◇地球のみじめな生活者を殺害
truthdig by クリス・ヘッジス 14 August 2013

イスラム過激派は貧しいイスラム教徒の最後の避難所である。義務
づけられる一日5回の祈りが、力を失った信者の生活に唯一リアル
な社会構造を与える。人生には究極の目的と意味があるとの理解に
加えて、モスクでの祈りの前のきちょうめんな洗浄の儀式、厳格な
道徳律は、多数の極貧のイスラム教徒を絶望から遠ざける。抑圧か
ら高まる原理主義者のイデオロギーは柔軟さがなく、誤りを許さな
い。それは世界を、白か黒か、善か悪か、信者か背教者か、徹底的
に分ける。ゲイやレズビアンに加えて、女性、ユダヤ人、キリスト
教徒、世俗主義者に対して偏狭頑迷で残酷である。だが、それは同
時に、社会の最下層の人々に最後の避難所と希望を提供している。
カイロの路上の数百もの信者の大虐殺は、宗教上のイデオロギーに
対する攻撃のみならず、ホズニ・ムバラクの残忍な警察国家に戻る
ことのみならず、またエジプトや他の地球上の貧しい地域を血と苦
しみの騒然たる状況に変えてしまう聖戦の始まりの前兆となる。

イスラム過激派の支配力を打破する唯一の方法は、その信者たちに、
貧困、抑圧、絶望にしいたげられることに威圧されない将来の人生
の可能性を許し、もっと大きく開かれた経済に利害関係を受けさせ
ることである。もしもあなたが、カイロの不規則に広がるスラムか、
ガザの難民キャンプ、もしくはニューデリーのコンクリート小屋に
住んでいるとすれば、逃れる路はすべて閉ざされている。あなたは
教育を受けることができない。仕事を得ることができない。あなた
には結婚する算段がない。寡頭制支配者や将軍によって、あなたは
経済の支配に異議を申し立てることができない。自己主張するのに
唯一残された道は、殉教者、またはshahidになることだ。そうして
あなたは生きていて手にれることができないもの、つかの間の名声
と栄光を手に入れることになる。そして、エジプトで起こることが
宗教戦争として定義されるとはいえ、カイロの血まみれの広場から
反抗して立ち上がる反政府派による暴力行為がテロリズムとして定
義されるとはいえ、この混乱状態のエンジンは宗教ではなくて地球
の哀れな人が隷属させられて極貧に苦しめられる、もしくは撃たれ
る世界の破綻する経済である。戦いの一線はエジプトにそして世界
中に引かれる。エジプトの軍事独裁者、シシ(Abdul-Fattah el-Sisi)
将軍によって任命された名ばかりのマンスール(Adli Mansour)大
統領は、軍主導の政府と夜間外出禁止令と非常事態を押しつけてき
ている。それらはすぐには解除されないだろう。

過激な運動の活力のもとは殉教だ。エジプト軍は余るほど十分な供
給を提供してきている。神に捧げられる死者の顔と名は、怒った聖
職者らによって聖なる復讐を要求するために利用される。そして暴
力が増して殉教者リストがふくらむとき、戦争は高度に燃え上がっ
てエジプトを分裂させるだろう。警察、コプト教会キリスト教徒、
世俗主義者、西側諸国の政策支持者、商売、銀行、観光業、そして
軍が標的になるだろう。選挙政策が機能してシステムの中に持ち込
むことができたモスリム同胞団によって説きつけられた過激なイス
ラム教徒らは地下に戻ることになり、モスリム同胞団の多くの平の
構成員が彼らに加わることになる。ぞんざいな爆弾が爆発するだろ
う。私がニューヨークタイムズの仕事でカイロにいた1990年代
そうだったように、銃を携帯する殺し屋による手当たり次第の攻撃
や暗殺がエジプトの日常生活をだいなしにしてしまう。とはいえ、
今回、攻撃はより広範囲でより熾烈となる、制御するのも最終的に
鎮圧するのもはるかに難しい。

エジプトで生じているのは、世界のエリートと世界の貧困層のあい
だの包括的世界戦争で、先細りする資源、慢性的失業と不完全雇用、
人口過剰、気候変動に起因する収穫量の減少、上昇する食品価格に
よって生じる戦争への先鋒(前兆)である。エジプトの8000万
人の33%が14歳以下で、数百万人が世界銀行がその国で一日の
収入2ドルと設定する貧困ラインを下回るか、まさに貧困ラインの
上で生活する。エジプトの貧困層は収入の半分以上を食品に費やす、
多くの場合、ほとんど栄養価がない食品だ。国連世界食糧計画とエ
ジプト中央庁(CAPMAS)によると、2009年に19%だったの
と比較して、2011年には推定1370万のエジプト人、もしく
は、人口の17%が食料不足に苦しむ。栄養失調が貧困層の子ども
の間で蔓延し、5歳未満の31%で発育が阻害される。文盲は70%
以上となる。

「レ・ミゼラブル」でヴィクトル・ユゴーは、戦争を"エゴイスト"
と"捨てられた者(追放された者)"とのあいだのものと描写した。

(中略)

抑圧された人を抱擁する信仰システムは寛容でありうるが、これら
信仰システムは世界のエリートによって彼らに加えられる残虐な行
為や国家暴力や不公平に対する返答だ。私たちの敵はイスラム過激
派ではない。敵は世界の資本主義である。それは地球のみじめな生
活者が市場の命令の前に力ずくで従わせられる世界、グルーバル企
業のエリートらが世界の富と天然資源を吸い尽くすとき子どもたち
が飢える世界、私たちの警官隊とアメリカ合衆国が支援する軍が街
の通りで大虐殺を遂行する世界である。エジプトは来るべきディス
トピア(暗黒郷)への窓を提供する。生き残り戦争は、地球の人間
のすみかの最終段階を示すだろう。そして、それがどんなものか、
もしもあなたが知りたければ、カイロのどこでも街のモルグ(遺体
安置所)を訪れることだ。

http://www.truthdig.com/report/item/murdering_the_wretched_of_the_earth_20130814/


◇ カイロ大虐殺:今日のあと、どれほどイスラム教徒が再び投票箱
をあてにするだろか?

インディペンデント紙 by ロバート・フィスク 14 August 2013

エジプトが回復するのに何年もかかるだろうから、これは悲劇的な
ターニングポイントをマークする

エジプトのきびしい試練は砕かれた。エジプトの"統一"、1952
年の君主制打倒とナセル統治以来、国を結束させてきたすべてに達
する愛国的な必須の接着剤が、昨日のモスリム同胞団弾圧と銃撃戦
と大虐殺の真っ最中に消えてなくなった。死者100人、200人、
300人(現在約700人)の"殉教者"、結果は重要でない。何百
万のエジプト人にとって民主主義の行路は実弾射撃と残忍性の真っ
最中に穴をあけられずたずたに引き裂かれた。彼や彼女の宗教に基
づかせる状態を探し求めるイスラム教徒が、どれほど再び投票箱を
あてにするだろか?

これは「今日の大虐殺」という本当にあった話だ。モスリム同胞団
支持者の一部がカイロの通りでカラシニコフ銃を振り回していたこ
とに誰が驚くはずがあろうか?あるいは、実に首都の中流階級エリ
アで軍の支持者とその"暫定政府"が彼らの武器を押収してか、自分
のを出してか、撃ち返し始めた。これはモスリム同胞団 対 軍では
ない、もっとも西側政治家がいかにこの悲劇を虚偽に描写しようと
するかではあるが。今日の暴力は、修復するのに何年もかかるエジ
プト社会のなかに容赦のない分裂を引き起こしている。左派と世俗
主義者とコプト教会キリスト教徒とスンニ派イスラム教徒の村民と
の間の分裂、住民と警察との分裂、モスリム同胞団と軍との分裂。
それが今夜、モハメド・エルバラダイが辞任した理由だ。教会が燃
えるのはこのひどい成り行きに付きものの当然の結果だった。

1992年アルジェリアで、2013年カイロで、そして次の数週
間か数カ月にチュニジアで起こるのを誰が知る? あたりまえの投
票で公正かつ民主的に権力にたどり着いたイスラム教徒らが政権か
ら追放された。それどころかパレスチナ人がここでも民主的な選挙
でハマスを選んだとき、私たちのひどいガザ包囲を誰が忘れられる
ものか?たとえエジプトで同胞団がいかに多くの間違いをしても、
たとえ彼らの統治がいかにでたらめ、または低脳でも、民主的に選
挙で選ばれたモハメド・モルシ大統領が、軍によって打倒されたの
だ。それはクーデターだった、そしてこの言葉を使うジョン・マケ
インは正しかった。

もちろん、同胞団は遠い昔に自尊心を抑制してエジプトで軍が許可
した偽りの民主主義の殻の外に出ないように努めているべきだった、
公平とか容認できるとか当然だからではなくて、内密性に戻るか、
真夜中の逮捕や拷問や殉教に戻るか、二つに一つになるはずだから
だ。イギリス占領軍の一員とエジプト軍独裁者との恥ずべきコラボ
レーション時代にあってはこれが同胞団の歴史的役割だった。そし
て暗黒界に戻ることは2つの結果のみを示す、同胞団がすさまじい
暴力のなかで消されるか、エジプトにイスラム教徒の独裁国家を創
立する、そんな運命を天国が容赦するはるか遠くの時代に立身出世
するか。

今日、最初に見捨てられたものが死ぬ前に、権威者を自認するお偉
方は不快きわまる有害な行為に取りかかった。エジプトは内戦を避
けられるか?"テロリスト"同胞団は忠実な軍によって一掃されるだ
ろうか?モルシ打倒に直面してデモをした人たちについてはどう
か?トニー・ブレアは、シシ将軍に支援を贈与することで差し迫っ
た"混沌状態"について話しあった人たちの一人にすぎなかった。シ
ナイ半島のすべての暴力事件、モスリム同胞団の所有するすべての
銃が、今は武装が少しも不十分でなくともかくよく組織されたイス
ラム教徒の運動組織はアルカイダの右腕だったと、世界を説得する
のに使われる。

歴史は違う見解をとるかもしれない。ムバラク打倒後、タハリール
広場での軍の女性抗議者への処女性検査を正当化するのに長い時間
費やした将軍に、何千、いや何百万と、どれほど多くの教養ある自
由主義のエジプト人が心からの支持を与え続けたか、説明するのは
確かに難しい。シシ将軍は数日中に多くの綿密な調査を受けるだろ
う。彼は同胞団に対して常に同情的という評判だった。たとえこの
考えが彼の妻がニカブを身につけることに刺激されたかもしれない
とはいえ。そして軍を支援してきている中流階級のインテリの多く
は、将来のできごとに適応するために彼らの良心をビンの中に押し
込めなくてはならないだろう。

エジプト人ではなく西洋人の目には"暫定政権"で最も有名人のノー
ベル賞保持者で核の専門家のモハメド・エルバラダイは、彼の政権
の今日の行動でもちろん政権にとどまってはいない。先月のクーデ
ター後、軍が閣僚を選ぶのを助けることに同意したとき、政治的賭
けに対して彼が決してこのような結果を意図していなかったために
彼は出て行くしかなかった。だが、2011年の革命のほんの次の
段階として、クーデターとみなすと迫った作家やアーティスト連中
は、これらのできごとに対する道徳的とがめを逃れるためにかなり
苦悩に満ちた言語学を用いなければならないだろう。

これは政党イスラムの終わりを意味するのか?当面は確かに。イス
ラム同胞団は今後は民主主義で実験を試みる気がない、エジプトで
差し迫る危険は拒絶だ。自由がない代わりに暴力がある。エジプト
は新たなシリアに変わるのか?ありそうもない。エジプトは宗派心
の強い状態でもなければ本質的に凶暴でもない。国民の10%にキ
リスト教徒がいるのに宗派心の強い状態になったことは一度もない。
エジプトは、フランス人に対するアルジェリア人の蜂起の凶暴性、
あるいはイギリス人とフランス人両方に対するシリア人、レバノン
人、パレスチナ人の反乱行為の凶暴性を決して経験しなかった。し
かし今日、たくさんの幽霊が恥じてうしろめたい思いをするだろう、
たとえば1919年の反乱の偉大な革命をもたらす弁護士、Saad
Zaghloulだ。そしてMuhammad Neguib将軍、彼の1952年の革
命をもたらす教訓の書は読むと2011年タハリール広場の人々の
緊急の要求をそれはもう気に入ると感じさせる。

だが、まったくエジプトで今日重要なものが消えた。革命ではなく、
アラブ世界全域に対して(指導者ではなく、人民が自分の国を思い
のままにすると要求する点において)所有者たる資格の保全は存続
する、いかに血まみれであろうとも。もちろん、どの革命後もそう
であるように無邪気さが消えた。いや、今日失効したのは、エジプ
トがアラブ国家の永遠の母だという考え方、民族主義者の理想、エ
ジプトはすべての民をその子どもとみなしたとの歴史の清廉潔白だ。
というわけは、警察や政府贔屓の支持者といっしょに、イスラム同
胞団の今日の犠牲者もまたエジプトの子どもだったから。それなの
に誰もそう言わなかった。彼らは国民の敵、"テロリスト"になって
いた。それがエジプトの新たな国民の遺産だ。

http://www.independent.co.uk/voices/comment/cairo-massacre-after-today-what-muslim-will-ever-trust-the-ballot-box-again-8762021.html


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