、押しとどめる、人々の運動の

成果、第五階級(伝統的にいわれる第四階級に比肩する、労働階級など)

は可能だと私は考えます。いんちきの客観性の名の下の流血の惨事でい

ま彼らが演じる役柄について、すべての大学、メディア学部、ニュース

編集室のジャーナリズムの教師たち、ジャーナリスト自身が、自問自答

する必要にあります。メディア内のそういった動きは、これまで聞いた

こともない種類のペレストロイカを先導するかもしれません。これはま

ったく可能です。黙殺が破られます。英国では全国ジャーナリスト組合

が急進的な変化を成し遂げています、そしてイスラエルのボイコットを

要求してきています。ウエブサイト、 Medialens.org は独力でBBCに

釈明を求めました。ここでそのすべてに言及することはできません、米

国では、トム・フィーリーの ICH(インターナショナル・クリアリング・

ハウス)から、マイク・アルバートの ZNet、カウンターパンチ・オン

ライン、 FAIRのあでやかな手並みまでの、すばらしく自由な反逆精神

がウエブの中に場所を占めます。ダル・ジャマールの勇気あるジャーナ

リズム、ファルージャの街中からファルージャ包囲を報じたジョー・ワ

イルディングのような市民リポーターと、イラクに関するベストの報道

はウエブに登場します。

ベネズエラでは、グレッグ・ウイルパートの調査がウゴ・チャベスを標

的にしたどぎついプロパガンダの多くをくつがえしました。いいですか、

腐敗した RCTVに代わる西側のキャンペーンに味方するウソは、ベネズ

エラの多数派の言論の自由の脅威です。その他の人々にとってやりがい

のある仕事は、この征服された知識を反体制から空輸して、普通の人々

の方に落とすことです。

私たちは急ぐ必要があります。寛大で自由な民主主義が会社組織の絶対

権力の姿に近づいています。これは歴史に残るシフトです、そしてメデ

ィアはその見かけを認めてはいけないが、大衆うけのよい盛んに論じら

れている問題にして、直接行動にかけさせる必要があります。大多数の

人々が真実と真実の意味を否定されたならば言葉のバスティーユの牢獄

と呼ぶものになだれ込む時だと、偉大なる告発者トマス・ペインは警告

しました。いまがその時です。

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きままなブログを始めました。よりのんきでよりビジュアルな内容に

なっています。こちらもごひいきに。

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