Paradise Island
タイのリンビーチ

タイのリンビーチ(Haad Rin )が60年代ヒッピーの解放区だった地中海のイビサ島の解放と初期のアシッドハウス・パーティの無謀さを結びつけるシーンを引き起こしている。
南東の海岸線からおよそ70マイル離れたコ・パンガン(パンガン島)は最初カンナビス(マリファナ)の島だった。美しいのと同等にべらぼうに安いことに懐疑的な旅人にとりそこは安息所だった。もっとでかい類似の島、サムイにはツーリスト機構が乗っ取るまでは同じような評判があった。まだ10年も経っていない。

サムイのDJ は1988年にもうアシッドハウスをやっていたが本当のところはつかんでいなかった。その場所があまりにも仕切られ過ぎていてポリスに取り締まられていた上にツーリストは「白い悪魔の騎士」とネッキングすることに興味を覚えるハネムーナーだったりして。
それにだ、去年の秋アシッドハウスに目を付けたリンビーチのもっと悠々自適のタイ人はどんどん金になる本物の金運のクモだったんだ。
このメッセージがイギリスに届くのにそんなに時間はかからなかった。ここがかつてのイビサ島のような、まだ人に気付かれていないパーティ・パラダイスだとね。 リンビーチでは自由がキーワードだ。法的制約もなければ騒音規制もラストオーダーもない。ただ長くて夢見るような毎日と狂気の夜があるばかり。それにまだべらぼうに安い。ほとんどのバンガローが宿泊のみで200円ぽっちで借りられる。
リンビーチはバックパッカーにとり最もポピュラーな類の島だった。それに現在のシーンが起きる以前はごつくて迫力あるドイツ人、スカンジナヴィア人、オーストラリア人が訪れていたんだ。

サンセットビーチから歩いて太いマリファナをふかした今時のヒッピーがなにやらぶつぶつ言っているリンビーチ・ベーカリーを通り過ぎると木製のカフェや店が建ち並ぶ雑多な通りにたどり着く。
そこのハッサンのバーでもしかしたらリンのグル(導師)に出会えるかもしれない。フルタイムで島にいる老いたヒッピーまたは一番長老の住人チェスマンのことで彼は毎朝しわの寄った鉄のテントから這い出てくると唯一のショーツからほこりを払いメコンウイスキーのボトルとマジックマッシュルーム入りオムレツという朝食を食べにベーカリーに向かう。
激しいパーティライフにも関わらずチェスマンは社会福祉事業をやっていた頃のことを憶えているし、彼を相手にチェスゲームに挑む気狂いを手酷くうち負かすことができた。
「ここがいいのはアンダーグラウンドの気分だから」
友達からリンビーチの噂を聞いてやって来たロンドン子は言う。「都会から来て現実逃避ができるところ。興ざめするまでしばらくここにいる。全部がスローモーションみたいなの。ただ眺めて笑ってるだけ」
タイ人はなぜツーリストがこんなことをしてるのか理解するのをとっくにあきらめている。平均的週給が3千円ほどの国ではそんなことは気にしちゃいられない。ツーリストは自分の金を使うのだ。
「3年前には半分のバンガローしかなかった。タイ人にはいいビジネスだよ。ほとんどのツーリストはオーケーだし、フレンドリーで気楽だ。時々、状況が把握できないクレイジーなのがいるけどね」とバーのオーナーは語る。
リンビーチにはポリスステーションがない。トングサラの北部の村からポリスがチェックしに来るようになった。なにも問題はなかったが常識はわきまえていたほうがいい。ビーチでジョイントを吸っていて捕まり3万円ほどでわけなく自由になった人の話を聞いた。大抵はやつらの後ポケットに入ってしまう。汚職がビッグビジネスの国では受け入れるしか仕方がないけど。
夜になると島は一変する。ここでのパーティは「狂乱」と呼ばれている。
彼らはらんちきパーティなんてものじゃないもっとずっと狂ってる。全速力の狂乱ってとこだ。 たとえば発電器のうなりをヘリコプターの羽の音に置き換えれば、まさに!映画「地獄の黙示録」のシーンを思い出す。巨大なボン(どでかい水パイプ)から立ち上る煙(ボファボファー)木立を通り抜けて奔放に走り回る蛍光性のカモフラージュを塗りたくった顔、顔、顔。どの週にも2つか3つあらかじめ計画されたパーティがある。それにビーチでは自然発生的に生まれる集まりもあった。
一般的なイヴェントは満月のパーティ。真夜中の出来事はほんとにワイルドだ。
小さな湖のそばにあるココナツの木立では300人が正気を失い、ロンドンのDJ リサ・ラウドの妹ジョアンが所有するサムイのファースト&ラスト・バー経由でロンドンから持ち込まれたハードなビートで休みなく踊る。
「イビサの連中はとっくにリンビーチを見つけてるよ。インドのゴアは死んでるしね、ポリスがうじゃうじゃいて問題だらけだ。センスのあるやつは素早くここに来てる」とDJ が言った。
リンビーチが狂乱で頭のいかれた狂人だらけという印象を持つ前に別の顔も見て欲しい。島に来たほとんどの人がまもなくこういう状況は島のごく一部なんだと納得する。3年続けてここにいる24歳のペニーは言った。
「コ・パンガンで毎日起こる普通の出来事がマジックなのさ。人生のあり方、島の人々、天候に誘惑される。サンセットにだって恍惚となって圧倒されるよ」
ペニーはビーチに座り潮が満ちてくるのをじっと見つめている。

1990年のクリスマスには「リンビーチをキックしにいこうぜ!」
言葉より先に多くの人がもう11月のフライトを予約してるってことだった。

●TAMA- 3 掲載、1990年