■イスラエルの友人たちがテロ行為を非難すべき時■SMH
01 March 2010 by AMIN SAIKAL

全体的に、線のアプローチがテロリズムの現象を理解する私たちの
アプローチを特徴づけてきている。しかしながら、ドバイの最近の
ハマスの人物、アル・マブーフ殺害は、国家テロに集中させるため、
私たちのネットにもっと広範囲に目を向けさせるのも当然だ。

ドバイ警察は、ほとんど異論のない証拠によってイスラエルの諜報
機関モサドが殺害の裏にいたと主張してきている。いつもの通りに
イスラエルはモサドの行動を確かめもしなければ否定もしないこと
で政策のあいまいさを維持してきている、とはいえ、ある政治指導
者、特に野党(中道右派カディマ)の党首、ツィピ・リブニは、マ
ブーフはテロリストであり消されるのに値したとの理由で、殺しを
賞賛してきている。

モサドのスパイが、もちろん、英国、フランス、ドイツ、オースト
ラリアの市民の名前の偽造パスポートを使って犯行を行ったと証明
されるなら、その殺害はイスラエルの行いの不穏な側面をはっきり
と際だたせる。

それは露骨であくどい国家テロ行為という性質である、それはテロ
リストグループとかテロリストネットワークとして必ず非難されて
きた、まさにその勢力に並列するポジションにイスラエルを置く。

そのような工作に国家が従事してきていること、これは初めてでは
ないし最後でもないかもしれない。特にイスラエルの場合は、歴史
的に、イスラエルに逆らって激しく振る舞うか激しく脅すかどちら
でも、そうみなされてきている人たちを標的にすることから決して
尻込みしない。これにおいてイスラエルは決して暴力のための暴力
を行う人たちと、イスラエルに逆らってわが身を守ろうとする、あ
るいはイスラエルの戦略上重要な領土の拡大と物理的隷属から自分
たちを解放しようとしてきている人たちとの間に区別をつけない。

このテロの方式は中東で長い歴史がある。イギリス人を恐怖に陥れ
てパレスチナから出て行かせ、昔からパレスチナの国土として認め
られてきていたところに1948年イスラエル国家を創立するため、
1940年代前半にシュテルン団やイルグンといった最初のやや国
家的テロリストグループを組織することに良心の呵責をまったく示
さないデイヴィッド・ベン・グリオンによって率いられるイスラエ
ル建国者たちでそれは始まった。

以来、自衛と呼ばれていることに置き換えて、この不穏な側面がイ
スラエルという国家の重要な役目であり続けてきている。この側面
は、オーストラリアを含めるイスラエルの国際的支持者から不変の
後援を受けてきている。

暗黙のうちに支援するにせよ目立ってするにせよ、これらの支持者
らはイスラエルの標的とされる中東内外でのパレスチナの人物の暗
殺に沈黙を続けた、それは報復としてか先制排除の行動としてか、
どちらでも1970年代から絶頂になった。

最も顕著なモサドの工作のひとつが、目下のハマスの精神的指導者
ハレド・メシャルをヨルダンで殺そうとの1997年9月のしくじ
った企みだった。それは故フセイン国王の怒りを招いた、彼はイス
ラエルがメシャルを治す解毒薬を提供しないかぎり、イスラエル・
ヨルダン平和条約をキャンセルすると脅した。当時、昨年早期から
そうであるように、右翼のネタニヤフがイスラエルの首相だった。

米国に対する2001年9月11日の攻撃後、ネタニヤフと同じ政
治の保守側から出たアリエル・シャロン首相は、標的にされるパレ
スチナの指導者と活動家、特にハマスの人物の暗殺を加速するため、
アメリカの「テロ戦争」に完全に便乗した。

その中で、イスラエルが「コラテラルダメージ(活動に伴う損害)」
と呼んだところの何百という無実のパレスチナ人に加えて、そのよ
うな人物数十人をイスラエルは殺害した。モサドはこれに関して白
紙委任状を与えられた。

ガザの150万のパレスチナ人を包囲密封して罰することと、ヨル
ダン川西岸と東エルサレムの仲間のパレスチナ人を抑圧することを
含めて、イスラエルはこのすべてや関係のある具体的活動を自衛の
名において正当化してきている、だが、あらゆる国際法、人道的規
範や基準に反している。

イスラエルは、民族自決権に加えてパレスチナ人の権利をすっかり
無視してきており、国際司法裁判所のどのような判決も拒絶してき
ている。ヨルダン川西岸と東エルサレムのイスラエル入植地の拡大
ではオバマ政権からの圧力にも果敢に対抗してきている。

もし本当にイスラエルがマブーフの殺害に責任があるとすれば、極
端に走りすぎたかもしれない。パスポートを偽造することでイスラ
エルの幾つかの国際的支持国の立場をひどく踏みにじったばかりか、
アラブ首長国連邦の主権をめちゃめちゃ侵害してイスラエル・パレ
スチナ紛争の舞台から超離れたドバイで国境を越えた工作を演じも
した。

テロリストグループであるとか、たとえばイランやシリアのような、
それらのグループを支援していると非難されてきている、まさにそ
の勢力にも劣らない糾弾すべき仕方でイスラエルは実行してきてい
る。

その行動は、ひたすらイスラエルとその支援国に反抗するさらなる
工作を正当化するようにこれらの勢力を勇気づけるしかない。

どのような国家テロにも当然そうすべきこと、国際社会、特に(オ
ーストラリアを含める)イスラエルに友好的な国々がイスラエルの
国家テロを非難して、国際的な規範と法律内でふるまうように圧力
をかける時だ。かくして、世界の政治において民主主義の主張をし
たまま義務不履行の行為者であるのをやめる。

▲ AMIN SAIKALは、オーストラリア国立大学の政治学教授、アラ
 ブ・イスラム研究(中東と中央アジア)センターの理事長です。

以下、参考までにーー。
◇イスラエルのテロ組織
・イルグン(Irgun Zvai Leumi)
パレスチナ国民軍事組織、イスラエル解放支援のためパレスチナで
結成された右翼系ユダヤ人の地下軍事組織。後に首相となるベギン
が指導者、公然とテロ行為を実行した。
・シュテルン団(Stern Gang)
イスラエル建国当時に結成された極左系ユダヤ人の地下軍事組織。
イルグンとしばしば協力、公然とテロ行為を実行した。
国の指導者ベギン、イツハク・シャミルたちがテロ組織であるイル
グン、シュテルン、ハガナの指導者として一連のテロ行為を行って
きた。
たとえば、
・1944年、英国の中東担当大臣、モイネ卿暗殺
・ 1946年、エルサレムのキング・デイヴィッド・ホテル爆破事
件(ベギン率いるイルグンの英国に対するテロで、91人の英国人、
アラブ人、ユダヤ人を殺害)
・ 1948年、スウェーデン人の国連調停官、C・F・ベルナドッ
テ伯暗殺
・ 1948年、デイル・ヤシーン事件(アラブ人の村民250人以
上を虐殺)
これらは、PLO(パレスチナ解放機構)が設立される15年かそ
れ以前に起きた事件で、歴史的な事実。イスラエルの初代大統領ハ
イム・ワイツマンでさえ、イルグンの戦略を殺人的テロ行為と非難
した。
(ダラスモーニングニュース 1986年6月16日 より抜粋)

△1948年5月14日 イスラエル共和国として独立宣言、ベング
リオンが初代首相となる。
第一次中東戦争。国連決議より広範囲の土地をイスラエルが占領。
イスラエル独立により、75万人以上のアラブ人が自分の故郷を追
われた。
△ シオニストのテログループ、ハガナ、イルグン、シュテルン団は、
アラブ人、仲間のユダヤ人、イギリスの統治者などを殺害して、独
立の大きな力となった。
これらのグループには、首相となった人々、メナヘム・ベギン(イ
スラエルの権謀術数に強けた辣腕首相。周辺アラブ諸国との戦争後、
1979年エジプトのサダト大統領と終戦締結)、後任のイツハク・
シャミル(イスラエル首相1986〜90)、アリエル・シャロン(イ
スラエルの軍人・政治家。国防相、外相、国家基盤相などを歴任。
リクードの党首でもあった)がいる。
ベギンやシャロンは自分がテロリストでありながら、図々しくも、
アラブのテロリズムを非難した。
△ 1948年4月9日早朝、ベギン率いるイルグン隊員とシュテル
ン団が約750人のパレスチナ人が暮らすデイル・ヤシーン村を襲
撃。この村は国連の指定するユダヤ人国家の外部にあり、平和な村
との評判だった。ただし、そこはテルアビブからエルサレム回廊の
要地に位置した。デイル・ヤシーンはダレト計画のもとに占領対象
とされ、ユダヤ国防軍の主流、ハガナはテロリスト勢力のイルグン
とシュテルン団に接収する権限を与えた。


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