「ヘンリー」の監督ジョン・マクノートン
            vs ノンストップ独演者ボゴジアン

オリヴァー・ストーンの映画「トークレディオ」でDJ を演じた俳優であり挑発的な劇作家(97年リチャード・リンクレーターの「SubVrbia 」の原作者で脚本家)エリック・ボゴジアンは5年も棚上げされたジョン・マクノートンのデビュー作「ヘンリー:シリアルキラーのポートレイト」を見に行き、当惑のあまり言葉も出なくなる。 そこはマジに冷酷で憂鬱な気分になるゲスな映画を上映するアートシアターで、何時間も気が転倒したままボゴジアンはイーストヴィレッジの劇場でロングランを続けるその夜の一人芝居をキャンセルした。そしてマクノートンにファンレターを書く。
シカゴをベースに仕事するマクノートンが相棒のスティーヴ・ジョーンズと一緒にニューヨークに来たときボゴジアンに電話して「仲間内でほめあうものを作ろうじゃないか」と意見が一致する。そうして監督なしに進行中のボゴジアンの一人芝居、「セックス、ドラッグ、ロックンロール」の映画化で二人のパートナーシップが誕生する。
ボゴジアンの舞台はタイトルにまさる内容で、それは物事のきっかけを作る哲学であり誰もが本気で聞きたがる万事抜かりのない粋というもの。オリジナルの舞台もマクノートンの映画も、乞食や浮浪者からロックスター、絶倫男、気違い、犯罪者までのゲス野郎の人物描写の場面展開がボゴジアンの舞台のノリでひとつにまとまる。それは壮観で本人はコメディアンとは呼ばれたくないだろうが実におかしいものだった。
「彼の舞台を映画用にあれこれ操作したらそれは馬鹿げたものになってしまう。そこらじゅうにエリックの特性があって、彼はそれを砥石でといてピカピカに磨きをかけ、演じたり変化させて仕上げる。11人の登場人物にはそれぞれ異なったエネルギーがあるから僕らは撮影スタイルを登場人物に合わせることにした、アングルや編集やなんかをね」とマクノートンは述べている。
マクノートンとジョーンズが1985年に「ヘンリー」の仕事を始めたとき彼らの狙いは単にホームヴィデオ・VCR の市場開発のブームに便乗することだった。結果はいやらしいパニックのなかでX 指定の悪魔に取り憑かれることになるが、二人がやりたかったのは基本に戻り観客が本当にギョッとするようなホラー映画を作ることで、時を同じくする映画「羊たちの沈黙」や小説「アメリカンサイコ」に取って代わるものを提供するつもりはなかった。
ただマクノートンは連続殺人犯を扱うほとんどの映画の決まり切ったやり方が大嫌いだった。「興味ある人物はいつも悪人かモンスター」と認めるマクノートンはシカゴの南部育ち。「恐ろしいとこでね。今でもあそこで多少なりともいかがわしい生活を送る友達に会うよ。連中はいつもそこらのものを盗んだり、刑務所に入ったり、ぶちのめされたり、殺されたりしてる。連中の人生にはドラマがあるのに、僕の中産階級の友達は朝起きて仕事に出かけるだけ。それが生きる範囲なんだよ」
マクノートンはちょうど景気後退に間に合う1972年に学校を卒業し、TV と映画の仕事を見つけられないまま破綻した結婚生活を投げ出して旅に出る。ニューオーリンズではバーテンダーをやり、アクセサリー作りにボート作りをやってカーニヴァルと駆け落ちする。そしてヴィデオの配給会社MPI からオファーがありハリウッドの検閲にあう。そうして1990年にやっと映画が公開されると世間をあっと言わせるようなデビューを飾った。地球に追放された犯罪者のエイリアンが絶えず人間の頭を盗むよう強要される、「ヒドゥン」よりもっと謎めいていて卑劣な彼の第2弾「Borrower ボディチェンジャー」もスタジオの破産に巻き込まれ、すんなりとは陽の目を見なかった。
「セックス、ドラッグ、ロックンロール」は最初から最後まで全部がしゃべり。しゃべってることが問題で映し出されるものは二の次という、映画のルールにまったく反したものだ。それにまたマクノートンはまだ経験の少ない未知数の監督で、ボゴジアンのような内容のある芝居経験もなければ、ダウンタウンの信任状もない。しかし二人は同じようなキャリアの転機にきている。明らかに才能があり、そこそこの成功を手にして最初の関門はくぐり抜けているがまだ大成功を収めるには至っていない。ボゴジアンには評判と芝居の能力にたけた肉体はあるのに「トークレディオ」から一歩も先に進んでいなかった。マクノートンのほうは明らかに「ヘンリー」が大好きな監督、マーティン・スコセッシ企画・プロデュースによるロマンティックスリラー「マットドッグ・アンド・グローリー:恋に落ちたら」(ロバート・デ・ニーロとビル・マーレー主演)の撮影開始と、常にクールだったウイリアム・バロウズの作品を基にした「ダッチ・シュルツの最後の言葉」の脚本を売りに出している(バロウズは生前その脚本が気に入っていた)。そして二人ともきわどい境目にいて、どちらに転ぶかわからない。
しかし、ボゴジアンは自分のことをアル・パチーノ、デ・ニーロ、ダスティ・ホフマン、ジョン・マルコヴィッチといった規格の役者とみなし、あえて魅力的じゃない役柄に挑む。そして大抵の演技者の6倍も激しくひとつの舞台に打ち込んだ。「"真夜中のカウボーイ"でホフマンはポークチョップみたいにギラついてる。デ・ニーロは"タクシードライヴァー"のためにあそこまで減量してあのモヒカン刈り、たまったもんじゃないよな。でもそういうのはどれも"パンクの美意識"の一部。イギー・ポップやジェームズ・チャンスはステージのどこだろうと構わず自分の身を投げ出す。あいつらは恐れたりしない」
ボゴジアンが恐れるのは毎晩しゃべる彼自身の言葉、「クソ恐ろしい世界の終わりについてしゃべっているのに、劇場は高笑い...... 世界が終わってもオーケー」っていう反応のことだ。

▲ジョン・マクノートンの作品:1986年製作「ヘンリー」、89年製作「ボディ・チェンジャー」、93年「恋に落ちたら」、94年「ガールズ・プリズン」、96年「ボディ・リップス」、98年「ワイルドシングズ」、99年「ランスキー/ アメリカが最も恐れる男」
▲エリック・ボゴジアンの主な出演作品:88年「トークレディオ」by オリヴァー・ストーン、95年「暴走特急」by ジェフ・マーフィ、98年「地球は女で回っている」by ウッディ・アレン
●TAMA- 7 掲載、FALL 1991