◇私たちみながサパティスタにならなくちゃ

Truthdig 01 Jun 2014 by Chris Hedges

サパティスタ民族解放軍(EZLN)のスポークスマン、マルコス副
司令官は彼の反逆的なパーソナリティ(顔、役割)はもはや存在し
ないと発表している。彼がスポークスマンから気晴らしとして知ら
れるようになったと先週彼は言った。彼の顔は気楽で安っぽいメデ
ィアの語り部分を提供したと彼は言った。マスメディアのためにそ
れは社会的革命をマンガに変えた。それは広告主によって支えられ
る報道機関(マスコミ)や無関係な世界に伝統的な地域社会の指導
者や先住民司令官を無視させて、運動を架空の顔でくるんで隠させ
る。彼の顔は運動を卑小化したと彼は言った。従ってこの顔はもう
存在しないと。

「そのたくらみを譲らないとあとで破壊する、有名人を創り出すと
いう駆け引きに全システムがでる」とマルコスは断言した。

サパティスタは、過去20年で最も重要なレジスタンス(抵抗)運
動を作り上げた。彼らは、全世界にわたる資本主義による略奪や地
球のレイプ、貧乏階級の隷属に対する目立つ対抗勢力である。そし
て、マルコスが現在しているように、生き抜くために繰り返しみず
からを徹底的に作り変える。サパティスタは、先住民共有のマヤ文
化から一部引き抜かれる新しい言語と活動のこれまでにないパラダ
イムを全世界にわたるレジスタンス運動にもたらした。法人組織の
資本主義が私たちに対して戦争を始めたと彼らは理解した。彼らは
反撃するやり方を私たちに教えた。暴力を用いることでサパティス
タは始まったが、自分たちで統治する32の自治権のある自治区を
確立する手間取る骨の折れる作業のために、やすやすとそれを放棄
した。メキシコ政府によって容認されない、Juntas de Buen
Gobierno、または立派な政府のための議会(Councils of Good
Government)の地元代表が、自主独立したこれらのサパティスタ・
コミュニティを主宰する。議会は、食料を配布し、クリニックや学
校を建て、税金を徴収するコミュニティのプログラムを監督する。
資源はコミュニティに住む人たちのためであり、結局彼らを搾取す
ることになる法人のためではない。そして、これをもってサパティ
スタは私たちに将来を想像させる、それは少なくとも私たちに生き
抜くチャンスのある将来だ。

「この人物は創設された、そしていま創設者のサパティスタがそれ
をだいなしにしている」と、メキシコの准軍事的組織の一員によっ
て殺害されたサパティスタの教師、ホセ・ルイス・ソリス・ロペス
の5月24日 La Realidad村での追悼に集まったおよそ1000人
にEZLNのスポークスマンが言い聞かせた。「そして今では等身大の
操り人形の手合い、人物、ホログラムはもはや必要でないことを私
たちは悟った。私たちが偽りなく本当に何であるかを示すために、
何度も私たちはこれを計画し、そして何度も適切な時期、適切な日
程表と地勢を待った。」

"Galeano"として知られる教師の5月2日の殺害は、田舎のサパテ
ィスタ指導者を暗殺して自治のサパティスタの飛び地をつぶす、政
府と緊密に結びついた准軍事的組織、CIOAC-Hによる猛攻撃の一環
であったと思われる。武器を持たない15人のサパティスタ市民が
5月2日に傷つけられたとFray Bartolome人権センターは言ってい
る。その日の攻撃はまた、サパティスタのクリニックや学校や3台
の車両の破壊も検分した。

先月の挨拶は2009年以降初のマルコスによる公の場への顔出し
だった。5月25日、早い時間帯の土砂降りのなか、彼は群衆に向
けて話しかけた。1994年1月1日、メキシコ最南端の州、チア
パスに暴動の戦力としてグループが現れて以降、彼はサパティスタ
の世間周知の顔だった。マヤ語族というよりもむしろメスティーソ
(混血)のマルコスは、蜂起の次にくるメディアの顔として彼の出
現と、ありふれた語り部分にはめ込むために現実をゆがめるマスコ
ミによっていかに運動がそれと識別できるリーダーの強要に迎合し
たかについて話をした。

蜂起からほんの数日後、街の通りに落ちた私たちの血がまだ乾かぬ
まま、私たちは、外部からの人たちが私たちを見ないことを十分に
理解した。

原住民を上から見るのに慣れた彼らは、私たちを顧みるために目を
上げなかった。

プライドを傷つけられ惨めな気持ちにさせられる私たちを見るのに
慣れた彼らの本質は、私たちの堂々とした反乱を理解しなかった。

彼らの目はバラクラヴァ帽(頭から肩の一部まですっぽりはいるウ
ールの大きな帽子)で判断した唯一のメスティーソ(混血)、すな
わち、彼らが目をくれなかった人に向けられた。

そのとき、ボスは私たちにこう言った:

「彼らは自分たちの貧弱さだけを見る、誰かを彼らと同じくらい貧
弱に思おうとする、それゆえ、彼らは彼を見るかもしれないし、彼
を通して私たちを見るかもしれない。」

おっそろしくてすばらしい魔法のトリック、私たちは現代性に異議
を唱える先住民の知恵であるとの先住民の決意について、防衛拠点
(要塞)のひとつ、メディアのなかの意地の悪い扱いや、気晴らし
という入り組んだ巧みな陽動作戦は、そのとき始まった。

“マルコス”と呼ばれる人物はそのとき仕立てられ始めた。

人目につかない運動は、すべての反乱がそうであるように一握りの
理想主義者と共に始まった。

「1983年、1984年に最初のグループが到着したとき、私た
ちはジャングルの最も密林部分にいた」と、チアパス・インディー・
メディアセンターと言論の自由ラジオニュースによって制作される
ドキュメンタリー映画「サパティスタの行動10年の記録:
Remembering Ten Years of Zapatismo」のなかで言っている。「私
たちが話している4つか5つのグループとは、毎日自分自身に"これ
が果たすべき正しいこと"、"果たすべき正しいこと"と繰り返した6
人のこと。世界にはこれが果たすべき正しいことだと私たちに知ら
せるものはなにひとつなかった。いつかきっとこのすべてがなにか
に値すると私たちは夢想していた。」

1994年1月1日朝早く、反乱軍がチアパスの5つ以上の主要な
町を乗っ取った。その日はNAFTA(北米自由貿易協定)が有効にな
る日だった。もはやメキシコ政府の正当性は認めないとEZLNは発表
した。貧しい階級と金持ち間の不平等を広げる新たな手段であると
NAFTAを糾弾して、自由貿易協定にはアメリカ合衆国の多くが欠け
ているとの見解を示した。平和的な抗議の手段が役に立たなかった
ので暴力に訴えたと言っている。驚きあわてたメキシコ政府は蜂起
を鎮圧するためにチアパスに数千人の軍隊と警察を派遣した。軍隊
は貧乏になった農民に食べ物をばらまいた。また、多数の男性を拘
留した。多くが拷問された。一部は殺害された。約200人が死ん
だ12日間の激しい戦いがあった。全国的な革命に燃え立たせるこ
と望んできて軍の攻撃にぐらつき動揺していたサパティスタは2月
までには交渉することに同意した。大部分は周囲のジャングルに退
却していた。反乱は、根本の存在に関する選択に直面したとマルコ
スは言った。暗殺された彼の同志に対する先月の記念演説で、彼は
この選択について次のように話した:

私たちのあとに続く人たちに死の行く手を築くべきか?

いっそう多くのよりすぐれた兵士を新たに発現させるべきか?

痛めつけられた私たちの戦争マシーンを向上させることに努力を注
ぎ込む?

次の攻撃を準備しながら平和に向かう対話と配備のふりをする?

唯一の運命として人殺しをするか死ぬかを選択する?

または、上層部の人たちが壊してきた、しかも壊し続ける、生存の
行く手を築くべきか?

… 権力のために別の人が計画した行く手を私たちの血で飾るのは
当然か、または、私たちの思いやりと注視を私たち地球と記憶の監
視者、先住民の人たちへ向けてきたのは当然か?

その時、誰も耳をかさなかった、だが、私たちの話だった最初の饒
舌のなかで、私たちの苦しい選択は交渉か戦いかのうちではなく、
死ぬか生きるかの選択だったと私たちは書き留めた。

... そして私たちは選択した。

そして、ゲリラや兵士や戦隊を訓練することに専念するよりはむし
ろ、教育や健康を増進する煽動者を開発した、煽動者たちは今日、
世界を驚嘆させる自治の土台を築くことにせっせと取りかかった。

兵舎の建設、武器の改良、そして壁や塹壕を造る代わりに、私たち
は生活状況を改善するために、学校、病院、医療センターを建設し
た。

下からの人たちの個別に列挙される死のパルテノン(神殿)の場所
のために戦う代わりに、私たちは生活状態を組み立てることを選ん
だ。

それはみな、休止していたのでそれぐらい破壊的だった戦争の間の
こと。

記念演説の間中ずっと、運動の暴力による威嚇から非暴力の市民的
不服従へのシフトが証明された。サパティスタの指導者たちは攻撃
を最後まで続けた自警団員の身元を知っていたと言った。だが、民
衆の中の人たちは、国務について殺人を巧みに操作されていたと言
われた殺人者に復讐の念を抱かないように注意された。全世界にわ
たる資本主義体制そのものを解体することに焦点はとどめねばなら
なかった。とりわけ地球の半分ほど離れた遠い南アのアフリカ民族
会議(ANC)によっても採用された暴力から非暴力へのシフトは、
サパティスタに立ち直る力と抵抗力を与えてきたものだ。この点を
マルコスは次のように強調した:

つまらない正義は復讐にとてもよく似ている。つまらない正義は罰
を受けないこと(刑事責任の免除)を配置するものだ。人を罰する
とき、それはあっちの人たちを無罪放免にする。

私たちが望むこと、私たちがそのために戦うことは、ガレアノ殺害
の犯人を見つけて彼らがその罰を受けるのを見ることで終わりとは
ならない。

辛抱強くて頑固な追求は、辞職という息抜きではなく、真実を要求
する。

本物の正義は葬られた同志ガレアノと関係がある。

そのわけは、私たちが自分に問うのは彼の死をどう扱うかではなく
て彼の生涯をどう扱うかだから。

なかなかの機敏な報告でメキシコの小説家アレハンドロ・レイズに
よって記録に留められるEZLNによるこの転換は、法人型国家から
自分自身を隔てて自治コミュニティを築き上げるために仕組み(手
法)を探し求めるとき、忘れないようにすることが重大だ。目的地
は破壊ではなく転換することだ。そしてこれは暴力が逆効果の理由
である。私たちもまた、意識に急進的なシフトを与えるために努力
して徐々に進まなければならない。そしてこれには時間がかかり、
もっとずっとたくさんの人数を市民的不服従のふるまいに引きずり
込む必要がある。私たちもまた、市民を権力の仕組みに気づかせる
ために努力して徐々に進まなければならない。非暴力に対する忠実
な支持は、国家の暴力と国に雇われるならず者や自警団員から私た
ちを救わない。だが、非暴力は圧制者の間でも転換を可能にさせる。
そして、私たちの行き先は転換だ。マルコスが言ったように:

本当かもしれない。私たちが死を崇拝する代わりに生存を奨励する
ほうを選ぶのは間違っていたかもしれない。

だが、私たちは門外漢に耳を貸さないで選択した。反対側が死んで
いる限りは常に死闘を要求して迫る門外漢に耳を貸すことなく。

私たちがそうである結集したVot?nとして、よく知っている内部に
目をやり、耳を貸しながら、私たちは選択をした。

私たちは、権力者に対する反抗、すなわち生存を選んだ。

http://www.truthdig.com/report/print/we_all_must_become_zapatistas_20140601

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