バグダッドのストリートドッグには
爆弾が近づくのがわかる

バグダッドのストリートドッグはいつも正しい。犬たちがキャンキャン吠え出すと15分もしないうちに私たち人間にも爆発音が聞こえてくる。爆撃機が戻ってくるとき、気圧に何らかの変化が起きてそれを犬のハイテク聴覚が感知でもするのだろうか。

たとえ軍事的に勝利しても世論を味方につけなければ勝ったことにはならない。その意味で今回のイラク攻撃はミサイルや砲弾の代わりに情報を使う情報戦が際立った。アメリカにとって効果的な情報を意図的に流すにせよ、否定的効果のある情報を意図的に隠蔽するにせよ、「事実」が報道されると信憑性が疑われて国の情報戦略に大きな狂いが生じることになる。従軍(embed )しているのではなく自国の軍隊とin bed していると言われた欧米のメディアとは異なり、今回も「あくまで、今起きてることの核心に迫る。現場で撮る映像がすべて」に徹した中東カタールの衛星放送アルジャジーラは頭痛の種だったに違いない。「彼らが心配の種だったにせよ、米軍が意図的にアルジャジーラの記者を標的にすることはない」とマイクロソフト社が所有するNBC は視聴者に忠告した。
査察への非協力を理由に米英軍がイラクを攻撃した98年の砂漠のキツネ作戦の際、米英とは違った視点から報道するアルジャジーラの重要性を認識して一昨年の日本での放送開始以来、通訳としてその報道を伝えてきた新谷恵司は、戦場報道をするメディアが情報戦というもうひとつの戦争を遂行する米軍の敵になったのは必然とはいえ悲しい現実だと言った。「ニューヨーク証券取引所がアルジャジーラに対し取材禁止措置をとった話を聞いたときその程度で済めばよいがと思った。2001年11月12日に起きたカブール支局に対する爆撃(オサマ・ビンラディンのテープが原因で合衆国は巡航ミサイルを発射した。この異例の攻撃に対し一言も理由は述べられていない)の記憶が生々しかったからだ」
アルジャジーラは米兵の死体が並ぶ映像や捕虜の映像を放映し、南部戦線のもたつきを現場から伝え、イラク人犠牲者の数をテロップで画面下に流し続けた。アメリカはかつて米兵引き回しの映像でソマリアからの撤退を余儀なくされた。「爆弾ひとつ、砲弾ひとつで情報統制ができれば安いものだとする高度の政治判断から導き出された答えであって、米軍が言うような誤爆などでは決してないと思う」と新谷恵司は朝日新聞に書いている。
その日、パレスチナホテルに戻ったときロイター通信社の事務所に米軍が砲撃した砲弾の噴煙を見たジャーナリスト、ロバート・フィスクは次のように伝えていた。
はたしてこれが事故に思えただろうか?あるいは最初のジェット機によるアルジャジーラの記者の殺害(カメラマンが負傷)と次のM1A1 エイブラム戦車によるロイター通信社とスペインTele 5 チャンネルの2人のカメラマンの殺害(ロイターのスタッフ4人が負傷)に当てはまる言葉が殺人だった可能性のほうはどうか?もちろん米英のイラク侵略戦争で死んだこれが最初のジャーナリストではない。ITV のテリー・ロイドはイラク人の輸送手段と誤解されてイラク南部でアメリカ軍によって射殺された。彼のクルーは今も行方不明だ。ワシントンポスト紙のマイケル・ケリーは悲惨なことに運河で溺死した。クルド人が住むクルジスタンでは2人のジャーナリストが死んでいる。4/7夜、バグダッドの米軍の根城のど真ん中でイラクのミサイルが破裂したときドイツ人とスペイン人の2人のジャーナリストが2人のアメリカ人と一緒に殺された。
それに客人のジャーナリストとは違いこの戦争を見捨ててさっさと国に帰ることができない、殺されたり不具にされているたくさんのイラクの民間人のことを忘れるわけにはいかない。昨日の事実もまた注釈の必要がないほどはっきりしているはずだ。アメリカ人にはあいにくだが事実はまさに殺人のように見せていた。
昨日(4/8)午前7時45分、米軍のジェット機がチグリス川岸にあるアルジャジーラの事務所にロケット弾攻撃をしかけた。バグダッドのTV チャンネルの主任記者、35歳のパレスチナ系ヨルダン人タリク・アユーブは米軍とイラク軍の互角の激戦を報道するためイラク人の助っ人カメラマンと一緒に屋根にいた。ちょうど2台のアメリカの戦車が姿を現した橋に近接する建物めがけてヒューッと襲いかかったとき、ジェット機がロケット弾を発射するのを2人が見たことを同僚のマハー・アブドラがあとで思い出す。
「TV の画面にその戦闘が映っていて飛んでくる砲弾が見えたうえにジェット機の音も聴こえた」
「ジェット機が建物すれすれの低空を飛行していたから階下にいた僕らは屋根に着陸するのかと思った。ロケット弾が発射されるのを僕らは実際に耳にした。直撃だった。ミサイルは発電器に命中して爆発した。タリクはほぼ即死だった」
しかしながら2ヶ月前にバグダッド支局の座標をペンタゴンに伝えていたアルジャジーラネットワークが攻撃されない保証を受け取っていた事実には大いに当惑させられる。アラブ系アメリカ人でドーハのアメリカ国務省スポークスマンのナビル・コーリがアルジャジーラの事務所を訪れてペンタゴンが攻撃しない保証を繰り返して、24時間以内に米軍は事務所にミサイルを発射したことになる。
次のロイター通信社への襲撃は橋のエイブラム戦車が突然その砲身の先をイラク側から戦争を報道するために200人以上の外国人ジャーナリストが宿泊しているパレスチナホテルに向けた正午前に行われた。スカイテレビのデイヴィッド・チャーターはその砲身が動くのに気づいた。フランスのTV チャンネル、フランス3は隣の部屋にいたクルーが橋の戦車をヴィデオに撮っていた。そのテープから砲身から現れた半円筒状の砲火と爆発音と衝動で振動するときにカメラの前を通過する落下した塗装の破片が明らかになる。
15階のロイターの支局ではスタッフのど真ん中で砲弾が爆発した。戦車を撮影していたウクライナ人カメラマン、タラス・プローツクが致命傷を負い、英国出身のポール・パスケール、ロイターのパレスチナ系レバノン人記者サミア・ナコールと他に2人のジャーナリストが重傷を負った。その上の階ではTele 5 のカメラマン、ホセ・コーソがひどい傷を負っていた。プローツクはまもなく死亡。事務所にはクルーの血に浸った彼のカメラと三脚が残された。コーソは脚を切断したが手術の30分後に死亡した。
国際赤十字が護衛つきの輸送車隊をなんとか手配しようと奔走していたとき、どういうわけか米軍はそれがバグダッドから移動するのを拒んでいるとの報告があった。あのとき赤十字の職員はひどい傷を負ったコーソをそれで輸送したかった。
アメリカ側の返答は立証する証拠のどれをとっても真っ赤なウソだった。橋の2台の戦車が所属する第三歩兵師団の司令官ブラウントは「パレスチナホテルに潜むスナイパーからロケット弾とライフル銃の発砲を受けていた。戦車がホテルに向けて一発砲撃すると発砲はやんだ」と発表した。しかしながらこの司令官の声明は虚偽だった。
砲撃が発射された瞬間、私は2台の戦車とホテルのあいだの道路をクルマで走っていた。 そしてフランス人が襲撃を収めたヴィデオテープは4分にも及び戦車から発射される前そこがまったく静かだったのを録画している。ホテルにスナイパーはいなかった。実は私を含めそこで寝泊まりする何十人ものジャーナリストとクルーとが攻撃地点としてホテルを利用する武装した男がいないのを確かめるのに鷹のように目を凝らして監視してきた。
一ヶ月前から劣化ウラン弾を戦車で使うつもりだと得意げに話していたのもこの司令官だったことを付け加えておかねばならない。米軍の戦車にロイターのカメラクルーが発砲していたと示唆する声明の発表もブラウントにしてみればまやかしの声明を誹謗中傷の声明に変えたに過ぎない。それがあまりにも異常な発言、あまりのウソだったので世界中のジャーナリストから抗議の声が起きた。
なにかとてつもなく危険なものが解き放たれているのがはっきりしてくる。ブラウント司令官の釈明はイスラエルが罪のない人々を殺した後に使う種類の釈明だ。このすべてから私たち記者が学ぶ教訓があるとするなら?わがイギリスの内務大臣ブランケットが「敵の戦線に味方して報道している」と不当に言い放った人々を傷つけるのに、報道機関を憎む事態となったバグダッドを拠点に活動するジャーナリストを排除したがる分子がアメリカ軍にいるのではないだろうか?国際的な特派員が結果としてブランケットの敵(大部分のイギリス人がそもそもこの戦争を支持してこなかった)に協力しているという主張がおそらくある種の死刑宣告に変わっているのではないだろうか?ということだ。
私はアユーブを知っている。私は彼が死んだ屋根から放送してきた。アラブ世界のあちこちで見られる爆撃の民間人犠牲者の報道をもしアメリカが撲滅したがったら、彼の事務所はやすやすと標的にされると彼に忠告した。ロイターのプロツークとはよくパレスチナホテルのエレヴェーターで一緒になった。42歳のサミア・ナコールとは友達だったし75年から90年のレバノン内戦以来の同僚だ。彼女の夫はフィナンシャルタイムズの特派員デイヴィッド・ガードナーだ。
昨日の午後、彼女はバグダッド病院で血にまみれて横たわる。そしてブラウント司令官はこの無害な女性と勇敢な同僚がスナイパーだったとあえてほのめかす。これがイラク戦争とは何かを私たちに示しているのではないだろうか。
アメリカ軍はこのホテルがなにかを正確に知っていた。スカイニュースの特派員デイヴィッド・チャーターはホテルが米軍の戦車の砲撃を受けたときホテルにいた。これは一体何があったかに関する彼の記述である。
「大爆発があったとき僕はバルコニーに出るところで、廊下から人々の叫び声と悲鳴が上がった。命中した人がいると言って医者を見つけろと叫んでいた。たくさんのフランス人ジャーナリストが医者を捕まえろと絶叫していた。壁が薄かったからものすごいパニックになった。僕らは橋に接近する戦車を見た。河岸越しに砲撃を始めたんだ。軍の標的はここだと思ったときあっちとこっちの両側に砲弾が着弾していた。それから僕らが狙われた。戦車戦の真ん中に僕らはいた」
「なぜ彼らがこんなことをしてるのか僕には解せなかった。ホテルから発砲はなかった。誰もがジャーナリストだらけなのを知っている」
通信ラインはカットされたが数分後にチャーターは報告を再開した。そしてジャーナリストたちがバルコニーから米軍をじっと観察していたから軍隊が彼らの存在に気づいていたのは確かだと言った。
同時刻内にアブダビTV とアルジャジーラの両方のニュース局に「故意でない偶発的砲弾」が命中するなどありそうもないことだとアルジャジーラは視聴者に放送した。
ヨルダン記者協会などは攻撃した兵士と責任者を特定して戦争犯罪人として断罪するよう求めた。現在、どのくらいの人がこれを心に留めているかわからないが、今回リアルタイムで目にしてきた「こういうことが戦争の名を借りて堂々とできる」という事実をよーく肝に銘じ、絶対に忘れないでおこうと思った。

▲Text by Sakae Suzuki ●参考資料:Robert Fisk in Baghdad April 9 2003 Yellow Times.org newsFromtheFront.org 朝日新聞4/12 2003 AERA4/21 2003