▼ソンタグとつなみ▼By Rebecca Solnit
TomDispatch 04 January 2005

1月4日火曜の朝、ラジオのニュース番組の冒頭に流れるいつものセン
テンスとしてスーザン・ソンタグの死が知らされた。そうして番組は、
クリスマスの翌日以降の主なニュースである「つなみ」とこの先増え続
けるであろう多数の死傷者数に戻った。この2つのできごとの死ぬべき
運命を比較検討するのは妙ではある。鈍感とか不遜とみなす人もいるに
は違いないが、ソンタグが真価を認められるのは、どんなこともさらに
考え、さらに分析して、さらに書くのに適したきっかけとみなしたこと
だと私は考える。

彼女のことはほんのわずかしか知らない。2003年の春、彼女は空と
川と屋根のガーゴイルの後尾が眺められる家に私を招いてくれ、私は数
回訪問した。彼女の考えでは、それは文壇の一員になるための招待であ
った。そして彼女の全作品から明瞭なのは、書くことのみならずアイデ
ィアと主義が重要だった文筆業を基軸とする周知の活動範囲に気を配る
こと、啓発することに興味があった。やはり合点がいったからには、そ
れはロマンティックな考えだったが非現実的な考えではなかった。政治
の領域に率直に参加するのにソンタグは非凡な可視性を活用した。そし
てボスニアに行き、ヴェトナムとユーゴスラヴィアの戦争に断固とした
態度をとり、「ペン」というアメリカ大統領として尽くし、イスラエル
人から贈られるエルサレム賞を快く受け入れたときには彼らをきびしく
非難して、とりわけサルマン・ラシディと言論の自由と人権をあまねく
擁護する。

BBCはただちに尊敬の証として捧げるウエブサイトを立ち上げた。そ
して彼女の評論集「写真論」(1977)に刺激されて48歳で大学に
戻り終了した男性がそこに賛辞を書き込む。同様に、廃墟のサラエヴォ
での彼女の「ゴドーを待ちながら」の演出に励まされベイルートで「ロ
ミオとジュリエット」を監督した男性が、カナダのバンクーヴァーから
ポーランドのグダンスク、台北と、崇拝者らがコメントを書き込んだ。
同様に、若干のあざけりをもってけなす人が書き込む。ある人は、まだ
彼女の911後のコメントにつらく当たった。すべてについて神だけが
正しいとすることで私たちはしあわせなのだ、神はめったに話しかけた
りしない。結論として、ソンタグが常に正しかったかどうかは重要では
ない。ただし論議を持ち出したことで、彼女は正しかった。最も有能な
立場とは考えを試すため人々を刺激する立場のことで、ことによると意
見が異なるのは独立心があるということだ。コミュニズムから写真まで
基本的な主題について、結局、彼女は初期の自分の意見と意見を異にし
た。

ソンタグは作品が時間と空間の範囲を超えて届く人々の不朽の名声を博
している。死が重大ではないということにはならない、わずかに彼女の
一部がそれでも私たちのためにあるのだ。ニュースの操縦を私たちに続
けさせ、伝えられるニュースの言葉を吟味させる、表現と写真について
の彼女のコメントの仕方によって真実はただちに支持される。

インド洋周辺の大災害で、多数の死体の中に紛れる子供や配偶者の死体
を捜索する人びとについて読み、捜索の写真を見る。ある写真は雑然と
列をなす、ほとんど眠っているように見える死んだ子供たちを見せる。
写真は例のごとく、私たちにその場に居ると感じさせ、何が起きている
か認識できるように、想像できるようにさせるため力を尽くす。写真は
理解と同じく共感に役立つ。

1989年10月17日サンフランシスコのベイエリアを地震が襲った
とき60人の命を奪ったが、災害は残りの私たちの多くに奇妙にも慰安
を与えたように思えた。89年の秋は他の何より先に地球温暖化が国民
の心に浮かんでいたときに思えたので、地震は自然界が先細りしてなか
ったとの断定だった。私たちの計画や不当な要求よりずっと自然界はパ
ワフルだった。あの災害は戦争のようではなかった。それよりも、こと
によると双方の兵士が戦うのを止めた第一次世界大戦の有名なクリスマ
スの朝のような、まるで停戦のようだった。生産と消費というベイエリ
ア地域の巨大なエンジンが止まった。住民は仕事に行かなかった。ビジ
ネスは閉店休業した。ベイブリッジは何ヶ月も使用不能だったし、ある
高架ハイウエイはそれっきり戻らなかった。疑いなく災害がめざめてる
状態に引き入れる今ここで、人びとは自分自身に注意を集中した。そし
て家にいて、欲求不満を解消させる長期計画と遠距離旅行が大好きだと
人びとに話しかけた。

何千倍も大きな今回のインドネシアの地震は、休戦ではなくて戦争のよ
うだった。そして死者数がしばらくのあいだ目下の私たちの戦争で予想
されるイラク人死者数に並んだあと、それを上回った。私たちがこれで
もかとばかりに見たり聞いたりして、これでもかとばかりに痛切に感じ
させる機会としてつなみは扱われてきている。あの荒廃のシーン、あの
悲嘆と喪失にゆがめられた死体の過剰な写真を見ることができる。そし
てそれらから、ファルージャへの襲撃が同じ茫然自失の表情のない顔の
孤児や、同じ耐えられない悲嘆にゆがめられた子を亡くした母親を放置
しているに違いないことを推断する基礎にすることができる。家屋や家
族や生活、同じ種類の影響力を持つ希望を粉々にしているに違いないこ
とを。これを十分に理解することでどれほどイメージ(あるいはイメー
ジの欠乏)が双方の災害に対する私たちの反応を定めるか実感すること
になる。私たちの軍が大災害を引き起こしてるとき、私たちは多くを知
るのを許されない。あるいは事実を際立たせようと勢いづかせるのを、
あるいは慈善の寄付金でそれを事実と決め込み肩代わりしようと試みる
のを許されない。とにかく寄付はされるけれど。つなみが襲った日、米
国の平和団体コード・ピンクは、ファルージャの人々への寄付金60万
ドルを持った代表をイラクに送った。

イラク戦争は変に目に見えない戦争である。というか、型にはまった議
論にならない画像が標準の番組内容の戦争である。米軍の写真はたくさ
んでイラク人のはほとんどなく、爆破された軍用車と無人の廃墟の街と
建物のイメージである。つなみのイメージとは異なり、この国には私た
ちが生んできている桁外れの数の負傷したり死んだ民間人のイメージは
ない。だがそれもまたイメージ戦争であった。私たちの侵略が終わった
とき、見せかけの(脚色された)サダム・フセイン像の倒壊があった。
アブグレイブ拷問の写真漏洩によって秘密がバラされた重大局面(最後
に出版された著作のひとつ、「他の拷問に関して」でソンタグはこれに
ついて書いた)と、もっと最新のファルージャのモスクで米兵が負傷し
た男を撃つという重大局面があった。そして世間をあっと言わせるいい
かげんなメディアの離れ業と思えるもので、人質の首を切るゲリラのヴ
ィデオテープがあった。この戦争とイスラエル・パレスチナ戦争の徹底
的に異なるイメージを、中東アルジャジーラ放送が示すのを私たちは承
知している。ヨーロッパ人でさえ、もっとまのあたりに見るような生々
しい一般市民の犠牲者のイメージ(画像)を見る。

この戦争がずっと公にされないままになっている状態を忘れずにいるこ
とができる。帰国するアメリカ兵の柩の写真でさえ禁止されるほど乱暴
な、または私たちの共感の可能性の範囲外にあることを。それにペンタ
ゴンの願望に反して、米兵の柩の写真は入手され配布が行われた。サン
フランシスコ・クロニクル紙は、死者の数が556人だった9ヶ月前に
米軍の死者全員の写真の陳列を発表し、今も1347人の死者の写真の
陳列を継続する。肖像年鑑は別の肖像の陳列を思い出させる。ニューヨ
ークタイムズ紙が載せた9月11日の犠牲者の感傷的な伝記の執筆付き
ポートレイトと、ほぼ全員が死んでいると判明した家族の一員が、行方
不明者を探すのにマンハッタンに貼りつけたよるべのないフライヤーで
ある。今、その種の行方不明者のフライヤーが、タイの壁に貼られてい
る。だが、タイのウエブサイト上の写真は、水の力によって切断された
死者のものだ。

ある意味でイラクで起こっていることは、ワシントンDCの地震の震源
真上の地点から1万マイルを襲った「つなみ」と言っていい。遙か向こ
うの無数の命と環境と街を打ちのめした政策と主義としての地震。そし
てすぐ近くで、死んだ兵士の友人や家族もまた悲嘆に暮れさせ、金銭づ
くの外交政策を遂行するため海外に送られた何万もの若者が肉体と精神
を使いものにならなくされる。つなみによる破壊のようにこの破壊のす
べてを成し遂げるのに費やした総額について判断を下すことができる。
この苦しみと荒廃を生じさせるのに1500億ドル以上を失わせた。ブ
ッシュがテキサスでのバカンスを中断せざるをえなくなったとき、彼が
申し出たみみっちい金の提供とこの犠牲を比較することができる。最初
に申し出た額は1500万ドル、次に3500万ドル(ほぼブッシュの
就任式の費用)になり、羞恥心に迫られて3億5000万ドルになる。
その冷淡、そのスケール、その荒廃で、むしろ自然災害のように戦争を
仕掛けるという意味として、空気力学、化学現象、核分裂など、自然力
の動力化を理解することができる。しかし、自然なものだったためしは
ない。

この自然災害には政治が小さな役割を演じる。その結果全くの自然によ
るものではないが飢餓を誘発する干ばつや戦争と同じくらい、2004
年フロリダを襲った4つのハリケーンのように当節の気候に関係がある
のと同じくらい、自然なものではある。見かけ倒しの建築規約と規約の
見かけ倒しの施行、政府の無関心と無能力が数千人の死者すべてに関係
があった1985年のメキシコの地震には及ばない。昨年のイラン・バ
ムの地震にも及ばない。このできごとのスケールを表すのに空前と言っ
たのを、どうもジャーナリストとコメンテーターが忘れてしまったらし
い、途方もない大災害、50万人が死んだ1970年と14万人が死ん
だ1991年のバングラデシュのサイクロンにも及ばない。それはたく
さんの画像がこの災害に反応して痛切に感ずるよう私たちに迫る。他の
目に見えない災害、特に今年の巨大ダム計画の増水による中国とインド
の農民や村民の転地のことが心に浮かぶ。

私たちが知る、特に被害と戦争のイメージについて、ソンタグはりっぱ
に書いた。それならば私たちが知らないことについて、写真が招く冷淡
やそれが引き起こす宣伝(ニュース性の利用)、演出の危険はもちろん
写真が払いさる忘れていることにいかに写真が不利に働くかについて、
彼女はもっと述べていた。彼女の最新作、「他者の苦痛へのまなざし」
でソンタグは書く。「他国で起こる災難の傍観者(観客)が、現代的体
験の典型、1世紀半以上のプロに値するジャーナリストとして知られる
専門のツーリストによる重複する売り物である。戦争はいまや居間の光
景と騒ぎでもある」。そしてまた、彼女は77年の評論集「写真論」で
無関心になることから限界まで誇張される同情を持ち続けるまで、それ
こそ「イメージのエコロジー(生態学)」というものがあるのを取り上
げた。「No Committee of Guardians は、衝撃を与える能力を新鮮に
保つため、ホラーを供給するつもりでいる」と彼女は元気だった頃文句
を言う。だがアブグレイブの映像はとにかく衝撃を与えていたし、つな
みの映像は精神的に苦しめている。

地震とつなみの重大性に対処するため私たちは行動することができる。
だが、貧しい人々が死んだのみならず、何千というヨーロッパ人とアメ
リカ人が死んだ災害はかすかに政治的なだけだった。誰がどれだけ与え
るか、それを与えられるのは誰かで、救済はまさに政治的駆け引きとな
るはずだ。だが、できごとじたいは先手を打たせ、先手を打つため働く
ことができる物事の範囲、政治の限界を越える。死ぬべき運命を含め、
人類が自然の力の被支配者ではなかったならと願いをかけることはでき
ない。私たちは海が干上がるのを、今まで通り波が起こるのを、構造上
のプレートが存続をやめるのを、自然が予報してそれを管理する私たち
の能力を越えるのをやめるのを求めることはできない。だが、自然とい
う言葉には、解決される問題としてでなく事実として私たちに悲しみを
残す、ああいった大災害や被害が含まれる。そしてそれは決して終わり
とはならない務めとして私たちに同情を残す。

▲レベッカ・ソルニットはサンフランシスコ在住の美術批評家、作家、
活動家。最新作は「Hope in the Dark and River of Shadows 」
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▼スーザン・ソンタグについて▼
約40年間に及び、米国を代表する知識人の一人と目されてきた批評家
・作家のスーザン・ソンタグがニューヨーク市内の病院で亡くなった。
71歳。病院側は死因を公表していないが、長男がニューヨーク・タイ
ムズ紙に語ったところでは、急性骨髄性白血病とのことである。

60年代のサブカルチャーを扱った「キャンプ論」(64年)や、作品
の内容よりも形式やスタイルを重視する芸術論を展開した「反解釈」(
66年)で注目を集めた。他に評論集、「写真論」(77年)、「隠喩
(いんゆ)としての病い」(78年)など。小説では「火山に恋して」
(92年)や、全米図書賞を受けた「アメリカで」(2000年)など
の作品がある。

60〜70年代はベトナム戦争反対の活動で知られた。その後、99年
に朝日新聞紙上で行った作家、大江健三郎氏との往復書簡では、北大西
洋条約機構(NATO)によるコソボ空爆を支持した。虐殺などの危険
がある場合は、武力の早期行使もやむを得ないという、いまや主流にな
りつつある考え方に沿ったものである。

2001年9月11日の同時多発テロ直後には、「これは文明や自由、
人間性に対する攻撃ではない。自称"超大国"への攻撃だ」と断じたうえ
で、ハイジャック犯より「反撃されない高い空から攻撃する者(米軍)
の方が卑劣だ」と書いて物議をかもした。

9・11に起因するアフガニスタンへの武力行使は支持したが、イラク
戦争には反対した。こうした時代への考察をまとめた「この時代に想う
/テロへの眼差し」(2002年)は、日本のみで出版された。

▲他に「良心の領界」、「他者の苦痛へのまなざし」、小説として「恩
恵者」、「死の装具」、評論集として「ラディカルな意志のスタイル」
がある。