■「父さんが死んだと彼らは言った」■イスラエルのハーアレツ紙

by ギデオン・レヴィ 02 March 2009

ガザ戦争が猛威をふるったとき、どんなことも許されているとイスラエル

防衛軍( IDF)が考えたのは明らかだった。ヨルダン川西岸で罪のない人々

を殺すこともまた可能だった、たぶんやむを得ず。戦争に乗じて、手錠を

はめられたパレスチナ人を殺すこともできると彼らは考えた。

結局、ほとんど不可能も同然の、プラスチックの手錠で束縛を受けていた

のはどうでもよく、彼が兵器を盗もうとしたと常に彼らは主張できた。至

近距離から胃に発射された一発の銃弾が彼を殺した。このようにして、大

人になってからずっとイスラエルに労働許可証と仕事のあったヤセル・テ

メイジ35歳の人生は終わった。昨年彼はアシュドッドの会社ハラシュで

働いていた。彼はこれまで IDFとどんなトラブルも起こしたことがなかっ

た若い父親だ。兵士らは理由なく彼を逮捕して、幼い息子の前で理由なく

ぶちのめすと、ついに理由なく彼を処刑してしまった。

この恐るべき事件から一カ月半が経過している、そして軍の犯罪調査部門

はまだ真相を調べている。おそらく一時間で完了しているはずの調査が限

りなく続いている。例によって、ただひとりのパレスチナ人も質問されな

かった、ただひとりの兵士も逮捕されなかった、そしてまた例によってお

そらく誰も逮捕されないのだろう。テメイジを殺した予備兵らはすでに国

に送還されているらしい。ことによると彼らの体験と国家の義務を果たす

ことで気分よく帰還したのかもしれない。彼らがガザの戦争に貢献しなか

ったと仮定しても、彼らもまた人を殺した。それでいいではないか?これ

に加えて、彼らには兵役ながらも、すでに IDFの上級士官が「一連の重大

な不首尾」にともなった「ゆゆしい事件」と呼んでいる、重大な行為とい

う顛末なのだ。

骨身を惜しまない良心的な労働者ヤセル・テメイジは、ヘブロン西のイド

ナの村に住んでいた。彼はハイファの夫であり、7歳のフィラスと2歳の

ハラの父親だった。15年間、彼は毎朝起きるとイスラエルに働きに出か

けた。この数ヶ月彼はアシュドッドのトラックの積荷の仕切りを造る会社

ハラシュで働いた。彼の最後の給料明細書にはこうある、職業用語で「労

働者のタイプ:自立性」「支払い済額: NIS 3935,73」 ガザ軍事

行動の勃発で、テメイジの雇い主は事態が落ち着くまで仕事に来るなと彼

に頼んだ。だが、彼はそれでもなお家族を養わなければならなかったので、

臨時の仕事を見つけようと期待して、 Kiryat Gatの「職安」に進んでいた。

これが1月13日の朝に彼がしていたことだ。

バラク国防相が一週間の「人道的停戦」をはかどらせようとしていたその

日、落下傘部隊がガザシティに向かって進み、7人目のパレスチナ人医療

要員がイスラエルの発砲によって殺された。その朝5時半、労働許可証を

ポケットに、テメイジは Kiryat Gatに出発した。4時間後、彼は帰宅した、

彼は仕を見つけていなかった。彼の母ナイフェが軽い朝食を作り、その後、

家から約3キロほど西の家族のオリーブ園までいっしょに来たいかいと

テメイジは7歳の息子フィラスに尋ねた。それはパレスチナ自治区の分離

フェンスから数百メートル東にある。父と息子は家族のロバに水と食べ物

を積んで果樹園に向かった。イスラエルに雇用がなくても、少なくとも彼

らにはオリーブで働くことができると彼らは考えた。

果樹園に到着すると二人は仕事にとりかかった。突然、軍のジープが現れ

て4人の兵士が出てきた。兵士らが父に近づくのをフィラスは見た。兵士

のあいだで交わす言葉はあっても、ヘブライ語だったのでフィラスは何を

言ってるか理解しなかった。1分後、彼は兵士らが父を地面に押しやって

後ろから手錠をはめるのを見た。兵士らはフィラスに家に帰れと命じた。

彼の父も家に帰るよう命じた。おびえた小さな少年は家に向かって長い距

離を駆け出した。途中、彼は犬に襲われた、シェパードだと彼は言い、彼

の隣人たちが犬から彼を救った。それがフィラスが生きてる父を見た最後

だった。手錠をはめられ地面に押しやられていても生きている。

縛られて目隠しされた息子を兵士どもが蹴っているのを見たと目撃者た

ちはテメイジの父シャケルに教えた。目撃者たちはなんとか介入しようと

したが兵士らが出て行けと言ってライフルを振り回した。 B'Tselem人権

機構の評判のよい実地調査員、ムサ・アブ・ハシャシュは同様の証言を聞

いた。目撃者によると、結局、兵士らはテメイジをジープに乗せて走り去

った。これがパレスチナ人たちが生きてる彼を見た最後だった。

一方、家にたどり着いたフィラスは父が逮捕されたと伝えた。パレスチナ

人の誤った逮捕は日常のことと、最初、家族は気づかわなかった。きっと

ヤセルはただちに釈放されて帰宅すると確信した。彼は欠かせない許可証

をすべて持っていたし、一度としてトラブルに巻き込まれたことはなかっ

た。何時間か経過してまだテメイジは戻らなかった。午後4時頃、彼は殺

されて死体がヘブロンのアル・アーリ病院にあると隣人たちが伝えた。ア

ブ・ハシャシュは病院に急行して死体を調べた。手首の手錠の痕に気づい

たと彼は言う。弾丸が入った傷が胃にあって出た傷が腿にあった。テメイ

ジは座ってる間に撃たれたと専門家は言う。直射。検死がアブ・ディス病

理学研究所で行われ、アブ・ハシャシュは結果を受け取った。報告された

死因は大量出血だったと彼は言った。

病院に到着したときテメイジは死んでいなかったが、その後まもなく死ん

だ。治療が間に合っていれば彼を救えたかもしれなかった。事件10日後、

ユバル・アゾウレイがハーアレツ紙に事件について書いた。殺害後まもな

く、「一連の不首尾」がテメイジを殺した予備兵の一部で発生したとの考

察を提起した師団司令官ノーム・ティボン准将と隊司令官ウディ・ベン・

モハ大佐の参与で IDFの調査が行われたらしい。彼はタルクミヤの検問所

に手錠をはめられて連れてこられ、そこから近くの陸軍基地に運ばれたの

が確証された。

もちろん、彼が兵士らの兵器を盗もうとしたと言い張るために、兵士らは

目撃者のいない部屋で彼を殺害した。手錠をはめられたパレスチナ人がど

うやって兵器を盗むことができたのか、その報復がなぜ直射の狙撃でなく

てはならないか、誰も説明しなかった。

「事件の処理の仕方は、特にこの負傷した男性のために救助を迎えにやる

ことで、重大な不首尾があったのを示す。これは非常に重大な事件で、も

し正規軍がそこに配置されていたらそんなことになっていなかったと考

えざるを得ない。予備兵は単にそのようなシナリオ、そのような事態に慣

れていないか訓練を受けていないだけだ。」と軍事筋が記者のアゾウレイ

に語った。

そのような情況にどのような種類の訓練が必要とされるのか?兵士ども

は手錠をかけられた囚人を撃たないように訓練される必要があるのでは

ないか?兵士に必要なのは傷つけられた者にただちに医療班を呼び出す

ことをわからせる訓練ではないのか?

事件から一カ月半の今週、 IDFのスポークスマンが「その問題は犯罪調査

局によって調査中である。調査が完了するなり調査結果は軍検察官に中継

されることになる。」と私たちに公式に語った。7歳の息子フィラスは、

イドナ村の遺族の家庭の一員となる。やさしくて快活な声で父親との最後

の日の顛末を語る。家族のオリーブ園までロバに乗っていき、彼が見守る

とき父親を殴り倒した兵士どもや、どうやってひとりで家に帰り、犬ども

に吠えられておびえたかを順序立てて述べた。

「あとになって彼らは父さんが死んだとボクに言った」と顔にはっきりと

トラウマとわかる少年がそっと言う。まさにこのことを、手錠をかけられ

た男を殺す兵士どもや、その司令官ども、調査員どもは知るべきだ。


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