Letter from Palestine

僕と相棒のカメラマンがTS1とかTS2 と呼ぶのは、おふざけでパレスチナの幼い子供に骨だって砕きかねない気絶が目的の手榴弾をほおり投げたり、チェックポイントで通行許可を待つヴァンの助手席から同年代のパレスチナ人を引きずり出してその子の鼻先にM16 の先端を押しつけるやもう一人が糞を垂れ流すほどこっぴどく蹴る、そして引っ立てていき、目隠しして、さんざん殴るティーンエイジャー・ソルジャーのことだ。
便利なことに、IDF イスラエル治安部隊の代表は僕らジャーナリストの求めに24時間応じてくれる。チェックポイントで見たことを尋ねると快活な女性が「多分その少年はカバンを所持していたんでしょ」と、まるでいつも僕や彼女はカバンを持たないみたいに応えてらちがあかなかった。
イスラエルの人権団体 B'Tselem は目下のインティファーダが始まる2000年10月から今年5月初めまでずっとイスラエル兵士による虐待の調査を追跡している。すでに調査が始まる125の事件を報告していて、刑事告発された12件に判決が下されていた。殺人と傷害の「発砲違反」が3件、兵士が2台のタクシーを止めてパレスチナ人男性を激しくぶちのめした挙げ句にパレスチナ人同士殴り合うよう命じた事件が関連する「狂暴性と残忍な行為」にあたるのが3件だ。 B'Tselem は当然調査されてしかるべき数に比較して開始された調査の数は微々たるものと考える。「4月1日までのインティファーダの間に殺された数百人の民間人のうちわずか12件の殺害事件が調査されたにすぎない」
ロサンジェルス・タイムズが行ったIDF による虐待の調査が同様の結論を出している。兵士による殺害は「現場での再調査はぞんざい、仮に過失がひとつでも見つかれば正当と認められる間違いのせいにするか戦雲のせいにした。審理でめったに訴追はしない」
どちらの調査でもイスラエルのTS がまるで見せびらかしてるみたいな「ひどい刑罰を受けない」理由に彼らが短期戦争に従事しているというイスラエルの主張を列挙する。その戦闘はパレスチナ人が武器を持たないせいで「短期」の戦争なのだった。
他にもある騒々しい闘いを求めてベツレヘムまで旅したとき、ベイトジャラで表向き閉鎖されてる理由のIDF の「目標とされる作戦」とやらに遭遇する。僕らは5時間ものあいだブッシュに座り、隣人たちが見守るなかイスラエル兵士がドアを爆破し銃を乱射して家々を破壊しながら必要な男たちを逮捕するのを見守った。
誰もこの大騒ぎを見逃さないよう念を押す軍隊は標的の家に住む人や近所に住む30人のパレスチナ人を一斉検挙してショーを見せる。でも目隠しされてるせいで圧巻の部分、これが実在する「人間の盾」と思える光景を見逃す人もいた。パレスチナ側の発砲や攻撃に曝される「生きた盾」という意味でも「人質」としても、民間人を使うのをイスラエル兵士は「無条件に禁じられている」とIDF が明言して3週間と経たないのに、ほら、そこのドアをノックする両手を高く揚げた30代半ばのパレスチナ人男性の後ろには彼を盾にして隠れる兵士がいた。
ベイトジャラの襲撃の僕らの写真についてコメントするのにIDF は数日を要した。実際の争点は用語だと考えるジャコブ・ダラル大尉は「人間の盾」という言葉の使用を拒否する。僕らが目撃した作戦はタクシー運転手を罠にかけるもので、テロリスト容疑者を引っ捕らえるのに民間人を使うのは「妥当」と彼は言った。
イスラエルの新聞 Yediot Ahronoth とのインタヴューで軍の予備兵Moshe Nissim がジェニン難民キャンプでブルドーザーを操縦した体験を回想している。アメリカ製ブルドーザー、キャタピラーD9 の頂上にひいきのサッカーチームのフラッグを立ててから家の潰しに取りかかったと彼は新聞に告げた。家の破壊を命じられたとき、「便乗して他に何軒も壊滅させた。居住者は出ていくよう警告する兵士もいたが僕はそんなチャンスを誰にもやらなかった」
イスラエル軍は兵士に操縦を許すまで長々と訓練を命じてるはずなのに、その人でなしの操縦にその子が受けた訓練はたった2時間だった。
イリノイ州ペオリアのキャタピラーカンパニーが製造する重さ50トンを越える「D9 」は、「アパッチ」「コブラ」「F-16 」といったパレスチナのティーンエイジャーの膨らむアメリカ語彙に加わりすっかり定着する。
外国の報道機関の目に触れさせないようにD9 をさっさと片づけろとお偉方の将校に命じられたこの予備兵はブルドーザーでいじめてるあいだウイスキーとスナック菓子で自分を覚醒させたと言う

「ジェニンは僕に法的権限があった。僕は誰にも申し開きなんかしない」

▲参考資料:The Village Voice June 2002
●TAMA-32掲載、FALL 2002