■連邦捜査官はなぜハワード・ジンのような思想家を怖がるのか■
Truthdig 3 August 2010 by Chris Hedges

月曜、私は刑務所の収容者にアメリカ歴史学の授業の最終学期を教
えるつもりだ。私たちは、5週間かけてハワード・ジンの「民衆の
アメリカ史」を読んだ。授業は刑務所の地階の小部屋で行われる。
生徒まで達するのに、私は金属探知器を通り抜け、守衛に軽くたた
かれ、3対の鉄のゲートを通り抜ける。私たちは、カリブ諸島やア
メリカ大陸におけるスペインの先住民大虐殺、アメリカ合衆国の独
立戦争とネイティブアメリカン(アメリカ先住民)の恥ずべき大量
殺人を講じてきている。私たちは、奴隷制度、アメリカメキシコ戦
争、南北戦争、キューバとフィリピン島の占領、ニューディール政
策の実行された時代、2つの世界大戦、人種差別の遺産、アメリカ
社会を感化し続ける資本家の搾取と帝国主義を検討してきている。

私たちは、ハワード・ジンがしたように、アメリカ先住民、入植者、
奴隷、女性、組合幹部、迫害される社会主義者やアナーキストや共
産主義者、奴隷制度廃止論者、反戦活動家、市民権指導者、そして
貧乏人の目からこれらの問題を見ようとしてきている。ソジャーナ
ー・トゥルース、チーフ・ジョゼフ、 ヘンリー・デイヴィッド・ソ
ーロー、フレデリック・ダグラス、W.E.B ドゥ・ボイス 、ランド
ルフ・ボーン、マルコムXまたはマーティン・ルーサー・キングに
よる一節を声を出して私が読み上げていたとき、生徒たちが「くそ
っ!」とか「オレたちの現状だ」と、ぶつぶついうのが聞こえる。

この数週間ずっと私が綿密に観察してきている、大半がアフリカ系
アメリカ人の若者の目を、貧乏人のみじめさやエリートの食い意地
と特権を永久のものにする彼ら自身の歴史と構造に向かって広げる
ハワード・ジンの学識の知力は、なぜFBIが彼のことを脅威とみなし
たかを説明する。7月30日、FBIはハワード・ジンに関する423
ページのファイルを公表した。

今年1月、87歳で亡くなったジンは、暴力も政府打倒への肩入れ
も弁護しなかった、いくつか折に触れて彼は若干FBI尋問官に話した。
彼はどちらかと言えば、なんと本物の知性の考えが常に破壊活動分
子であるかの見本だった。政治と経済構造はもちろん、常に有力な
仮説にいどむ。それは激しい良心の自律と個人の勇気に基づいてお
り、「政略」としてエリート権力者層によって一様に汚名を着せら
れる。激しい革命家か共産主義者だからではない、恐れ知らずで本
当のところを話すという理由で、ジンは脅威だった。

FBIファイルの冷淡で退屈なページは1948年から1974年に
及ぶ。ある時点で5人の捜査官がジンを追跡するのに割り当てられ
る。捜査官らは情報を要求する雇い主、同僚、管理者に通話を繰り
返した。ジンは1度も犯罪に手を下す容疑をかけられることはない
が、結局、ジンを重要な危険人物と呼ぶ。ジンの活動に私的興味を
持ったJ. エドガー・フーヴァーは1964年1月10日、もし国家
の非常事態であったなら、すぐにジンを逮捕して拘留するのを捜査
官に許す格付けの「保留目録セクションA」にジンを含める覚書き
を作った。サミ・アル・アリアン(Sami Al-Arian )医師からFahad
Hashmiまで、イスラム教徒の活動家たちは何も変わっていないと告
げ口してよい。

ファイルは、私たちの国家安全保障状態の荒唐無稽(ばかげた事)、
消耗とつまらなさをさらけ出す。おまけに、私たちの治安機関が、
良くも悪くもない、もしくは発育不全の知性、疑わしい道徳観、わ
ずかな常識しか持たない連中を雇う方を好むのを表すように見える。
例えば、情報提供者によって当時のFBIフーバー長官に送られる何や
らハワード・ジンについて書かれた、誤ったつづりで仕上げるこの
手紙の逸品だ。

「インディアナ州ミシガンシティの歯科医を訪れていた間に」と情
報提供者は書いた。「このパンフレットが私のクルマに置かれる、
それであなたに郵送している、DOVE(平和主義者)の呼びかけで
HOCK(タカ派のHAWK)の呼びかけでないのを認める。ここ数年、
私たちの領域に移り住むいくらかの民族集団がいた。私たちは一戦
交える!また、このパンフレットは政府の目標地点に役立ちそうも
ない。」

あるいは、捜査官とドリス・ジンと識別する何者かの間の引き合わ
せはいかに。捜査官にジンの姉だと話すドリス・ジンは適当な口実
のもとに聴取される。弟はブルックリンのアメリカ労働党本部に職
があると彼女は認める。それが記録される有益な全情報だ。真相は
ジンには取調べと捜査官が持ち歩く口径に機会を提供する姉妹はい
ない。

ジンは自発的に密告はしない、ジンとの追加の面談が現在の彼の態
度を変えたりしないと彼らが認めたという点で未遂の、情報提供者
としてジンを雇うへまな企ての報告を、1953年11月、FBI捜査
官は書き立てた。1年後、さらに尋問のあとに「他者の政治的見解
に関して、どのような状況にあっても証言するつもりも情報を提供
するつもりもないと述べることで、ジンが面談を締めくくった」と
捜査官は記録した。

1950年代の反共主義者の魔女狩りで協力するのをジンが断固と
して断ると同時に、学長と大学の理事たちは、知性と道徳の自主性
を発揮するジンのような人たちの教室をパージ(粛正)するのに慌
ただしかった。教授や初等学校と高等学校の先生、公務員の広範囲
にわたる首切り、とりわけ依頼人のために擁護してきた組合の民生
委員が粛然とクビにされた。疑わしい"アカ(共産主義者)"の名前
が、FBIの"責任プログラム"のもとに経営者や学校当局に手渡された。
やり玉に上がった人たちが仕事を失う目にあうのは、ほとんど全部
が従った公共機関の義務だった。めったに聴問会(審問)はなかっ
た。被害者は言われているどんな証拠も目にしなかった。彼らは通
常、不意に終わりとなった。ブラックリストにある人たちは実際上、
彼らの職業から締め出された。1万から1万2000の人々がこの
方法によって懲らしめられたと歴史学者のEllen Schreckerは概算
する。

FBIはジンにつきまとい、全く無意味で陳腐なものを集めるため、彼
らの容疑者に関する新聞記事を念入りに切取って幾年もムダに過ご
した。ジンの隣人のひとり、Matthew Grell夫人は1952年2月
22日にジンと別の隣人Julius Scheiman夫人を「どちらも共産主
義者か共産主義のシンパ」だと思うと捜査官らに言った、そのわけ
は、Grellが「Scheiman夫人のアパートでDaily Workersのコピー
に気づき、Scheiman夫人がハワード・ジンの良友だったのに注目
した」からだと捜査官らは書き記した。

ジンが何やら再三再四否定した、共産党の元党員としてジンを記述
するFBIは、歴史的に黒人女性の大学のスペルマン大学で教師をして
いたジンが公民権運動に打ちこむようになったとき、その監視にあ
りついてきたようだった。ジンは学生非暴力調整委員会(Student
Nonviolent Coordinating Committee)に尽くした。公民権を求め
てデモ行進するため、彼は教室から学生を連れて行った。スペルマ
ン大学の学長は喜ばなかった。

「私は不服従のせいで解雇された」とジンは記憶をたどった。「そ
れはたまたま本当になった。」

1962年、ジンは、黒人の「憲法の権利の地元警察による明らか
な侵害」を非難して、「FBIはニグロ市民のためにただ1つの逮捕も
達成してきていない」ことに言及した。ジンの言葉はジンの態度が
先入観を抱いて偏っていることを付け足したと捜査官は記録した。
1970年、ボストン警視庁の前で行ったブラックパンサーの党首
ボビー・シールの解放を求める集会でジンは主役の演説者だった。
「私たちが警察署でデモをしたいい頃」とジンが群衆に語ったのを、
明らかにボストン大学で彼と一緒に働いた情報提供者によって言い
つけられる。「あらゆる国の警察が障害だ、アメリカ合衆国は例に
漏れず。」

「アメリカは長い事、警察国家だった」とジンは続けた。「警察官
は銃を持つべきではないと私は信じる。彼らは武装解除されるべき
と私は信じる。銃を持っている警察官は地域社会と彼ら自身にとっ
て危険である。」

ボストン大学の歴史学教授として彼の勤め口からジンを解雇させる
キャンペーンに、誰とも分からない大学の情報源をどんなふうに手
伝ってはめ込むかに関して、捜査官らはファイルの中でつぶやく。

「ジンをボストン大学から排除させようと努力して、ボストン大学
理事評議会(BU Board of Directors)の会合を要求する企てをほの
めかした。排除の尽力を後援しようと努力して、ボストンは支局の
許可と共に表題を付ける計画のもと、1968年1月31日のハノ
イへの旅を含めてジンの多数の反戦活動に関して表向きの出典デー
タを与えるつもりである。」

戦争の捕虜3人を国に連れて帰るため、ジンと急進的なダニエル・
ベリガン神父は1968年1月、一緒に北ベトナムに旅行していた。
旅はFBIによって綿密に監視された。この旅についてフーバーは、大
統領や国務長官、CIA長官、防衛情報局長、陸軍省、空軍省、ホワ
イトハウス司令本部に暗号化されたテレタイプを打った。そして後
で、ベリガン神父が草稿文書を処分したせいで刑務所に入れられた
あとに、ジンは公開の集会の席で再三再四、神父を擁護して戦った。
FBIの著名人がちらほら出席した。ジンが、ベリガン神父と弟のフィ
リップを慰問するためコネチカットのダンベリー連邦刑務所に通う
とき、FBIはジンを監視した。

第二次世界大戦で爆撃手だったジンは、1972年に「大量殺人が
起こる」のがまあ戦争だと言った、ファイルによれば、「人々が分
裂してよく考えないからだ... 政府が国民に奉仕しない場合、その時
は政府に従って行動するのは当然ではない... 愛国的であるために、
人は多分政府に反抗しなければならない。」

『ペンタゴンペーパーズ』のコピーをジンとノーム・チョムスキー
に預けたダニエル・エルズバーグの裁判でジンは証言した。ニュー
ヨークタイムズ紙に載った項、ベトナム戦争に関しての秘密文書を
1971年に発表された4巻になるまで2人の学者が編集した。

「『ペンタゴンペーパーズ』陪審裁判を通じて、ジンは、ベトナム
戦争は特殊利益集団を熱中させた戦争で、アメリカ合衆国の防衛で
はないと述べた」とFBIファイルにはある。

ファイル終了によって、ジンは完全な敬意をさらい、彼に付きまと
って監視したFBIのおどけたろくでなしは極度の不愉快をかっさら
う。国内の治安機関の大規模な拡大によって事態が改められたと考
える理由はない。今では、アメリカ合衆国至るところ約1万の所在
地に、報復テロ行為や国土安全保障や諜報に関するプログラムを手
がける1、271の政府組織と1、931の民間企業があるのを、
デーナ・プリースト(Dana Priest)とウィリアム・M・アーキン
(William M. Arkin)による調査でワシントンポスト紙が報じた。
これら機関は推定85万4000人を雇い、その人たち全員が最高
機密の保全許可を保有するのを、ポスト紙が見つけ出した。また、
2001年9月以来、ワシントンD.C.と周囲エリアに最高機密情報
業務のため33のビル集合体が建設中かまたは建築されてきている。
続けて、それらはペンタゴン3個分かアメリカ国会議事堂22個分
に相当する約1700万平方フィートを占有すると新聞は報じた。

私たちは秘密ファイルの未曽有の量に驚かされ、ジンに向けられた
のと同様、ばかばかしくて役に立たない広範囲の監視といやがらせ
を遂行することに驚かされている。そしておそらく今後数十年、幾
万もの単位で密かに私たちに紐解かれてきている最新世代の調査員
の仕事ぶりを私たちは検討することができる。ジンを追跡した捜査
官はだれでも、いかに時間の浪費だったかこれまでに実感したか?
ジンに対してそうだったように、上流階級(エリート層)をすっぱ
抜こうとした人たちからエリートを守るのに加えて、彼らの最重要
目的がテロリズムを未然に防ぐどころか社会運動の信用を失わせて
消滅させることであるのを、彼らは理解したか?

ジンの本は私の非常に窮屈な教室で尊敬される。この男たちが、勢
力のある連中によって売り歩かれる人種差別、貧困、虐待、ウソ(作
り事)を個人的に心得ているという理由で、本は尊敬される。ジン
は彼らの意見や彼らの祖先の意見を記録した。私の生徒たちはこの
せいでジンを尊敬する。もし私たちが力のない彼ら、差別や虐待を
経験する彼ら、当然の報い(正義)のため奮闘する彼らの話に耳を
貸さないなら、特権階級の利益に尽くす作られた神話を受け売りの
まま残してしまうのをジンはわかっている。ジンは神話(作り話)
ではなくて歴史を書き記すことに乗り出した。そして、この神話の
内部を崩壊させて取り壊すときが希望の発端だと、彼にはわかって
いた。

「もしもあなたが先住アメリカ人だったなら、コロンブスとヒトラ
ーの間にどんな違いがあっただろう?」と、先だって私の生徒のひ
とりが質問した。

(Progressive Journal of News and Opinion 
編集者:Robert Scheer 発行者:Zuade Kaufman)


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