■ Art attack■ NEWSTATESMAN by Peter Kennard

17 January 2008

バンクシーは報道機関の注意を惹く。だが彼の周囲には主流の範囲外で

仕事をする政治的なアーティストのますます大きな影響を及ぼす動きが

ある。

電話が鳴る。番号は差し控える。バンクシーだ。彼はクリスマスにかけ

て私がベツレヘムに行けるかどうか知りたがる。彼は作品の公開を催し

ており、パレスチナの置かれる状況について意識を高めるため、世界中

から関心があるアーティストを結びあわせる。この6年間、ロンドンで

催されているゲリラアートショーみたいに、それは「サンタのゲットー」

と呼ばれるんだろう。2週間後、アーティストが弾圧をものともせず、

できることでの私の考え方を変える体験に私が熱中しているのに気づく。

政治的アートとして、私たちは刺激的な時代を生き抜いてきている。私

は40年間アーティストでいて、私の作品は、常に政治と社会の問題に

焦点をあててきた。1970年代、私はフォトモンタージュの仕事を始

めてヴェトナム戦争と核武装に関連する騒動からイメージを描写する。

2002年のイラク戦争への兵力増強以降、私は若手アーティスト、キ

ャット・ピクトン・フィリップスとのコラボレーションをやってきてお

り、侵略と続いて起こる人道主義の大災難へと導くウソを暴くため、新

しいテクニックを開発してデジタルテクノロジーを使う。

この課程で、私たちの仕事は公式のアート界の範囲外で仕事する若手ア

ーティストのグループとつながるようになっている。彼らのほとんどが

壁にグラフィティをペイントすることで仕事を始めた。このグループの

中心となる人物はバンクシーだが、彼が大部分の報道の取材範囲を惹き

つけるとはいえ、彼は明確な政治意識を持った才能あるアーティストの

増大する一隊に取り巻かれる。私たちの仕事仲間はスペイン、イタリー、

米国、英国、そしてパレスチナからやってくる。ちょうど、私の世代が

ヴェトナム戦争によって政治にめざめたように、イラクのブッシュ・ブ

レア戦争の時代以降、この運動はますます政治に携わるようになってき

ている。これまで以上にアートの発展をはばむ束縛のある市場のために

働くよりもむしろ、リアルワールドと関係したがるアーティストたちだ。

彼らは独創性に抗議を併用して、アートは超リッチのための人目を引く

だけのムダな飾り以上のものであるべきだと主張する。

私たちは4人の仲間のアーティストと共にベツレヘムに到着した。 Blu、

ボローニャからブエノスアイレスまで壁に絵を描いてきたイタリア人。

Sam3、スペイン出身。長年にわたるバンクシーのコラボレーター、ポ

ール・インセクト、英国出身。そして唯一の私の世代のアーティスト、

英国人の Gee Vaucher。他はみんな30代でストリートアートの出であ

る。全員が中東についてよく情報を教え込まれていて、パレスチナ人と

の連帯感を示しにベツレヘムに来た。

バンクシーは分離壁に絵を描くため幾度も西岸にきていた。彼は情況が

わかり通じているので、彼といっしょに仕事する人々を見抜き、集中す

るチームがあった。彼らはマンガー広場に使用されてないファーストフ

ードレストランを見つけ、うまくそれを借りた。アイディアは、西側と

パレスチナのアーティストのコンビネーションを見せることだった。そ

のアートは買うにはサイトのみで入手可能だったから、最新のバンクシ

ーまたは他の作品を手に入れたかったら、付け値を出すのにベツレヘム

まで旅しなければならなくなる。これが重要だった、なぜなら訪問者が

キリスト降誕の教会を見るためにバスで来て一時間後にイスラエルにバ

スで運ばれるとき、ベツレヘムは観光業が不足していたからだ。100

万ドルを上回る、販売から生じるすべてが、地元のチャリティに役だっ

た。

私たちの貢献のため、 Catと私はエルサレムポスト紙の18枚刷り新聞

に以前の Naqubaパレスチナのイメージを人目にさらすことで暴露され

る1ドル紙幣を印刷することにした。その写真はパレスチナの歴史の豊

かさとその文化の多様性を見せる、あまりにもたびたびニュースで見る

凶暴化した理性のない人々というステレオタイプをしらふにする解毒剤

だ。パレスチナ自治領に誰が行けて何が運べるかでのイスラエルの圧政

的で絶えず変化する制限の話から、完成した作品をむこうへ持って行く

のは難しいだろうから、私たちはベツレヘムで仕事をしたかった。

私たちは材料を手に入れるのとロジスティックにまとめるのを助けてく

れるパレスチナ人グループと協力した。彼らはまたイスラエル入植地と

永久に続くチェックポイントが気味悪くたちはだかる西岸での生活の手

だても提供してくれた。私たちは飲んで踊ることになるケバブレストラ

ンに毎晩どやどやと入っていき、その日の仕事について論じたり検討し

たりする。ある晩、夕食の席で、パレスチナ人たちがまだ十代の半ばだ

ったとはいえイスラエル当局によっていかに身柄を拘束され拷問された

かを詳しく列挙した。彼らがこの雑多なアーティストの一隊を歓迎する

流儀は並外れていた。ありとあらゆる窮乏と制限は、パレスチナ人の反

発エネルギーと外の世界と分かち合いたい彼らの欲望をますます高めて

いるだけだ。

これらの友人を通じて私たちはヘブロンの広告印刷社を見つけた。そこ

は私たちの大いに型にはまらない印刷のニーズをやっつけることにかか

わることになった。これには新聞の何枚にもわたって巨大なドル紙幣を

印刷することと、分離壁の一面に巨大な印刷を石膏で貼り付けることも

ともなった。印刷業者はただちに彼らの時間とエネルギーをこのプロジ

ェクトに打ち込んだ、そして結局、バンクシーと他のアーティストのを

印刷することになった。

この製作のプロセスを通して、ベツレヘムの人々は作品が言ってること

に関与することになった。私たちは壁に写真を貼りこんだ後、お茶を飲

むため向かいのカフェに行った。壁のせいで商売が破綻したカフェのオ

ーナーは、彼が毎日見つめて暮らさなければならないセメント(分離壁)

に石膏で貼り付けた声明をありがたく思ったと私たちに話した。

西岸の分離壁にポスターをいっぱい貼り付けるとか絵を描くのは取るに

足らないことに聞こえるかもしれない。だが、たいていの現代アートで

優勢な知的な介入とは対照的に、助けるためにはこれらが実際に大いに

役に立つ方法なのだ。生命のもとが抑圧されてしめころしとなっている

人々と町にそれは貢献する。

このような関係においては、作品がダイレクトにパレスチナ人に伝わる

ことが重要だ。劇場では現代の問題を直接的に扱う動きがある一方で、

視覚アートでは世界について言うことがあるなら理論の後ろに隠してあ

いまいにしなければならないとの考え方がいまだに踏みとどまる。英国

のアートカレッジは時々、ファインアートよりもむしろ、ごまかしのエ

キスパートを養成するように思える。

世界のイヴェントの圧力があまりにもすごすぎて、アートのためのアー

トという考え方を支えるのはますます難しい。危機の時代にはラジカル

なアートと政治が集中する、いまそれが起きている。ロンドンの王立芸

術大学と芸術大学の講師としての経験から、私には90年代の YBA(ヤ

ングブリティッシュアート)運動の皮肉がいまや過去のものであるのが

よくわかる。多くの美術学生と若いアーティストは、世界がどんな事態

にあるかの自覚と自分自身のアートの手腕を直接つなげる手だてを探し

求めている。

これにはアート自体のフォームばかりか、制作するプロセスについても

考えることをともなう。技法と学問分野全域で行われるたくさんのコラ

ボレーションがあり、アーティストは販売(流通)の新しい手法を探し

ている。

私の青春時代とは違い、アーティストがその中に割り込める組織化した

「左派」はないが、425マイルの長さのコンクリートの壁はある。そ

して私たちはその壁を、反対するインターナショナルのキャンバスに変

えることができる。

▲ピーター・ケナードの回顧展「 Uncertified Documennts(保証され

ていないドキュメント)」

1月30日、ロンドン、バッタシーパークの Pump House galleryにて

詳しくは www.wandsworth.gov.uk/gallery

▲目が離せない4人のアーティスト

2005年ミラノでの展覧会「都会のエッジ」への貢献で成功後、 Blu は

大衆のアートシーンに突如現れる。広々としたシュールでしばしば攻撃

的な壁と舗道の壁画に彼の名声は築き上げられる。彼のふざけ好きは有

名だが、スイスの「 Fantoche」、ニューヨークの「レターA(A文字)」、

ベルリンの「あなたの街を再生利用」といった2007年から喝采して

迎えられる作品には、もっと背筋の凍るような雰囲気がある。

スレイマン・マンスールは東エルサレムのアルワジティアートセンター

を共同で設立した、彼はいまそこを監督する、そして最初のインティフ

ァーダの間に大きな影響力を持つのが立証されたアーティストグループ、

ニューヴィジョンを率いることになった。レジスタンス・アートのパイ

オニア、マンスールは、パレスチナ闘争に向けられている作品を作る。

彼は4年間、パレスチナ人アーティスト連盟の会長だった。そして19

98年ヴィジュアルアートのパレスチナ賞はもちろん、同年のカイロ・

ビエンナーレでナイル賞を受賞した。泥やヘナといったその土地にゆか

りのある材料を作品に使うことで彼は有名だ。

Sam3(サミュエル・マリン)はスペイン南部グラナダの出身、そこで

は彼の短命な長くて黒いシルエット(影絵)が都市景観に絶えずつきま

とう。有名な作品に、バルセロナでグラフィティを一掃するための都市

法律当局に反対する無言の抗議、 AlterArte と聖像Erase Yourself(あ

なた自身を殺せ=消せ)のための 12 Shadowsプロジェクトが含まれる。

ポール・インセクトは、ゴシック・ヴィクトリア調のものと超現実的な

テーマが混ざり合う、「スチームパンク(時代物のパンク)」の先駆者と

なる、英国アート知識層に人気がある(うけがよい)のが立証されてい

るロンドンを拠点とする元デザイナーだ。昨年7月、ソーホーの Lazarides

Galleryでの展覧会「Bullion(金塊)」をダミアン・ハーストがまるごと

買った。彼のユニコーンの絵は先月サザビーズで2万4500ポンドの

値がついて売れた。


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