REPORT FROM SWEDEN , GERMANY , POLAND
他の国の人はどんなことを考えているのかしら

BY KEIKO HAYASHI

ちょうど湾岸戦争が停戦を迎えた後、T.TORAO(前述の記事参照)の個展のためストックホルムへ向けて旅立った。
戦争勃発以前に作った作品の中に"SCIENCE VIOLENCE SILENCE"というシリーズがあった。これは医療について考えたことからできた作品だが、まさに湾岸戦争のことを言っているようだと思った。私たちのこの戦争についての考えと立場を仕事を通じてはっきりさせたいと思い"SCIENCE VIOLENCE SILENCE on the planet"という作品を急遽作った。
さて、スウェーデンでは私の期待は見事に外れ、湾岸戦争の話になってものんびりした穏やかな人たちは口角泡を飛ばし議論するという風ではなかった。もちろん停戦になりホッとしたということもあるだろうが、約150年の間戦争をしていない中立国、その社会制度に裏打ちされた安全を保障された生活が人々の平和ボケとも言える穏やかさを生んでいるのだろう。日本の約1.2倍の土地に人口わずか850万人ほど、北国とはいえ GNP は日本を下回るものの旧西ドイツより高い。 「高福祉国家だからもちろん税金は高い。平均的な人で社会保険と所得税で70%を支払っているんです。しかし60歳以降、一生のうちで一番高かった所得の90%の年金が貰える。だから一度一生懸命働いておいて、後は適当にという人が多い」(中島さん、商社マン)
競争の激しい国からこの国へ行くと気が抜けてしまう。しかし、「スウェーデンもEC 加盟を決め、こういうのんびりした体質を変えなければと右翼が台頭してきている」(Ylva 、テキスタイルデザイナー)
湾岸戦争ではいち早く大規模な医療団を送った。「社会問題や環境問題、私たちANC の活動に対するサポートは多方面からあり、人々のこういう問題に対する意識は昔に比べ高くなった」(Billy 、ANC スウェーデン代表)しかし、「多国籍軍の圧倒的勝利でほとんど仕事をせずに医療団は帰国した。馬鹿げているね」(Jan 、ギャラリーオーナー)というような意見もあり、中立とはいえEC 加盟も影響して他国との協調を考慮した派兵問題まで討議されるようになった。意外にも、渋々ながら戦争肯定的な意見が多いなか、いろいろデモも起こったが、ヴェトナム戦争時のパルメ首相が先頭に立った反戦反米デモのようなものではなかったらしい。

統一後揺れているドイツはスウェーデンとはまったく違った国だ。 「旧西ドイツの人々は旧東ドイツを経済的に背負うことで未来に対して大きな不安を抱いている」(Gabi 、キューレーター)旧東ドイツの労働者の二分の一から三分の一が来る数ヶ月に失業すると言われている。当事者の東ドイツの人々の大きな不安は各地で起きている大きなデモという形で表れている。この問題の深刻さは、経済相が「私たちは計算を誤ったと認めなければならない」と発言するほどだ。また首都をボンとベルリンのどちらにするかという問題など国内に大問題を抱えていて、他の国の戦争どころじゃないと考えそうなところだが、
「湾岸戦争中、若者、そしてほとんど子供と言っていいような年の子まで反戦デモに参加した。これはドイツでは異例のことだったので政府は大いに慌てた」(Gabi )そうだ。 そんなドイツで興味深い展覧会を見た。
DAAD Galerie ではFritz Rahmann の「写真の本質」と題された展覧会を見た。湾岸戦争までの数十日間のTV ニュースをスナップ写真に収め、その写真を日を追って壁にピンナップしたインスタレーションの作品。一見単純ながら強く見応えのある作品だった。そのスナップにはブッシュ大統領、ベーカー国務長官、シュワルツコフ司令官などなどの顔のアップが多く、誰でもが知っているこのニュースのある側面をこのアーティストの視点でハッキリ捕らえ見せている。 この戦争はどんな、何のための戦争だったのかを考えさせられる。そして、これらのスナップのあいだに挟み込まれるアーティストの日常と思われる<窓からの景色><卓上の静物>などなどのスナップには、こういう戦争の上に成り立っている私たちひとり一人の生活の矛盾について考えさせられた。戦争に賛成だろうが反対だろうが、こういう世界の中に生きていることに違いはないのだから。
Weisser Raum でのIngo Gunther の展覧会は三つの作品で構成されていた。その中の一つに、四つの大きな旗が扇風機の風にはためき、そこに映像が映し出されるという作品があった。一つの旗には1945年以降から未来への年号が映し出され、もう一つの旗には1945年以降のフセイン大統領を含めたいろいろなニュース映像が映し出される。歴史は繰り返され、人は歴史から何も学ばないと言っているようだ。そして、私たちの未来は不確かだと。大きな扇風機の音と旗のはためく音のなか、スピードの速い映像が繰り返し映し出されるのを見ているとひどく暴力的なものを感じ、ファシズムが人々の生活に迫ってきた時代のことが脳裏をかすめ、怖いなと思った。
この二人のアーティストに共通なのは、それぞれがハッキリとした考えを持ち、いち早くそれを社会に示していることだ。アートが社会的、政治的な出来事を扱い、その発言が社会に影響力を持っているのがドイツのアートと言えるだろう。 そういう意味において忘れてはいけないアーティストの一人、Anselm Kiefer の展覧会も見た。ナチズムの歴史がなかったら生まれなかった彼の作品の多くは、「ドイツ人にとっては Too Much History で見ていて苦しくなる」(Gabi )作品だが、こういう作品群を国立美術館で取り上げる国は、教科書問題で侵略だ進出だと言っている国に比べまったくレベルの違いを感じる。多くの人が熱心に作品に見入っていた。

最後に、ポーランドの旅では特に誰とも残念ながら話ができなかったが、アウシュヴィツとビルケナウ収容所を訪れたことがなんと言っても今回の旅で一番忘れられない場所であったことを付け加えておきたい。 世界にはまだ50以上の紛争がある。しかしこの湾岸戦争にだけ、世界の国が寄ってたかって動いたことを記憶に留めたい。経済というものが本当に何より優先するのだろうか、地球の未来を無にしても。

▲TAMA- 5 掲載、1991
●Photbook "the places in my heart " by keiko hayashi
旅が好きだ。旅の途中で、ふと気になったものにシャッターを押す。あらかじめ、何を撮ろうという、はっきりした目当てがあるわけではない。その時々に私の心を引く場所や物を撮る。 出来上がった写真を見ていると、別の旅の途中に別の場所で撮った写真を思い出す。そうして一組になった写真をノートに貼る。幸せな偶然の邂逅。
10年前にガンになった頃、作品を作り始めた。今、このノートを見返してみると旅をし写真を撮りノートに貼るという行為は、生と死を意識し、私とは何かを考え、精神的に回復するための旅でもあったと思う。
▲99年9月の写真展と合わせ製作されたフォトブックより
(TAMA- 24 掲載、1999 )
フォトブックのお問い合わせは move :03-3990- 3302 まで
●URL http://www.interq.or.jp/world/torao/hayashi.html