スマトラ沖大地震とつなみ被災者への湾岸産油国の支援が少なすぎると
の批判をかわすためサウジアラビア国営TVが寄付を募る長時間チャリ
ティ番組を編成、10時間で4千450万ドル(約46億7千万円)を
集めた。火をつけたのは個人でポン!と1千万ドル寄付した、イスラム
教徒でもなんでもないドイツ人F1レーサー、ミヒャエル・シューマッ
ハーだった。(朝日新聞1/07)
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英インディペンデント紙 08 January 2005
「22億ポンドが約束された:
で、今度こそ世界はほんとに出すのか?」

=ハリケーン(中央アメリカ)1998年
誓約48億ポンド、実行16億ポンド

=洪水(モザンビーク)2000年
誓約2億1400万ポンド、実行1億700万ポンド

=地震(バム、イラン)2003年
誓約1710万ポンド、実行950万ポンド
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▼災害に対する寄付▼NY Times 04 January 2005
驚き:湾岸アラブ諸国は援助を出し惜しんでいるのか?
by NEIL MacFARQUHAR

石油の宝庫で国の財源がはちきれそうなのにつなみの犠牲者に寄付をし
ている援助の額が比較的低いとして、クウェートがケチとの評判に値す
ることと使用人として出稼ぎに来ている人びとを忘れていると提唱する
ことで、クウェートの新聞 Al Qabas が1月3日、国中くまなくとその
範囲を超えて広まる論争を際立たせる。

数でわけなく自国の人口にまさる働き手を意味した大抵イスラム圏の国
で生活を営む家族を養う子守や運転手、卑しい仕事をする労働者、使用
人の大半が東南アジア出身ではとんでもない。あるクウェート人らは国
とペルシャ湾岸の近隣諸国がもっとうんと援助しなけらばならないこと
に同意する。

だが、テロリズムのために資金を調達することだと非難してイスラム教
のチャリティをやめさせる運動が金を寄付して欲しいときにどこを頼り
にするかで多くの人びとをまごつかせている。そしてつなみの破壊は神
の激怒(天罰)だったと提唱することで数人の過激派 Friday Prayer の
指導者と信心深いコメンテーターがあてにならないことに油を注いだ。

誰も情報を集めているように思えないので、地域への個人寄付の程度を
測るのは困難であることがわかった。

もっとも政府レベルの援助に関して合衆国で出てきた非常にけちんぼに
ついての論争の波及的影響で、日曜の Al Qabas 紙の一面社説が湾岸の
アラブ人は両地域の長年にわたるきずなのために東南アジアの人びとの
ためにもっと所持金を見つけだす責務があったと述べたけれど。

「私たちは豊かだ。もっと彼らに寄付しなければならない」と電話イン
タヴューで編集長の Waleed al-Nusif は言った。「石油の価格は2倍、
だから私たちは申し訳ない」

新聞の社説が出た後、クウェートの閣議は公表した寄付金を大幅にふく
らませた。

クウェートは今年おおよそ100億ドルの黒字予算を計上すると思われ
る、そして政府はクウェート国民に見積額7億ドルを分配したところだ
と編集長は特に言及した。思いがけない歳入の国民の分け前。
(昨年 11月、国民全員に一律7万円ほどのボーナスの支給を決定して
いる)

とりわけ国の全人口225万人のうち125万人の外国人の多くが打ち
のめされた地域の出であるせいでクウェートは最低でも1億ドルは与え
るべきだと彼は言った。

「彼らがクウェートを築き、私たちの子供を育てた」とNusif 氏は言っ
た。そして連続する石油ブームの前、インドや他の国々が当時比較的貧
しかったクウェート人に便宜を与えてくれたことに特に言及する。

それはクウェート人の旧世代に必要な思い出させるための助言というの
ではない。「父親たちは私たちよりずっと寛大だった」とNusif 氏は言
った。「彼らはもっと堪え忍んできている」

その日の論点を討論するため男たちが集う夜のサロンで社説が熱い話題
になった。

「もっと思いやりを示すべきだ、特に予算が余ってるうえは、それにこ
の災害にあった人たちは東南アジアの私たちの同胞だ」と元クウェート
情報相のSaad al-Ajmiは言った。個人の寄付がもっと集まるはずだと
彼は考える。

Al Qabas 紙の社説が寄付を増やすよう求めることで引き合いに出した
のはクウェートだけではなかった。莫大な石油収益から利益を得ている
湾岸のアラブ諸国すべてがもっと援助金を与えるべきだと述べた。

カタールとサウジアラビアはそれぞれ1千万ドルを誓約している、一方
月曜の夜にアラブ首長国連邦の統治者は国の寄付金を10倍の2千万ド
ルに増やした。

湾岸アラブ諸国からの誓約の大部分が地震直後の数時間で整えられた。
そしてその被害の規模が明らかになるとき、もっと多くの支援金が誓約
されるはずだと当局は言った。

サウジアラビア、ジッダのイスラム開発銀行はインドネシア、モルディ
ヴ、ソマリア、タイ、インド、スリランカに対する緊急支援に1千万ド
ルを振り分けると言った。クウェートのタイ大使館は、1万4千ドル持
ってきてもらいたいとビジネス電話をかける人に加えて寄付するために
ひょっこり立ち寄る人がいると言った。

打ちのめされたインドネシアのアチェ州に救援を届けるため船をチャー
ターしているとジャカルタのクウェート大使館は発表した。

サウジの首都リヤドにあるサウジ赤新月(イスラム教国の赤十字社に当
たる組織)協会の副議長は政府の寄付金1千万ドルは被災国の同種の組
織に直行することになると言った。

湾岸の一人当たりの寄付は一般に意気盛んだが、テロリズムの資金調達
を助けるとの嫌疑でアメリカの圧力を受けて多くの民間のチャリティが
禁止されてきたせいで普通の市民は寄付することで障害に直面したと彼
は言った。代わりの機構は確立されてない、それが国民の基金調達を困
難にさせると彼は述べた。

クウェートであるチャリティがモスリム犠牲者のために金を集めている
と宣伝されて非難を招いた。最もひどく襲われた国、インドネシアは最
も人口の多いモスリム国家だ。

「犠牲者を選ぶのに災害が宗教間の区別をしないとき、なぜモスリムだ
けなのか私にはわからない」とコラムニストの Muhammad Mousaed
al-Saleh はAl Qabas 紙に書いた。その日刊紙はモスリムでない人に
寄付するのはさしつかえないとする宗教上の裁決を発表した。

ふざけた行いが地震を誘発したとの見解がサウジアラビアの金曜礼拝と
他の宗教的注釈の主題だった。

「売春、観光、乱交とヌーディストのビーチを襲ったアジアの地震は、
不法行為と乱交をやり通す故に、神が真下の大地を破壊する前に人間に
警告している前兆である」とイスラム教徒のウエブサイトにあった。

クウェート議会のメンバー、ワリド・タブタバイは地震はメッセージで
あると言った。

「災害と痛みをもたらす災厄に置き換えて生ずるのは信者をためす試練
であり、不正に対する刑罰だと私たちは考える」と彼は新聞 Al Watan
のコラムに書いた。
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▼スリランカの必死の抗争時における束の間の和平▼
NYTimes 04 January 2005 By DAVID ROHDE

スリランカ1月3日、ここの大津波対策委員会本部は大して目をくれる
べきものはないが、中で起きてることは目を見張るものがある。

スリランカ北部の反乱軍区域にある弾丸で穴だらけの細かく砕けた建物
内で、きびしい内戦の断末魔の敵である反乱軍タミールの虎とスリラン
カ政府の地位の低い代表者とが一緒に座ってつなみ犠牲者への救済物資
の配布を工夫している。

国際監視団によると、国の他の地域で通常の政府とタミールの虎の兵士
がつなみで損傷した道路の修復で一緒に働いている。両方の側のチェッ
クポイントの司令官が救援の流れを楽にするため規則を放免している。
そして政府の病院が治療のため負傷した反乱軍メンバーを受け入れてい
る。

反乱軍がなわばりの北部および東部ではしっかり救援を管理したままと
はいえ、協力を直ちに受け入れる寛大な徴候はここでは驚くべきことで
ある。20年間、反乱軍は実際上独立した国を維持してきている。
(スリランカの内戦は20年前に始まったとされているが、この民族紛
争はイギリスによる植民地支配に根を発している。全人口の約7割を占
める南部に住む政権側のシンハリ人と、北部および東部に住むタミール
人。古くからいるタミール人約231万人に19世紀インドから連れて
こられた103万人が加わった)

新しい対策委員会のメンバーで、救援の仕事をするノルウェー人 Arne
Folleras は、これは2002年に心もとない停戦に調印して以来、両者
の間が最も接近した協力だと言った。

救援物資を積載した小型トラックが景気よく間に合わせの本部を出たり
入ったりするとき、「すべてがとてもスムーズに運んでいる」と彼は言
った。「すごく異なる雰囲気だ。私たち全員が同じゴールに向かって働
いているという風に感じている」

双方の側のますます高まる草の根の協力は12月26日無情な海が3万
人の国民を運び去って以来、この1900万5千人の島国全域を襲って
いる強い感情的反応、強い切実さの一面であると思われる。

2001年9月11日テロ攻撃に続いて合衆国全土に広がる国が一つに
まとまる感覚を思い出させる反応で、スリランカ人の大多数が自然発生
的に国のいやになるような民族分裂の全域に手を伸ばし、対抗する民族
グループに寄付された食糧や救援物資を届けていると思われる。

「国民が猛烈にそれに影響を及ぼされているとみる」と、無名状態につ
いて話をした西側の首席外交官は言った。「彼らは一緒に働く可能性と
そうする必要性について考える」

世界で最も美しいランドスケープを自慢するトロピカル国家スリランカ
の長きにわたる争いは、世界で最もいたましい争いのひとつであった。

国の北部を拠点とするとても秘密主義で冷酷な分離主義者運動、タミー
ル・イーラム解放の虎は、世界の他のどのグループより多い220人の
自殺爆弾兵を戦闘に参加させてきた。そして国の北東部にタミール民族
の独立国家を作るための戦争に尽くす何百という子供の兵士を強制的に
補充している。
(1975年7月27日北部ジェナフの市長殺害がその3年前にプラバ
カランが組織した「新しいタミールの虎(現、タミール・イーラム解放
の虎)」の最初のテロだった)

国の多数派民族シンハリ人によって支配されるスリランカ政府は冷酷に
も反撃している。今からほぼ3年前に調印した不明瞭な停戦前の戦闘で
推定6万4000人が死亡した。だがあわただしい楽観の後、和平交渉
が立ち往生している。相互の疑心暗鬼が復活し、再び繰り返される戦闘
という国民の恐怖がつのっている。

先週、岸を轟かせる災難はそういった今の情況を改めているように思え
る。災害以降、おびただしい数の政治指導者と宗教指導者が国の団結を
呼びかけている。ここ5日間にわたり目撃したにわか作りの現場で、さ
まざまな生い立ちのスリランカ人がお互いに救援物資を届けあうか、片
方の集団がもう片方の集団に届けた食糧のニュースを得意になって知ら
せた。

現時点の感情的な気運のゆとりを測るのは不可能だったが、団結のため
の新たな熱情はインタヴューで繰り返し聞かされている。先週、スリラ
ンカの東海岸にあるタミール人の避難民になぜトラック一台分の食料の
積み荷を届けたか尋ねられたシンハリ人の48歳のビジネスマン、タヴ
ァマニは災害に対応したのだと述べた。

「偶発的できごとのために私たちは一致しなければならない」と彼は言
った。

スリランカ中部の山のような町で32歳のビジネスマン、ジャヤシンガ
は死者を回想する1万5千個の石油ランプを僧侶たちが灯す仏教寺院で
追悼式に参加した何百という人びとのひとりだった。人口の約75%を
構成するシンハリ人は一般に仏教徒。人口の18%を構成するタミール
人は一般にヒンズー教徒である。

11ヶ月の娘を腕に抱いてやさしくあやすシンハリ人ジャヤシンガ氏は
国家の危機への対応はスリランカ人が協力して働けることを示している
と言った。

「モスリム人、シンハリ人、タミール人、この問題のせいで彼らはいた
るところで一緒に働いている」と彼は言った。「将来、こんな風だった
らと私は期待しています」

しかしそれでも世界で最も悲痛な戦闘のひとつを解決するには国民の好
意のほとばしり以上を必要とするかもしれない。怒りはまだくすぶって
いる。寺院の追悼式の外で酒に酔ったシンハリ人の男性3人はまずはタ
ミール人とシンハリ人との団結について話したが、次にタミールの虎を
苦々しげにテロリストとして退けた。

タミールの虎の自殺爆弾兵は上層の政府役人と歴史的建造物を狙った攻
撃で通行人の一般市民を多数殺害している。自殺爆弾兵はスリランカの
大統領プレマダサとインドの元首相ラジヴ・ガンジーを殺害した。彼ら
は聖職者、市長、穏健派のタミール人指導者を殺害した。

つなみに引き続いて、かろうじて自爆未遂を生き延びたスリランカの大
統領クマラツンガは国民に向けた声明で国の団結を呼びかけている。タ
ミールの虎の党陣営の指導者は同じことをしている。だが、和平交渉を
行き詰まらせている政治的対立は相変わらず変わっていない。

同じ対立が対策委員会に反映される。政府の態度は根本的に見せるため
であり、いまでもタミールの虎がここの救援を調整していると救援の仕
事をする人びとは述べた。そして月曜日ロイター通信が伝えた、政府は
彼らに十分な救援を与えてきていないとタミールの虎の党指導者が述べ
たとき、おなじみの緊張が再び持ち上がったように思えた。

それでも災害は、秘密主義の反乱勢力になにがしか変化をもたらしてい
る。従来、救援はすべて彼ら自身の団体、タミール救済組織を通して一
箇所に集められるとタミールの虎当局は言い張った。今週、習慣をやめ
にしたと救援で働く人びとが言った。タミールの上層部との会合もまた
開放的な雰囲気で形式ばらないやり方で行われており、従来こんなこと
はなかった。

内戦とつなみという国の2つの大災難が横切って二分している、ここか
ら数マイル北の村で庶民の平和の欲求もまたはっきりわかる。

戦争の最中、臨海地の村タラヤディはスリランカの戦艦と戦闘機によっ
て激しく砲撃され爆弾を投下され瓦礫とかした。2002年の停戦後、
流出した村人が戻り再建を始めた。12月の末までに126家族あるい
は500人ほどがタラヤディに戻っており、貯金を新たに家を建てるの
につぎ込んでいた。

波が襲ったとき、日曜礼拝に参列した9人の子供を含め、村の住民33
人がさらわれたと生存者は言った。波はまた実質的に新しい家を一つ残
らず破壊した。

二人の子供と走ってなんとか波を逃れた31歳の女性は、夫と二人して
貯金を新しい家につぎ込んでしまったので生計をどう建て直したらいい
か考えもつかないと言った。二度目の避難民である彼女は、新しい難民
キャンプの中に立ち、戦争で病弊した同郷人として同じ敬虔なトーンで
平和について語った。

「誰でも平和が大好きなはずです」と彼女は言った。「それが実現する
かどうかは私たちが待って見ていなければならないことなのでしょう」