そもそも、私の息子のように父親と母親の国籍が違う場合、一般的には
「ハーフ」と呼ばれているが、デンマークに住む同じ環境(日本×デン
マーク)の家族間では、「ダブル」と呼んでいる。

両方の血を半分づつというのが語源であると思うが、「半分しか持ち合
わせていない」のではなくて、「倍」なのである。両方の血を割り算で
はなく、かけ算で持っている子供、というふうに私たちはとらえている。

実際、言葉もダブルでしゃべっているし、二つの国の文化も、生まれな
がらに感じ取って成長している。

我が家の庭には、外国籍を持つ息子の友だちがよく遊びにくる。
デンマーク+トルコ、ソマリア、イギリス、ノルウェー、タイ、ベトナ
ム、そして日本。この子供たちがみんなデンマーク語で賑やかに騒いで
いるのを見ると、子供たちの世界には確執がなく、白も黄色も黒もなく、
共通の言葉でコミュニケーションできることの平和を感じる。

ダブルの子供たちだけの問題ではないのだが、「ハーフの子供」に「半
分の権利」しか与えないのではなく、「ダブルの子供」に「ダブルの権
利」を、と思う一番の理由は、子供に選択を強いて心痛を与えたくない
という親心なのかもしれない。
(高田ケラー有子 Yuko Takada Keller:デンマーク在住の造形作家)

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Eメールで届く記事や手紙は、みごとなくらい全世界からやってくる。
全米にしても私が自分の足で出かける機会などないような小さな町やと
んでもない僻地からのが多く、面と向かって会ったとしても聞き出せな
いような観点を教えてくれることもたびたびである。

人は囲いこまれるものだと考えがちだが、人間がいかにしばしば境界や
範疇の壁を越えるものか、常日頃、これらのEメールが思い知らせてく
れている。(Tomgram)

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イラク国民にとっても、アメリカ国民にとっても、イラク戦争は日常的
なことでのほうがずっと恐ろしい。このことが、ついにアメリカでも感
じられるようになった。この国で何かがゆっくりと変わりつつある。

ひとりの読者が、メイン州バーハーバーの独立記念日を祝う7月4日の
パレードについて、短い記事を送ってくれた。ここでその一部を抜粋す
ることにしよう。
http://www.mdislander.com/archive/2005/07-07-05/mdi_edit1_07-07- 05.html

「自然発生的な連帯のうねりが群衆を貫き、2マイルを超えるまでにな
った。列は全体で1時間以上も続いた。7月4日のパレードに明らかに
政治的な傾向を帯びる参加者たちがいてもバーハーバーではことさら目
新しい光景ではないが、イラクにおける人命の損失に抗議するグループ
に対する月曜日の反応は趣きが違っていた。これまで平和運動の活動家
たちは冷ややかな沈黙で迎えられるのが常だった。ところが月曜日、数
十人の抗議グループが小さな星条旗と、戦闘で亡くなった1400人余
りの米国人の名前を書いた横断幕を掲げて行進すると、街路の両側で見
物していた群衆からわきあがった拍手の波に迎えられたのだ。パレード
が進む先々の大部分で、拍手がこの集団について回った。

ワシントンの政治家たちは、イラクにおける戦争に対する国民の支持が
どれほど大きく目減りしているかを知るのに金のかかる世論調査を頼み
にすることはない。月曜日、彼らに必要だったのはメイン州の小さな町
の街路で展開した7月4日の光景を観察することだけだった」

メイン州であれテキサス州であれ、これらの一節は今の瞬間のまともな
精神をなにがしかとらえている。下記にあるクリス・クリステンセンも
また、その手紙のなかでつかんでいる。

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▼ A Young Man's Death in Iraq▼By Chris Christensen
02 August 2005
http://www.tomdispatch.com/index.mhtml?emx=x&pid=9439

私たちの小さな町、テキサス州コロンバス(人口3900)で、この町
出身の19歳になったばかりの若者を彼の生まれた日に埋葬した。この
青年はイラクで戦死した。

この町の若者たちは町にいてもすることがないので、ほとんどが大学へ
進むか、職を探すなどの理由で町を出ていく。

昨年の夏、軍隊に志願する前にクリストファー青年は父親の求めに応じ
て私に会いにきた。私は東南アジアから帰還した空軍退役軍人。陸軍で
はなく、なんとか彼を空軍か海軍の新兵募集員のところへ連れていきた
いと思い、必死になって説得を試みたが、無駄であった。

彼の頭には、スカウト(偵察兵)になって四駆ATVを乗りまわす=イ
カシテルぜ!というたわごとが新兵募集員によって吹きこまれていた。
彼はイーグル勲章ボーイスカウトだった。イラクではないにしろ、彼に
はそういう体験のある知りあいがいて、その彼も強引に勧誘していると
いう感触を私は持った。陸軍には紹介報奨金制度があるのではないかと
勘ぐりたくなる。どなたかご存知かな?

クリストファーも、「ラキ(イラク人を軽蔑してこう呼ぶ)どもを何人
か撃ちに行きたい」と言い、こういう理解しがたい願望を宿していた。
おそらくビデオゲームのやりすぎで、なんらかの潜在的欲求が巣食った
のであろう。死ぬ何週間か前に彼が短時間の銃撃戦にまきこまれて恐怖
で凍りついたというのを私は聞いて知っている。現実が弾の発射速度で
彼に追いついたのは疑いようもなかった。困ったことに、誰かが自分を
本気で殺したがっているとわかったときに味わう恐怖について、新兵募
集員も友だちも教えてはくれなかった。

クリストファーの死を知ったとき、私はガックリきて泣いた。私が泣い
たのは、これほど無意味な若者の命の損失を思ったためでも、友人たち
がこうむる悲嘆を考えたためでもないことに気づいた。私はこの国を思
って泣いたのだと思う。私たちアメリカ人がどんな事態に立ち入ってし
まったか?

青年たちが「ラキを何人か撃ちに行きたい」と言ったこと、これが私の
悲しみの元である。この国では、子どもたちは憎しみと暴力を糧に乳離
れをしていく。まずはTVに始まり、暴力的なビデオゲーム、特に米陸
軍が制作&販売するような類のものによって補強され、磨かれ、ついに
はハイスクールの暴力的なスポーツを通して感化が広がる。

南部のフットボールは次世代の大砲の餌食(兵士)を育成するための軍
事教練である。男の子たちはそれ行けとばかりに、「やっちまえ、バラ
しちまえ、しとめるんだ」とけしかけられる。そうやって刷り込まれて
いくのである。

念のために言っておく。私をリベラルな左翼と混同しないでいただきた
い。私は銃を所有し、右派を支持している。祖国と財産の防衛は、他国
への暴力の輸出とは大違い。

クリストファーに自覚はなかったが、小さな町の南部人として生れた彼
は、ごく幼い頃から死を迎える訓練を仕込まれていた。

小さな町の住民は地方選挙ではだいたい民主党に投票するが、大統領選
挙では典型的に共和党寄りである。公の場での政策論議や論争は滅多に
聞かれないし、封印されているかのようである。ひどい話だ。この辺の
人たちは、大部分が、選挙の1週間か2週間前になって国内政治や対外
政策に関心のあるふりをするが、たちまち、フットボールの話題か、な
んであれ、その日のスポーツ欄記事に回れ右をしてしまう。

死の観念や敵の手で八つ裂きになることは、あまりにも異質なことであ
り、大部分のアメリカの若者にはピンとこない。わが国のメディアは、
そういったことのイメージや細部を国民の眼から隠すために、かくも見
事な働きをしているのである。多くの外国の報道では、そうではない。
これほど陰惨だったり不快だったりする現実を子どもたちに教えるなん
てことは、アメリカの学校ではまったく考えられないことなのだ。

クリストファーは違いを見たにすぎない。なぜだか、善悪の分別や人間
愛の教えのすべてを踏みにじるほどの憎しみが育まれた。彼は南部バブ
ティスト教会に通っており、人間愛が彼に教えられたのを私は知ってい
る。一方、南部バブティスト協議会の理事長は、これは「正しい戦争」
であると宣言した。そこにはちょっとした偽善があり、たぶんクリスト
ファー青年を混乱させたに違いない。ちなみに、私たち家族はその教会
を離れた。

私はクリストファーの知人を何人か知っている。彼らは占領に賛成だっ
たが、考えを変えはじめている。農村部のこの郡で、クリストファーの
死はこの数ヶ月の間に2つ目のこと。それがこの町の考え方をいくらか
変えはじめている。遺憾なことに、遅すぎたと私は思う。

クリストファーのような若者をどれほど多く送りこんでも、アメリカの
理想を押しつけるような戦争はどうにもならない。ヴェトナムより早く
それに気づいて欲しかった。まして相手はそれを望んでいないのだ。