MANCHESTER

まるでダンス・マラソンかカーニヴァルのようなレイブ(ハチャメチャな大騒ぎ)発祥の地、高い失業率で知られる工業都市マンチェスターが「マッドチェスター」と呼ばれるようになった。
1967年の夏(Summer of Love )にピークを迎えるフラワーパワー・ムーヴメントを知らない若者たちがバギーパンツに花柄のチュニックや絞り染めのT- シャツというアシッド・ファッションで気分を高揚させるアンフェタミンを陶酔感をもたらすエクスタシーに置き換えドラムマシーンのビートに合わせて朝まで踊り明かす。 これをパンク以降、最も重要な音楽現象とみなす者もいるがこのダンス狂世代のモットーは「愉しけりゃいい」というもの。単純で政治色はなかった。
1976年6月、パンクの象徴セックス・ピストルズが街にやって来たとき初めて共感の持てるイギリスのグループに出会えたというマンチェスターっ子。「パンクは失業問題のことを歌っていて、それが胸に響いた」と言うのはザ・スミスのジョニー・マーだ。それ以後、マンチェスターからはザ・スミス、ジョイ・デヴィジョン、ニューオーダーが生まれた。 そしてこのマッドチェスター・サウンドだ。ストーン・ローゼズ、インスパイラル・カーペッツ、808ステイツ、ダンスとドアーズの音を組み合わせたハッピー・マンデーズ。
このムーヴメントの仕掛け人、ファクトリーレコードのウィルソンらは1982年にマンチェスター・サウンドの実験場、巨大なクラブ「ハシエンダ」をオープンさせる。86年頃ハシエンダのDJ はハウスミュージックを取り入れ始めた。そうして87年夏、休暇でスペインのイビサ島に出掛けたDJ らはそこで13時間ぶっ通しで踊れるクラブがあることを発見し、バレアリック・ビートとエクスタシーを発見する。帰国するなり彼らはさっそくハウスミュージックにバレアリック・ビートを加え、クラブにエクスタシーを持ち込んだ。そして87年冬にこのムーヴメントが起こったというわけだ。
イギリス中のクラブが満員。倉庫や野外、格納庫でレイブが始まる。90年夏、イギリスの警察はレイブを取り締まる構えでいる。議会に提出されたレイブ禁止法も採択される公算が高い。どんちゃん騒ぎが公認されていたイビサ島でも野外のクラブに騒音防止法が施行され、ハシエンダを含む幾つかのクラブが閉鎖を余儀なくされている。 こうした圧力が統制のとれた合法的クラブへの移行と海外への進出に拍車をかけ、パリ、アムステルダム、ギリシャ、ノルウェー、アイスランドでレイブが計画されている。そして日本にもハッピー・マンデーズや808ステイツ、インスパイラル・カーペッツがやって来る。
ビートルズの「ストロベリーフィールド」のカヴァーヴァージョンがイギリスのシングルチャート3位のキャンディ・フリップは、「誰もが今このシーンの中にいて俗物根性みたいなのが露呈してきている。マスのものに対する反動があるんだよ。ジョー・ブロッグズの服(シャミー・アーメドが4年前設立したファッションメーカーで、アーメドは「ファッション界のマクドナルド」と言った。100種類以上のジーンズをデザインして年間2500万ポンド以上を売り上げる)からまたゴルチエやミチコ・コシノを着るようになってるじゃないか。アシッド・ウェアがストリートを乗っ取ったからだ。それにデザイナーの俗物根性が"ルールのなさに意味のある"シーンを甘やかす。くだらないじゃないか!どれもこれもマスになって統制されることへの反抗ですることなのにさ」と頑固なキッカーズ(反抗者)を装う。

▲TAMA- 3 掲載、1990