2月20付インディペンデント紙にベテラン中東特派員ロバート・
フィスクが中東全域で進行中の市民の反乱についてこう書いてい
る:

◇ これらは非宗教的な世間一般の反抗だ、それにもかかわらず皆が
皆、宗教を責めている

 ムバラクはイスラム教徒がエジプトの革命を支持したと主張した。
ベンアリはチュニジアで同じことを言った。ヨルダンのアブドラ国
王はアラブ世界全域の市民の反乱の陰に謎めいた邪悪の援助の手、
アルカイダの援助の手、モスリム同胞団の援助の手、イスラム教徒
の援助の手を思い浮かべる。昨日、バーレーン当局は当地のシーア
派の反乱を支持するヒズボラの残虐な援助の手に気がついた。....

 つまり、(今起きてることは)中東の政治、社会、文化の世界の
完全な様変わり(sea-change)である。

 そこの愚かな"専門家"どもが衛星チャンネルに優位を占める、"シ
ンクタンク"やアナリストはことによると全部無視するほうが賢明
だろう。チェコ人が自由を持てるならエジプト人はなぜいけないの
か(自由を持ててよいではないか)? まずはファシスト、次に共
産主義者と、ヨーロッパで独裁者が打倒されるなら、偉大なるアラ
ブのモスリム世界ではなぜいけないのか(打倒されてよいではない
か)? そうとも、ほんのちょっとのあいだ、このことから宗教を
締め出せ。

(引用元:インディペンデント紙)
http://www.independent.co.uk/opinion/commentators/fisk/robert-fisk-these-are-secular-popular-revolts-ndash-yet-everyone-is-blaming-religion-2220134.html

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2月24日付BBCオンラインでつい先頃辞任した駐リビア英国大使、
オリヴァー・マイルズが書いている:


◇カダフィの言葉はどれだけ訳すのに途方に暮れるか

大げさな言葉、芝居がかった話しぶり、彼に反対する"麻薬常用者"
に対するすさまじい出動命令で、今週カダフィ大佐の演説は多くの
テレビ視聴者には気が変で、まあ感傷的とも思えただろう。

けれども、何と荒廃した庭園の小屋のようなところからテレビでラ
イヴで放送する火曜の演説は、早い時間に音楽と花火で浮かれ騒ぐ
市中で大変な群衆を生じさせる。

誇張的文体は私たちにとってダサく、 もはや我々の政治家は下院で
ひと息に8時間縛られて耐えるなんてことはない。だが、カダフィ
氏はリビアを除くアラブ世界を通しておもしろくないジョークでも
ある。

・なんでそうなるか?

アラビア語は豊かで力強い。キリスト教徒にとってもコーランの
所々は詩的でほとんど神秘的だ(その不思議な魅力は通訳するのに
まったく途方に暮れる)。

それはまた、他の点では実に種々雑多なアラブ人を一体にする、た
だ1つの最重要の結びつきでもある。

けれどもそれには問題がある。コーランに基づき教えられる言葉の
形態は文字通りだれの母国語でもない。すべてのアラブ人が国の言
葉を話す。もし彼らに教育があれば、とりわけ彼らの教育が伝統的
であるなら、彼らは正しく話すことを志す、けれどもめったになか
なか成功しない。

従って、文法書からアラビア語を学んできている外国人では、
「あなたは私より上手にアラビア語を話す」がありふれた所見だ。

この点でカダフィ氏はまず努力もしない。主として彼は古代リビア
語の方言を話す、そしてアラビア語の方言はほかの地方出身のアラ
ブ人には十分に理解されない。

礼儀正しい国際社会で使われるのを決して聞いたことがない言葉で
サウジアラビアのアブドラ国王がカダフィ氏をののしったとき、ア
ラブ首脳会議で印象的な出来事があった。恐らく幸運にもリビアの
指導者は理解しなかった、それで彼はアブドラ国王が何と言ったか
当時のエジプトのムバラク大統領に尋ねた。

ムバラクが応じようとしたときマイクロフォンはスイッチを切られ
た。

あなたが生まれも育ちもリビアでない限り、カダフィ氏はやはり理
解しづらかった。彼は数年前に直接の衛星リンクによってロンドン
東洋アフリカ研究学校(London School of Oriental and African
Studies)で彼のお気に入りのテーマ、パレスチナに関して演説し
た。

彼の解決策は、イスラエルとパレスチナを治めるひとつの国家で、
Isratineと名付ける、もちろんそれはイスラエル人とパレスチナ人
を共に激怒させる。

・ベドウィンの素性

音声伝送はお粗末だった、そしてヘタな通訳がカダフィ氏と同時に
しゃべっていた、つまり結果は90%不明瞭だった。しまいに会議
の議長がうだうだくどくど聴衆に謝って私に助力を求めた、そして
リビアの指導者がなんと言っていたか要約するよう私に勧めた。幸
いにも私は彼の理論を調べていたので滑り込みセーフで間に合った。
そんな出来事から国際的な理解が生まれた。

カダフィ氏の本人自らの流儀は彼のベドウィン(砂漠の流浪の民)
の素性から成るのが確認できる。ベドウィン人にはたくさんの時間
があり、だれでも話しかける人がいる時はいつでもわんさか話す。

彼は決まってひと息に3時間も4時間もしゃべり立てる。

それに付け足すと、40年かそこいらのあいだカダフィ氏にだまれ
と言いつける者が周辺にだれもいなかった。彼は草稿なしに話して
何はさておき頭に浮かんだことを話す。

ああそうそう、先年、私は彼の従兄弟のひとりと話し、常に激しや
すくほとんどいつも反西側諸国で反資本主義のリビアの指導者の演
説がリビアに投下資本を引き寄せようとしていた彼の尽力を蝕んだ
と述べる。彼の閣僚は自分の方針のために彼が引き起こすダメージ
を繕うため身を粉にして働かなければならなかった。

彼の従兄弟はほほえむと彼の秘書が記録できるように私の意見をも
っとゆっくりと繰り返してくれるよう頼んだ。

カダフィ氏の最も目立つ特性のひとつは不意をつくことが大好きな
ことだ。アディス・アベバでの演説で彼は人種差別だと分かったこ
とのせいでエチオピア人を非難した、そしてアフリカ同盟の官僚を
アラブ人どころではないので詰め込むとして彼らをとがめた。

「もしあなたがその方針を変えないなら、私はリビアをアフリカか
ら連れ出してヨーロッパに引き返させよう」と彼は言った。

思うに、もし本当に感傷的でないなら、火曜日の彼の演説は死に物
狂いだっただろう。けれども私が思うことは要点ではない。演説は
彼の支持者と潜在的支持者に向けられた、そしてうまくやっつけて
いるような気がする。

ところで、荒廃した庭園の小屋は1986年彼を殺すための企みで
アメリカのミサイルによって攻撃された彼の一族の自宅だった。
あれ以来、そこはお偉い客人の観光用一巡りで義務づけられている
アイテムになってきている。

 

(引用元:BBC NEWS)
http://www.bbc.co.uk/news/world-africa-12566277

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△アメリカの1986年のリビア爆撃で民間人15名とカダフィの
1歳3カ月の養女が死んだ。また、1988年のスコットランド上
空におけるパンナム機爆破事件はこの爆撃の報復とされている。
(引用元:ウィキペディア)



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