■ブッシュは負傷した退役軍人の苦しみを和らげたい■ Express News

09 November 2007

by Guillermo X.Garcia & Laura E.Jesse

木曜日、フォートサムヒューストンにある「勇敢なる行為センター」で

不具になったり醜くなった退役軍人が受けている世界一流のケアを称賛

した後、ブッシュ大統領は共和党支持者の集まりでイラク戦争を擁護し

て歴史が彼を支援するだろうと予言した。

「いつか人々はこの時代を振り返り、信頼を失わなかった世代がいてや

れやれだと言うことだろう、、、なぜなら中東は自殺者がない場所だから

だ」とブッシュは述べた。

ジョン・コーニン上院議員のための非公式の基金調達のための催しに姿

を現すと、イラク戦争を始める彼の決断を含め、彼の大統領職について

感動する擁護をある関係者が呼びかけたことをブッシュは伝えた。

ブッシュのコメントは出席者の携帯電話で聞かされた。彼は戦争へと動

く決断の重大性と、彼の人気が落ちているときに彼を導く原理原則につ

いて話した。

「心の奥底で確かでなければアメリカのために造詣の深い決断は下せな

い」とブッシュは言った。「私が下した決断はあなた方の孫たちを平和

に暮らしやすくさせるはずだ。」

戦争を「光と影」との戦いとして説明するブッシュは、「政治的目標を

達成するためかイデオロギーを進めるために人を殺すとしたら、あなた

は邪悪なだけだ。無実の人々を殺すのを悟らせることができる唯一の道

は、彼らが愚かさと絶望に気づくかどうかである。」

「それは第一級の演説だった」とある関係者は言った。その人物は記者

と話すことを認可されていないので身元を明かさないよう求めた。「彼

はとても熱心だったし、心の底から話しかけた。」

ヒューストンでのコーニン上院議員支援の催しと昼食会は総額130万

ドルに達したとコーニンのスポークスマンは言った。

木曜日の朝早くフォートサムヒューストンで、ブッシュは撮影のために

重症の退役軍人を彼のコートでくるみ、米兵が最先端技術の「勇敢なる

行為センター」で受けている治療をほめたたえた。

「センターはアメリカ人の寛大な行為のあかしである」と1月に開設さ

れたリハビリ施設についてブッシュは述べた。「センターは、戦いで負

傷した者は受けうる限りのあらゆる支援に値するという、この国の信心

深さを立証するものだ。」

この6500万ドルのリハビリ施設は60万人以上の個人の寄付金によ

ってまかなわれているとブルック陸軍メディカルセンターのスポークス

マン、デューイ・ミッチェルは述べた。

負傷した兵士らとのおしゃべりにブッシュはほぼ2時間費やした、それ

にはブッシュが自分のコートでくるんだシアトルの26歳のニコラス・

クラーク上等兵が含まれた。6月2日アフガニスタンでの待ち伏せで左

の膝から下の足をなくしたクラークにブッシュは故郷に帰りたいかどう

か尋ねた。

「いいえ、私は海外に戻りたいです」とクラークは言った。

「ここはすばらしい国ではないのか?」とブッシュが応じた。

クラークはブッシュに出会った後、「兵士でいるのが大好きなのでそう

する」のだと言った。

リハビリの一環として2階建ての壁を登る20歳の海兵隊上等兵マシュ

ー・ブラッドフォードをブッシュはじっと見つめた。

イラクの沿道の爆弾破裂が招いた結果として両足と片眼を失い、もう片

方の目を失明したブラッドフォードは、がんばれと声援し大声で方向を

教える下の仲間からガイドされて両腕だけで壁を登っていく。

ブッシュはブラッドフォードの母親、デビー・ブラッドフォードにかが

み込み、「彼はいい人ではないですか」と言った。

ブッシュはこの施設は称賛したが、国の負傷した退役軍人のためのヘル

スケアに存在する官僚的混乱を批判した。

「技術は一流」と彼は言った。「しかしながら官僚的な遅れと管理上の

遅れによって引き起こされる重大な問題が生じており、それは容認でき

ない。」

「議会は機敏な行動をとる必要がある」と言って、退役軍人を戦闘に復

帰させるためのヘルスケアの必要性を検討している大統領の専門委員団

の勧告にすみやかに取り組むよう議員らに迫った。

=======================================

■私たちが忘れないように■ ICH 15 November 2007

by ジョン・ピルジャー

2007年の第一次・第二次大戦の戦死者を記念する英霊記念日、アメ

リカの復員軍人の日に、偉い人たちや善人が戦没者記念碑で頭を下げた。

将軍、政治家、新聞読者、フットボールマネージャー、株式市場の仲買

人らが、戦没者を追悼する造花の赤いケシをつけた。偽善が存在した。

イラクについて誰も言及しなかった。あの国の戦没者に対する後悔(自

責の念)を、誰も微塵も口に出さなかった。禁断のリストを誰も読まな

かった。

禁断のリストは、イギリス国家とその立法府がイラクの破壊で演じた役

割をえこひいきなしに詳細に記録する。これがそれだ:

1)ホロコースト(大虐殺)の否認

10月25日、下院議員のダイ・デイヴィスがゴードン・ブラウン首相

にイラクでの民間人の死者について質問した。ブラウンはその質問を外

務大臣デイヴィッド・ミリバンドに回し、ミリバンドは下級公使キム・

ハウェルズに回した。ハウェルズはこう答弁した。「2003年3月以

降、包括的または信頼に足る確かな死者の数はないと私たちは引き続き

考えております。」これはごまかしだった。2006年10月、英米の

侵略の結果として65万5千人が死んだと算定した米国のジョーンズ・

ホプキンス大学とバグダッドのアル・ムスタンシリヤ大学による調査を

ランセット誌が発表した。「情報の自由」検索が、政府が公然とその検

討調査を却下する一方で、包括的で信頼に足るとしてこっそりとそれを

裏打ちすることを暴いた。国防省に対する科学アドヴァイザーを率いる

サー・ロイ・アンダーソンは、その手順を「しっかり」して「ベストの

実算に近い」と称した。その調査が「戦闘地帯での死亡数を計る方法を

精力的に試みて判断された」ものだと、他の上級政府職員らは秘密に認

めていた。あれからずっと、イギリスの世論調査の代理店オピニオン・

リサーチビジネスは、イラクの死者数120万人を推断の基礎としてき

ている。従って、英国と米国政府とによって引き起こされた死者の規模

が20世紀後半と21世紀における一発の大量殺人で最大のものとなる

あのルワンダの大量虐殺をしのぐものとなっているのは十分考えられた。

2)略奪

宣言されていないイラク侵略の理由はワシントンのネオコンまたはネオ

ファシストとイスラエルの極右政権の包囲集中的な野望だった。どちら

のグループも長いこと、米国とイスラエルが設計するために、イラクを

つぶして中東を植民地にしたいと思っていた。これの初期段階の青写真

は、中東とその範囲を越えて支配するためのアメリカのポスト冷戦の略

図を描く1992年の「防衛計画ガイダンス」だった。それの作者には、

2003年の侵略を設計するディック・チェイニー、ポール・ウルフォ

ウィッツ、コリン・パウエルが含まれた。侵略の当然の結果として、ネ

オコン狂信者のポール・ブレマーがバグダッドで全権をになう文民当局

に任命され、一連の行政命令で将来のイラク経済まるごとが米国企業に

引き継がれた。これが不法だったように、企業略奪はあらゆる犯罪訴追

手続きの形式から免除を与えられた。ブレア政権は完全に共謀し、まる

で最ももうけの多い略奪から UK企業が締め出されるかのように見えた

とき、それに異議を唱える始末だった。英国当局は、機能しうる植民地

ポストを与えられた。要するに、石油「法」は、外国の石油会社にイラ

クの莫大なエネルギー資源を支配する彼らの契約をよしとさせておくの

だ。ヒットラーが彼のヨーロッパ征服を裸にして以来、これが最大の窃

盗を仕上げることになる。

3)国家の健康状態を破壊

1999年に私はバスラ市立病院のガン専門医、ジャワド・アル=アリ

博士にインタヴューした。「湾岸戦争前はガンによる死者はひと月に3

人か4人だけでした。今では毎月30人から35人の患者が死んでいま

す。このエリアの人口の40から48%がガンになるのを私たちの研究

が示します。」と彼は言った。当時イラクは、米国と英国によって起こ

され駆り立てられる経済的そして人道的包囲に束縛されていた。バグダ

ッドの人道主義の国連職員チーフ、ハンス・ヴォン・スポネックはこう

書いた。結果は「計画的な大量殺戮ジェノサイド..... 事実上、国全体が

物理的そして精神的いしずえの欠乏と死と破壊にさらされた。」イラク

南部のほとんどが、ウラニウム238砲弾を含める英国と米国の爆発物

の有毒な残骸で汚染されることになった。イラクの医師たちはむなしく

支援のために弁じた、そして子どもたちのあいだで白血病になるのを広

島以降見られる最も高いレベルだと引用する。世界保険機構のガン計画

のチーフ、キャロル・シコラ教授は BMJにこう書いた。「制裁委員会に

懇願される放射線療法の装置、化学療法薬、鎮痛剤は米国と英国のアド

ヴァイザーによって一貫してさえぎられる。」1999年、当時の貿易

大臣キム・ハウェルズは、「大量破壊兵器に利用されかねない」と言っ

て、子どもたちを主としてジフテリア、破傷風、黄熱病から守るワクチ

ンのイラクへの輸出を実際上禁じた。

2003年以降、抱き込むように軍の中に埋め込まれたメディアのため

の PR実習は別として、英国占領軍の一員らは、1999年より前に中

東でベストとみなされた病院の再装備と再供給に挑戦してきていない。

7月、イラク人の43%が「完ぺきな貧困」のなかで暮らしているとオ

ックスファムが報じた。占領下での子どもたちの栄養失調率は28%に

らせん下降をしている。秘密の防衛情報局の文書「イラク水処理の無防

備(脆弱)」が、一般市民の上下水道が故意に標的にされたのを暴く。

結果として、かつてそういう生活基盤サーヴィスが英国同様に一般的だ

った国で、大多数の人口が水道も衛生設備も利用する手段がない。「バ

スラの子どもの死亡率はサダム・フセイン時代と比較して30%近くま

で増えている」と、バスラ子ども病院の小児科医ハイダー・サラー博士

は言った。「子どもたちが毎日死んでいても誰も助けることをしていな

い。」今年1月、100人ほどの英国の一流の医師らが当時の国際開発

事務官ヒラリー・ベンに手紙を書いた、そして国連安全保障理事会決議

1483を受けてゆだねられた従事する力として、英国がその義務を果

たさなかったせいでいかに子どもたちが死んでいるかを説明する。ベン

はそれを見るのを拒絶した。

4)社会の破壊

毎月10万人のイラク人が国を逃れていると国連は判断する。難民危機

はいま地球上で最も破滅的とされるダルフールのそれに追いついている。

エンジニア、教師に加えて、イラク人医師の半分がいなくなっている。

中東で最も教養ある社会が少しずつ解体されていく。400万以上の排

除された人びとのうち、イギリスは昨年、他のどのヨーロッパの国より

多くの「不法」イラク難民を追い出す一方で、ここに来るため申し込ん

だ1000人を超えるイラク人の大多数を拒んだ。タブロイド紙に刺激

された立法措置のおかげで、英国のイラク人は働く権利もなければ支援

もなしに常に貧困状態にある。彼らは公園で眠り公園で利用できるもの

を捜す。政府は「兵糧攻めで彼らを国から追い出そうとしている」とア

ムネスティは言う。

5)プロパガンダ

「私の仕事を通り相場で見てくれ」とジョージ・ブッシュは言った。「真

実が十分に理解されるのを求めて、一種のおもちゃのパチンコのプロパ

ガンダに至るまで、ものごとが何度も何度も繰り返し続けることになっ

た。」  

2003年4月9日、ダウニングストリート10番の外に立ち、 BBCの

当時の政治部長アンドリュー・マーは勝利のスピーチとしてバグダッド

陥落を報じた。 トニー・ブレアは視聴者にこう語りかけた。「大量殺戮

(血の粛清)なしにバグダッドをわがものとすることができるだろう、

そして最後にはイラク人は陽気に浮かれ騒ぐことになる」と。そしてこ

れらの指摘の両方で彼は争う余地なく正しいと立証されてきている。そ

して結果として、今夜彼が度量の広い男で自信のある首相としての立場

にあるのを認めないのは、彼の批評家にとってもまったくぶしつけだろ

う。米国でもよく似た滑稽なまがいものがジャーナリズムとして通って

いた。違いは、一流のアメリカ人ジャーナリストらが侵略に対する宣伝

で彼らが演じた役割の重大性を熟考するようになったことだ。侵略など

なかったというのをそのまま繰り返して増幅する代わりに、ブッシュと

ブレアのウソに挑戦し調査したメディアがあったと思うと幾人かが私に

伝えた。大手の西側 TVネットワークのうち、BBCがどこよりも意見の

相違の報道を許さないことがヨーロッパの研究でわかった。また BBCが

一貫して大量破壊兵器が存在したという政府のプロパガンダを信じたこ

とも別の研究でわかった。サン紙とは違って BBCには事実としての信用

があると、オブザーバー紙。

2001年10月14日、ロンドン・オブザーバー紙の一面はこう報じ

た。「炭疽菌に関して米国のタカ派がイラクを非難する。」これはまった

く間違っていた。米国諜報機関によって与えられたそれはオブザーバー

紙の戦争びいきの報道の一部だった。それには、信頼に足る証拠がなか

ったためにその新聞の尊敬すべき過去を裏切った、イラクとアルカイダ

とのつながりを主張することも含まれた。2ページにおよぶその報告は

「イラク・コネクション」という見出しで取り上げられた。「情報の出

所が諜報機関」のそれもまたバカげたことだった。リポーターのデイヴ

ィッド・ローズは、彼の内容の乏しい調査を侵略のための心からの訴え

で締めくくった。「歴史には誘因となる必要条件がある」と彼は書いた。

「武力行使が適切であるのと実際的であるときだ。」これらのページを

含め、ローズは自己の過失の肯定を書いたあとで、いかに彼が利用され

たか告白する。規定の権力との軽々しく信じやすい関係によっていかに

彼らが操作されていたかを、他のジャーナリストらはまだ認めなければ

ならない。

このごろは、クズとして捨てられる星の下に生まれた人たちに平和をも

たらそうと意図した米軍の「増派」でもって、イラクはあたかもそれが

もっぱら内戦であるかのように報じられる。この正道の踏みはずしには

ハラハラさせられる。あの宗派心の強い暴力が、誤りのあるひどい分割

と征服の政策の産物であるのはもちろんだ。もったいぶったメディアの

アルカイダ神話はどうかといえば、「アメリカのほとんどのプロ(職業

人)は、外国の戦闘員は2〜3%、そうして彼らがいわばリーダーだと

明言するだろう。」とシーモア・ハーシュは書いた。みすぼらしい武装

の、むこうみずなレジスタンスが、世界最強の軍隊に明確な態度を取ら

せたばかりでなく、民間人に対する攻撃に反対して自由な選挙を要求す

る、反宗派、反アルカイダの実践すべき義務に同意してきていることは

ニュースではない。

6)次なる放血

1960年代と1970年代に英国政府はイギリス国籍を持つ人たちの

インド洋に浮かぶ島、ディエゴガルシアの人口を密かに追い払った。母

国が軍事基地としてアメリカ人に与えられた後、女性と子どもは奴隷船

に似ている船に詰め込まれてモーリシャスのスラムにドサッと降ろされ

た。高等法院(最高裁判所)は3度、この残虐行為が違法だと認めてき

ており、それを英国憲法の基礎であるマグナカルタ(大憲章)の公然た

る無視(大胆な挑戦行為)と呼び、住民を母国に戻すことを拒否するブ

レア政権を「暴虐」で「とても不快」だと呼んだ。ブッシュがいらいら

するのを防ぐため、政府は納税者が費用を負担する上訴に永久に続く遡

(そ)求権を行使し続ける。このむごたらしさ、残酷な行為は、米国が

繰り返しディエゴガルシアからイラクを爆撃してきたばかりか、ワシン

トンポスト紙によれば、島にある「キャンプ・ジャスティス」で「アル

カイダ容疑者」が「引き渡されて」「拷問された」事実とマッチする。

イラン攻撃でスティルス戦闘機が14トンの「バンカーバスター」爆弾

を運べるように、いま米空軍は島の格納庫基地の格上げを急いで行って

いる。この国際的な海賊行為(略奪)の現場の上首尾に、メディアにお

ける組織化されたプロパガンダは決定的だった。

5月22日、ロンドン・ガーディアン紙の一面が、「米軍をイラクから

追い出すイランの秘密の夏の攻撃計画」とのトップ全段抜きの見出しを

伝える。これは、完全に匿名の米国当局筋を根拠とする混ぜものなしの

プロパガンダの域だった。メディアはくまなく、鳴り物入りで宣伝する

のに加わっている。 IAEA国際原子力機関がワシントンのウソに異議を

唱えても、「サダムの大量破壊兵器」の繰り返しでも、また別の大量殺

戮を招き寄せても、ぜんぜん気にしない、新聞読者の口から「イランの

核の野望」がすらすらとすべる。

私たちが忘れないようにーー。


♯お知らせ♯

きままなブログを始めました。よりのんきでよりビジュアルな内容に

なっています。こちらもごひいきに。

http://tequilamama.blogspot.com/