◇エジプトの反抗的運動がなぜシシ大統領の道を開くのを助けたか

buzzfeed 15 April 2014

昨年モスリム同胞団を駆逐した抗議を導いた運動、Tamarodの5人
の創設者のひとりが、運動が軍の指図を受けていたことを初めて認
めた。「ボクらは未経験で愚直だった、ボクらには責任能力がなか
った。」

2013年7月3日の夜、Moheb Dossは全国テレビで彼の名義で
声明が読まれたとき、あまりのことに驚いて、静止したままテレビ
を見ていた。

プレゼンターの口から出てくる言葉は、Tamarodまたは反逆者運動
の5人の共同創設者のひとり、Dossが、これより数時間前に起草す
るのを助けた慎重に選別された声明にまったく似ていなかった。
それは、Tamarodの勝利の瞬間を、まさに5日後にモスリム同胞団
政府を追放に導くグループが6月30日に開始した抗議と断じる声
明だった。民主的な進路に向かって平和的移行を求めるとしてエジ
プト国民を安定させる効果があればよいとグループが願う声明だっ
たとDossは言っている。

代わりにプレゼンターは、もしかすると荒れ狂うかもしれない期間、
介入してテロリストによる"やみくもな侵略"から国民を守るように
軍に求めるとして、Tamarodを引きあいに出した。声明は軍の実力
行使によるモスリム同胞団のリーダーや当時のモハメド・モルシ大
統領の排除や逮捕を支持して起こったことがクーデターだったとの
告発を退けた。

「ボクらが起草したのは大変革をもたらす声明だった。それは平和
や民主的進路に前進することに従事した」とDossはBuzzFeedに述
べた。「読まれた声明はもしかして軍によって書かれたものかも。」

5日間、数百万のエジプト人が街頭に繰り出してモスリム同胞団の
支配の終わりを要求した。その数は抗議を組織した当時十分に知ら
れてないグループ、Tamarodのでたらめな予想の限度も超えた。
5人の創設者はたちまち有名人になった、そして彼らの勝利が今に
も起こりそうに思われた7月3日の夜、次になにが起こるかで声明
に向けてエジプトの全テレビ局が彼らに助言を求めた。

「国営テレビが読んだものは、まるで軍によって書かれたかのよう
に、必要なら武力を行使すると言ってモスリム同胞団をおどした」
とDossは言った。「ボクはショックを受けた。その時、運動は完ぺ
きにボクらから取り上げられたと了解した。」

何週間も前に始まった進行の果てが、軍と治安当局がゆっくりとだ
が着実にTamarodに対して影響力を行使し始めて彼ら自身のエジプ
ト計画を実行するために草の根革命運動としてグループの評判に飛
びついたということだと、あとで彼は理解した。

「Tamarodのリーダーらは反対側から指図される気になった。彼ら
は反対側から命令を受けた。」

過去に、Tamarod運動はエジプト内務省とつながっており、軍から
電話を受けたことをメンバーがオフレコのインタヴューで認めたと
はいえ、エジプト軍と情報部当局の直接の指導を受けたとTamarod
のメンバーはこれまで決して言わなかった。上級のエジプト当局者
が手伝って進ませることがなければ、グループがそのような広範囲
にわたる成功を享受することはあり得なかったとのエジプトにおけ
る多くの疑惑を告発は確かなものする。

7月3日の夜、軍がモスリム同胞団を政府から追い出して、モルシ
大統領を逮捕し、彼を隠れた場所にさっと運んだとき、彼らはモス
リム同胞団が占める政府に対する若干の不満を引き上げるために、
Tamarodがエジプト全土で嘆願書を回したあと街頭に繰り出した数
千万の人々の名にかけて行った。

「5人の男がエジプトを変えようとしている、そんな小さなことか
ら、モスリム同胞団を厄介払いするために何千万という人々を街頭
に連れ出す運動にまでボクらがなぜ成功したか?答えは、ボクらは
成功しなかった。成功したのはボクらではなかったのを今はもちろ
んのことと思う、ボクらよりかなり重要な人が手に入れたかったも
のの顔としてボクらは利用されていた」とDossは言った、彼は今は
Tamarod運動またはエジプトの政治世界とは無関係だ。「ボクらは
未経験で愚直だった、ボクらには責任能力がなかった。」

エジプトは6週間でモルシ追放以降初の大統領を選ぶ選挙に打って
出る。誰から聞いても、最近国防相を辞任した軍の有力者アブデル
ファタフ・シシが勝つ。

「Tamarodを始めたときボクらはとても未経験で愚直だった」と言
って、Dossはかつてグループの本部があったところから1マイル未
満のカイロ中心部の歴史的なカフェ、Cafe Richeでコーヒーをちび
ちび飲む。グループの大部分は長期のエジプト大統領ホスニ・ムバ
ラクに抗議した草の根の連合、Kefaya運動から互いに知っていたと
彼は言った。

Doss、Walid el-Masry、Mohammed Abdel Aziz、Mohmoud Badr
は皆、Kefaya運動のリーダーだったし、Hassan Shahinはグループ
とずっと親しかった。

しかしながら、6月30日の抗議に先立つ何週間かに、Badr、Aziz、
Shahinに対して大きな影響力をふるうらしい見慣れない顔で事務所
が占められるようになるのを彼は思い出した。3人は当時の国防相
シシと内務省で面会するようになった、そして3人が戻ると論点が
シフトしているように思われた。

BuzzFeedは、Badr、Abdel-Aziz、Shahinと繰り返し連絡を取ろう
とした、そしてDossやTamarodグループの他のメンバーによる彼ら
に対してなされた申し立てを Eメール、ボイスメール、フェイスブ
ックのメッセージを介して3人に繰り返した。3人全員がコメント
するのを辞退した。

昨年発表されたロイターの特報によると、エジプト内務省の当局者
らは、Tamarodを支えるために署名集めを手伝い、抗議に参加した。

「彼らや他の皆のようにエジプト人としてもちろん我々は運動に加
わって助けた。モルシ現象全体がエジプトにとって役に立たないと
皆が判断して、この男と集団を排除するために職場の各人ができる
ことをした」と治安当局者はロイターに話した。

6月半ばまでにTamarodは内務省中から支援を受けており、彼らの
抗議に備えて戦術的支援と兵站業務上の支援をグループが受け取る
のを確かにする便宜を与えられたと、ある内務省職員がBuzzFeed
に話した。

6月30日に数百万人が街頭に繰り出したとき、群衆にくまなく行
きわたる水のボトルと何十万のエジプト国旗のミニチュアがあった。
笑顔の警官がエジプトの赤ちゃんと一緒に写真にポーズをとった、
エジプト人がアラブの春の抗議に加わって警察国家とホスニ・ムバ
ラクの30年の統治の終焉を求めて街頭に繰り出したまさに1年前
には想像できない光景である。

タハリール広場の上空では軍用機が入念なスタント飛行の実施を開
始した、そして夏の青空にエジプト国旗のカラーまたはハート型を
描いた。軍と警察の両方がTamarodの裏にいたとの明白なメッセー
ジを送ることを除いて、スタントは簡単には行えないし安くもなか
った。

辞任することで抗議者らが当時のモルシ大統領と妥協に至ったと、
軍が最後通告をする準備を整えた7月1日の夕刻をDossは思い出
した。

「誰がシシと一緒に席について交渉しに行くべきか議論を始めたと
きボクの疑いは高まった」とDossは言った。「ひとつは学生の代表、
ひとつは女性の代表、ひとつは宗教的少数派の代表、その他を入れ
る人々の連合であることにボクらは前もって同意していた。いきな
り、Badr、Abdel Aziz、Shahinの3人だけとなったときボクはショ
ックを受けた。」

Tamarodの公式スポークスマンだったBadrは、メディアに対し、
グループがもっと早くに話し合っていたこととまるで正反対の声明
をし始めて、ますます軍を支持するように思われたとDossは言った。

7月1日夜に行われた記者会見で、Badrは激しいレトリックとシシ
や軍隊について繰り返された国民の支持の要請で多くの人を驚かせ
た、「我々は軍を迎える!我々は彼らに敬礼する!」「国民と共に
あることを彼らは示した」とBadrは言った。

すごい署名キャンペーン、国営メディアからの支持、見たところで
は無制限の資金をどうにか成し遂げることについて、彼が過度にう
ぶだったことをDossは認める。彼の共同創設者らがどんなふうに軍
や政府当局者と会い始めたか詳しく述べるとき、今でも彼の声は信
じられぬ思いをおびている。

「彼らは命令を受けている、そして政府機関に利用されていると実
感した」とDossは言った。

Badr、Shahin、Abdel-Azizは、もはやカイロ中心部によく出入りし
ない。彼らが後援者からクルマやアパートメントの贈り物を快く受
け取っていたとの記事が出てきたあと、かつて3人がTamarodのリ
ーダーとして称賛されたエリアは今は敵対的になっている。ほとん
ど何も確かめられないが、うわさは、2013年10月タハリール
広場から1マイル未満のカフェにShahinが座ったとき 暴徒が彼を
襲ったことを知るので十分だった。

「革命のムードを裏切ったとのわだかまりがある」とTamarodの元
メンバーSarah Yasinは言った。「突然、ナイスな服を着て、財布は
お金でいっぱいだった。どこから来たのか誰でもわかっていた。」

同じ申し出があったとDossは言った。7月3日の夜、Tamarodの
5番目のメンバーWalid Masryと共に情報部当局者に会いに行く機
会が彼にも与えられたと言った。

「彼らが何を持ちかけているかわかったのでボクは断った」と彼は
言った。「その瞬間までイエスと言うかノーと言うか確かによくわ
からなかった、彼らの報酬をもらえば、まったく自分にあきれるの
で、ボクはもらわなかった。」

Tamarod がキャンペーン本部として使ったアパートの所有者
Hesham Gobranは、「政府がTamarodのありかを見つけると決め
るまで、グループはハッピーのように見えた」と言った。

Badr、Aziz、Shahinは、メディアのスポットライトに過度に興奮
しているらしく、突然、現金でバラ色になるように見えたとGobran
は言った。Tamarod運動の仕事仲間だった他の4人に加えて、彼の
ほかには、なにひとつ書類すらなかったと彼は言った、Badr、Aziz、
Shahinは、突然、彼らに贈られたと思われるタブレット型コンピュ
ータを持ってオフィスの周りに現れたとBuzzFeedに話した。

「この金の全部が収入として入ってきた、そしてそれは消えていた」
とDossは言った。「金がどこに行ったか、誰も明言することはでき
なかった。」

Tamarodのソーシャルメディアを運営したIslam Hamamは「海外
の裕福なエジプト人」からオフィスに送られた総額10万ドル以上
の3枚の小切手に関して言い争いを偶然耳にしたのを思い出した。

「小切手が着いたことは確認された、けれどそれから金は消えた、
それについてボクらは一言も聞いていない」と Hamamは言った。
その時まで資金調達を担当していたMohamed Badiaという若い活動
家が突然 Badrから別の仕事を与えられた。グループの唯一の資金
調達役員を解任するという決定について尋ねたとき、Badrは彼に、
「ボクらは互いに信頼しているし小切手は直接ボクらに達する、従
って信頼がある限り、資金調達の人間は本気で必要ない」と話した
とHamamは言っている。

Badr、Aziz、Shahinが寄贈者と会って資金をコントロールするのを
ますます熱望するようになることを除いて、グループの財源に関し
て透明性はまったくなかったと HamamとGobranの両者は言った。
「金が消えて、ボクらは理由を一言も聞かなかったし、どうなって
いるのか理解もしなかった」とGobranは言っている。

6月上旬にグループに加わったある女性活動家は、中心核の創設者
らを堕落させる金と権力の組み合わせのようだと言った。

「彼らは、世界が彼らを受け入れるようになったのを突然悟った。
たくさん力のある人たちによって彼らに使えるようにする万一の時
の頼みや金が彼らにはあった」と彼女は言った、彼女は両親がどち
らも政治運動に関与しているので名を挙げないでくれと頼む。「急
に彼らはカフェにいるみんなになりたがり、誰でも皆の勘定を持っ
た。そして政府が彼らに言って欲しいことを言ってる限り、すべて
を入手できた。」

1年に満たない前、Yasmine TaltawyはTamarodのメンバーだっ
た。今日、彼女はレジの上にシシのポスターを掛けて彼女の衣服店
の店頭に小さなエジプト国旗をテープで貼り付ける。

「今日、正しい側を支えると知られることが重要です」と彼女は
言った。「エジプト人はシシを通して軍に投票して支援すべきだと
のメッセージは明瞭です。」

軍はモルシを打倒して早期選挙を目指すとシシが発表した7月3日
夜、彼女は声を上げて泣いたことを思い出した。「私は戦って、ク
ーデターがあったとフェイスブックのウォールに書いたアレキサン
ドリアの従兄弟といっしょに泣き叫んだのを憶えている。このクー
デターのほのめかしに私はとても腹を立てた」と彼女は言った。
「誤りを認めて前言を取り消せと彼に言った。軍が私たちを手助け
して新たな選挙を行い、どんどん進むことだと。」

彼女は「シシ立候補で構わない」と言ったが、従兄弟が軍の政権へ
の生き返りについて満足かどうか彼女に尋ねるとき、今度は彼が満
足そうにいい気味だと思って眺めると付け加える。

「これで君やTamarodの友人は満足か?君はシシを助けて満足か?
と彼は私に言う。確かに私には答えられない」とTaltawyは言った。

Dossもまた、この頃、答えに苦心している。

「これはボクらが遭遇したかったことではない」と彼は言った。
「始めに、これがボクらの運動の結果と思っていなかったのは承知
している。」

エジプトの大多数とは異なり、来たるべき選挙で誰に投票するか
Dossにはわからない。シシ、またはライバルの左派の大統領候補
Hamdeen Sabahiには投票しない、そして唯一期待できるのは彼ら
に挑むため進み出る新たな候補だと彼は言う。Tamarodを始めたこ
とに後悔しないが、それが至った結果には失望すると彼は強調する。

「ボクらは利用された。」

http://www.buzzfeed.com/sheerafrenkel/how-egypts-rebel-movement-helped-pave-the-way-for-a-sisi-pre

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2013年7月1日のBBCニュースには下記のようにある。

◇エジプトのTamarod 抗議運動
Tamarodは、就任して1年後のモハメド・モルシ大統領に対する最
新の全国的な抗議を支持してきているエジプトの次なる草の根 抗議
運動。
http://www.bbc.com/news/world-middle-east-23131953

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◇5月26、27日投票のエジプト大統領選挙は20日、立候補の
届け出が締め切られ、シシ前国防相(59)と左派政治家のサバヒ
氏(59)による一騎打ちの構図が決まった。世論調査ではシシ氏
への支持が圧倒的で、当選は確実視される。ただ昨年7月のクーデ
ターで追放されたモルシ前大統領の支持者や、強権支配の復活を懸
念する若者グループは選挙を棄権する方針で、社会の分断が収まる
見通しは立っていない。

「革命は続いている、軍事政権を倒せ」。首都カイロ中心部にある
ジャーナリスト連盟本部の前で10日、記者や学生ら約200人が
シュプレヒコールを上げた。デモに参加しただけで治安当局に拘束
された民主活動家の写真を掲げた参加者は即時釈放を求めた。「シ
シ政権が生まれれば、エジプトは2011年の革命前に戻ってしま
う」。エジプト・ブリティッシュ大学3年のアフマド・アブゼイド
さん(21)は危機感をあらわにした。

軍主導の暫定政権は昨年11月、デモ規制法を制定し、治安当局へ
の事前届け出を義務づけた。モルシ氏の出身母体・イスラム組織
ムスリム同胞団のデモを抑圧するのが主眼だったが、11年の革命
でムバラク政権打倒を主導したリベラル派の若者らも「言論の自由
への挑戦だ」と批判。治安当局が、無届けのデモ参加者の拘束を始
め、反感が強まった。

ただ大統領選でのシシ氏の優位は動かない。今年行われた複数の世
論調査で、大統領選の投票先を決めた人の9割以上が「シシ氏に投
票する」と回答。反モルシ派の多くは、国民に不人気だったモルシ
氏を追放したシシ氏を英雄視している。クーデターに反発するイス
ラム過激派などによる爆弾テロが相次ぐ治安状況で、これ以上の混
乱を避けるために「シシ氏でやむなし」との風潮もある。

同胞団や若者グループは、今回の大統領選を「クーデターに基づく
不当な選挙」と位置付けており、ボイコットする方針だ。前回大統
領選で得票数3位だったサバヒ氏は、軍によるモルシ氏追放を支持
した経緯があり、「反シシ票」を吸収しきれていない。

http://mainichi.jp/select/news/20140422k0000m030033000c.html

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