■ロッカービー事件の真実を知ってるか?■

103便をめぐる政府のウソに気づいている人は誰でも進み出るよう

説得する

英インディペンデント紙 13 October 2007 by ロバート・フィスク

ブッシュ大統領・ CIA・ペンタゴン・モサド等々が9月11日の非人道

的犯罪を犯したと主張するレクチャーにきちょうめんに姿を現す「熱狂

的な人たち」について書いたあとで、家族の一員がまさにその「熱狂的

な人たち」で、「孤立した意見を聞かされる」危険を冒すのを気遣った

マリオン・アーヴィンから今週、私は手紙を受け取った。そんなことは

断じてない。

アーヴィン夫人がロッカービーについて書いていたとは、そして彼女の

ように私はこのひどく不快な事態に関して、不明で陰険な所がたくさん

あると考える。 CIA が機内にだまし取った麻薬の盗品を積んでいなか

ったとするのを私はまったく確かと思ってないし、最後にマルタの仕立

屋の記憶力という証拠で有罪と宣告された、ちっぽけなリビアの諜報員

メグラヒが本当に1988年12月にパンナム103便の機内に爆弾を

置くための手配をしたなんてことはぜんぜん確かでない。

だが、アーヴィン夫人の弟のビル・カドマンが103便に搭乗しており

19年前の夜にロッカービー上空で死んだので、私はアーヴィン夫人の

手紙を2重に重く理解した。彼はロンドンとパリで音響エンジニアをや

っており、ガールフレンドのソフィーの叔母といっしょにクリスマスを

過ごすためソフィーと一緒に合衆国に向かっていた、もちろんソフィー

も殺された。故に、私が引き合いに出さねばならないことで、アーヴィ

ン夫人の手紙以上に人を動かす力のあるものはなかった。彼女は、爆破

でのリビアの関与を強く疑うと伝える。

彼女はこう書く。「1988年12月の最初から私たちは何かが秘密に

されていると感じてきました、、、評判を落とすヘルシンキ(米大使館)

の警戒、遺体の身元確認作業の前にスコットランドの土地で CIAの存在

はまったく保証されていた、大臣と政府のテフロンのようにコーティン

グされた態度全体が深刻な不安の気持ちの一因となりました。」

「政府にはなにが起こったかわかっているが真実は明らかにならないと

アメリカ大統領航空安全テロリズム委員会が父に告げたとき、これがピ

ークに達しました。真実が孤立した状態のなかで、1988年6月イラ

ン人の命が失われた罪滅ぼしに生命がいけにえにされたとの最悪のシナ

リオがある程度の信頼性を帯びました。レーガンの大統領任期の最後の

物騒な時に航空機は撃墜されたのです。」

アーヴィン夫人が言及するからには、イラン人の命とは、ロッカービー

と8年間のイラン・イラク戦争終結の数ヶ月前に米国戦艦によって湾岸

上空で撃ち落とされた民間航空機エアバスのイラン人乗客のことだと私

は説明せねばならない。

米艦ヴィンセンヌ、他のアメリカの船の乗組員がつけたニックネームで

ロボクルーザーは、降下するイラン空軍ジェットだという仮定のもとに

エアバスにミサイルを発射した。そうではなかったし、エアバスは上昇

していたんだが、ぞんざいな謝罪の後にレーガンは虐殺を理由にイラン

を非難した。というのもイランがイラクとの戦争で国連の停戦を受け入

れるのを拒んでいたからだ、その戦争でわれわれ米国はわれらが旧友サ

ダム・フセインを支援していた(そう、あのサダムと同一人物だよ!)。

ヴィンセンヌの艦長とその砲撃クルーにアメリカ海軍はメダルまで授与

した(神よ、われわれをあまやかさないでくれ)。数週間後、レバノン

にいるイランびいきのパレスチナ人部隊、 PLPパレスチナ解放人民戦線

の軍司令官が突然ベイルートで記者会見を招集し、ひどくびっくりした

記者らに彼がロッカービーに掛かり合ったことを打ち消した。

なぜだ?実行者に指示されたからか?イランだったのか?だがしかし、

最初のうちイランを責めていたあのおなじみの「当局筋」が後にリビア

を非難しだす。そのときにはサダムの1990年の侵攻後、クウェート

を解放する米国の企てには、イランの同盟国シリアとイランが動かない

ことでの支援を必要とした。自分としては、アーヴィン夫人の勇気ある

手紙を了解する、ロッカービーはエアバス爆破の復讐だったと常に考え

た。 PLPの奇妙な記者会見がこれに信頼性を加える。

彼女の両親であるマーティンとリタ・カドマンは、ロビン・クックやト

ニー・ブレアを含める無数の国会議員、そしてネルソン・マンデラ(メ

グラヒをリビアの刑務所に移送せよとのマンデラの訴えはカドマン夫妻

によって支持された)と面会していると彼女は述べる。

強く心に訴える文で、彼女の両親は「年をとってきており、実際に誰も

息子の死に責任を負わないまま死ぬことになるとの、もどかしさの入り

交じった強い不安は、問題がはっきり見えなくなるのと自分自身がバカ

騒ぎをしていると感じる危険がある」と、アーヴィン夫人は付け加える。

「イラクでの戦争(1980ー88)は経験で教えられる教訓がなかっ

たことを意味します。そして私の弟がたまたまその航空機に乗っていた

ために、私たちはみな世界情勢に強まった責任感を感じるようになって

います。」

そうして、アーヴィン夫人は要点に触れる。「私たちになにができます

か?もはや父は年を取っており、精力的に政府をつつくのは次の世代の

私たちの責務です。でも希望があるでしょうか?わずかでも成功の見通

しがあり、私たちにできるもっともな行動があるとあなたがお考えかど

うか尋ねるため私は手紙を書いています、、、理解するのを辞退して過

去を認めてしまうのは将来にとって危険です。」 私はそれにもっと精を

出してもよかった、そして私にはとても率直な考えがある。もしロッカ

ービーに関して当局の虚偽が伝えられたなら、いんちき(不正)が英国

と米国政府によってかばわれ包み隠されて、私たちの安全保障に責任を

負うべき連中によってウソが伝えられたとしたなら、当局の多くがこれ

について承知している。

私は、なんであれそのようなウソについて知ってるかもしれない人たち

すべてにインディペンデント紙の私のところに(手紙または手渡し)書

いてよこすよう説得する。その人たちは私の名前が書かれた封筒でその

手紙をアーヴィン夫人に宛てて出すことができる。すなわち、真実を告

げることで、これが正直な告発者の心を動かす力になる。

すでに私には陰鬱なやつらがさっさと動くのがわかる。私たちは公務員

を励まして公務員秘密法を破らせてきていたか?確かに励ましたりして

いない。この事件で、公務員秘密法は彼らを黙らせておくのにみだらに

誤用されてきたのだから、ウソが教えられていたのなら、当局は私たち

国民に知らせるべきである。仮に真実がその通り伝えられているなら、

誰も公務員秘密法を犯すつもりなどない。

だから私はニュースを待ち受ける。熱狂的な人たちは当てはめるには及

ばない。だが、教えられない真実を知っている連中には、それをすべて

暴露するという光栄を有することができる。最低、マーティンとリタ・

カドマン、アーヴィン夫人、そしてビルとソフィーはその報いに相当す

る。真実を求める私やアーヴィン夫人をそそのかしたり脅そうとするよ

うな保安隊は、勝手にしやがれ。

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■ロッカービー事件 再審請求権を付与■ AFP 通信 28 June 2007

1988年に英国スコットランドで発生したパンアメリカン航空103

便爆破事件で有罪判決を受け、服役中のリビア人について、スコットラ

ンド刑事事件再審査委員会( SCRC)は28日、2度目の再審請求権を

付与した。

同委員会によると、パンナム航空爆破事件でアブデルバセット・アル・

メグラヒ受刑囚(55歳)に下された判決について「誤審だった可能性

がある」と判断した。3年間の調査の結果、発見された新たな証拠に基

づいた判断だという。2001年の結審時にはこの証拠は提出されなか

った。同受刑囚は2002年に最初の再審請求を行ったが、却下されて

いる。

同委員会では「誤審があった可能性」を示す根拠6点を確認したとしてい

る。グラハム・フォーブス委員長は、「(控訴審について)決定するの

は控訴院。現在、本件について照会中だ。この事件は対処が難しく、委

員会では調査チームを立ち上げ、3年間にわたって辛抱強く調査を続け

た。発見された証拠の中には、無罪を示唆するものも、有罪を示唆する

ものもある。いずれにせよ、それらをいかに判断するかは法廷の役割だ」

と談話を発表した。

同事件は1988年12月21日、英スコットランド南部ロッカービー

上空で、ニューヨーク行きのパンアメリカン航空103便が爆破された

もので、乗客乗員259人と地上にいたロッカービーの住民11人が死

亡、英国史上最悪のテロ行為と呼ばれた。

オランダで開かれた特別法廷でスコットランド人判事3人による判事団

は、リビアの元情報将校であるメグラヒ受刑囚に有罪を言い渡した。計

27年の懲役刑を受けた同受刑囚は、スコットランド西部グラスゴーの

刑務所で服役中。

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■ロッカービー事件 リビアは無実かもしれない■仏フィガロ紙

14 September 2007

スコットランドの司法当局はまもなく、パンナムのボーイング機爆破に

おける270人の死者のために終身刑を宣告された被告の再審の日程を

決定する。

20世紀最悪のテロ攻撃のひとつでリビアが無実ということか?スコッ

トランドの司法当局は疑いの種をまく。アブデルバセット・アル・メグ

ラヒの再審の日程を9月末までには決めるはずだ。このリビアの秘密情

報機関の高級幹部は2001年に終身刑の判決を受けた。長い交渉の末、

トリポリは彼の無実を主張しつつも、メグラヒの引き渡しに同意した。

以来、カダフィ大佐は彼の帰国を要求し続けている。

6月28日、3年間の調査の後、スコットランドの再審委員会は「裁判

の誤りの可能性」を挙げて、メグラヒ被告に新たな訴訟権利を与えた。

最初の控訴は2002年に失敗していた。だがそのときは800ページ

に及ぶ委員会の報告書は異なった問題の可能性をちらつかせていた。

調査は、被告人に不利とされる主要な証拠を打ち砕いた。検察によると、

メグラヒはマルタでチェックインした際、爆弾、軍用爆薬であるセムテ

ックス(プラスチック爆弾)を詰め込んだ東芝のラジカセをスーツケー

スの中に入れていた。2001年の訴訟によると、このリビア人と爆弾

を結びつける唯一の明白な証拠は爆弾の時限装置に巻かれた衣服の切れ

はしだった。調査官によって、 Slalomマークの入ったワイシャツがマ

ルタの仕立屋までたどれることが確認された。店主のトニー・ガウチは

そのワイシャツを買った男がメグラヒであると認めていた。だが彼の証

言は信用を失った。メグラヒがその日マルタにいるのは不可能だった。

証言が何度もコロコロ変わるトニー・ガウチは、複数の通行人の中から

メグラヒを割り出してみせる前に、すでに雑誌で彼の写真を見ていた。

だが、判事らが次の段階を超えることはなかった。時限装置そのものの

存在をもう一度疑ってみることだ。再審委員会は「証拠が警察、検察、

科学専門家、その他あらゆる公的機関によってねつ造されたと結論づけ

るいかなる理由も見出さなかった」。証拠捏造という主張は、法律家と

犠牲者の1人の父親、作家になった CIA職員ロバート・ベア、2001

年の法廷の国連の公式オブザーバー Hans K o¨ chlerを含める非公式の圧

力団体がつきそうメグラヒの弁護士によって支持されている。 Hans

K o¨ chlerは、あっても不思議ない操作を法廷が調べるのを拒否したこと

は「奇妙」だと述べた。再審支持者によると、時限装置の破片は衣服の

切れはし同様にスコットランド警察か CIAによって「置かれた」可能性

があるという。時限装置を造ったスイス企業 Meboの社長Edwin Bollier

は、警察が提示した時限装置の破片は何度も形と色が変わったと常に断

言していた。

陰謀理論の活動家たちは最近、予期せぬ援軍を迎えた。7月の終わり、

一人の男が良心の重荷を軽減したいと表明してスイス警察に自発的に証

言したのだ。宣誓の下、事件当時 Mebo社の技師で2000年から翌年

の訴訟で証人番号550だったUlrich Lumpertは、時限装置を盗ん

で捜査中のスコットランド警官に直接手渡したと断言する。 Ulrich

Lumpertの証言は、再審委員会によって空白のままだったチェス盤の目

を埋めた。その証言は控訴審での審理に重くのしかかるだろう。

・血の雨

最近のわずかな時間でのどんでん返しは当然、疑問を投げかける。再審

委員会の決定と Mebo社の技師の遅すぎる良心の呵責はどちらもブルガ

リア人看護師解放のわずか1ヶ月前と1ヶ月後に生じている。そして英

国でのリビア人拘留者は1人だけなのに、5月末トニー・ブレアとカダ

フィ大佐の「メグラヒに特に関係のない」囚人の引渡しに関する覚書に

署名へと続いていく。グラスゴーの囚人の帰国は、ワシントンとロンド

ンで協議されたリビアの名誉回復を飾るものであったかもしれない。

いずれにせよ、敗者はすでにわかっていた。正義と真実だ。リビア無実

を支持する者は、2001年の裁判が真犯人の容疑を回避するための手

段にされていたと断言する。 FPLP総司令部(FPLP-CG)はダマスカス

に拠点を置くシリアとイランのために戦うパレスチナ人の小グループ。

当初、捜査は的確かつ具体的に FPLP-CGに向けられた。テヘランには

動機があった。アメリカの軍艦によって撃墜されたイランエアーのエア

バス機と290人の乗員乗客の復讐として、5ヶ月前にアヤトラ・ホメ

イニは「血の雨」を約束していた。

だが、捜査官は突然、態度を変えた。リビア擁護者に命令は上から下さ

れた。サダム・フセインがクウェートに侵攻して西側の連合国はイラン

歓迎と同様にシリアの連合への参加を絶対的に必要とした。リビアにと

ってもまた復讐すべき借りがあった。1986年のアメリカによるトリ

ポリ爆撃でカダフィの養女が殺害されていた。誤りと御しやすさによっ

て汚された2001年の裁判には、真実という司法の仕事をする余地が

ほとんど残されていなかった。ロッカービーの悲劇に関する調査はまだ

先に進められなければならない。

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■リビアはハメられた?■

たとえリビアが拷問と死刑が存続する独裁国家であっても、テロに関与

したかどうかは不明だった。仮に関与していたとして、それはアメリカ

のテロ行為に対する報復であった可能性が残る。

2003年4月に出版されたウィリアム・ブルムによる「アメリカの国

家犯罪全書」には、以下のような記述がある。

「1981年のリビア航空機2機の撃墜。1983年と84年のベイル

ート爆撃。1986年のリビア爆撃。1987年のイラン船爆撃と撃沈。

1988年のイラン旅客機の撃墜。1989年のリビア航空機2機のさ

らなる撃墜、、、」

(アメリカの国家犯罪全書:83ページ)

「さらに、ワシントンには、自分が統制できない中東の石油産出国に対

して根深い敵意がある。カダフィはでしゃばりで、裕福な支配派閥を追

放し、福祉国家を樹立した。カダフィのリビアを元の状態に戻さなくて

はならない。そこで1981年、米軍機はリビア領空でリビア機2機を

撃墜した。5年後に、米国はカダフィの住居の一つを爆撃し何名かを殺

害した。カダフィ暗殺計画や転覆作戦は他にも試みられており、経済封

鎖も加えられた。また、カダフィのテロリズム支援を著しく誇張するな

ど、次から次へとナンセンスな情報操作キャンペーンを大規模に展開し

ている。その一環として、1988年のパンナム103便爆破事件の際

には、湾岸戦争でイランとシリアの協力が必要になったため、リビアに

非難のほこさきが向けられた。ワシントンにとってリビアは磁極のよう

なものであり、ワシントンの指はいつでもリビアの方を指すのである。」

(アメリカの国家犯罪全書:250ページ)

この400ページ超の本は陰謀論の類ではない。すべて公刊された資料

に基づいて書かれており、数少ないまともなアメリカ人、チョムスキー

が推薦してもいる。

著者のウィリアム・ブルムはアメリカ国務省の外交担当部門に勤務して

いたが、ベトナム戦争に反対して辞任、以後ジャーナリストとしてアメ

リカの国家犯罪・外交政策の暗部を分析して告発し続けている。アメリ

カ政府・米軍・ CIAが世界中で行ってきた主なテロ支援、拷問、洗脳、

暗殺、盗聴、選挙操作、麻薬製造、毒ガス、生物兵器使用、虐殺を網羅

する。

「まもなく、あなたの近くにも訪れるだろう」との副題付きの1945

年から現在に至るまでのアメリカによる他国への介入のリストは圧巻で

ある。中国、フランス、マーシャル諸島、イタリア、ギリシャ、フィリ

ピン、朝鮮、アルバニア、東欧、ドイツ、イラン、グアテマラ、コスタ

リカ、中東、インドネシア、西ヨーロッパ、英領ギアナ、イラク、ソ連、

ベトナム、カンボジア、ラオス、タイ、エクアドル、コンゴ、アルジェ

リア、ブラジル、ペルー、ドミニカ、キューバ、インドネシア、ガーナ、

ウルグアイ、チリ、ギリシャ、南アフリカ、ボリビア、オーストラリア、

ポルトガル、東ティモール、アンゴラ、ジャマイカ、ニカラグア、セイ

シェル、南イエメン、韓国、チャド、グレナダ、スリナム、リビア、フ

ィジー、パナマ、アフガニスタン、エルサルバドル、ハイチ、ブルガリ

ア、ソマリア、メキシコ、コロンビア、ユーゴスラビア、、、と続く。

また、見逃せないのは「アメリカ政府と企業の利益追求を妨害する存在

や勢力を抹殺する」というのが介入の主な理由であること。そして多く

の場合、自国の一般市民がアメリカ政府と企業の犠牲になるのを食い止

めるために行われた改革や革命、運動が弾圧の対象となっている。


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