◇福島の放射性降下物:通常より高濃度の放射線に曝された後、病
的状態にあるアメリカの水兵らが東電を訴える
デモクラシーナウ!19 March 2014


福島原子力発電所の3つの部分からなるメルトダウンから3年、放
射能汚染レベルについて海軍を欺いたとして多数の水兵と海兵隊員
が発電所を運営する東京電力を訴えている。災害の間、人道援助を
提供した軍人の多くが日本から戻って以降、白血病から、失明、生
殖不能、先天性欠損症までの甚大な被害をもたらす病気を経験して
きている。番組には3人のゲストが参加します。空母ロナルド・レ
ーガンに乗船して任務に就くアメリカ海軍の水兵、スティーヴ・シ
モンズ中尉、彼は健康の問題に苦しんだあと東電に対する集団訴訟
に加わりました。そして水兵の弁護士、チャールズ・ボナー。テン
プル大学東京キャンパス社会学教授で現代アジア研究所副所長のカ
イル・クリーヴランドです。

NERMEEN SHAIKH:3年前の今月、海軍のスティーヴ・シモンズ
中尉は、空母ロナルド・レーガンに乗船して日本の沿岸沖に配置さ
れました。マグニチュード9.0の巨大地震と日本の東北海岸を打ちの
めす津波から数日後、空母は人道援助を提供します。シモンズは太
平洋での海軍演習から転用され、食料小包や衣類や毛布を被災者に
配布するために日本の壊滅する海岸線に向かわせられます。その時、
彼らは福島第一原子力発電所でのトリプル・メルトダウンという前
例のない核の危機の中に入っているのを知りませんでした。

エイミー・グッドマン:帰国後まもなく、スティーヴ・シモンズは
運転中に意識を失いました。その後、彼は定期的に胃腸障害と急な
高熱を経験し始めます。数ヶ月以内にシモンズの両足はがくりと折
れます。彼はもはや歩くことができませんでした。彼は、日本から
戻って以降、甚大な被害をもたらす病気を経験しているという最初
の多くの反応者のひとりです。
番組『デモクラシーナウ!』はあなたがたゲストを歓迎します。で
は最初にスティーヴ・シモンズ中尉、福島の救援活動に参加したア
メリカ海軍の水兵です。3年前の2011年3月11日に何があったのか
お話いただけますか?あなたはどこにいて、何をするために呼ばれ
たのですか?

スティーヴ・シモンズ中尉:日本の国民に人道支援を提供するため、
私たちは太平洋での訓練から呼び出されて行きました。
記憶が正しければ、私たちが到着したのは3月12日なので、1号機
の電源が落ちて溶融した翌日です。健康被害へのリスクはないとい
う理解でした。どれくらい近づいていたかについては、正直なとこ
ろ毎回矛盾する話を聞きます。160マイルも離れていなかったと
いう報告もあります。

NERMEEN SHAIKH:シモンズ中尉、その時あなたは少しでも放射
線にさらされていたのを認識していませんでした。あなたはいつ健
康への影響を感じ始めましたか?そしてその後、どんなことが生じ
てきていますか?

スティーヴ・シモンズ中尉:2011年の11月になるまではあり
ませんでした。私たちは9月に戻りました。11月末にはなにか具
合が悪いことに気づき始めていました。実際、私は追い込まれてい
ました。まず最初はルート50をアーリントンに向かって運転して
いて意識を失い、トラックを縁石に乗り上げました。続いて、もし
かして風邪かもしれないとたぶん私が思った病気にかかって、発熱
状態になり始めました。予想外に20ポンド〜25ポンドほど体重
が減って、寝汗や睡眠障害を経験するようになり、私は何が起こっ
ているのかわかろうとして検査や他の研究のために何度も医師のと
ころまで往復しました。そして2012年1月から3月までに3度
入院しました。
最初の入院ではなにもわかりませんでした。彼らが推定して考え出
した唯一のものは副鼻腔感染症でした、そして放射線が少しでもそ
れに関係していたとの考えをいわば吹き飛ばしました。退院して3
日後、リンパ節が腫れ出して、それにひどい高熱状態のままだった
ので、私は病院に戻っていました。
2度目の入院の間、実はトイレから出てきたとき私の脚ががくりと
折れました。2012年の夏までにはフルタイムで車いすを使い始
めなければなりませんでした。立とうとしたり、なにかしようとす
るたびに、私の脚は震えて筋肉が痙攣し始めます。そしてあれから
症状はまさしく進行します、そして筋力の低下はいま、両足、両腕、
両手に影響を及ぼします。そしてすべてがまだ進んでいます、おま
けに脳から膀胱に向かうシグナルの問題があります。

エイミー・グッドマン:サンフランシスコからチャールズ・ボナー
もこの会話に引き入れたいと思います。チャールズ・ボナー、この
集団訴訟の一部である他の人たちについてお話しいただけますか?
彼らが経験している病気は何ですか?

チャールズ・ボナー:当初私たちはわずか8人の原告で始めました、
2012年12月の時点で私たちに連絡してきた8人です。201
3年6月までには様々な病気を抱えて51人の水兵と海兵隊員が私
たちに連絡してきました。その病気には甲状腺ガン、睾丸ガン、脳
腫瘍、異常な子宮の問題、過度の子宮出血、あらゆる種類の婦人科
問題が入ります、20歳、22歳、23歳の年齢の人びとやシモン
ズ中尉の年齢の35歳でも見ない問題です。それで、現在、私たち
はおよそ100人の水兵のために集団訴訟を起こしています。そし
て今でも私たちは毎日、様々な問題を抱える水兵からの電話を受け
ています。ちょうど数日前にも息子が肺がんの父親から電話をもら
いました。この"ともだち"作戦(つまりこれは私たちの友だちを助
ける作戦でした)に応じたアメリカ水兵の総数はおよそ2万400
0人でした。しかし日本の基地にいた軍人の男女を入れると合計7
万人のアメリカ軍人がいました。
彼ら全員が放射線に曝されました。このことは非常に明瞭なことな
ので、私たちは彼ら全員を代表してこの集団訴訟を起こしています。
私たちは放射線のレベルを論争できます。そして私たちは海軍を訴
えていませんし、なんであれ不適切なことをしてきたと海軍を非難
していません。もちろん、海軍の誰もこの若い水兵や海兵隊員に故
意に高濃度の放射線をさらしたりしません、ある司令官は放射線は
通常の30倍と判断します。そして東電が国民やアメリカ海軍に教
えた濃度の30倍以上です。これらの若い水兵の負傷に責任のある
当事者は、世界第4位の電力会社、東京電力株式会社です。
メルトダウンが活動中だったことを、東電はUS海軍を含め、国民に
知らせることを怠りました。
一方、空母ロナルド・レーガンに乗船するこの若い水兵たちはこの
未知の世界に巡航しています。このまったくの災害が起こっている
ことを彼らは知りません。ですが、もっと重要なのは、メルトダウ
ンが活動中であること、地震から4時間以内に1号機がメルトダウ
ンしていること、そしてあらゆる類の爆発があったことを、東電は
彼らに教えません。大放射が起こっています。300トンの放射能
汚染水を含め、太平洋に放出される放射性物質の放出があります。
そしてシモンズ氏があなた方に話すように、この若い水兵たちはこ
の海水を脱塩した水を使用していました。彼らはその水で入浴して
いました。歯を磨いていました。それで料理していました。空気は
もちろん、食べ物と水の両方を介してこの放射線を摂取していまし
た。そしていま、彼らはみんな病気です。ですから、私たちは水兵
たちを優先しなければなりません。いまは私たちの友人、アメリカ
人の水兵と海兵隊員の若者を助ける作戦という、これは"ともだち"
作戦です。彼らにはありとあらゆる類いの問題があります。

(休憩)

エイミー・グッドマン:シモンズ氏の弁護士、集団訴訟のチャール
ズ・ボナー弁護士が番組に参加しています。彼はサンフランシスコ
にいます。そして最近「Mobilizing Nuclear Bias: The Fukushima
Nuclear Crisis and the Politics of Uncertainty(福島の核の危機と
不確実性の政治力学)」を書いたカイル・クリーヴランド教授に進
みます。

カイル・クリーヴランド、日本からご参加いただきありがとうござ
います。米軍とアメリカ政府当局とのあいだで行われていた舞台裏
の会話とは。そしてあなたはどのようにしてこの会話を手に入れた
のですか?

カイル・クリーヴランド:あなたが言及している文書は情報公開法
を通じてです、そしてこれらは危機が始まってたぶん6ヶ月か8ヶ
月後に原子力規制委員会から入手可能となった文書でした。そして
この文書の中で、これらはNRS当局とワシントンDC、東京の大使館
と外交手腕のあるスタッフとのあいだの電話会話を書き起こして文
書化されています。
そしてこの文書が明らかにするのは、まさしく状況がどれほど悪い
かを判断しようとしていたこれらの専門家による多くの舞台裏の議
論があったということです。
それで実際、私の調査では外交官や外交手腕のあるスタッフ、様々
な原子力機関内の人々を含む160人に面談しました。特に危機が
始まって最初の10日かそこらに、まさにこれがどれくらいひどい
か、あの値は何を意味するのか、彼らはこれを実証できるのかどう
かについて舞台裏で相当量の意見の相違と相当量の議論があったの
を知るのは、まったく興味深いことでした。さて、この期間に、空
母ロナルド・レーガンの水兵が被爆することになるだなんて、彼ら
がなんとか必死に状況に対処しようとしていた期間におけるあの東
電を心に留めておくように。彼らは全電源喪失、機能停止状態でし
た。たとえ彼らが放射線レベルが確かに高かったのを知っていたと
しても、それを実際に表していませんでした。
東電について話すとき、これに対処するため本当に24時間必死に
なって働いた発電所の操業スタッフと、実際に状況を軽視していた
東電の代弁者を含む東電の役員とを区別することが私は重要だと思
います。そして当時、状況に従事した誰でもが確かに混乱していま
した。彼らが、本当にいかにひどいかを軽視していたことは、どの
段階においても非常に挫折感を起こさせました。従って、最初の数
日はアメリカにはそれに基づいて行動できる情報が実際なにもあり
ませんでした。従って、非常に迅速にアメリカ独自の放射線評価を
設定しました。ご存知のように、アメリカは日本に相当な軍事的強
み、82の軍事基地を所有します、そして3月13日か14日あた
りに始まり、その後何ヶ月も役に立つ、アメリカ独自の放射線測定
値は、東電が事実と認めるものより状況が本当にかなりひどかった
ことを明らかにしています。

エイミー・グッドマン:それで、クリーヴランド教授、日本の原子
力発電会社だった東電と同様に、アメリカ海軍にはなぜこれに対し
て責任がないのですか?

カイル・クリーヴランド:本当の問題は、アメリカ政府、特にアメ
リカ海軍が、その時利用できる情報を考慮して、適切な保護する行
動措置を講じたかどうかだと私は思います。いま振り返ってみてこ
の種の厳しい判断をするのは簡単です、いま私たちにはさらに多く
の情報があるし、これについてさらに多くの透明性があります。で
すが、当時、彼らにはそれに基づいて行動するための情報がごくわ
ずかしかありませんでした。
そして私が収集したもの、少なくとも面談からは、彼らはただちに
保護する措置を講じようとしていました。彼らは空母を沖へ動かし
ました。放射能に汚染されたとわかった後、給水を止めました。閉
じ込められた軍人の多くには甲状腺の線量から保護するためにヨウ
素カリウムを提供しました。そしてまた、ともだち登録簿という放
射線登録簿も始めました。オンラインのインタラクティヴウェブサ
イトとして今も一般公開されており、軍人や当時日本にいて発電所
に接近した誰でもが、所定の日にちにどこにいたのか、推定被爆線
量はどれくらいかに関心を持って調べるのを可能にさせます。従っ
て、アメリカ政府と海軍は彼らにできることはなんでもしていたと
私は思います。

エイミー・グッドマン:3月11日、私たちがメルトダウンの3周
年に行った菅直人のインタヴューに戻りたいと思います。福島第一
にメルトダウンが起こったとき、菅直人は日本の首相でした。数週
間前に日本から放送したとき、私は東京で彼と話しました。菅直人
元首相は、大災害の時に東電が彼に提供した情報のずさんさについ
て話しました。

菅直人:(英語に訳されたテキスト)東電本部から、そして特に元
副社長だった武井氏(現在、富士石油の社外取締役に天下りし家族
と共に海外在住)から私が伝え聞いていたことから、本当になにが
現場の状況だったかについて知らされる正確な情報はほとんどなか
った。

エイミー・グッドマン:日本の元首相、菅直人は、東電幹部から正
確な情報を得ることができなかったので、現場で働く人たちと話す
ために原子力発電所に飛んだと続けました。そこで彼は正確な情報
を得ることができました。シモンズ中尉に戻りたいと思います。今
から3年前の2011年3月11日以前、あなたの健康はどんなで
したか?

スティーヴ・シモンズ中尉:3月以前は、私が現に比較的良好な健
康と見なしたいものでした。私はまったく精力的な働きを必要とし
ていました。そして2010年の夏、ハワイで降りた日に私は友だ
ちと会って、出かけ、トレールランをしました、その翌日はダイヤ
モンドヘッドにハイキングしました。従って私はとんでもなく元気
でした。

エイミー・グッドマン:空母レーガンにいたのは何人ですか?

スティーヴ・シモンズ中尉:およそ5千500人。

▽全文はこちらからお読みください。
http://www.democracynow.org/2014/3/19/fukushima_fallout_ai
ling_us_sailors_sue

 


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