わずか18日間でエジプト人に自由という尊厳を取り戻させたエジ
プト民主化運動で決定的働きをしたのが、総人口の約半数を占める
と言われる24歳以下のユースだった。

とりわけ、2月7日釈放後のTV出演で、これまで抗議デモに一度も
参加しなかった人々を激しく動かしたグーグルの社員(北アフリカ
マーケティング責任者)ワエル・ゴニム(またはワエル・ゴネイム)
はヒーロー的存在になった。

2月13日朝日新聞(*1)によると、ワエル青年は匿名で立ち上げ
たフェイスブック上のグループ、「ハレド・サイード連帯」で1月
25日運動を呼びかけ、エジプトに帰国したところを当局に拉致さ
れて留置された。

「ハレド・サイード連帯」は、昨年6月北部アレクサンドリアのネ
ットカフェで身分証の提示や所持品検査を拒否して警察官の暴行に
よって殺害された28歳の青年の名を冠した運動で、圧政による理
不尽な犠牲の象徴となった。フェイスブック上の賛同者は70万人
を超えていた。

もうひとつ、若者主体の民主化運動グループ、「4月6日ユースム
ーブメント」もデモ動員の土台をつくった。2008年4月6日北
部の工場での賃上げストに連帯したデモをフェイスブックなどで呼
びかけたのを原点とするグループだ。中心となる学生たちはその後、
複数のデモにかかわり、一定の経験を積んできている。賛同者の多
くが「ハレド・サイード連帯」と重なる。

(*1)朝日新聞
http://www.asahi.com/special/meastdemo/TKY201102120270.html

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「自由はそのために戦う価値のある恵み」
7日、ワエル・ゴニムがツイッターのアカウントから送ったメッセ
ージ

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カイロのタハリール広場でのデモには、米インターネット検索大手
グーグルの幹部ワエル・ゴニム氏も参加した。同氏はフェイスブッ
クのサイトを通じて反体制派に結束を呼びかけ、初回となる前月
25日のデモの実現に深く関わった人物。その後12日間にわたり
拘束されたあと、7日に解放され、デモに合流した。

群衆はゴニム氏を取り囲み、われわれの英雄だと称賛。同氏が「わ
たしは英雄ではない。英雄はこの広場に残ってデモを続けているあ
なた方だ」と叫ぶと、デモ隊は拍手喝采し、涙を流す人も見られた。

デモ隊は、デモの動員に不可欠なツールとなったフェイスブックや
ツイッターに敬意を表し、両サイトのロゴマークなどを掲げていた。

(引用元:AFP 2011年2月9日)

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グーグルの地域マーケティングマネジャーを務めるゴニム氏はオン
ラインでの抗議活動で役割を果たし、デモ参加者から象徴的リーダ
ーと呼ばれていた。同氏は反政府派リーダー、エルバラダイ前国際
原子力機関(IAEA)事務局長のウェブサイト立ち上げを支援し
たほか、他の反体制派にツイッターやフェイスブックなどソーシャ
ルメディアの活用方法を教えた。

(引用元:ブルームバーグニュース)
http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920008&sid=aJLjFUpLfxz8

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昨年エジプト警察によってぶちのめされて死亡した青年あてのフェ
イスブック追悼が抗議の導火線になったグーグル幹部ワエル・ゴニ
ムは、2月9日水曜のツイッター上に抗議する人たちが今週金曜に
世界最大級の葬儀を計画することを希望していると書いた。

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〜アルジャジーラのライヴブログ 2月8日から〜
 (エジプト現地時間)

午後12時08分:グーグルの中東事業を統率するワエル・ゴニム
(Wael Ghonim)がエジプトの治安部隊によって解放された。
DreamTVで、彼は自分の厳しい試練についてMona al Shazlyに話
しかけた。
そのインタビューをライヴでブログしたツイッターユーザーでジャ
ーナリスト@SultanAlQassemiは、You Tubeのビデオ映像にワエ
ル・ゴニムの放送の彼の翻訳を見つける。
(ビデオはアルジャジーラのこのページで見ることができる)

「ボクは自分の雇い主(グーグル)をだましたのでエジプトの抗議
に行けた。ボクは国賊ではない。誰からも何事も必要としていない。
ボクはヒーローではない。ただキーボードに慣れていただけで本物
のヒーローは現場の人たちだ。ボクはその人たちの名を言えない。
これは人々がお互いに向かって反逆者(国賊)の言葉を利用するチ
ャンスだ。ボクは虐待されなかった、投獄され、拉致された。ボク
は刑務所で幾人か実に聡明な人々に対面した。彼らは本当にボクら
が国賊でよその国のために動いていると考えた。もしボクが国賊だ
ったなら、UAEのボクの家のスイミングプールのそばを離れなかっ
ただろう。なんであれ" Facebook youth(フェイスブック若者) "
と呼ばれる者が1月25日その無数の若者に誘いをかけたと彼らに
密告された。今述べたことが立派な目的を持つ人々が国賊と見なさ
れる場合だ。」

「妻はボクが彼女と一緒に過ごさなかったという理由で離婚するつ
もりだ、そして今度は当局者がボクを国賊と呼ぶ。ボクは明けても
暮れてもコンピュータを使ってわが国のために精を出した。」

「ボクは25日に関して楽観的ではなかったが今はまさしくそのこ
とが信じられない。ボクを刑務所から出そうとしてくれた方一人残
らずのおかげだ。私の父にとって片眼の視力を失うことはひどいこ
とだし、今度はもう一方の視力を失う危険にさらされている。世間
の人がボクのことを思っていると考えたかって?ボクの家族、妻や
父や母は、ボクがどこにいたか知っていたのか知りたい気持ちにな
る。」

「ボクがしたことを誇りに思う。これは恨みを晴らす機会じゃない。
とは言えボクには自分で恨みを晴らしたい人たちがいる。これは全
体を切り崩してイデオロギーを押しつける場合ではない。フェイス
ブックのページの成功に至るまでの秘訣は質問の使い方だった。」

「今日、ボクは内務大臣と会見した。彼はまるでほかの市民のよう
に座っていた。彼はまるで同等みたいにボクに話しかけた。ボクは
それを考慮に入れる。...」

「彼らはボクを公安に運んだ。それは拉致だ。木曜深夜1時、ボク
は仕事の同僚、友人と一緒だった。ボクはタクシーで行った、急に
4人がクルマを取り囲んだ、ボクは"助けて、助けて"と大声で叫ん
だ。目隠しをされたうえでボクは連れ去られた。...」

「内部でエジプトを愛する人間(公安の人間)に対面したが、彼ら
のやり方とボクのとは同じではない。ボクは自分の税金からこの連
中にサラリーを払う。ボクの金がどこに行くのか閣僚に質問する権
利がボクにはある、これはボクたちの国だ。」

「もし事態が快方に向かうなら、あの連中(彼が出会った立派な国
家保安部の人間)が立派にエジプトに尽くしてくれるだろう。ボク
らの状態に我慢するな、ボクらはエジプトに尽くすつもりだ。ボク
は映画監督が平手打ちを食らうのを見た、彼らは"お前はここで死ぬ
ことになる"理由は?と監督に教えた。」

「次に彼らが弱い立場にあるとき、彼らはボクに同調を示したがる。
ボクは英雄ではない、普通の人間だ。ボクにふりかかったことは犯
罪だが、それでもボクを出そうと努めたあの人たちには感謝した。
ボクは教育のある人間だ、ボクには家庭がある。Badrawiはボクに
与党NDPから有害な連中をみんな取り出したと言った。NDPのロゴ
をもう二度と見たくないと彼に言った。」

「ボクのフェイスブックのページには300のニセの登録があった、
全部が申し立てによればボクらがどれだけ利益を得ていたかに関し
て否定的なコメントだった。ボクはページの管理者だったが他の人
はそれに代金を払った。ボクらは夢想家だ。」

「この抗議を組織することでムスリム同胞団の存在はまさかなかっ
た、すべての人々が自発的な有志だった。ムスリム同胞団が一役買
おうと決めた時でも、そうするのは彼らの選択の自由だった。これ
はエジプトの若者のものだ。」

「お願いですから皆さん、うわさはもうたくさんだ。もういい。」

「1月25日抗議について4月6日ユースムーブメント(6th of
April Youth Movemen)のAhmad Maherとチャットしていたが彼
はボクが誰だか知らなかった。ボクの妻はアメリカ人、ボクは米国
の市民権を願い出ることができるが願いでなかった、くじ引きにし
ても。たとえ誰も彼もが離れたがってもだ。ボクらはすべてのエジ
プト人のために尊厳を元どおりにしなければならない。腐敗を終わ
りにしなければならない。窃盗行為はなし。エジプト人は善人だ。
ボクたちは気持ちよい国民だ。皆さんどうか、これは恨みを晴らす
機会ではない。これはわが国をおこす機会だ。」

「刑務所に入ったときふりかかったことをボクが理解していると主
張できない。離れる前日までボクは何も理解していなかった。尋問
官らはアウトサイダー(異国人)が関係していたかどうか知りたが
った。これは全くエジプト人の運動だと、ボクは彼らに確信させた。」

「待遇はとてもよかった、ボクが善良なエジプト人なのを彼らは認
めた。ボクは12日間目隠しをされた、ボクは彼らの顔を見なかっ
た。彼らは詳細、情報を欲しがった。"これを計画した連中は異国人
か?"ボクらはどんな悪事も行わなかった、これはアピールだった。」

「1月25日にボクはエジプト大統領に訴えを書いた。内務大臣に
2つ問題があると言いつけた、1)互いに話さない、これは解決さ
れなければならない、2)信頼がない。エジプトの国営TVチャンネ
ルは事実を描写しない、それが今度は人々が民間のチャンネルを注
意して見る理由だ。」

「ボクと内務大臣と一緒に部屋には数人の男性がいた。"どうやって
これを行ったのか?"と、誰もがボクに尋ねた。内務大臣はボクにほ
んの8日間の大臣だったと教えた。ボクが釈放される前の日に人が
死んだと知らされた」と彼は言った。


(引用元:アルジャジーラ 7 February 2011)
http://blogs.aljazeera.net/middle-east/2011/02/07/live-blog-feb-8-egypt-protests


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