▼死のテーマパークでいつもの週にずたずたに引き裂かれた人びと  
    親族たちが絶叫する▼ 英インディペンデント紙

目下の事情ではふたつのバグダッドがある。ひとつは米国とイラク当局
が保護領域で暮らすグリーンゾーン。もうひとつはその他全員が暮らす
危険地帯だ。
米国・イラク連合のコンクリートの壁の向こうからロバート・フィスク
が報じる。

2005年8月21日付インディペンデント紙:月曜、ジョージ・ブッ
シュは「民主主義」のために「思い切った」努力をしたことで、バグダ
ッドの宗派心の強いどん欲な政治家どもを賞賛していた。暫定国民議会
の連中はイラク新憲法のデッドラインを全く直視していなかった。
(22日、2度目の期限も難航している)と同時に、私はバグダッドの
よく知られたホテルのひとつで友人を見つけた。彼はマネージャー代理
で、3年以上も知っていたが、年齢の2倍は老けて見えた。彼は私の腕
をつかまえて私の顔を覗き込む。「ロバート、私は誘拐されたんだ、わ
かるかい?」私は今では毎日、誘拐されているいとこや父親や息子のい
るイラク人の知り合いや友人に出くわす。たいてい彼らは解放される。
時々、彼らは殺害されて、私は家族にお悔やみを言いに行く。私が西欧
人である故に、ことのほか骨が折れる。愛する者を殺した無政府状態は
西欧のせいだととがめる親族に、なんとも残念だと言いに私は現れる。
今回はまさに私の友人が生還したところであった。

翌日、別のよき友人の大学教授がコーヒーを飲みに私を訪れた。バグダ
ッドを取り巻く恐ろしさについて知るべきすべてを、この記事に身元が
欠けているのが物語る。「私は言語学部の期末試験の監督をしていて、
分別のある学生がカンニングをするのに気づいた。彼のところまで歩い
ていって、カンニングをしていたねと言った。彼はしてないと言った。
私が彼の答案用紙を取り上げると述べると、彼は私のほうに身体をかが
めて、試験を終えるのをじゃましたら、私は殺されるとわからせた。私
は学部長のところに行った。学部長はこの生徒をしごいて答案用紙を取
り上げるだろうと私は思った。だが、彼はこの生徒をしかると、試験を
続けるように言った。私の学部長は完全に私を見捨てたのだ。」
私の友である教授は英文学を愛するが、彼は新たな問題を抱える。

「学生の多くが今ではとてもイスラム教的に修正される。彼らの宗教の
プリズムを通して教えてくれるクラスを望むのだ。だが、私はどうすれ
ばいい?反イスラム的と見られるせいで、もう実存主義を教えることが
できない。もうサルトルはいらないという意味でだ。同じ人たちがユー
ジン・オニールの演劇のなかの宗教的メッセージを私に尋ねる。何と言
えばいい?もう教えるのは無理だ。 わかる?私には教えられない。」
2003年4月のバグダッドの「解放」以来、180人の教授と教師が
イラクで暗殺されている、そして教授の訪問後まもなく、私は彼の同僚
の1 人から電話をもらう。

「二日前に老年のアミン・ヤシンと息子を彼らが誘拐した。二人がいま
どこか私たちにはわからない。」アミン・ヤシンは同僚にいるような元
バース党員ではなかった。彼はバグダッド大学の英語学部で文法を教え
た退職言語学者だった。30歳の息子は中等学校の先生である。二人は
バグダッドから7マイル西のKhavraha 地区でとらえられた。

木曜日、Nahdaバス停留所で2発の爆弾が43人をばらばらに引き裂く。
ほぼ全員がシーア派のイスラム教徒だ。そしてまたすぐかたわらに爆弾
を受ける病院では、行方不明者の身内がなんとか死者の身元を確認しよ
うとして絶叫している。問題は、葬儀屋が持ち主である死者にその脚を
うまくはめ込むことができない、ある場合には胴体に頭部をうまくはめ
込むことができないでいることだ。西側最大手の通信社がその本部を構
えるパレスチナホテルへ私は向かう。私は最上階まで、出くわすのがホ
テルの廊下を遮断する広大な鉄の壁とひとりの守衛だけのエレベーター
で行く。彼は私をじろじろ見て、私のカードを差し出す、数分後、イラ
ク人の守衛が格子窓から私を凝視して鉄のドアを開ける。

中にはいると目の前にもうひとつ広大な鋼の壁がある。彼が外のドアを
ガンと大きく鳴らして閉めると、たちまち中のドアが開き、不愉快な古
いホテルの廊下に出る。

新聞記者らは、そこからチグリス川を見下ろせる小さな窓のあるむっと
する部屋に座っている。アメリカ人スタッフのひとりは、何ヶ月も外に
出ていないことを認める。アラブ人記者がストリートの報告をする。ア
メリカ人はイラクをあちこち移動するが、米国の軍隊に抱き込むように
取り囲まれるときだけだ。この局のアメリカ人ジャーナリストはバグダ
ッドのストリートを移動しない。かつて私が説明したように、これはホ
テル・ジャーナリズムではない。これは刑務所・ジャーナリズムだ。

ベイルート時代からの私の勇敢な旧友であるアメリカ人は平気で歩く。
「フィスクよ、これを見てごらん、このころアメリカ人から手に入れた
ウソの類だ、これはアメリカ人が私たちに書いて欲しかったことだ。」
それはアメリカ主導・連合の新聞報道課からのニュース発表である。占
領軍の情報操作の達人がここにいる。それは、「マンガ欄がバグダッド
特殊任務部隊にうなるほどの笑いをもたらす」と述べる。

私はバグダッド全域をドライブする。ドナルド・ラムズフェルド国防長
官のキャリアを救い、米軍のここでの軍事力を縮小させることになって
いるイラク国家警備隊がチェックポイントに立っているせいで、大渋滞
がある。大部分がスキーマスクをかぶっているのでぎょっとする。私が
出会うイラク人すべてがそうであるように、イラク国家警備隊を私は信
用しない。イラク国家警備隊にはスンニ派とシーア派両方の暴徒が潜入
しており、スンニ派の領域にある家屋狩り(急襲)を遂行する始末に負
えない性癖があって、一家の男たちを逮捕してから家で見つかる金を全
部盗む汚らわしい傾向がある。「まず連中は息子を逮捕してから、私の
宝石を全部盗む」と、この腐敗した(金で動かされる)民兵を調査して
いたアラブの衛星チャンネルでひとりの女性が不平を訴えた。

私は家に戻ると、英国で反テロリズム訓練を受けているイラク軍のエリ
ート部隊に関するイギリスBBC の報道番組を見つけようとTV をつける。
その報道で彼らはヘルメットに葉のついた小枝の束をつけ、障害を飛び
越え、勢いを冷ます。ウエールズ山脈でだ。

金曜の夜。 この巨大なかまどのような都心にグリーンゾーンはある。
城壁で防護し、立入禁止にする、バリケードで守られた10キロ四方の
宮殿、邸宅とガーデン。かつてサダム統治期間の中枢であった中に、今
はイラク政府と憲法委員会、米国大使館、英国大使館、そして何百とい
う西側世界の傭兵どもが住む。そこの住人の大部分が一度もイラク人に
出会わない。ショーツ姿の女性たちがバラの花壇を通りすぎる。武装し
た男女の請負人がプールのそばに横たわる。1軒が自爆犯に爆破される
までは、少なくとも3軒のレストランがあった。地元の店の電話付属品、
新聞、ポルノのDVDを買うことができる。戦術上の理由のせいで、アメ
リカ人はグリーンゾーン内に中流のイラク人の家をたくさん含めること
を余儀なくされた。決定なのは多数の家長を暴行(虐待)してたこと。
彼らはたびたび安全上のチェックポイントを通過するのに4 時間待たな
ければならない。皮肉も皮肉、かつてイラクとシリアの両方に含まれた
バース党の創始者、ミッシェル・アフラク(Michel Aflaq )の墓は、
グ リーンゾーン内に横たわる。

金曜の夜、この十字軍戦士の城は通常の投光照明灯を浴びて建物をくっ
きり浮き出させる。グリーンゾーン内で鈍い音がしてぴかっと光ったと
き、私は街の上空で輝く星を見上げていた。私からそう遠くない、全イ
ラク人にとって占領のシンボルとなっている、明るく照らされたガラス
張り(八方から人目にさらされる場所)のどこかで、誰かが迫撃砲を発
射していた。西側の殿堂全体が崩壊するとき、それがどうなるか多くの
人が尋ねる。暴徒の本部になると言う者がいれば、すぐ次の議会になる
と言う者がいる。私の推測ではイラクを支配するのが誰であれ、占領の
崩壊は何もかも全部をテーマパークに変えてしまうだろう。あるいは、
まさしく博物館かもしれぬ。