クリーヴランドが投票を激しくゆさぶるのを期待してスターたちが瀕死
の町に押しかける
▼投票を左右するスウィンガーの日ごよみ▼ by Franklin Soults 
18 October 2004

この間の夜、ボクはクリーヴランドの衰退する郊外中枢環状で最も人口
密度の高いレイクウッドの横丁までクルマを走らせた。そして2004
年アメリカのグラウンドゼロを見た。きっちり一定の間隔をあける中庭
のほぼ全部にブッシュ&チェイニーか、ケリー&エドワーズの標示があ
る。「よくまあそんなことができるもんだ」と問いただす人の姿なしに
黙って敵対者をにらみつけるように向き合って配置される。クリーヴラ
ンドの人口は1950年の約半分なので何十年も人通りがなかったが、
グラウンドゼロのメタファーを作ることではやりやすい。副大統領候補
の討論会を見逃した用心に、国勢調査局は最近ボクの町をアメリカで最
も貧しい大都市と評価した。そして男性の健康状態によればそれでもま
た最もストレスの多い町にランクされる。赤と青とに分裂した青の側か
ら生じる、W(ジョージ・ブッシュ)政権と、この先10年に及びオハ
イオ州から5億ドル以上の仕事をほすことになる予算を通す腰巾着議会
を通じて、6万4000人(13人にひとりの割合)の仕事がカヤホガ
郡からなくなる。ボクらがなぜこの名声を博したかは全くもって明白す
ぎる。最も進歩的な人びとが疎外感とにがにがしい思いを感じて引っ越
す準備をするのも無理はない。

東海岸の活動家たちが仲間入りできるかどうか問うためボクらの故郷に
現れているとき、ウエストサイドマーケットで有権者登録するため俳優
のケヴィン・ベーコンとスティーヴ・ブーシェーミが顔を見せたとき、
そして一度限りの政治的音楽ツアーが各地を巡業してまわっているとき
ここ数週間にわたるクリーヴランドの相容れない情動を想像してみてく
れ。ボクたち左寄りのオハイオ人はどうしたって世界を救えるんだとい
う望み。まもなくの選挙がこの望みをかなりの未経験と証明するかもし
れない。だが少なくとも音楽界では、アンチ・フラッグからブルース・
スプリングスティーンまで、演奏者らが有名なその正体を「記憶にとど
めるアメリカを実現する」とスプリングスティーンが述べるような彼ら
の夢にかけているとき、活動そのものが転換を証明している。

ガンドアリーナでのブライトアイズ、REM、ブルース・スプリングス
ティーン、ジョン・フォガティと、ステイトシアターでのディキシー・
チックス、ジェームズ・テイラーを呼び物にする10月2日「Vote for
Change 」のダブルプログラムは文句なく今季最大の音楽&政治的なニ
ュースだった。さらに最も感動させることは、プラグを抜くことなしに
どんなふうに彼らがポップをフォークに置き換えるか、どうしてそれを
大いに示すため大スターたちが張り合わなかったかだった。だが、歯切
れのよい政治的意地悪でうらをかく5人のミュージシャンが伴奏する、
「ジョージ・ブッシュに投票するのは自分のベッドでクソをするような
もの」というその夜最も忘れられないせりふを食らわしたブライト・ア
イズのコナー・オーバーストが皮切りだった。

暗に意味されたメッセージがやや抽象的な歌、もちろんなじみの「カヤ
ホガ」と新曲「リーヴィング・ニューヨーク」への興味の中心に加わっ
たとき、白いケリーTシャツの上に白いスーツ姿の自由奔放に踊るマイ
ケル・スタイプは、モンスターツアー以降よりもずっと充満していた。
待ってましたのスプリングスティーンのセットはもっと引き締まったス
タイルで、政治的に緊張するような頭のよさに欠く下り坂にある「ザ・
リヴァー」や「ボーンインザUSA」からの最も容易な活動の場、あり
ふれた出し物でさえ新鮮な元気で充満していた。彼らは旧式なコードチ
ェンジや芝居じみた大げさな言動の限界を超えていなかった。彼らは単
に人生と、人生をどう生きるかに関係していた。そういうわけで、フォ
ガティとEストリートバンドの「フォーチュネイト・サン」の出番だ、
その夜の親交が全くのプロテストになった瞬間、そして群衆が軍隊のよ
うに感じた瞬間だった。

だが、どの程度まで気持ちが動くものか?トゥインズバーグ出身36歳
の販売外交員マイク・ホラランはショーの前に、「60年代の世代はみ
んな同じ価値観を共有した」と主張した。「今は共有しない」。ホララ
ンは2000年はブッシュに投票したが、今回は決めかねている。彼が
より熱心に考えるようになったスプリングスティーンの民主党陣営への
転向には同意するが、彼は転向には至っていなかった。「ロックンロー
ルだから来たんだよ」。ボクが話した大部分のファンが立証するには、
総じてあれこれケリーを身の回りにつけてるのはもっと党派心の強い群
衆だと提唱する。たとえそうであっても、夫が23年働いた製鋼所から
レイオフされたばかりの47歳、カントンコレクション代理人のヴィッ
キー・コールマーのような、まだ決まらない人を見つけるのは容易だっ
た。(「次の23年間私たちを支えるのは彼女の番」と夫は精一杯皮肉
を言ってみる)そしてボクはブッシュ支持のブルース・ファン、ティー
ンエイジャーの3人組にもばったり出会った。そのひとり、見たところ
チケットの代金75ドル全額出すのをいとわない19歳のアダムはいま
も「木の機嫌を取る(環境派)ベビーキラー(女性の中絶の権利を認め
る)」どものことが「ひどく嫌い」だった。

この抵抗に気が進まない傾向が、なぜ「Vote for Change」は目立って
年上の白人演奏者を呼び物にしたかを説明すると言ってもいい。ケリー
は依然として年上の白人有権者を確保する必要があった。別のコミュニ
ティではあわてふためくほどでなく人生は続く。翌晩、政党はもちろん
当人を無視する若い黒人観客を前に、きらびやかなライフスタイル成金
趣味を祝うためケリーの「どちらの世界にとってもベスト」ツアーがダ
ウンタウンにやって来た。なお、スプリングスティーンのショーで会っ
た唯一のアフリカ系アメリカ人、ダミオン・チャットモンの自信をくじ
くのにこれではどうかと思う。「注視することだ」と彼は言った。「黒
人がこのクソいまいましい州をジョン・ケリーのために勝ち取ることに
なっている。黒人がこの選挙を制することになっている」。翌週末、ク
ラブ・ヤウカナの雰囲気はきっと勝つというものではなかった。スピー
チとサルサのライヴを聴くためケリー集会が呼び集めたのは100人に
満たないラテン系だったが、「気をもまないで、私たちはあなたに賛成
よ」と米料理をボクに手渡したとき、プエルトリカンの商人はまだ肩を
すくめていた。

10日前、アゴラシアターの期待はずれに小規模の、「Rock Against
Bush 」で、ブッシュに向けた毒気ある言葉は常にこの手の忠誠に変形
させはしなかった。そのひとり、ケリーが決定をパタパタ変えるという
ブッシュ陣営の宣伝に浮き足だったと思える20歳のジェフ・ワジリク
は、激戦区オハイオでラルフ・ネイダーに投票することがどんなにまず
い考えかよく考えもしなかった。なお悪いことに、劇場の出し物でたっ
た一つのパンクバンドもステージから「ジョン・ケリー」と口にしなか
った。それはどうでもよいことだ、そして立て役者アンチ・フラッグが
意外に急激に変化するパンクでいかに月並みな顔ぶれを救ったかを考慮
に入れる。だが左翼の予定表を展開するのに、リードシンガーのジャス
ティン・セインが公共事業従業員の組合オルグをステージに上げるんだ
ったら、クシニッチ(民主党の一番まともな大統領候補)の代表者を上
げてもよいではないか?数日後、Strike Anywhere のトーマス・バー
ネットがペンシルヴァニアのランカスターからの電話で説明した。「パ
ンクの一環として投票をはかどらせる必要があるとボクら全員が同意で
きたのは驚くべき前進だと言わせてよ。ボクらはみんなたいてい組織的
方法で衝突した」。もっと大雑把なインディ・ファンのような人とのつ
ながりはどうかと言えば、バーネットは慎重だった。「多くの20代、
30代前半の人びとはシェルター(保護)が欲しい。彼らの皮肉な考え
や行為にある種の正当化を手に入れたい、それで称揚するような政治的
な歌とは対照的に、メッセージがより喚起させるような抽象的音楽の形
態に執着しようとする。

そういうことを考慮して、「Vote for Change」ツアー後の週末、10
月8日のビーチランド・ボールルームでの the Faint を見に行った。そ
の日は副大統領候補の討論会があり、オハイオの有権者登録締め切り日
だった。ボクは常に the Faint を単に器用な80年代のリヴァイヴァル
バンドとみなしてきたがボクが聞いたライヴは脅迫と元気をつけるアン
チ権威主義の電光石火だ。あとで、musicforamerica.org のテーブル
で数人の子がリベラルな全作品の代金を支払ったが、大部分はTシャツ
の列に並んだ。ボクがそこで話した全員がはっきり確信してブッシュを
はねつけた。ほぼ全員が互角の確信をもってケリーに投票していた(「
こんな切迫するとき過激でいる余裕がない」とリンジー・ローズ21歳
は言った)。多数がブッシュに投票する両親を持ち、全員が世論調査に
登録されない携帯電話を持ち歩いた。そして集まった群衆の数は「Rock
Against Bush 」の2倍だった。それは少なくともあと数週間はずっと
ボクを通わせるに足るものだった。
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大統領候補者の三回目の討論会で、同性愛は「嗜好・選択」の結果か、
生まれついてのものかの議論でケリーが娘メアリー・チェイニーに言及
したのはプライヴァシーを侵害する低劣な政治的発言とリー・チェイニ
ーは鬼のごとく怒って、「彼はひどい人間」と吐き捨てた。チェイニー
副大統領の34歳の娘メアリー・チェイニーはレズビアンを公言してい
るが、10月にわずか1年でゲイの共和党員を中心に構成される諮問委
員会RUCを辞職していたことが判明した。メアリーはイラク戦争の際
「人間の盾」になるためアンマン市内のホテルに滞在しているのをヨル
ダンの新聞で報じられ、大きな注目を集めた。どうやら娘のほうはまと
もに思える。気にくわない歴史を参考にすることばかりか娘がゲイなの
を頑なに認めないのは母親ばかりなり。
この10年、中等教育の歴史を理解する上で親と子のための手引き書と
して配布してきたパンフレットを、副大統領の妻リン・チェイニーが組
織的な抗議を繰り返したことで教育省はこの6月、しかたなくこのすべ
ての廃棄と都合のよい改訂版ガイドブックの導入を決定した。
自分のことを「夫よりずっと保守的」と語るリン・チェイニーの経歴は
決して保守向きではなかった。夫と同じくワイオミング出身で、80年
代に女性解放運動に傾倒していた彼女は、女流作家として81年ヒット
作「シスターズ:アメリカの開拓時代のルールすべてを破った強くて美
しい女性たちの物語」をカナダで出版している。女性同士の愛の交歓を
赤裸々な性描写で讃える作品を刊行した直後(本に関しては経歴から抹
消されている)リン・チェイニーは反フェミニズム運動に転向し、夫の
政治家としての成功に合わせて急速に右化しながら現在に至っている。
1994年から2001年にかけロッキード・マーティン社の役員を務
め、今はネオコンのゆりかごといわれる保守派シンクタンク、アメリカ
ンエンタープライズ研究所の上級研究員で保守系企業リーダーズ・ダイ
ジェスト社の役員を務めている。また、保守系教育団体ACTAの創始
者でもあるリン・チェイニーは911テロ後、米国の大学について「愛
国心が足りない」と批判を展開し、「マッカーシズムの再来」と全米の
教育関係者から危険視された人物だった。

▼焼かれる21世紀の本▼
チェイニー夫人:「英雄よりアメリカ合衆国の歴史のほうが多い」
By Steven J. Ross Los Angeles Times 13 October 2004

独裁主義政権の特色のひとつは知識と言論の自由の広がりを抑えるため
の奮闘だ。1933年5月、ベルリンのナチ・シンパが2万冊の「堕落
した」書物を燃やした。その多くはアルバート・アインシュタイン、ベ
ルトルト・ブレヒト、フランツ・カフカといった反ファシストのユダヤ
人によって書かれた。ここアメリカでは南北戦争前の南部議会がくまな
く、奴隷に読み書きを教えるのを犯罪にしたという命令によって奴隷所
有者がそれはぎょっとした。

ところで、副大統領ディック・チェイニーの妻で全米慈善行為寄付金の
元会長のリン・チェイニーは、独裁者と奴隷所有者の交友に仕事を見つ
けている。教育省は彼女にせき立てられて、親と子供たちがアメリカの
過去についてもっと学ぶのを助長するよう立案されたパンフレット30
万部以上を破棄した。

1990年代、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)で創り
出された中等学校で歴史を教えるためのガイダンス、そのうえアメリカ
の歴史はアメリカの上首尾ばかりか苦闘や邪悪な時期も目的として教え
られるべきだと示す、パンフレットの全米歴史規範の論及にチェイニー
は不服を唱えた。

見たところではチェイニーがひどくアメリカの範囲外を見つけたらしい
その種の歴史からの重要な経験で彼女は教えられてもよかった。

ひとつは、権威主義と民主主義を分ける境界線は私たちが思ってるほど
はっきりと引かれていたためしはない。フィリップ・ロスの最新の小説
「The Plot Against America」でロスは、1940年米大統領として
有権者がフランクリン・D・ルーズベルトをはねつけて反ユダヤでアド
ルフ・ヒットラーの崇拝者であるチャールズ・A・リンドバーグを選ん
でいたらどうだったか説明する。1935年、シンクレア・ルイスの、
「It Can't Happen Here」は大企業(財閥)と過激に走る宗教家のデマ
ゴーグ(民衆煽動家)のお気に入り、新たに選ばれた大統領バーゼリア
ス"バズ"ウインドリップが彼らの権利をアメリカ人から奪い、立法府議
員と司法の権限を無効にして、ファシストの絶対権力を取り付けるシナ
リオを披露した。

どれに関しても数百万の量の経験の大量破棄に値することになる全米歴
史規範をめぐって実にひどかったのは何だったか?チェイニーによると
その規範はアメリカの伝統的な英雄たちの功績を事実として受け入れる
ことを怠り、代わりに女性やマイノリティ、南部の黒人奴隷を北部に逃
す地下活動アンダーグラウンドレールロードを設立するのに助力した元
奴隷のハリエット・タブマンのような急進論者に焦点をあてた。チェイ
ニーが1994年に書いたように、「全米規範が指摘するより私たちは
ずっとりっぱな人間です。そして私たちの子供はそれを知らされる価値
がある」

白人史上主義の秘密結社KKK(クー・クラックス・クラン)、赤狩り
のマッカーシズムといったアメリカの民主主義の遺産にシミを付ける経
験について、不愉快な過去について、その規範はあまりにも集中させす
ぎている、そして英国軍の進撃をいち早く知らせた愛国者ポール・リヴ
ィアやリー将軍、ライト兄弟といった偉大なる英雄については十分でな
いとチェイニーは迫った。

チェイニーが実際に反対するのは、ここ30年に及び「社会史」が当然
のことと決め込んでいる傑出した身分だ。実務者の間では「すっかり歴
史」として知られるアメリカの歴史は、有名な白人男性、政党、大生産
会社の経営者の歴史としてあまりにも頻繁に教えられていると社会歴史
学者は主張する。

アメリカの建国を助けた「普通」の人びとの歴史への留意ははるかに少
ない。チェイニーが繰り返し迫っているとき、社会歴史学者らは前者の
重要な貢献を否認しない。むしろ彼らは国の歴史と国民の歴史と知るに
値する2つのアメリカ史があると提唱する。後者は、金持ちと貧乏人、
雇用主と雇用者、男性と女性、黒人と白人とアジア人とインディアン、
プロテスタントとカソリックとユダヤ教の歴史と、異なった歴史の数で
構成される。

25年以上ものあいだ歴史を研究し、歴史について書き、それを教えて
きた者として、りっぱな歴史書は勝利と悲劇に等しく留意して過去の全
輪郭を私たちが理解するのをなんとか助けようとするものと私は提唱す
るつもりだ。歴史学者は過去の英雄的人物に悪口を浴びせるのを恐れて
はならないが、民主主義に代わって苦闘したちっとも有名でない男女も
英雄的人物に含めるべきだ。同様に、歴史学者は奴隷制度や第二次世界
大戦中に日系アメリカ人を収容したこと、マッカーシズムといった過去
の暗い歴史を扱うのを絶対に避けるべきでない。建国の父たちが理解す
るように民主主義は完璧ではない。過去の過ちから学ぶことによっても
っぱら民主主義は強くなるに過ぎない。

ある人物の歴史観に一致しない本を破棄するのでは、私たちを真実や自
由に近づけるのは無理だろう。1953年6月、アイゼンハウアー大統
領はダートマス大の卒業生にこう警告した。「それがあったという証拠
を隠蔽することで過ちを隠そうとは思うな」。彼の言葉は今日でも真実
のままである。

▲Steven J. Ross は、サザンカリフォルニア大学歴史分野の学科主任。
「ハリウッドの労働者階級:アメリカのサイレントフィルムと階級の具
体化」(Princeton University)の著者。
http:www.latimes.com/news/opinion/commentary/
laoeross13oct13,1,7716422,print.story