◇“Lawfare”と呼ぶキャンペーンによりイスラエルが国際法を
どれだけ陰険な手段で傷つけるか

ガザを世界化すること
Counterpunch 18 August 2014 by JEFF HALPER

Protective Edge作戦は単に主として一般市民の人びとへの軍事攻
撃ではなかった。先の作戦(2008−2009年Cast Lead作戦や2012
年のPillar of Defense作戦)の場合のように高度に調整されたイス
ラエルの弁護士、将校、広報業界人、政治家からなるチームによる
なんと驚くなかれ 倫理の哲学によって導かれる進行中の国際人道
法(IHL)への攻撃の一部でもあった。それは堂々とした人権や国
際法違反の責任からイスラエルをのがれさせるばかりか、また他国
の政府がなお支配に抵抗する民族(住民)に対して”非対称の戦争”
や”対ゲリラ活動”、”テロ対策”に着手するとき彼らが同様の制約を
圧倒するのを助ける行動だ。それはイスラエルが”lawfare”と呼ぶ
作戦で、誰でもみなによって真剣に受け止められるべきである。

緊急なこのキャンペーンは過去10年かそこらにわたってイスラエ
ルが招いてきた一連の顕著な法律上の挫折や難題によって強調され
てきており、サブラ・シャティーラ大虐殺におけるアリエル・シャ
ロンの関与に従事する2001年ベルギー法廷の彼の告発から始め
る、そこにおいて彼は裁判を免れた。

シャロンの政府がヨルダン川西岸の何百ものパレスチナ人の家を取
り壊し、パレスチナの都市の全インフラの事実上の破壊とパレスチ
ナ人の死者497人、逮捕者7000人を監督した2002年の
Defensive Shield作戦の結果としてイスラエルは戦争犯罪で非難さ
れたが、国連調査をくじくことに成功した。2004年、国連総会
の要請によりハーグ国際司法裁判所がパレスチナ領域内のイスラエ
ルの壁の建設は”国際法と相容れない”ので撤去されなければならな
いと判決を下した。その決定は、イスラエル、アメリカ、オースト
ラリアと太平洋環礁の数カ国が異議を唱えるだけで、国連総会によ
ってほぼ満場一致で支持された。とはいえ、再び、強制するにはど
のような措置にも欠けていた。2006年の第2次レバノン戦争で、
ヒズボラの拠点、ベイルートのDahiya 地区を破壊したあと、イス
ラエルは”Dahiyaドクトリン”を発表した。IDF(イスラエル国防軍)
の北部司令官Gadi Eisenkottは次のように宣言した:

2006年ベイルートのDahiya地区で起こったことは、「イスラエ
ルが狙撃されることを根拠にすべての村で起こる。われわれは不相
応な暴力をそれに用いて大損害と大破壊を引き起こす。われわれの
見地からそれは民間人の村ではない、それは軍事基地だ。 ...これ
は提案ではない。計画だ。そして承認されてきている。」 そして
再び、それは承認された。ゴールドストーンのCast Lead作戦に関す
る報告は次のように締めくくった:

2008−2009年のガザ攻撃においてイスラエル全軍によって
用いられる戦術は先の実践、最も最近では2006年レバノン戦争
の間のものと一致する。その時、Dahiyaドクトリンとして知られる
コンセプトが出てきた、不相応な暴力の適用と一般市民の資産やイ
ンフラに大損害と大破壊を引き起こすことが含まれる、そして一般
市民の全住民まで罰せられる。

DahiyaドクトリンはIHL(国際人道法)の二つの基本原則に違反す
る:区別に関する原則と不釣り合いに関する原則。1949年の(戦
時における文民の保護に関する)ジュネーブ4条約と1977年の
ジュネーブ諸条約の追加議定書の中で具体的に表現される区別に関
する原則は、「民間人は軍による攻撃目標にしてはいけない」と動か
せないルールを規定する。それどころか民間人は保護されなければ
ならない、”個人の尊厳の蹂躙”であるとして生き物と人への暴力は
厳しく禁止される。また1977年のジュネーブ諸条約の付随書の
なかで具体的に表現される不釣り合いの原則も、偶発的な民間人の
被害が予想される軍の有利な立場に関して明らかに過剰であると知
っていて故意に軍の目的物を攻撃することを戦争犯罪とみなす。現
在の一勝負で再びこれらの原則が破られたばかりか、また意図的な
不釣り合いの追加ドクトリン、ハンニバル・ドクトリンが宣言され
て行われた、原則の違反に気づいているイスラエル政府は、パレス
チナ自治政府がそこに救いを求めるはずの国際刑事裁判所に直面す
るのに加えて国連人権会議の国際調査委員会に先んじてその防戦を
慎重に準備した。すなわち、イスラエル兵士が捕らえられるときは
どれほど多くの一般市民が殺害または負傷しても構わない、どれほ
どの損害が生じても構わない、あるいは捕らえられた兵士自身が殺
されようと友軍による発砲で傷つこうと構わない、兵士を救い出す
ことが主要任務となると述べる。そうして、イスラエル国防軍の兵
士がラファ地域でハマスによって捕らえられたと思われたとき(結
局、ウソだったことがわかる)、都市部全体が大規模なイスラエルの
大砲放火と空爆を受け、何百もの建物が破壊されて少なくとも
130人が殺害された。

区別と不釣り合いの原則の違反は国際法の重大な違反となる。だが、
これはまさにイスラエルがやろうと計画するとおりのことだ。国際
法を黙らせる大胆で好戦的な戦略のモルモットとしてパレスチナ人
を利用し、もはや国家の抑圧に抵抗するだれにも擁護を要求するこ
とができないように戦闘員の新しいカテゴリー、支持する一般市民
の全住民と共に”テロリスト”のような”非合法の行為者”、”暴徒”、
”非国家の行為者(国家の暴力の独占に挑む一切の組織を指す)”を考
案したいと望む。イギリスのルパート・スミス将軍が言うように、
現代の戦争は従来の各国家間のモデルから”新しいパラダイム”と彼
が呼ぶもの、”住民の間の戦争”にどんどん離れていっている、そこで
は「われわれは戦場ではなく住民の中にまじって戦う。」
軍人によって用いられるもっと通俗の言葉、”非対称の戦争”は、国家
やその軍隊と彼らに立ち向かう非国家組織の比較した場合の弱さの
間に存在する莫大な力の差を強調する故に、おそらくより正直で隠
された部分を明らかにする。

しかし、”住民”、その厄介な”非国家の行為者”にもまた権利がある。
1960年にさかのぼり、国連総会の植民地国やその国民に対し
独立を認める宣言が、民族自決の権利や付加部分によって軍隊によ
るものでも「外国の征服、支配と搾取」に抵抗する権利を是認した。
アメリカとイスラエルによって先導される長年にわたる、そして確
かに911以降の政府による押し戻しは、抑圧に抵抗する非国家行
為者の権利の適法性を頻繁に否定してきている。かくして、オバマ
またはEUがイスラエルの自衛権を支えるとき、彼らは自衛する占領
された民族の側の権利を含めない。それどころか、非国家行為者は
”テロリスト”(イスラエルがすべての暴徒や革命家、付加部分によっ
て当局をおびやかすどのような抗議者もドサッと厄介払いするカテ
ゴリー)とみなされる、かくして交渉が可能である相手との争いに
対して”敵”としてどのような合法性も奪われる。ガザの住民がした
ように、国際法の擁護を求めて違法な行動に対し説明する責任を国
家の行為者に守らせる行動を起こすとき、彼らはイスラエルが
”lawfare”と定義すること、”テロリスト”が民主主義の国々に対抗し
て武器として国際法を用いるときに従事している。イスラエルの対
”lawfare”キャンペーンは、もちろん非国家行為者を悪役とみなそう
と企てる、だが”lawfare”は国際人道法をイスラエルのニーズに曲げ
るイスラエルの取り組みを最もよく説明する。パレスチナ民族との
戦争を続行するイスラエルの企てにおいて国家へのあらゆる制約を
取り除く一種の非対称のlawfare(※戦略的または政治的目的の達成の
ために欧米の法律や司法制度を乱用すること:wikipedia)だ。

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合法の状態を”テロリズム行為”と定義してきたlawfareキャンペー
ンの考案者らは次に”自衛”に訴えることで、ヒズボラ、ハマス、そ
れどころかパレスチナ人のあらゆる抵抗に対しイスラエルによって
とられたあのような行動をさらに合法の状態にし続けた。そうする
ために彼らは、たとえ47年の占領、25年の閉鎖、7年の餓死な
かばの自称政権、ロケット弾発射より先に起こったハマス攻撃、さ
らに言えば、”外国の征服、支配と搾取”に抵抗するパレスチナ人の権
利も何もかまわずに、イスラエルにロケット弾を発射することによ
って”テロリスト”組織が行った控えめな行いでもって、結局はガザ
攻撃となる出来事の語り部分を開始する。

lawfareキャンペーン考案者らは同じく国家はテロに関与できない
とほのめかす、わずかに彼らは武力行使によって”合法的な独占権”
のある国家にとどまるからだ。実際には、”上にあるものからのテロ”、
国家テロリズムと比べたとき、彼らを非常に心配させる非国家の
”下にあるものからのテロ”はスケールにおいて色あせる。著書
「Death By Government」の中でR.J. Rummelはこう指摘する、
20世紀の歩みの間に約17万人の罪なき一般市民が非国家の行為
者によって殺害された。だが、と彼は付け加える、20世紀の最初
の88年間に、ほぼ1億7000万人の男性、女性、子どもが、撃
たれる、殴られる、拷問される、ナイフで刺される、焼かれる、飢
える、凍える、打ちひしがれる、または過労で死んだ。政府が武器
を持たない無力な市民や外国人に死を押しつける、生きたまま埋め
られる、溺れる、絞首刑に処される、爆撃される、または他の無数
の方法で殺害された。死者はおそらくほぼ3億6000万人になる
と考えられる。

そして1994年に書かれた本には、ザイール(コンゴ)、ボスニア、
ソマリア、スーダン、ルワンダ、サダム・フセイン政権、イラク民
間人住民への国連制裁の打撃や他の国家が保証する殺害の打撃は含
まれない。それはまた死で終わらない、拷問、監禁、抑制、住宅の
破壊、誘発される飢餓、脅迫、残りのすべてを計上していない。

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”新しい軍の倫理学”で正当化し続ける間、イスラエルのlawfare戦略
は違法行為の繰り返しに頼る。「必要なだけ長く何かすれば、世界は
それを受け入れる」とIDFの法律部門の元ボス、ダニエル・ライス
ナー大佐は言う。「すべての国際法は今ではもう、必要なだけ国々に
よって実行されるなら、今日禁じられている行為が許されるように
なるとの概念に基づく。国際法は違反を通して次の段階に進む。
われわれは、<イスラエル市民に対する特定の計画を止めなくては
ならないときや、標的によって演じられる役割が計画に重大なとき、
司法権の及ばない(違法の)殺害は許される>との、標的にされる
暗殺のテーゼをこしらえたのでそれを推し進めなければならなかっ
た。8年後、それは適法の範囲の中心にある。」「もっと頻繁に西側
諸国はアフガニスタンやイラクのような場所での彼ら自身の非在来
の紛争にイスラエルで始めた根本方針を適用する」とlawfareキャン
ペーンの考案者は言う。「そういうわけでこれらの根本方針には価値
ある国際法の一部になる大チャンスがある。」

今から数年前の2005年に、エルサレムポスト紙が匿名のままを
望むイスラエルの国際法の専門家との暴露的インタビュー記事を発
表した。以下、専門家の説明だ:

国際法は世界の言葉で、今日われわれが我々自身を評価する判断の
基準、ものさしくらいです。それは国際組織の意思伝達のかけはし
となるものです。ですから、もしあなたが国際社会のメンバーであ
りたいなら、ゲームをしなければなりません。そしてゲームはこの
ように行います。あなたがしていることが国際法の文脈内である理
由として、国際法の範囲内で動いていると主張して妥当な論拠を提
供する限り、あなたは申し分ありません。それがうまくいくやり方
です。世界がどう動くかについてこれは非常にシニカルな見方です。
ですから、たとえあなたが創意に富むとしても、またはあなたが少
し急進的であるとしても、その文脈のなかで説明できる限り、大部
分の国はあなたを戦争犯罪者とは言いません。

再び、これは重大な実体だ。ちょうどイスラエルがアメリカやヨー
ロッパの軍隊や安全保障局、警察のようなやる気のある顧客に対し
て占領--軍備開発と抑圧の戦術--を輸出するとおり、イスラエルは
また国際人道法を巧みに扱うことで法律の専門家の意見や効果的
PR、hasbaraテクニックを輸出する。ガザ自体はガザ抑圧に関して
これら様々な手段のための実験の場も同然になる。重要なイスラエ
ルの輸出はガザの世界化だ。しかしながら、輸出には製品を引き立
つように見せて地元経済にそのための市場を産み出す地元の支店を
必要とする。かくして、アメリカのB’nai Brithが、”人権の政治化か
ら護る”とのスローガンの下、”Lawfareプロジェクト”を大量に生産
したhttp://www.thelawfareproject.org。そこの主要な戦略は、
国際人道法をうけてその犯罪の責任をイスラエルに負わせようとの
試みを非合法化することで著名な法律の専門家の支持を得ることに
なっている。

軍隊と法律用語の両方でガザを世界化することが、政治上の団結か
ら文字通りの的確さに至るまで、”we are all Palestinians(私たち
はすっかりパレスチナ人)”というスローガンを起こさせる。それは
また、私たちの政府はすっかりイスラエル(our governments are
all Israel)との、私たちがきびしく気がついていなければならない
国際政治学の重要な要素に強い光をあてる。

△ジェフ・ハルパー(Jeff Halper)は住宅取り壊しに反対するイス
ラエル委員会(ICAHD)の委員長。連絡はこちら jeff@icahd.org.

http://www.counterpunch.org/2014/08/18/globalizing-gaza/

 


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