▼虐殺好き:ルワンダからイラクまで▼
By Christopher Brauchli February 10 2005
Information Clearing House

それは並べてみる必要があった。そうでなくては気づかなかったはずだ
し、驚かなかったはずである。ポールとロメオは気づいていても驚かな
かった。二人の記憶はいたましくも呼び起こされることになる。

ポールとは、映画「ホテルルワンダ」(1994年ルワンダで起きた大
虐殺をもとにした実話。フツ族対ツチ族の争いで、100日間で国民の
10人にひとりに当たる80万人以上が虐殺された。監督テリー・ジョ
ージ)で描かれたドン・チードルが演ずるベルギー資本のホテルの支配
人、ポール・ルーセサバギナである。彼の勇気ある行動とはつまり、殺
害を楽しむ猛り狂う暴徒によって100日間で80万人以上が虐殺され
た大虐殺に加わらなかった彼が支配人だったホテルに1千人のルワンダ
人がかくまわれたことである。ロメオとは当時、ルワンダ国連平和維持
活動PKOの任務を担当するカナダ人軍司令官(ニック・ノルティが演
じる)ロメオ・ダレイアのことだ。フツ族とツチ族が署名したのち、そ
のアルシャ講和協定を実行させるため彼は1993年国連によってルワ
ンダに送られた。それに続く虐殺をむやみにせき立てた事件、ルワンダ
の大統領の飛行機が撃ち落とされたとき、彼はそこにいた。

手当たりしだいの虐殺に従事するのに、なたと銃を使うルワンダの猛り
狂う暴徒のイメージがどんなかを二人が憶えてさえいれば、イラクとア
フガニスタンで部隊を指揮した歩兵士官、陸軍中将ジャームズ・M・マ
ティスによって語られる言葉は、たぶん、ポールとロメオがあやうく忘
れるところだったイメージを呼び覚ますはずだった。暴徒は彼らがやっ
てる仕事を楽しんだ。そのことを、映画「ホテルルワンダ」は私たちに
見せてくれた。2005年2月1日、言葉はマティス中将によって語ら
れた。

軍報道機関と電子工学連合がスポンサーのパネルディスカッションに参
加する最中、マティス中将は戦争とそれに付随するできごとについて彼
の見解を表した。アソシエイテッドプレスが入手した彼の意見を記録し
たテープの一部によると、「実のところ、戦闘はかなりおもしろい。と
んでもなく底抜けにおもしろいんでね、、、人を撃つのは愉快なものだ
よ。率直に言って、私はけんかが好きだ、、、アフガニスタンに入り、
5年の間ヴェールをかぶらないからって女性を平手打ちにする男どもを
やっつけた。とにかく男らしさでおくれをとるような男どもでね。だか
ら連中を撃つのはとんでもなくおもしろい」とマティス中将は言った。
80万人の殺戮に参加した大多数のフツ族は、マティス中将の取り組み
方に感謝するはずだ。映画「ホテルルワンダ」を見る人は誰であれ、多
数のフツ族がけんか騒ぎが好きという事実に圧倒される必要があった。
人生のある時点でツチ族によって侮辱されたかもしれなかったし、ツチ
族に勇ましさが残っていなかったと言って終わったかもしれない。悪事
をしでかしたルワンダ人の裁判は、タンザニアのアルシャで進行中であ
る。やるにしてもその全員が裁判されるまでに何年もかかるであろう。
これと対照してみると、マティス中将は時間を置かずにコメントのせい
で訓戒を与えられた。

2月3日、海兵隊司令官、マイケル・W・ハッジ大将は次のような声明
を発した。「私はマティス中将に彼の意見に関して忠告している、そし
てもっと注意深く言葉を選ぶべきであることで彼は同意する。彼によっ
てなされたコメントに異議を唱える人がいるのを理解すると同時に、彼
が戦争の痛ましく、苛酷な現実を表すつもりであったことも私にはわか
る」。マティス中将がどんなふうにもっと注意深く言葉を選べたかは不
明瞭である。人殺しを楽しんでやってるんでなければ、人殺しを楽しむ
とはなかなか言えないものだ。

ロメオ・ダレイアは今年1月、マザー・ジョーンズのジェフ・フレイシ
ャーとのインタヴューで殺戮を通じてルワンダで知っていたことを尋ね
られた。彼は人殺しを楽しんだとは言わなかった。重要なのはルワンダ
国民を保護するため国連から権限を与えられていたはずなのだと彼は言
った。その代わりとして、「私は国民を保護していたが保護するための
権限を与えられたことは一度もなかった」と説明した。

現在、あるのはルワンダではない。その代用物はスーダン西部のダルフ
ールとウガンダにある。マティス中将のいわゆる熱意は、戦いを拡大し
ているように思える。スーダン西部のダルフールでは7万人が、ウガン
ダでは10万人が殺されている。そして殺戮が続く一方で殺害によって
影響を受けていない人々による論争も続く。

合衆国はダルフールの事件をジェノサイドと考える。国連はジェノサイ
ドとは考えない。国連はダルフールの殺戮を犯した連中はハーグの国際
司法裁判所で裁かれるべきだと考える。英国と米国はそうは考えない。
むしろ被告人を裁判するただひとつの目的のために作られた特別裁判所
アルシャで裁くほうを好む。スーダン政府は、どちらの申し出も好まな
い。被告人がスーダンの裁判所で裁かれることを求める。論争が続くと
同時に、殺戮も続く。このふたつの国で暮らす人々はたぶん、誰がその
論争に勝つのか知りたがっていることだろう。その多くが、解答を出す
まで生きながらえない。まことにお気の毒。

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▼アウシュヴィッツ強制収収容所解放60周年にあたって▼
ドイツ連邦共和国ゲアハルト・シュレーダー首相の演説から抜粋

シュレーダー首相は1月25日の演説で、60年前のアウシュヴィッツ
強制収容所の解放を回顧した。このベルリン国立劇場で開催された国際
アウシュヴィッツ委員会による追悼行事には、多くのヨーロッパ諸国か
ら、元囚人だった方々と若者たちが参加した。

演説は以下のとおり:

尊敬するアウシュヴィッツ・ビルケナウの生存者のみなさま

何百万人という子供、男性、女性が、ドイツの親衛隊隊員とその援助者
らによって、ガスで窒息死させられ、餓死させられ、銃殺されました。
ヨーロッパ全土のユダヤ人、シンチ・ロマ、ホモセクシャル、政治的敵
対者、戦争捕虜、そして抵抗運動の闘士たちが、冷たい工業的な完璧さ
によって殲滅され、または死にいたるまで奴隷化されました。

これ以前のヨーロッパの数千年の文化と文明には、これより深い亀裂が
起こったことはありませんでした。戦後、この歴史的な亀裂の全体像が
把握されるまでには、かなりの時間を費やしました。私たちはその亀裂
を知っていますが、これを理解できる日が来るものか、私は疑っており
ます。過去は、よく言われるように、「克服」されようとはしません。
それは過ぎ去ってしまうものです。だが、その痕跡と教訓は現在にまで
到達しております。

強制収容所で起こった悲惨と苦悶と悲嘆は、これからも決して埋め合わ
せすることはできません。ただ犠牲者の子孫と生存者のみなさまに一定
の償いを実現することは可能です。

連邦共和国はこれまでの長いあいだ、男女市民の正義感に依存しながら
その政治と司法においてこの責任に向かい合ってきました。

今日では、ドイツのユダヤ人共同体はヨーロッパで3番目に大きなもの
です。そして活気があり、成長しています。新しいシナゴークが建設さ
れています。いまやユダヤ人共同体は、私たちの社会と文化のかけがえ
のない一部になっており、そうあり続けています。その栄光に溢れ、同
時に痛みの多い歴史は、責務であると同時に約束であり続けています。

学ぶ能力のない反ユダヤ主義者から、私たちは国家権力をもって彼らを
守ります。反ユダヤ主義がいまだに存在することを否定してはなりませ
ん。それと闘うことは社会全体の課題です。反ユダヤ主義者たちが私た
ちの国だけでなく、どこでも、ユダヤ人市民を圧迫したり、傷つけたり
することに成功して、私たちの国に恥をもたらすようなことは、二度と
許されないのです。

極右勢力と、彼らのうっとうしい標語や落書きに対しては、警察、憲法
擁護局、そして司法が特別な注意を払うものとします。だが、ネオナチ
と古いナチスとの闘いを、私たちすべてが共に政治的に実行しなければ
なりません。

ネオナチの不快な挑発と、常に繰り返されるナチスの犯罪を瑣末なもの
にしようとする新たな試みに向かって、断固として対抗することはすべ
ての民主主義者の共通の義務です。民主主義と寛容の敵に向かっては、
一切の寛容があってはなりません。

現在生存しているドイツ人の圧倒的多数は、ホロコーストに対する罪を
負ってはいません。しかしながら、彼らは特別な責任を負っています。
国家社会主義の戦争と民族虐殺を心に刻むことは、生きてる者の一部に
なっています。大多数の人々にはこの一部が堪え難いのです。

しかしながら、この心に刻むことが私たちの国民的アイデンティティー
に属していることは変わるものではありません。国家社会主義の時代と
その犯罪を心に刻むことは、ひとつの道徳的義務です。私たちはこれに
よって、犠牲者、生存者、また彼らの係累に対してだけ責任があるので
はなく、私たち自身にとっても責任があるのです。

忘れてしまおうとすること、記憶を抑え込んでしまおうとする誘惑が、
大変に大きなものであることは確かです。しかし、私たちがそれに負け
てしまうことはないでしょう。

私たちが、かつて国家権力によって、自由と正義と人間の尊厳が踏みに
じられたことを忘れるならば、自由も正義も人間の尊厳もあり得ないと
いうこと、これは確かです。ドイツの多くの学校で、企業で、労働組合
で、また教会で、私たちの手本になることが行われています。ドイツは
自らの過去に立ち向かっているのです。

ショアー(絶滅)から、ナチのテロから、私たちすべてにある確信が生
まれました。それは「二度と許さない」という言葉で最も良く表現され
ています。この確信を私たちは守ろうと願います。すべてのドイツ人も
またすべてのヨーロッパ人も、国家共同体全体が、敬意を持って人間的
に平和のうちに共生することを、いつも新たに学ばねばなりません。

ジェノサイド禁止条約は、ホロコーストの直接の国際法規の教訓です。
それは、異なる出身国、文化的特徴、宗教、および皮膚の色、すべての
人間に生命と人間の尊厳を世界中で尊重し、擁護することを義務づけて
います。

もしいつの日か犠牲者の名前が人類の記憶から消えるようなことがあっ
ても、彼らの運命は忘れ去られることはありません。なぜなら、それは
歴史の中心に安置されているからです。

http://www.bundeskanzler.de/Neues-vom-Kanzler-.7698.778869/Die-Nazi-
Ideologie-war-menschengewollt-und-mensc...htm

▲翻訳:在ベルリン、梶村太一郎。 多くの方に広めて欲しいとのことです。