9月1日に起きた北オセチアの人質事件。ベスランの悲劇の現場、学校
体育館の天井に仕掛けられた爆弾は、犯行の数日前に仕掛けられたもの
とロシア当局は言明している。ところで、ベスランはカフカス地方随一
の軍事基地のある町で、規制が厳しく、イングーシ人、チェチェン人の
就労を一切認めていない町だ。このことは、占拠グループが実は地元の
オセチア人だったのではないかという説の補強材料になる。また、ここ
に一見してわかる容貌のアラブ人、黒人が、容易に立ちいれない町であ
ることも明らかだ。(chechenpress.info)

ロンドンにいるアフメド・ザカーエフ、チェチェン文化出版情報相は、
BBCとのインタビューで、ロシア軍の体育館突入直前に交わされた北オ
セチア大統領、ジャソーホフとイングーシ前大統領、アウーシェフとの
電話会談の中で、アウーシェフが26人の人質を引き取りに体育館に入
った際、「占拠グループの中に一人もチェチェン人はいなかった」と語
っていたのを明らかにした。ザカーエフは、「この事実は、北オセチア
大統領も承知していることだ。彼はこの件について沈黙しているが」と
も語った。(ChechenWatchより)
http://www.kavkazcenter.com/russ/article.php?id=25520

ロシアの新聞ガゼータによれば、ベスランでの死者は600人を超す。
ベスランでは猛烈な報道規制が敷かれ、医療チームは缶詰にされ、親族
との接触も禁じられた。彼らの携帯電話はすべて取り上げられ、使用不
能にされた。また人質の家族は、病院に収容されている親族を見舞うこ
とも禁じられている。生存者名簿にない家族の死体確認も、自由に行え
ない異常事態が発生している。死傷者の数を伏せたいという当局の激し
い意志が働いているようだ。携帯電話を回収される前に集めたガゼータ
の数字では、死者の数は600人に達する。また死体を見た医師によれ
ば、多くの女性の死体には背後から撃たれた銃創があったとのことだ。
http://www.gazeta.ru/firstplace.shtml

▼ロシア政府に情報操作疑惑▼中日新聞 05 Sep 2004

ロシアのプーチン政権は、特殊部隊が突入した北オセチア共和国の学校
占拠事件で、1270人という推定できる人質の数を三分の一に満たな
い354人と発表、発生当初から情報操作を行っていた疑いが浮上して
いる。

人質事件が発生した9月1日は、入学式と新学年の始業式で大半の生徒
が親と一緒に登校していた。ベスラン市の第一小・中等学校の生徒数は
895人、教員数は59人で、合計954人。親を含めれば当時、かな
りの人数が校内にいたのは明白だった。当局発表は、事件発生の際、多
くが脱出に成功したかのような印象を与えていた。

翌日、当局は公式の人質数を「354人」と発表、脱出した親からの聞
き取り調査を根拠にしたと説明した。

プーチン大統領は現場に急遽、内相と連邦保安局長官を派遣したが、こ
の二人の動向は不思議と報じられていない。ただし、政権側が予想外に
多かった人質数に衝撃を受けた可能性は十分考えられる。犠牲者発生が
避けられない強行突入では、死者を人質数の10−15%程度に抑えら
れるかどうかが、作戦の成否の分かれ目となる冷徹な世界。政権非難を
抑えるために死亡率を低く抑える「操作」疑惑は、2年前のモスクワ劇
場占拠事件でも指摘されていた。

今回の突入は武装集団が発砲を始めたため「予期せぬ形で発生した」と
治安当局者は口をそろえる。誤算のひとつは「市民も武器を手にゲリラ
への攻撃を始め、特殊部隊の効果的展開を妨げた」と現場の治安部隊ト
ップが語っていること。いたずらに死者を増やし、大混乱の中で、結果
的に抑えていた人質数も明るみに出てしまった形だ。

一方、事件発生翌日の2日、チェチェン問題での政権批判で有名なロシ
ア人女性ジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤが、移動の機内で
お茶を飲んだ直後、食中毒症状で重体に陥り、病院に収容される事件が
発生。反政権で知られる別の記者バビツキーも現地入りを目指し、モス
クワの空港で移動を阻止された。

▼Анна Политковская▼ChechenWatch
アンナ・ポリトコフスカヤ

戦争によって閉ざされたチェチェンに、一人のジャーナリストが何度も
分け入り、翻弄される人々のことを書き記している。彼女の目に映った
この悲惨な戦争は、私たちの手でくい止めなければならない。だから、
この記録を読み、それを広めることから始めよう。書き手の名はポリト
コフスカヤ。ロシア人だ。

アンナが危ない!!

あってはならないことが起きている。占拠武装グループに交渉人として
指名されたレオニード・ロシャーリ医師に同行しようとしたノーバヤ・
ガゼータ紙の評論員アンナ・ポリトコフスカヤは、ロストフに到着直後
急に体調を崩し意識不明となった。彼女は、ロストフ中央病院救急セン
ターに収容されているが、同院の診断では服毒による急性中毒。ノーバ
ヤ・ガゼータ紙は、スタッフを何者かに毒殺された前例があるので、計
画的に毒を盛られた可能性もあるとしている。彼女は前日より食事を全
く摂っておらず、ロストフ行き機内で出されたお茶しか飲んでいなかっ
た。他にも、ラジオ・リバティーのアンドレイ・バビツキー記者が、露
骨に移動制限を受けている。(2004.09.03現在の情報)

▲「チェチェン やめられない戦争」: NHK出版

ロシアの記者、アンナ・ポリトコフスカヤの「チェチェン やめられない
戦争」がついに翻訳出版された。彼女は、ロシアの新聞「ノーバヤ・ガ
ゼータ」の記者。第二次チェチェン戦争が始まったとき、仕事でチェチ
ェンを取材してからというもの、チェチェンへの関心は彼女の胸から拭
えない。チェチェンはロシア政府によって封鎖され、外国のジャーナリ
ストが自由に取材できない。だが、彼女は煩雑な手続きに耐え、毎月の
ようにチェチェンに行っては戦争の現実をそこに住む人々から聞き取っ
てきた。空爆と地上戦によって荒廃しつくしたチェチェンの土を踏みし
め、ときには彼女自身がロシア軍に拘束され、「おぞましく、割愛する
しかない」ような扱いを受けながら。
http://chechennews.org/chn/0428.htm