■別な戦争■ by シンディ・シーハン 07 August 2007

カメラマンを従えている若い女性が私に近づき「質問」してもいいかと

尋ねたとき、私はユニオンスクエアのステージの裏で座っていました。

私が質問に答えようとするとき、それがひとつの質問で終わることはま

ずないし、彼女のように14歳くらいに見えることもありません。

「いいわよ」と私は彼女に答えました。涙であふれんばかりの目をして

説明を始める彼女の質問はこうでした。「私は兵士で、アフガニスタン

で兵役に就きました。あそこにいる軍隊に対してあなたが言うことはな

んですか?」

この兵士が「戦争びいき」でないと言ったのかは私にはわかりません。

彼女はジーンズと特徴のないストライプのシャツを着ていました。彼女

もカメラマンもどんな戦争反対の身の回り品もつけていなかった。彼女

の涙ぐんだ目が戦争反対の正体をあらわしたと私は考えます。私を困ら

せることが、ある団体や個人の「生存」の使命になってきていることか

ら、確かとは言えなかった。

この「殺人びいき、破壊びいき、ブッシュびいき」の人たちがなんと思

おうと構わない、私のハートは常に私たちの軍隊とともにあります。私

の息子は兵士でした、そして彼にはどんな類の殺しの本能もなければ、

イラクに行ったとき誰かを殺さねばならない恐怖もなかったけれど、彼

はよくできた兵士で、軍隊の家族を愛し、その家族を救うために死ぬこ

とでその愛を証明しました。私たちの軍隊のほとんどが、若い兵士が私

に書いてよこしたように、彼らの「兄弟」を支えるためイラクとアフガ

ニスタンにいるんだと思います。

「ボクはあなたの息子さんを知りませんでした、でも同じせまい FOBに

たよって暮らしたし、彼の名前と顔はわかります。ボクは歩兵でした、

他の歩兵中隊で彼を思い出さないから、彼は182連隊にいたに違いあ

りません。

ボクらがなぜ無駄死にしているのかと、多くの人が尋ねるのを知ってい

ます。無意味では真実からさらに遠のくことになります。ボクらは戦わ

ないでひとりの男のために死ぬ。ボクらは戦わないで大義または企業の

ために死ぬ。ボクらは戦ってお互いのために死ぬだけです。彼はボクの

ために死にました。軍の兄弟姉妹のために死にました。ボクたちみんな

が戦う理由はそれなんです。」

私はその種の友情と愛を理解します。私がその人のために死んでもいい

人たちがたくさんいますし、選べるものなら活力の根源である息子ケー

シーと場所を交換してたでしょう。私にわからないのは、臆病な司令官

とその代理戦争支配者が、兵士が互いのために死ぬのに私たちの勇敢な

軍隊を送ることです。兵士をいっしょにくっつけて離さないきづなの他

に「りっぱな大義」がないことは軍隊にもわかります。イラク・アフガ

ニスタンの誤りから朝鮮戦争の誤りまで、関係する何百という退役軍人

に私は会ってきており、全員が自分もまたケーシーの立場につくところ

だったと話しています。

この前、ユニオンスクエアで若い退役軍人が私の眼前にカメラを突きつ

けたとき、心の底から訴えるだけでした。彼女にはこう答えました:

「米国の平和活動がアフガニスタンにいる私たちの軍隊やアフガニスタ

ン国民のことを忘れているように思えても仕方がないわね。あそこの戦

争について十分に話してないものね、私は道徳的に間違っているとも思

っているのだけれど。兵士たちがあそこでも死んでいて傷ついているの

はわかっています。イラクがどうなっているかメディアが報道しないば

かりに、アフガニスタンにはさらに注目しません。けれども平和活動は

アフガニスタンに関して一致結束していません、というのも多くの人々

がそれは「よい戦争」だと考えるからです。そんなものはないと私は考

えるし、あそこの戦争犯罪を暴くことではもっと絶えず警戒を怠らない

ようにするとあなたに約束もします。」

そうして彼女にハグして耳元にささやきました:「あなたの兄弟たちも

名誉と注目に値するのよ、あなたが経験しなければならなかったことに

関してとても残念に思う!」

彼女はこう返答しました:「アフガニスタンにいる友達にこのことを書

いて送るつもりです、私たちがみなあなたを支持してることをあなたに

知ってもらいたかったんです。」 このそっけないやりとりが桁外れの

インパクトを私にもたらしました。私はあの若い女性との約束を果たす

つもりです。

私たちの国と嘆かわしい国際連合はなぜアフガニスタンを侵略したので

しょう?戦略上重要な石油パイプラインの配置のためですか?元石油幹

部を米国に操られたパペット大統領として据えるためでしたか?その国

にオサマ・ビンラディンがいるからでしたか?(多くの人が非難するよ

うに、トラボラで逃がしましたね?)オサマがソ連と戦ったいわばムシ

ャヒディン(聖戦士)だったとき、彼が米国によって武器を与えられ、

訓練を受け、支援された、事実について私たちは承知しています。この

ことが、手に負えない軍事優先政策(軍部支配)に加えてソ連の崩壊を

引き起こしました。忘れられたビンラディンがいまだに捕まらないでい

るのを、そして当初のアフガニスタン侵略で911より多くの罪のない

一般市民が殺されたのを、私たちは知っています。

それにまたケシ生産量が歴史的に収益の多いレベルにあり、米軍に対す

る反乱行為のための資金調達のためにタリバンが栽培者から賄賂を強要

している事実も私たちは知っています。タリバンがアフガンを支配して

いたとき、オピウム(アヘン)生産は違法だったし刑罰は残酷でした。

女性たちはいまも抑圧されており、コカコーラ瓶詰め製造工場と戦争で

暴利をむさぼる者のほかには大して成し遂げられていません。

www.icasualties.org によると、アフガニスタンでは米軍の421人が

殺され、6213人が負傷しています。死亡者のひとり、ジョン・トー

レスが仲間の兵士によって殺されたのは明らかでした。ジョンが彼の基

地でのドラッグ売買行為を暴いていたからでした。マット・ティルマン

殺害情況の真実はブッシュ一味の上層部(最高レベルの軍人ら)によっ

て包み隠されたので、真実またはその犯罪の根深い含みを私たちが知る

ことは決してないかもしれません。これらの事件はどちらも、誰もが戦

闘しているのでなく兄弟を警戒しているのを具体的に明らかにするうえ

に、金で雇った傭兵かもしれません。

私たちの軍隊の大部分は勇敢で、恥知らずの不当な事情にあってなんと

か生き残ろうとするだけです。そしてアフガニスタンでの戦争マシーン

によって命を盗まれた若者に私は公的に名誉を与えたいし、彼らの家族

に心からのお悔やみを送ります。ブッシュ一味の悪の帝国でも、いけに

えを強要された私たちの子どもたちの名誉を汚したりおとしめることは

できません。

米国の平和活動が、軍隊を本国に連れ戻すため役に立つことでもまた彼

らを支えるというのを、アフガニスタンに配置される軍隊は知る必要が

あります。

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■数えてない(無数の)戦争の犠牲者■ by エイミー・グッドマン

08 July 2007

アメリカ海兵隊上等兵ジェフリー・ルーシーはイラク戦争の死者に数え

られていない。だが、彼は故郷に戻ったとき死んだ。彼は自殺したのだ。

理不尽な死、医療過誤、他のダメージを理由に、両親は復員軍人業務局

と復員軍人業務長官ジェームズ・ニコルソンを訴えている。

2003年6月に息子がイラクでの戦闘から戻った後、ケヴィンとジョ

イス・ルーシーは息子の急転落に気づいた。「映像と音と実体感のある

幻覚が始まった。夜、部屋にいる黄褐色のクモに耳を傾けるだなんて話

す。現に黄褐色のクモを見つけるのに使ったかもしれないフラッシュラ

イトがベッドの下にあった。彼の人生全体がばらばらにこわれていっ

た。」と父親のケヴィンは言った。

イラク人戦争捕虜2人を処刑するよう命じられたとジェフリーは家族に

話した。2人の男を殺した後、ジェフリーは2人の鑑札を奪うと、自分

のことを殺人者と称して妹にそれを投げつけた2003年のクリスマス

イブまでそれを身につけた。軍の調査はその話は値しないと結論を下し

たが、ケヴィン・ルーシーはこう述べる。「当局の調査そのものに関し

て、私にはたくさんの疑問があった。私たちは全面的に息子を信じま

す。」ジョイス・ルーシーはこう付け加えた。「なにがジェフリーの PTSD

(外傷後ストレス障害)を引き起こしたかは実は私たちには重要ではな

かった。人が変わって帰ってきたのは私たちにはわかっています。つま

り、あそこでなにかがあったんです。」

ジェフリーは悪化した、そして部屋にひきこもり TVを見て多量に酒を

飲んだ。ジェフリーは保護を求めたがらなかった、そして精神的健康治

療に同行されて感じた不名誉を恐れた。ついに2004年5月28日、

ルーシー夫妻は心ならずもジェフリーを精神病院に入れた。復員軍人業

務病院は3日後に彼を自由にした。

2004年6月5日、ジェフリーは意味ありげに悪化した。妹と祖父が

彼を VA(復員軍人業務局)に戻した。VAは「彼が不本意に精神病院に

入れられたと言わなければならなかったのを言っていなかったと決めた。

彼を評価できていた精神科医とかを彼らが一度も呼ばなかったのを後で

私たちは発見することになった。そして彼らはこのすべてを記録にして

いる。認めてやってくれと、祖父が孫のために嘆願していたとそれには

あった。」とジョイスは言った。

ジェフリーが自殺する3つの方法について話したというメモをルーシー

夫妻はのちにスタッフから聞いて知った。父親はこう説明した。「窒息

させるか、ドラッグを過剰摂取するか、首をつるかすると彼らに話した。

彼はまたどうしてホースを買ったかを精神科医に話してもいた。そして

もちろん、二度目に彼を認めてもらおうと試みて VA が断った6月5日、

ジョイスと私は家を調べてきれいにした、彼が自分を傷つける可能性が

あるものすべてを始末したが、ホースについては考えもしなかった。」

復員軍人業務メディカルセンターによって追い返されたジェフリーは最

後の2週間を家で過ごした。ケヴィン・ルーシーは息子が自殺する前日

の夜をこう説明する。「夜の11時半頃だった、私は疲れきっていた、

ジェフはへとへとだった。私の膝の上に座ってもいいかどうか彼が尋ね

た。それで45分間、私たちは黙ってやさしくなだめた。疑いなくそこ

が彼の最後の避難場所、彼が行けると自覚した残った安全な隠れ場だっ

たと、ジェフが死んだあとセラピストが私たちに告げた。」

次の夜、仕事から家に戻ったケヴィンは、はらわたが空回りした。「彼

の寝室に行った、するとあることが目に留まった、ベッドに彼の鑑札が

置かれていた。」彼は地下室に向かった、そこで彼は首にホースを二重

巻きにした息子ジェフリーが死んでいるのを発見した。

3年後、両親は告訴を起こした。彼らはひとりではない。医療給付金を

拒まれてきている何十万という多数の復員軍人に代わって、 Veterans

for Common Sense(常識の復員軍人)とVeterans United for Truth

(復員軍人真実連合)によって別々の集団訴訟が起こされた。

ジェフリー・ルーシーの自殺の短い手紙はこう始まる。「親愛なるママ

とパパ、ボクが二人にかけてきた心配のおわびを言葉で表すことはでき

ないけれど、二人に許しを請います。ボクがママとパパを愛していたこ

とをわかってほしい、そしていまも愛しているけど生きていくにはあま

りにも苦痛が大きすぎました。」

軍隊を支えるというのは、国に戻ったら彼らの面倒を見て大事にすると

いうことです。


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