3月5日のラジオ演説でジョージ・W・ブッシュはこう強く主張した。
「レバノンの主権は尊重されなければならない。そして外国の軍隊はす
べて撤退すべきである。また、自由で公正な選挙は、外国からの影響を
排除して行われるべきである」(で、イラクは?)

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▼バグダッドのイタリア人に対する米軍の攻撃は意図的だった▼
TurkishPress.com March05 2005

解放された人質のイタリア人記者ジュリアナ・スグレナを護送するクル
マに米軍が銃撃したことでますます米国は説明を迫られる。スグレナは
負傷、彼女を救出したイタリア人工作員のひとりが死亡した。

ローマ:土曜日、解放されたイタリア人ジャーナリスト、ジュリアナ・
スグレナの仲間は、もうすぐバグダッド空港だった護送車めがけて銃撃
した米軍に対し激しい非難を浴びせた。そして、射撃は意図的だったと
述べる。

「アメリカ人とイタリア人は彼女のクルマが来るのを知っていた」と、
帰国に続いてスグレナが手術を受けなければならないローマのセリオ軍
病院を後にしたピエール・スコラリは述べた。

「空港から700メートルのところだった、ということはすべての検問
所を通過してきたということだ」

金曜の狙撃は、シークレットサーヴィスの諜報員のひとりと電話で話を
していたベルルスコーニ首相の執務室によって立証されたとスコラリは
言った。「米軍は携帯電話を取り上げた」と彼は非難した。

「ジュリアナには情報があった。そして米軍は彼女が生き延びるのを望
まなかった」と彼は付け加えた。

2月4日、スグレナが誘拐されたとき、スンニ派の反乱者の拠点を米軍
が爆撃した後、バグダッドのモスクに庇護を求めるファルージャからの
避難民についての記事を彼女は書いていた。

土曜のTV番組 RaiNews 24で、そのひとりが殺される3人のシークレ
ットサーヴィスの諜報員に付き添われてなんなく彼女をバグダッド空港
に連れていくクルマに、「雨あられと降る弾丸」が降り注いだと彼女は
語った。

「私は諜報員のニコラ・カリパリに話をしていました、、、たぶん私を
守ろうとしたのでしょう、彼がわたしに寄りかかったとき、くずれて彼
が死んだのがわかりました」と、土曜日、イタリアのふたりの治安判事
に質問されたスグレナは述べた。

「米軍がずっと撃ち続けたので、運転手は私たちがイタリア人だと説明
することさえできなかった。実に恐ろしいものでした」と彼女は付け加
えた。

土曜日昼前にローマに着いた後、左肩と肺に傷を負って入院させられた
スグレナは、「この24時間に起きたことのせいでへとへとに疲れ果て
た」と言った。

「なにしろ私がおかしてきたリスクですから、私は元気だと言うことが
できます」と彼女は述べた。

「イタリア人に引き渡された後、危険は去ったと思ったが、この銃撃が
突発して、私たちは雨あられの銃弾に見舞われました」

スグレナの左翼の新聞イル・マニフェストの編集長ガブリエリ・ポーロ
は、同時にカリパリの死に「殺人」の烙印を押した。

「彼は頭を撃たれたんだ」と編集長は言った。

カリパリは月曜日に国葬にされる。

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▼イラクでイタリア人人質が無事奪還されたとき米軍が救出者を殺す▼
Rory Carroll in Baghdad, John Hooper in Rome and Sam Jones
March 05 2005
The Guardian

イラクのアメリカ兵らが昨夜解放されたばかりのイタリア人ジャーナリ
ストを空港に運ぶクルマに発砲。その女性記者は傷を負い、彼女を守ろ
うとしたイタリア人諜報員が殺される。

一ヶ月のあいだ人質に取られていたジュリアナ・スグレナの解放でイタ
リアの喜びと安堵は、事実はともかく攻撃されると思ったらしい米軍に
よって彼女を護送するクルマが射撃された後、急いで落胆と怒りに凝結
した。

57歳のスグレナは銃弾の破片で肩を撃たれたが傷は重傷とは思われな
い。彼女におおいかぶさった諜報員、ニコラ・カリパリは殺され、他の
ふたりの諜報員が負傷した。カリパリ氏は記者の解放を確実にするため
の交渉を指揮していた。

イタリアの首相、シルヴィオ・ベルルスコーニは午後9時頃起きた射撃
によって「びっくり仰天させられた」と述べた。そして、米国大使館に
申し開きを要求した。ベルルスコーニ氏は国民の反対にもかかわらず、
イラクに軍隊を維持している。

「このような重大な事件に対し説明となる言明がなければならないと思
う、、、誰かが責任を取らなければならない」と彼は言った。昨夜、ブ
ッシュ政権は殺害を遺憾とすると述べた。「私たちは人命を失ったこと
を残念に思う。事件は調査中である」とホワイトハウスのスポークスマ
ン、スコット・マクレランは言った。

スグレナの新聞、左翼のイル・マニフェストの編集者ガブリエリ・ポー
ロは、銃撃について知ったとき、スタッフはシャンペンで彼女の解放を
祝っていたと言った。

「まさに祝いとなるはずのこのニュースがこの襲撃によってだいなしに
された」とポーロ氏はイタリアのTVで語った。「イタリアの諜報員が
アメリカ人の銃弾で殺されている。イラクで起きているすべてのことが
まったくばかげており、気狂いじみていて欲しくはなかった」

これは2003年3月米国主導のイラク侵略以降、もっとも奇怪な「友
軍襲撃」事件のひとつだった。

「今夜およそ8時55分にバグダッドの合同検問所に猛スピードで近づ
いていたクルマに連合軍が発砲した」とバグダッドの米国スポークスマ
ンは言った。「最近解放されたイタリア人ジャーナリスト、ジュリアナ
・スグレナがクルマに乗っており、負傷したらしい」。米軍は明らかに
警告の射撃をした、そしてクルマが止まらなかったので銃撃した。

ここ2年に及ぶ数え切れない銃撃の後、イラク人は用心して米軍の検問
所に近づくことを身をもって知っている。

スグレナは米軍病院で治療を受け、今日帰国すると思われる。侵略に敵
意のあるスンニ派にインタヴューした後、2月4日にバグダッドの大学
近くで、顔を覆ったガンマンが彼女を誘拐した。2週間前に公表された
ヴィデオで彼女が命乞いをして、外国部隊が国を離れてくれるよう求め
て泣いているのが見られた。

彼女の苦境はイタリアの国を動かした。彼女の無事の帰国を求めてロー
マ中を何万という人々が練り歩き、サッカー競技場は「フリー・ジュリ
アナ」と書かれた横断幕を下げた。

昨日の彼女の解放は思いがけなく、情況は不明瞭だった。彼女の父親は
あまりに感極まって医者の助けが必要なほどだったし、新聞社で同僚た
ちは涙を流して拍手喝采を表明した。

昨夜、ガーディアン紙に言及するイル・マニフェスト紙の海外編集者ア
ンジェラ・パスクッチは、スグレナがアブグレイブ刑務所の虐待につい
て書いてきたせいで標的にされたとのほのめかしをはねつけた。

昨年9月、3週間イラクで捕虜にされたふたりの女性援助活動家は、当
局によって否定される、100万ドルが支払われたとのほのめかしのま
っ最中に解放された。

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▼イタリア人女性記者銃撃事件は誤射なのか?▼

これまでに伝えられたところでは、当事者の説明のポイントは以下の通
りである。(英ガーディアン紙、英BBC、AP通信、インターナショ
ナルヘラルドトリビューンによる)

駐留米軍側の説明:

=記者らの乗ったクルマは猛スピードで米軍検問所を通過しようとして
いた。
=米軍側は警告射撃を行った。
=イタリア人記者人質が解放され空港に向かうことは、イタリア情報部
から米軍に伝達されていなかった。

ジュリアナ・スグレナの説明:

=クルマは通常のスピードで、すでに米軍検問所を数カ所通過しており
空港にあと少しというところで銃撃された。
=装甲車両に乗った米兵が、フラッシュライトをかざしてから、彼女の
クルマに向かって300〜400発ほど銃撃した。
=銃撃直後、米兵らは負傷者の手当てをせずに、イタリア諜報員の武器
と携帯電話を没収し、イタリア本国との連絡を1時間以上中断させた。
(同乗していたイタリア諜報員は銃撃の最中にベルルスコーニ首相執務
室と携帯電話で通話しており、米軍が銃撃した事実がリアルタイムで報
告されていた)
=イタリア政府当局は米軍に情報を伝達していた。

エンゾ・ビアンコ議員(イタリア野党党首で情報部監査委員)の説明:

=事件当日のバグダッドは土砂降りだったので、記者らのクルマが猛ス
ピードで走行したという米軍の説明は信用できない。

▼待ち伏せ攻撃なのか?▼

スグレナは武装勢力に拘束される直前、バグダッド近郊のモスクで米軍
の攻撃に遭ったファルージャ住民のインタヴュー取材をしていた。

負傷したスグレナは、直後のインタヴューで奇妙な証言をしている。
「(米軍の銃撃を受けて)私はすぐに誘拐犯の警告を思い出しました。
彼らは私を解放すると約束しましたが、" あなたの帰国を望まないアメ
リカ人がいるから気をつけるべき" だと言われました」