■ラテンアメリカの謀反■ ICH 13 June 2008

その「民主主義に対する戦い」の起源

By ジョン・ピルジャー

私が初めてラテンアメリカに行った1960年代、たいていよろよろす

るバスと車両一両の列車で、アルティプラノ(アンデス地方の高原)を

越えてチリからペルーに内陸の錐面を上る旅をした。それは、特に壮観

な人びとの動きが、私の人生での思い出をたくわえる体験だった。

赤い泥が細く裂けたものだった道路に沿って雪をかぶった荒野のほこり

の中を彼らは移動し、危険をものともしない掘っ立て小屋で暮らした。

ある男は「私たちはインビジブルマン(目に見えない、統計値に数えら

れない男)」と言い、また別の男は放棄されたという言葉を使った。ある

ボリビア先住の女性が彼女の貧しさを裕福な人たちの必需品と形容した

のがいつまでも記憶に残る。

セバスチャン・サルガド(マグナムに所属したフォトジャーナリスト)

のラテンアメリカの労働者の写真をあとで見たとき、沿道の人びと、金

山労働者、コーヒー農園労働者、墓地の十字架に囲まれたシルエットに

思い当たった。ことによると劇場用映画にするというアイディアはその

とき生まれたのかもしれない、あるいはロナルド・レーガンのすさまじ

い中米襲撃を報告したときだったか、ビクトル・ハラのバラードの言葉

を初めて読み、サム・クックの聖歌「 A Change Is Gonna Come」を

聴いたときだったか。(ビクトル・ハラは1970年代初頭のチリでアジ

ェンデのもと歴史上初めて平和的手段による社会主義への道、「赤ちゃん

にミルクを、子どもに教育を、働く者に憩いを」を試みた。だが、米国

が支援したクーデターでアジェンデは死に、大勢がピノチェット将軍の

手下によって虐殺された。そのなかにビクトル・ハラもいた。)

「 The War On Democracy(民主主義に対する戦争)」は、私の最初の

劇場用映画だ。ヴェトナムが舞台の「 The Quiet Mutiny(静かな反乱)」

で始まった55本以上の TV用ドキュメンタリー映画がその後に続く。私

の映画の大部分は、飽くことを知らない権力と私たちの歴史の記憶をく

つがえして支配しようとの試みに対する人々の苦闘の顛末を伝えている。

この支配、この組織的無視が、映画作家としての私とジャーナリストと

しての私の好奇心を常にそそってきている。メディア時代の絶え間ない

騒音によって破られていない大沈黙としてハロルド・ピンターによる説

明が、西側の有力は彼らの犯罪に対する社会全体の苦闘が単に「外面的

に記録される」に過ぎないのを保証する。「詳細に報道されるのはもちろ

んとして、事実と認められるのはもちろんとして、それはなかったこと。

それが起こっている間でも、決してなかったこと。それは重要ではない。

関心事ではないからだった。」

これは、民衆の革命が長いことバナナ共和国として片づけられていた国

に読み書き能力と希望をもたらし、貧困が元に戻り始めた1980年代

初頭のニカラグアの真実だった。米国では、サンディニスタ政権はコミ

ュニストで脅威だと、うまく描くことに成功して、壊滅させた。結局、

リチャード・ニクソンはラテンアメリカ全体について、「誰もぜーんぜん

構わんところ」だと言った。民主主義に対する戦争とは、これに対する

解毒剤ということになる。

現代の作り事の映画は、めったに政治的沈黙を破るようには思えない。

とてもすばらしい「モーターサイクルダイアリー」(チェ・ゲバラの日記)

は遅すぎた世代だった。ハリウッドがリベラルな限界を据え付ける英国

で、ケン・ローチと他の数人の作品は尊敬すべき例外だ。しかしながら、

映画はまるで怠慢であるかのように変わっている。ドキュメンタリーが

映画館に戻ってきており、米国とそこいら中で一般大衆によって喜んで

応じられてきている。この国でそれが公開されて2カ月経っても彼らは

まだマイケル・ムーアの「華氏911」に拍手喝采していた。なぜか?

答は単純だ。ニュースがもはや意味をなさないことを人びとにわからせ

るのに手を貸したパワフルな映画だった。体制のコンセンサスを見せる

ための言い訳として、いつものまやかしの「バランス」を見せなかった。

「目下の業務」に浸透する決まり文句、陳腐、権力の思い上がりだらけ

ではなかった。1930年代に重要だった映画「怒りの葡萄」と同じく

らい重要な、それは現実主義者の映画だったし、人びとはそれを食い入

るように見た。

「民主主義に対する戦争」は同じではない。他の社会を、ポスト帝国の

骨董や「私たち」にとって有益または消耗してよいものとしてではなく

て、彼ら自身の点からみて並外れて需要として扱った、大胆な事実に基

づくジャーナリズムの草分けは、あまりにもしばしば見落とされすぎの

英国民営 TVの流儀から出てくる。私が始めた「戦闘中のグラナダの世界」

は申し分ない例だった。 BBCがやる勇気がない状態で事実を伝え、映画

にしようとした。昨今、茎を食べるヒキガエルの異常発生のような、間

違った名で呼ばれる「リアリティ」番組で、映画はタイムリーな好機を

与えられてきている。そんな映画は今日、手に負えないネオファシスト

のスーパーパワーによって私たちに危険を押しつける、すなわち、汚さ

れていない情報への私たちの要求が差し迫るほど、人びとはそれを得よ

うとして映画のチケットを買う用意ができるというものだ。

「民主主義に対する戦争」は、実質的とプロパガンダとして世間一般の

民主主義とぶつかる西側企業と金融機関と戦争の遂行に付属する、間違

った民主主義を考察する。それは40年前に初めて私が知った人びとの

話だが、彼らはもはや目に見えない人びとではない。彼らは力強い政治

運動で協調組合主義によってゆがめられた堂々としたコンセプトを再生

する。そして、私たちすべてとぶつかる遂行される戦争で最も基本とな

る人権を擁護している。

もちろん、映画と TV製作はぴったりと関連しているが、私が学んできて

いる違いは決定的だ。映画はパノラマを展開させて、唯一映画館だけが

ある形で表現する場所の感覚を提供する。「民主主義に対する戦争」では、

ボリビアのアンデス山脈を越えて地球で一番高くて一番貧しい街エル・

アルトまでカメラが見渡す。そうして、ホアン・デルフィン、神父とタ

クシードライバー、子どもたちが埋葬される墓地へと続く。ボリビアが、

腐敗したエリートが支援する多国籍企業によって資産が巻き上げられて

きているのをこのひとりの男性とこの壮観によって説明する、これは一

大叙事詩だ。カメラがパンしてホアン・デルフィンが描いた巨大な壁画

の向こう側を撮影するとき、ボリビア国民が立ち上がって彼らの水源を

空から降ってきた雨水さえも奪った外国の債権国会議を追い出したこと

を理解させる。人を感動させる普通の生活と大手柄の壁画、これが映画

だ。

クリス・マーティンと私(私たちは協力して映画を作った)は、2人の

クルーと2人の全然違う撮影技師、 Preston ClothierとRupert Binsley

を使った。当時、35ミリに切り換えなければならなかった解像力の高

い在庫品で彼らは撮影したー映画のすばらしいアナクロニズムのひとつ

だ。

映画は、世界中の反貧困プロジェクトをサポートする興行主マイケル・

ワットによって支援された。私の TV作品を映画に入れたいと彼がプロデ

ューサーのウェイン・ヤングに話した。グラナダに追加支援が与えられ、

ITVがその年遅くに映画を放送することになる。また特別な資金供給が、

これまでに書かれ演奏されたブラックミュージックでも最高にみごとで

最高に高揚した曲のひとつ、「 A Change Is Gonna Come」のライセン

スのために当時のサム・クックのニューヨークのエージェンシーを説得

するのを私に許した。それが発売されたとき、私は米国南部にいた。公

民権運動の時代で、クックの歌は自由のために苦闘する人びとすべてに

向けられて、彼らを代弁した。同様のことはチリ人のビクトル・ハラの

バラードの真実だ。彼の歌は、ピノチェットと CIAがそれを沈黙させて

絶ってしまう前のサルバドール・アジェンデの人気のある民主主義をほ

めたたえた。

ハラが他の数千人の政治犯といっしょに逮捕されたチリのサンティアゴ

にある国立競技場で私たちは撮影した。誰から聞いても、彼は同志の抵

抗力の源だった、そして兵士たちが彼を地面に叩きつけて彼の両手をこ

なごなに砕くまで同志のために彼は歌う。彼はそこで最後の歌を書き、

紙くずに書かれたその歌はそっと持ち出された。以下がその歌詞だーー。

なにがファシズムの恐怖をものともしないか

創作すること

ナイフのような精密さで

彼らはその計画を遂行する

彼らにとって、血はメダルに匹敵する

恐怖について歌わなければならないとき

歌うことがどんなにつらいか

沈黙と悲鳴のなかで

私の歌は終わる

拷問の2日後、彼らは彼を殺した。「民主主義に対する戦争」は、そのよ

うな勇気についてと、「彼らにとって」なんにも変わってきてないこと、

「血はメダルに等しい」ことを、私たちに警告するものだ。

▲ジョン・ピルジャーはオーストラリアのシドニーで生まれ教育を受け

た。彼は従軍記者であり映画作家で劇作家だ。ロンドンをベースに多数

の国々から書いてきており英国のジャーナリズムの最高の賞を2度受賞

した。ベトナムとカンボジアでの彼の報道で「ジャーナリスト・オブ・

ザ・イヤー」に輝いている。


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