映画界のブラックスチール 
SUMMER OF SUM


映画作りの「Black New Wave 」を突然起こさせたスパイク・リーの低予算デビュー映画{She's Gotta Have It }がカンヌでプレミア上映されて13年、当時頭がぼーっとするほど衝撃的だった{ドゥー・ザ・ライト・シング}にこのTAMAのデビューが間に合ったのはラッキーだった。
この10年、常に彼の仕事ぶりに注目してきたTAMA が、TVのNBA ニューヨーク・ニックス戦で熱く檄を飛ばす彼のNo.1ファンぶりに励まされてきたと言っても決して言い過ぎじゃないと思う。不当な酷評で叩かれても、そのせいで興行成績がふるわなくても再攻撃してくれる彼の一途な粘りには目頭が熱くなる。
で、その彼がまたやってくれた。

最初、彼の「黒さ」はエキゾティックだった。そのうちうんざりしてきてそれが人種差別者に変わる。アフリカ系アメリカ人びいきのスタンスと遠慮のない意見表明を拍手喝采で迎えたショービズ・ジャーナリズムはそのぞっとする変わり身の早さで今度は白人登場人物の欠如にぶつくさ文句を言いリーの映画に反ユダヤびいきを感知するようになる。
メディアは人の反感を買うことをいろいろ言って刺激を与える著名人スパイク・リーほどアーティストのリーには興味がないようだ。洞察に満ち愛情こもる97年の公民権を扱った作品、アカデミーもドキュメンタリー部門の候補に入れざるを得なかった出来の{4 Little Girls } は{ジャッキー・ブラウン}のニガー言葉でタランティーノ+サミュエル L ジャクソンとやった喧嘩騒動や俳優で全米ライフル協会NRA代表、チャールトン・ヘストンは44口径のピストルで撃たれて当然との思いつき発言ほど大きく扱われなかった。
リーの仕事の打率が驚異的という点では誰にも議論の余地はない。この13年彼は長編映画はもちろん、非常に多くの宣伝用フィルムに、Levi's 、Nike、US Navy と広告キャンペーンを産み出しオフブロードウェイの芝居をプロデュースしてNYUの映画学校でマイノリティの学生のための創作活動奨励金を設立、レコードレーベルを立ち上げてNo.1 ニックス・ファンとして本まで書き上げた。さらに詰め込みすぎと言ってよいほどエネルギーとアイディアが充満するリーの映画に創作の疲れは見えない。

今回も例外でない、いよいよ最新作の登場だ。リーの直感的だが的確な才ある監督の一面と論争を引きつけるマグネットの両面を表す映画{Summer Of Sum }は気温が最高記録に達しニューヨーク全市の停電のせいで略奪が広まりニックネーム「サムの息子」で知られる連続殺人鬼が茶色い髪の女性をつけ回す1977年夏のニューヨークが主題だ。映画は時代のポートレイト、街とそこの住人を余すところなく汲み尽くし、時代のトレンド(パンク、ディスコ、エイズ以前の性の自由)を結び合わせると同時に、セックスと暴力を結びつけて効果的に強調してみせる。
映画の主要人物に「サムの息子」(本名David Berkowitz )を使ったことが犠牲者の家族と投獄されてるBerkowitz 本人からの抗議を導き出す。実際には報道されたような撮影監視やデモの類はなく犠牲者の親が姿を見せて映画に反対しただけだった。映画が娘を利用してる、暴力を、Berkowitz を魅惑的に見せようとしている、どう見ても誤解としか思えない誤解を懸命に解こうとするリーの努力に今回もまた情況をもつれさせるためにメディアが介入した。
リーにとりプロダクションの報道のされ方はいらだちの原因以上だ。「連中は結構な仕事をしてくれるよ。読んだり聞いたりしたのと映画が100%違ってたってのに賭けてもいい。連中の望み通りに長々と作り話をする。作品をけなし映画と映画監督の俺をおとしめる。映画評論は彼らが考えるスパイク・リーという人物が好きか嫌いかであって映画を主題に扱うのはごく稀だ。連中は俺自身が嫌い、俺が言ってることが嫌い、俺の映画に出てくる連中が勝手に推測する黒人が嫌いだ。今回はアフリカ系アメリカ人監督が白人を主題に映画を撮ってる事実がやつら気にくわないんだと思うよ」
{Summer Of Sum }は黒人映画ではない。リーが部外者のもっぱら白人地域社会マーティン・スコセッシを連想させるブロンクスのイタリア系アメリカ人地区に焦点を合わせる。ミラ・ソルヴィーノ、エイドリアン・ブロディ、ジョン・レグイザモなど俳優の顔ぶれ、新しいプロダクションデザイナー、ザ・フーやアバまで入るサントラとどれをとっても新種のスパイク・リー・ジョイントと感じさせる映画は、元々俳優マイケル・インペリオーリとヴィクター・コリチオのアイディアで実は当時のパンクロックシーンにいたヴィクターの自叙伝だ。
「彼が実際パンクロックシーンにいたから俺は全くの新世界をデビューできた。当時、俺が行ったパーティはほとんどハウスパーティ。金はないしスタジオ54に顔が利くやつなんか誰も知らない。俺は二十歳の若造だ。いまでもディスコ音楽は好きだ。パンクの真価は認めるよ、でも俺はパンクロッカーじゃない。CBGB だって映画を撮影するまで足を踏み入れたこともなかった」
リーには1977年夏は音楽より他の理由で重要だった。「映画監督になると決めた夏だ。ちょうど映画学校が終了してニューヨークに戻ったところ、仕事は見つけられなかった。だからあちこち歩き回ってフィルムに収めた。映画の停電のフィルムは当時俺が撮ったやつだ」

スパイク・リーは1977年のスーパー8時代から、わざわざスポットライトの中に躍り出てジョン・シングルトン、マッティ・リッチ、カール・フランクリン、ハドゥリン・ブラザーズのような監督を助ける黒人アーティストの役割モデルを経てインディーと過去の成功の名誉にあぐらをかく名のある監督と両方の役割モデルを務める現代監督にまで進化した。{Summer Of Sum }には大物ライバルを恥じさせる向こう見ずなエネルギーがある。
「いろいろに俺の名がブランドになっている。いいのか悪いのか。足かせかもしれない。それでも通常のハリウッド上映作品とは違うタイプの映画を作る。これからもストーリーをうまく語る知識を身につけていく。監督とは話上手なストーリーテラーだろうが。俺は映画監督として技術を発揮してきた。作品は全部誇りに思うよ。〜が欠けてるもっと〜が必要だーとか人は言うが{クルックリン}{クロッカーズ}{ガール6}どれも劇場売り上げが悪かっただけで劣ってる作品だとは思わない」
確かに{マルコム X }後、新興の黒人映画ムーヴメントはそのパワーを失ったように見えた。同時にひどく過小評価された{クルックリン}からリーの映画は切っても切れない人種問題よりむしろ人やストーリーを前面に置きだす。
自分の都合で黒人映画の熱狂を作り上げたメディアが{マルコム X }公開のHYPE とヒステリーの間にピークに達していた彼のパワーを陰険な手段で傷つけようとした!あまりにも少なすぎる新聞・雑誌の配慮からすればこれはあり得る話だ。

90年代最後の数年、黒人の映画は欄外に置かれてるみたいだ。ミラマックスのB 級映画部門配給のサントラ主体のコメディだったりヒップホップ界のマスターP、あるいは多産なヒップホップ宣伝用フィルム監督ハイプ・ウイリアムズだったり。
「先は長い。でもやらなけりゃ。みんなが役割をこなしてる。進化の過程だよ。黒人シネマ時代の飛躍。言えるのは俺が生きてるうちに他の音楽・ダンス・スポーツ・文学でのアフロアメリカンの功績に匹敵するようなものになるってことだ」
体制内で仕事しながらも(最新作はウォルト・ディズニー)彼独自のやり方で事を進めるリーは妥協しない社会的影響力であり手強い一匹狼だ。映画作りを国民の意識の先頭まで戻す役割ながら彼はその立場を理想的とは思っていない。
「必ずしも正しくないか受けるに値しない言葉を発して方々に名称をつけたがる昨今だが、俺がしてきたことはどれも革命的とは思ちゃいない」

●参考資料:i-D nov. 1999
●TAMA- 26 掲載、2000 SPRING