ニューステイツマン誌の最新の記事で、ジョン・ピルジャーは、911に

対する正当な反応として西側で広く支持された、「りっぱな戦争」のアフ

ガニスタン侵攻が、実は、911の何ヶ月も前に計画された、「重要なゲ

ーム」の最新の一回分であるかを説明します。

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■「りっぱな、りっぱな戦争」は間違った戦争■ ICH

by ジョン・ピルジャー 10 January 2008

「私にとって、国々が世界の支配権競争を最後まで演ずるチェス盤の上

のコマであることを認める」

1898年、アフガニスタンについて話すインド総督カーゾン卿

外国人がカブールで泊まるインターコンチネンタルホテルで安全に会っ

てはどうかと私はマリーナに提案していたのだが、彼女は断った。彼女

はかつてそこにいて彼女を RAWAだと疑った政府のスパイが彼女を逮捕

していた。代わりにボクたちは爆撃された瓦礫のかつて通りだった輪郭

線を通って達する安全な家で会った、そこでは人々が救助を待つ地震被

災者のように暮らす。

RAWAとは、1977年からこの国の女性と少女の苦しみを世界に警告

し覚醒を促してきているアフガニスタン女性革命協会だ。地球に RAWA

のような組織はない。それはフェミニズムの鉄棒、勇士のなかの勇士の

生まれ故郷だ。毎年、 RAWAのエージェントは密かにアフガニスタンを

旅してきている。人目につかない少女の学校で教え、孤立して残忍にな

った女性たちに仕え、ブルカの下に隠すカメラで非道なふるまいを記録

する。タリバンということばが西側でかろうじて聞かれたとき、彼女た

ちはタリバン時代のなだめがたい仇敵だった。クリントン政権がこっそ

りイスラム法に深く通じたムッラーのご機嫌を伺っていたときであり、

それで石油会社ユノカルはカスピ海からアフガニスタンを横切ってパイ

プラインを築くことができたのだ。

それどころか、西側政府の下心と偽善を理解する RAWAの分別が、いま

「りっぱな戦争」で悪魔のような敵によって包囲される英兵士のドラマ

に切り詰められるニュースから締め出される、アフガニスタンに関する

真実を知らせてくれる。私たちが会ったとき、マリーナは身元を隠すた

めベールをまとった。マリーナは彼女の仮名だ。彼女は言った、「タリバ

ンが突如としてアメリカの公式の敵になった2001年9月11日のあ

とに続き、私たちアフガニスタンの女性は西側で大義になったにすぎま

せん。タリバンは女性を迫害しました、でもタリバンが唯一ではなかっ

た。それになんら違わない、西側が支援する軍司令官の残虐な人間性に

関して西側でのだんまりに私たちは憤慨しました。彼らはレイプし、誘

拐し、脅迫する、それにもかかわらずカルザイの政府で地位を保ちます。

ある意味で、私たちはタリバン政権下のほうが安全でした。あなたは、

アフガニスタンを陸路で越えて行けるので安全と感じたくなるでしょう。

それならば、あなたは命を危険にさらします。」

2001年10月、アフガニスタンに侵攻するのに米国が提供した理由

は「911をしでかした人たち、アルカイダのインフラを破壊すること」

だった。これは不正確だと RAWAの女性たちは言う。英国では報告され

ていない12月4日のたぐいまれな声明で彼女たちはこう言った:「経験

によって私たちは、米国がタリバンとアルカイダを破りたくないことに

気づいています。なぜなら、アフガニスタンに居座って、その地域で米

国の経済的、政治的、そして戦略的な利益の実現に向けて動く口実がな

くなるからです。」

9月11日の攻撃に対する正当と認められる返答として西側で広く支持

される2001年の侵攻が、実は911より2カ月前に計画されたとい

うこと、そしてワシントンにとって最も緊急の問題がタリバンのオサマ・

ビンラディンとの絆ではなく、1980年代にソ連の占領軍とのアメリ

カの代理戦争を戦うため CIAによって資金と武器とを与えられてきた軍

司令官らによって主導される頼りにならないムジャヒディン因子と向き

合ってタリバンのムッラーたちがアフガニスタンを制しきれなくなる見

通しだった、という人を動かさずにはおかない証拠のなかに「りっぱな

戦争」についての真実が見つかる。北部同盟として知られるこのムジャ

ヒディンは主としてソヴィエト連邦を撃墜するのに使える「ジハード(聖

戦)カード」と考えたワシントンの産物だった。タリバンはこれの産物

だったし、クリントン時代には、その「規律正しさ」で評価された。ま

たは、ウオールストリートジャーナルが載せるように、「歴史のこの契機、

タリバンはアフガニスタンに平和を達成しかねない一番のプレーヤー」

「歴史の契機」はパイプラインの取引でムッラーたちがクリントン政権

と契約を交わしていたと解する秘密のメモだった。しかしながら90年

代後半には、北部同盟はタリバンによって制される領域をさらにいっそ

う侵害していた。結果として、ワシントンではタリバンはそういった重

要なクライアントに要求される「安定性」に欠けると考えられた。タリ

バンの人権に対する嫌悪の情におかまいなく、米国支援の先行条件だっ

たのは、このクライアント関係の一貫性だった。(これについて尋ねられ

た国務省の権限者は、アメリカ経済びいきと民主主義でないのと女性の

迫害の合法化を意味する「たくさんのイスラム聖法」を有する「サウジ

が発展したように、タリバンは発展する」と預言していた。「われわれは

それに我慢できる」と彼は言った。)

2001年の前半までには、ワシントンとの関係をダメにしていたのは

オサマ・ビンラディンの存在だったと確信したタリバンは彼を除こうと

した。パキスタンの2つのイスラム政党の指導者らによって取り決めら

れた協定のもと、ビンラディンはペシャワールで自宅軟禁下に置かれる

ことになった。当時、聖職者の法廷は彼に不利の証言を聞いて彼を審理

するかアメリカ側に引き渡すかを決めるつもりだった。これが行われて

いようがいまいが、パキスタンのムシャラフは計画を差し止めた。パキ

スタンの外相によれば、2001年7月21日、「爆弾の集中投下地域に

隠して」タリバンを不要にすることが決められていると米主席外交官が

彼に告げたのだ。

「テロとの戦い」での最初の「勝利」として称賛される2001年10

月のアフガニスタン攻撃とその波及効果は、イラク人以上に西側の眼に

は見えないままでいる何千もの一般市民の死を招いた。グラム・ラズル

の家族はその典型だ。10月21日午前7時45分。 Khair Khanaの町

にある学校の校長、ラズルは家族といっしょに朝食を食べ終わったとこ

ろだった、そして隣人とおしゃべりするため外に出て行った。家の中に

は妻のシェクラと3歳から20歳までの4人の息子、彼の兄弟とその妻、

妹とその夫がいた。彼が空をジグザグに進む航空機を見上げると、彼の

家が背後で火の玉のなか破裂した。500ポンドの爆弾を投下する米軍

戦闘機 F16による攻撃で9人が死亡した。唯一の生存者は9歳の息子、

アハマド・ビラルだった。「この戦争で殺された人々の大部分がタリバン

ではありません。彼らは罪のない人たちです」とグラム・ラズルは私に

言った。「殺された私の家族は誤爆だったのか?いや、そうではない。彼

らは飛行機できて、飛行機を持たない全くのアフガン人にすぎない私た

ちを見下ろし、私たちを卑しんで、生存権のせいで私たちを爆撃する。」

カブールの南100キロの Niazi Qalaの村で、尊敬される農夫の息子の

結婚を祝うウエディングパーティがあった。誰から聞いても、それは音

楽と歌とでもてなされる驚くほど騒がしい祝い事だった。誰もが眠りに

ついた午前3時、航空機の轟音が始まった。国連の報告書によれば、爆

撃は2時間持続して52人を殺害した。男性17人、女性10人、子ど

も25人、その多くは必死に逃げ場を探して干からびた池で粉々に吹き

飛ばされたのを発見された。そういった虐殺は珍しくはない、そして今

日、死者は「タリバン」として説明される。あるいは子どもだった場合、

死者は「戦闘員によって使用される敷地にいたのにある程度は責任があ

る」と言われるーー BBCによると米軍スポークスマンがそう述べる。

2006年5月、アフガニスタンの NATO軍勢を引き継いで以降、高度

の爆撃を30%に達するまで促進してきた英国軍は、このすさまじさに

重要な役割を演じてきている。これが昨年の死者6200人以上を運ん

だ。12月、人為的なニュースの成り行きはアフガニスタン南部にある

「タリバンの拠点」ムサカラの「陥落」だった。傀儡政権の軍隊はアメ

リカの B52が残した瓦礫を「解放する」のを許された。

なにがこれを正当化するのか?さまざまな作り話(よた話)が長々と引

き延ばされる。「民主主義を築く」こともそのひとつだ。「麻薬戦争」は

最も正道を踏み外している。アメリカ人が2001年にアフガニスタン

を侵略したとき、彼らにはあるすばらしい成功があった。タリバン政権

が成し遂げていた歴史に残るオピウム生産禁止を、彼らは突然の終わり

に持っていった。カブールの国連職員は私に禁止令を「現代のミラクル」

と形容した。ミラクルは急いで無効にされた。カルザイの「民主主義」

を支援する見返りとして、2002年、アメリカ人たちは、北部同盟の

司令官らに国の全オピウムを新たに植えることを許した。32の地方区

のうち28の地方が直ちに栽培に屈した。今日、オピウムの世界貿易の

90%がアフガニスタンに起因する。2005年、英国政府の報告がこ

の国の3万5000人の子どもたちがヘロインを濫用していると見積も

った。英国の納税者がへルマンド地方の10億ポンドのスーパー軍事基

地とカブールの世界で2番目に大きい英国大使館のために税金を払って

いる一方で、はした金が本国の薬物リハビリにかけられる。

トニー・ブレアはかつて記憶に残ることを言った。「アフガンの人々に、

私たちは放ったまま立ち去らないと、確約します ... あなた方のつらい

生活である貧困から抜け出る出口を私たちは提供するつもりです。」破壊

された映画館で遊ぶ子どもたちを見たとき、私はこれについて考えた。

子どもたちは読み書きができなかったので破壊物の残骸には爆発させら

れてないクラスター爆弾が横たわると警告するポスターが読めなかった。

12月16日、ロンドンのインディペンデント紙にジェームズ・ファー

ガソンはこう報じた。「約束から5年後、 UKの国際開発局はアフガン計

画に3億9000万ポンド費やしていた。」いつになくファーガソンは、

英国と戦っているタリバンと会合を持った。「彼らは始終、チャーミング

で礼儀正しいままだった」と、彼は2月に訪れた会合のことを書いた。「こ

れは、見知らぬ人を歓待するパシュトン人のしきたり、 malmastiaのよ

さである。武装しないようになりさえすれば、殺さずにはおけない敵で

あっても、親切な応対に頼ることができる。 malmastiaが提供する話し

合い(意見交換)の機会はユニークだ。」

この「話し合いの機会」は、ゴードン・ブラウンの政府による降伏しろ、

さもないとあとが怖いぞのおどしの申し出とは、はなはだしい相違であ

る。ブラウン首相と彼の外務省顧問らが強情に理解しないのは、爆弾で

成し遂げた2001年のアフガニスタンでの戦術上の勝利が、南アジア

での戦略上の思いがけない大災難になっているということだ。

ベナジール・ブットの暗殺によって悪化するパキスタンの目下の混乱は、

二国間の長い国境エリアに精通しそこに住むパシュトン人を冷ややかな

気持ちにならせる、隣国アフガニスタンでのワシントンが画策した戦争

に、同時代のルーツがある。世論調査によれば、ほとんどのパキスタン

人が、インド総督カーゾン卿の偉大なるゲームの回帰で規定された役割

を演じるよりもむしろ、彼らの政府に地域全体の平和をうまく交渉して

さばいてもらいたがる、これもまた真実だ。

www.johnpilger.com

▲ジョン・ピルジャー:独自の取材方法で有名な、イギリスで活躍する

オーストラリア出身のジャーナリストでありドキュメンタリー映像作家。

50本以上のドキュメンタリーを制作し、戦争報道に対して英国でジャ

ーナリストに贈られる最高の栄誉「ジャーナリスト・オブ・ザ・イヤー」

を2度受賞、記録映画に対してはフランスの国境なき記者団賞、米国の

エミー賞、英国のリチャード・ディンブルビー賞などを受賞している。

ベトナム、カンボジア、エジプト、インド、バングラディッシュ、ビア

フラなど、世界各地の戦地に赴いた。著書には「世界の新しい支配者た

ち」(岩波書店)など多数がある。最新の著作「 Freedom Next Time:

Resisting the Empire(次は自由を:帝国への抵抗)」ではアフガニス

タン、ディエゴガルシア島、インド、パレスチナ、南アフリカの現状に

ついて書いている。


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