アメリカが1000人の息子や娘の死を嘆き悲しむ一方、イラク人死者
の数は2003年3月以来、3万人に達している。今年4月以降だけで
3186人の一般市民が殺害され、9月9日にはイラク北部の町モスル
近郊、タルアファルで少なくとも45人が死亡。ナジャフではここ3週
間の交戦で少なくとも1000人の市民と暴徒が殺害された。イラクは
どこもかしこも暴力と無法の地に変わり果てている。

ニューズウイーク最新号の世論調査が、今もなおアメリカ人の42%が
サダム・フセイン政権が911のテロ攻撃に直接関与したと信じている
のを明らかにする。

▼ケリーが勝てばリスキーだ▼Washington Post 08 Sep 2004

ここにきてブッシュ・キャンペーンが民主党大統領候補へのすさまじい
攻撃をエスカレートさせるとき、チェイニー副大統領が7日、ケリーが
選ばれでもしたら「私たちがまたテロリストに攻撃される危険の原因に
なる」と予告した。

デスモイネスでチェイニーは、ケリーにゆだねられた国はもっと攻撃を
受けやすくなると前にも増して遠慮なく示唆する。「今日から8週間、
11月2日に正しい選択をすることが全く不可欠だ。もし間違った選択
をしようものなら、また攻撃される危険の原因となるからだ」。副大統
領は言った。「ある面では合衆国の見方を圧倒する唖然とさせる攻撃を
されるだろう。そして、要するにこのテロリスト攻撃は犯罪行為であっ
て、実際に交戦中ではないと考えるなら、私たちは911以前の考え方
に後退することになる」

▼コスタリカ、連合リストから外すよう望む▼
by MARIANELA JIMENEZ AP 通信 09 Sep 2004

コスタリカの立法府(憲法法廷)は、合衆国によってイラクの戦争にお
ける「連合」の一つにこの国を含めることはできないと裁定している。
そしてコスタリカ当局はリストから国名を削除するよう要求している。

コスタリカが公式に合衆国主導の連合に加わらなかったことは明らかだ
が、国名がホワイトハウスの連合メンバーのウエブページに列挙されて
いて、イラク戦争が非常に不人気だった国に憤激の情を誘発する。

9月8日の裁定のあと、主に軍隊を持たないせいでイラクにどんな部隊
も送らなかったコスタリカは、連合の仲間として列挙されたくないこと
を明らかにしている。

木曜日、ホワイトハウスのウエブサイトにはまだコスタリカが列挙され
たままだった。アメリカ大使館はまだ立法府の決定を再検討しており、
即座のコメントはないと言った。

木曜遅くに、「自発的な連合」とやらから、コスタリカが取り除かれる
よう求める手紙を合衆国政府に送るつもりだったと外務大臣ロバート・
トヴァルは言った。

「私たち、同僚の民主主義国のように、合衆国は私たちが司法の決定を
重んずるのを理解するはずだ」と彼は言った。

コスタリカの算入は国の憲法に違反すると第7治安判事裁判所(下級裁
判所)は判決を下した。憲法は国連によって正当と認められてない軍事
行動の支援を禁ずると主張した法務長官ファリド・ベイルートによって
その裁決が審議に上った。彼はそのリストが国の平和憲法の原則に違反
するとも言った。

イラクから大量破壊兵器を取り上げる軍事作戦がすでに始まっている、
連合のメンバーとしてホワイトハウスがコスタリカを列挙していたこと
に地方紙が注目したとき、それについての論争が勃発した。

2003年3月、外務大臣トヴァルと大統領アベル・パチェコが合衆国
に対する支持表明に署名し承認したことがホワイトハウスのウエブサイ
トで引用されるが、合衆国の陳述がほのめかしたように、イラクの侵略
に対してではなく、単に「テロに対する戦い」への支持だったと二人は
強調した。

問題のホワイトハウスのページには、「コスタリカを含む、49ヶ国が
政府によって連合に委ねられる」と書いてある。

また2004年2月4日付ウエブページには「連合国からの貢献の分担
は、軍事上の直接参加、兵站と諜報支援、専門の生物・化学の応答チー
ム、領空飛行権、人道上そして再建上の援助、などから政治的支援にま
で及ぶ」とある。

▲コスタリカには国の政策が憲法に沿うものか判断を下す憲法法廷(コ
スタリカ最高裁、第4法廷)があり、今回コスタリカ政府はこの裁定に
即座に従った。

▼グアンタナモの拷問制度は恥ずべきつらよごし▼
by ヴァネッサ・レッドグレーヴ 23 August 2004
英国情報局と英国外務省は拷問で共謀していると思われる

私は、アドリア海の小島ゴリオトク(死の島)のチトー大統領の政治犯
強制収容所を生き延びた女性たちとのクロアチアであった演劇のワーク
ショップから戻ったところだ。ここは当局発表では「作業現場」あるい
は「強制労働収容所」で、チトーがスターリンから離れた1948年に
ユーゴスラヴィア国家保安局によって開始された。

女性囚人たちは親スターリン派の容疑をかけられた。彼女たちは正式に
犯罪で告発されたことはなかったし、弁護士との面会も許されなければ
我が身を守る機会も与えられなかった。島では見るも恐ろしい無情な扱
いに服従させられた。尿のバケツにじっと耐えることや何時間も「緊張
する局面」で壁に向かって直立するのを強要された。彼女たちは睡眠を
はばまれ、罰として食べ物を与えられず水を飲むのを拒まれ、ひとりぼ
っちで幽閉された。彼女たちは海で洗うことも禁じられ、繰り返し尋問
と「自己批判」に耐えねばならなかった。彼女たちは「悪党、クズ、裏
切り者、国家の敵」と呼ばれた。要するに、親スターリンの嫌疑をかけ
られた人たちに対し、スターリンの行動様式が国家保安局によって活用
されたのだ。何人が正気を失い、何人が死んだか、あるいは何人が自殺
したか誰も知らない。チトーの時代には、これは「国家機密」だった。

ゴリオトクを生き延びた人々はみな(なお、島には男性の収容所もあっ
た)釈放されるという期待で、要求されることはなんでもする、なんで
も言う、なんでも書いて、なんにでもサインする、長引く拷問の境遇に
あったことに同意する。

3月に告発なしにグアンタナモベイ(キューバの突端、アメリカ軍基地
にあるアルカイダを疑われたアフガン戦争の捕虜収容所)から解放され
た3人の英国市民の弁護士、バーンバーグ・ピアース&パートナーズが
集めた115ページのアフガニスタンとグアンタナモベイの拘留の記録
文書を私は読み終えたところでもある。彼らの拘留の記述はゴリオトク
の境遇に恐ろしく類似する。両方の真相で、裁判の拒否と、条件として
指定された釈放の日が、3人が耐えた肉体的拷問に加わる。

シャフィク、アシフ、ラヘルの3人は2001年11月アフガニスタン
北部で捕らえられた。グアンタナモベイの肉体的かつ精神的地獄にゆだ
ねられる前、シェルバガン、カンダハールで肉体的拷問にあったと3人
ともに申し立てる。今年3月、彼らは英国に送り返され、告発なしに釈
放された。

グアンタナモに飛行機で行かされる前、アシフとシャフィクはカンダハ
ールでSAS 特殊部隊の将校によって尋問されたと言う。ラヘルはカンダ
ハールで国内担当の英国諜報部MI5 と英国外務省の誰かによって別々に
尋問されたと申し立てる。彼は長引く睡眠妨害と飢餓と脱水症からそれ
はひどいありさまだった。彼にかけられた「すべてを認める」ことに同
意したら母国に帰されるとMI5 の捜査官が告げた。「ボクは連中が言っ
たことすべてにオーケーとだけ言った。ウソでも本当でもすべてに同意
した。ただもうそこから出たかった」。グアンタナモに監禁された2年
の期間、MI5 捜査官とワシントンの英国大使館の使節が6回か7回訪れ
て尋問をした。3人の男性全員が、拘束されていた境遇と、米軍情報部
や他の米国機関による尋問について不平を申し立てた。英国情報局と英
国外務省はこの結果、アフガニスタンとグアンタナモベイでの精神的か
つ肉体的拷問の条件で共謀していると思われる。

この記録文書は、何時間も続く「簡単な手かせ足かせの拘束」を含む、
野蛮な懲罰の組織的方法で併用される、カフカの作品を思わせる悪夢を
叙述する。そしてりっぱな人格をそなえた英国人かアメリカ人は、そん
な組織的方法が使われたことに最大限の恥と極度の不快感を感じるしか
なかった。

多くの囚人が正気を失い、多くが自殺を図っていることは3人の抑留者
の記述から明白である。まだグアンタナモに残る英国市民と UK 居住者
を無所属の医師が診るのを許すようにとの家族の弁護士の要請を外務省
ははぐらかしている。

拷問はまずとても不快だし、拷問にかけられる人と拷問にかける人の両
方を堕落させる。それはまた、主に情報に頼る防衛手段の完全な破壊で
もある。容疑者は尋問者が欲しがる返事をするよう無理強いされること
から、拷問は機能不全に陥る情報を提出する。

1984年国連の拷問に関する協定の第2条は次のように申し立てる。
「戦争であれ戦争の脅威であれ、国内の政治的不安定であれ他の社会の
緊急事態であれ、ことによると拷問の正当化として引き合いに出される
ことになるどんな例外的事情もない」。英国も合衆国もこの協定に署名
して批准した。なお、英国の控訴審は拷問を受けて引き出された証拠を
認める代わりに政府の言い分を支持している。

防衛手段の名の下に、全市民の防衛手段の土台である原則と法を英国政
府はだいなしにしている。この原則は、アメリカの独立宣言と戦争後の
残酷で品位を貶める扱いを禁じてもいるアメリカの憲法で、アメリカの
愛国者たちによってはっきり示された。ブレア政権がグアンタナモの拷
問制度を支援しているというのは、そして米国の公民権擁護の弁護士と
人権擁護のNGOによって退けられてきた、裁きの場(審判を下す法廷)
以前の尋問に同意しているのは、背筋のゾッとするような恥である。

▲ヴァネッサ・レッドグレーヴ:
イギリスの女優であると同時に人権活動家としても精力的に活躍。
1974年には英国労働党から出馬、政界入りも試みた。女優としては
本領発揮の77年作品「ジュリア」や、最近では97年「ダロウェイ夫
人」がある。