■ オバマの世の不公正■アルジャジーラ
20 October 2010  by シンディ・シーハン

元法学教授のバラク・オバマには市民的自由の権利に健全な敬いが
あるはずなのに、彼の行動はそれを思い起こさせません。

イラクとアフガニスタンの占領に抗議して私が逮捕されたあと6つ
の裁判で被告になって以来、警察当局がウソをつくというのが私の
経験です。それだけ。

けれども、シャバの法律上の執行レベルでウソはやみません。大量
破壊兵器(WMD)やコネクションに関するウソからアルカーイダま
で、いわゆる権威筋、ペンタゴン(国防省)、国務省、CIA、FBI、
大統領執務室までの上から下までずずっと、ほとんどすべての機関
がウソをつきます。なにも軽いウソではありません、とても重大な
ウソ、罪のない人の生命の破壊の原因になる最大のものすごーーい
(Mother of all BS)ウソです。 「政府はウソをつく」と宣言した
とき、I・F・ストーン(*アメリカの急進派ジャーナリスト)は断然、
最も物事をわかった人でした。米司法の恥辱の殿堂というヘタな模
倣に祭られなければならない事例を今はもう調査したいとは思わな
いというのを明快にしてきています。

今年2月、パキスタンの3人の子どもの母、アーフィア・シジキが、
「アメリカ人の殺人未遂」という2つの訴因を含めて7つの訴因項
目で米連邦裁判所で有罪を宣告されました。9月23日、シジキ博
士に向かってむき出しの偏見を表したバーマン判事は、彼女に86
年の実刑を宣告しました。

MITとブランダイスで教育を受けた認知神経科学者、シジキ博士に
ついてのウソのタペストリーはブッシュ政権の間に織り込まれまし
たが、彼女の裁判のあいだ完全に維持されて今年、オバマの司法省
によって宣告されます。

2001年9月11日の前には、アーフィアはやはりパキスタン人
の夫と2人の子どもと共にマサチューセッツに住んでいました。す
べての報告によると、子どもたちのためにあそびのステージを主催
した彼女はそっと神をうやまうイスラム教徒(当地合衆国ではまだ
犯罪ではありません)でした。誰にでもは言うまでもなく何にでも
全く危害をもたらさない彼女は一生懸命に学習して模範的な成績を
保ちつづけるすぐれた学生でした。

9月11日のあとに、彼女が三人目の子どもをはらんでいたとき、
彼女のイスラム教徒の子どもたちに対する反動を避けるため、夫を
励ましてパキスタンに戻る気にさせました。あれ以来この国で唯一
増大してきているイスラム教徒への病的恐怖を考慮すれば、それは
非常に先見の明のある考えでした。

・苦悩に満ちた"事実"

パキスタンへの引っ越しの後にシジキ博士とご主人は離婚しました。
当然のことながら彼女の人生は後に恐ろしい方向に向かいました。
9月11日の策略の主謀者と推測されるハーリド・シェイク・マホ
メット(KSM)が一カ月に183回CIAによって水責めにされてい
た間に、彼はアルカーイダのメンバーとしてシジキ博士の名を言っ
てしまいました。これは盗んで得た身元情報の事例だったのか、あ
るいは拷問を止めようとしたあなたや私のようにマホメットが適当
な言葉を吐かされただけなのか?

アーフィアがKSMの甥と結婚していたとのいくらか論争となってい
る"情報"があります、せいぜい微々たる申し立てであって、たとえ
そうでも、神聖化された米国の法律制度では相手にされない関連に
よる自責の念です。

KSMの拷問がもたらす"洞察力"に引き続いて、シジキ博士は、ブッ
シュの司法省によって世界中で最も危険な7人のアルカーイダ工作
員のひとりとしてリストに記載されました。3人の子どもの母は、
瞬間に人の認知的な人格を"薄くスライス"する致命的な能力を搭載
します。言い立てられた関連と神経心理学の有益な関心が"テロリス
ト工作員"の決定的なおりがみであるならば、それならマルコム・グ
ラッドウェルはむしろクレインやプール、シュミットに相当に電話
することに取りかかります。

・ウソの文化

直視しましょう、9月11日以来、多数の無害な個人の捕獲と拷問
へと追いやる幾多の正しくないテロ警戒警報やウソがあったのを、
そしてアブグレイブがもとで証明しているように憎むべき取り扱い
があったのを、私たちはみな知っています。その上に、マルチ戦争
犯罪人のコリン・パウエルがまちがった情報によって"バカにされた
"と私たちはひどく信じることになっていて、国連での彼の偽証によ
ってイラク侵略への道を開いたほかは、彼らがシジキ博士のような
他者についてうそをつくとき、私たちはまた無条件に米諜報機関を
信じることになっています。

とにかく、手短に言えば、奇々怪々なシナリオで、シジキ博士と3
人の子どもたちは2003年から2008年の5年間、姿を消しま
した。そして当時11歳の長男と一緒にアフガニスタンのGhazni
に再浮上します。行方不明だった5年間、彼女はいろいろなパキス
タンと米国の刑務所で拘束されて、拷問を強いられ繰り返しレイプ
されたと主張しました。イヴォンヌ・リドリーを含めて多数の捕虜
(囚人)が、少なくとも行方不明の5年のある程度は彼女がバグラ
ム空軍基地で監禁され拷問を強いられたと主張します。

シジキ博士が浮上したあとに、彼女は逮捕され、4人のアメリカ人
(軍人2人とFBI捜査官2人)が慌てて通訳を通じて彼女に"尋問し
た"、アフガン警察署に移されました。FBIと軍は、彼らが片端にカ
ーテンのあった部屋に向かったと主張します、そして向こうのカー
テンのベッドでシジキ博士が眠ったような状態で横たわっていたの
を識別できなかったと主張します。以下を読むとき、どう見ても両
方ともの機関から関係した職員がまったく彼らの話をでっち上げた
のが露骨になります。

これはアメリカ人のバージョン:彼らが部屋に入ると、軍の男のひ
とりが彼の武器を置いたと言った(彼らは世界中で最も危険な人々
の最上位のひとりを尋問するためそこにいたことを忘れないでい
て)、するとシジキが立ち上がって武器を奪った、わいせつなこと
をわめいて彼女は「アメリカ人を殺し」たがった。全員が武器を発
砲しようと持っていき彼女はライフル銃を2度発砲した、そして狭
い部屋の中で一人残らず当て損なう、その実、これまでにライフル
が正常な位置に戻されてから一発の弾もなかったので、彼女は壁、
床、天井すら当て損なった。

それからアメリカ人のひとりが"正当防衛"で彼女の腹に2発撃ちま
した。それどころか、彼女の指紋が武器にまったくなかったのが裁
判で示されました。その日唯一発見された銃弾はアーフィアの身体
の中でした。9月11日以来、軍のひた隠し(隠蔽)の話について
私たちはどれほど聞いてきているか?私はすぐになんなく2人のこ
とを思いつくことができます:パット・ティルマン(実は味方の誤
射で死亡したNFL元スター選手)とジェシカ・リンチ(イラクでロ
ケット弾攻撃に遭い軍によって英雄にされた元女性兵士)

・救いがたい不公正

アーフィア博士の側はこうです:逮捕されたあとに彼女は再び折檻
されて、彼女がいた部屋で話しているのが聞こえたときベッドで眠
っていた、それで彼女がベッドから出ると、「あーあ、彼女はたる
んでる!」と誰かが大声で言った。その時、彼女は撃たれた、意識
がもうろうとしていたとき、彼女は別の人が「我々はこれによって
職をなくす可能性もある」と言うのが聞こえた。

彼女が何であれ武器を発砲した証拠は1つもないと言っても、彼女
は陪審によって有罪とされて前述の86年の刑を言い渡されまし
た。 存在する証拠がハーリド・シェイク・マホメットの故に拷問を
強いられたことだけなのに彼らが気づいたという理由で、連邦政府
機関がシジキ博士に対して"テロリスト"の罪状を追い求めなかった
のは興味深くはあります。それで彼らは文字通りに暴行と殺人未遂
の罪状を押しつけるため、彼女を寄ってたかっておどしました。

たとえシジキ博士がアメリカ人をねらって撃たなかったとしても、
これから述べることをよく考えてみましょう。仮にこの事例が、類
似の情況下のパキスタンでISIによって捕らえられ幾度も拷問を強
いられたベティ・ブラウン博士というアメリカ人女性に向かって試
みられたとして、女性が自分を捕える人をねらって撃つならばいつ
もヒーローになるここの状況の故に、悪魔のようにされないし、彼
女から人生や子どもたちを奪い去ったりしません。アーフィア・シ
ジキ博士は政治犯で、目下のところ2つの米政権にとって政治的な
悩みの種の女性であると私は信じます。

パキスタンでは、彼女の評決と判決を下すことへの反響が、わかり
きった大量の抗議を引き起こしました。アメリカ国旗とオバマ人形
を燃やしてシジキ博士を本国へ送還することをパキスタンに要求し
ます。彼らは真犯人が誰か、誰が一生投獄!されなければならない
か知っています。今のところヒラリーの国務省は"ソフトパワー"と
外交的手腕についてくどくど繰り返して言います、このような場合、
相当な注意と整合性(正直)を使って努力する以上に、イスラム教
の世界で米国の不審を抑えるよりよいやり方はありません。

米国では、この真相について知っている国民は必ずしも多くはあり
ません。言うまでもなく、多くの国民がオバマ広報マシーンにつぎ
込まれる巨万のお金によってHopeに気づかされました、そして彼の
政府はブッシュ時代のアウトローよりむしろいつも透明で合法的で
あると彼が言ったとき、信じました。

彼らは判断を誤ったと思います。


シンディ・シーハンは2004年4月4日イラクで殺害された特
技兵ケーシー・A・シーハンの母です。あれ以来ずっと、彼女は
平和と人権を求めて疲れを知らない活動家であり、5冊の本を出
版して、彼女自身のインターネットラジオ番組<シンディ・シー
ハンのソープボックス(街頭演説)>を持ちます。彼女は過去に
ノーベル平和賞候補に挙げられたことがあります。シンディは、
カリフォルニア州オークランドに住んでおり、余暇に3人の孫
(赤ちゃん)に時間をかけるのが大好きです。

△原文はここに↓あります:
http://english.aljazeera.net/indepth/opinion/2010/10/20101016133711604162.html


*アメリカの急進派 I・F・ストーンの生涯とその時代:

「急進派ジャーナリスト」を自称したI・F・ストーンは、20世紀
アメリカを代表する調査報道ジャーナリストでした。学問的ともい
えるような緻密で徹底した調査手法でスキャンダルを鋭く暴く独特
のスタイルによって、アメリカの報道界に大きな影響を残しました。
60年にわたる活動期間を通じて取り上げた問題は、ニューディー
ル政策から、第2次世界大戦、マッカーシズム、冷戦世界大戦、イ
スラエル・パレスチナ問題、公民権運動、ベトナム戦争と多岐にわ
たります。

有名な自費出版の個人ジャーナル「週刊I.F.ストーン」を始めるき
っかけになるのは、マッカーシー時代の言論統制の中で、公的医療
保険の導入を阻む医療業界のボスを果敢に批判したためマスコミか
ら追放されたからでした。マスコミによる言論統制の結果は、先進
国で唯一、今日に至るまで公的医療保険制度を持てない不幸な米国
市民です。このことは、ストーンのよう急進的な言説を主流メディ
アから排除することがいかに危険なことかをよく物語っています。

たった一人で4000部から出発した「週刊I.F.ストーン」でした
が、最盛期の1960年代には約7万部の発行部数を記録するまで
になりました。しかし、そのあいだ中ずっとストーンにはFBIの尾行
がついていました。

(デモクラシーナウ!より)
http://democracynow.jp/submov/20090618-1


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なっています。こちらもごひいきに。

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