■To Shooting an elephant:象を射殺■20 July 2010

・概要

「...のちに、言うまでもなく、象の射殺について果てしのない論議
があった。像の飼い主は激怒したが、彼はただのインド人で、何も
できなかった。その上、私は合法的に正しいことを行ってきている、
狂暴な象は、飼い主が抑えられなければ、狂犬のように息の根を止
めないといけない。」

「To Shooting an elephant」はガザ地区からの報告の目撃証言だ。
2008年12月27日キャストリード作戦、21日間の象の射殺。
パレスチナの一般市民と共に、ガザ地区の救急車内に埋め込まれた
ままでいることに決めて処理する、唯一の外国勢からの不眠の差し
迫った映像、卑劣で、ぞっとさせる映像だ。
(ジョージ・オーウェルの「Shooting an elephant」は元々、1948年に
 New Writing にて出版される。)

・背景

ガザ地区は、イスラエルが「敵なる存在」と公言した2007年6
月以来、包囲下に置かれる。国際的な活動家グループが包囲を破る
運動、"フリーガザ運動"を組織した。彼らの尽力のおかげで、現場
でキャストリード作戦を報道して目撃する外国人記者と人道支援活
動家に対してイスラエルの禁止(追放)にもかかわらず、国際的な
志願者組織、"国際連帯運動(International Solidarity Movemen)"
の自ら組織したメンバーたちが、爆撃が始まった2009年12月
27日にガザにいた。アルジャジーラ・インターナショナルの2人
の国際通信員(Ayman MohyeldiとSherine Tadros)と共に、包囲
されるパレスチナの細長い土地の内部でなにが起こっていたか、い
くつかのラジオ局のためにどうにかして記録し、撮影して報告する、
彼らは唯一の外国勢だった。

彼らはジャーナリストだった?彼らは活動家だった?だれが気にす
る!彼らは目撃者になった。ジャーナリストも、あなたがどう感じ
るか次第の者もみな。あなたがどうにかしてより広範の視聴者にあ
なたとあなたの周囲にいる人たちが経験することを共有させること
は道義にかなう責任だ。ジャーナリストであってもなくても、もっ
と正確に言えば、想定以前、呼び名以前の、それはあなたをプロの
職業に至らせるあなたの業績に係るものだ。

視聴者に知らせる。あなたが聞いて知ってもらいたい人々にあなた
が気づいたことを聞かせて知らしめる。すなわちジャーナリスト。
プレス(報道機関)と書かれた名刺を持っているのも、本俸をもら
うのも、カメラまたはペンを使って目撃者であることに必要不可欠
ではない。中立性は無視せよ。客観性は無視せよ。私たちはパレス
チナ人ではない。私たちはイスラエル人ではない。私たちは偏見を
持つ。私たちはただ正直でいようと努めるだけで、私たちが見たこ
とや私たちが知っていることを報道しようと努めるだけだ。私はジ
ャーナリストだ。だれかが傾聴するなら私はジャーナリストだ。ガ
ザの場合、「公式のジャーナリスト」は(すでに中にいたジャーナ
リストを除いて)ひとりもガザに入るのを認可されなかったので、
私たちが目撃証人になった。それに関しては全責任を有している。

私は常にジャーナリズムを「暗い部屋の中のあかりをひねる手」と
理解してきている。ジャーナリストは好奇心の強いやつ、疎ましい
質問者だ、反感を持つカメラとペンが政権を握る人たちを居心地悪
く感じさせる。しかも、それがガザでの私の仕事のコンセプトだ:
世界中で最も語られる争いで任務を遂行すること、ハマスによって
発射されるロケット弾に対する仕返しで、領土の全住民の上にイス
ラエルによって負わされている包囲と集団的懲罰の説明は、決して
十分な正確さで語られることはない。このために、人の記憶(記録)
に残される必要がある。イスラエルが私たちを入れさせないよう企
てて、私は政権を握る連中によって「体よく」退去するよう求めら
れたにもかかわらず、私はガザ内部にこっそり入った。すなわち私
のジャーナリズムの思想だ。彼であれで彼女であれ、誰かが見事に
理解することを今にも掲載しようとしてカメラだのペンを用いて歩
き回ることについて世界中すべての政府がびびる。民主主義の重要
な柱のひとつ、情報の為に。

これは埋込み型のフィルムである。軍隊の内部にはめ込まれるジャ
ーナリストとの想像上の意見交換で見えてくる「救急車の内部に埋
め込まれる」ことで私たちは解決した。一人残らず彼らが報道した
い側を自由に選択できる。けれども判断には往々にして偏見がある
ものだ。撃って傷つけて殺すことが仕事の連中より、負傷者の救助
に従事する一般市民のほうが状況の正しい見方をはるかにありのま
ま提供してくれるものと私たちは判断した。私たちは軍人と言うよ
り衛生兵の方を好む。私たちは武器を持った連中より武器を持たな
い救助者の勇敢の方を好む、また興味深くはあるが、殺すため入隊
する人の経験談を道義上拒絶できる。それは焦点(的を絞る)にか
かわる問題だ。恐怖やトラウマ、選択の自由のある連中の反論に私
は関心がない。故国にとどまる選択の自由や戦争反対と唱える選択
の自由だ。

http://www.informationclearinghouse.info/article25972.htm

△ Alberto ArceとMohammad Rujailahによる、ドキュメンタリー
フィルム「To Shooting an elephant」と、もっと詳細な記事につ
いては、以下のサイトからご覧になれます。
http://toshootanelephant.com/


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