A 17- YEAR- OLD'S SUICIDE
17歳の自殺

アメリカでは毎年3万人が自殺する。殺人のほうが自殺よりメディアの注目を受けるとはいえ、他殺よりはるかに多くの人が自殺する。殺人2件につき自殺3件の年もある。自殺の犠牲者の大多数が15歳から24歳の男性で、自殺は死亡原因の3位にあがる。自殺はよく激発する。孤立した地域では自殺ラッシュを経験するものだ。そうしてその後に他のどこかで大量の自殺が誘発される。日本でも自殺者が5年連続3万人を超えた。この多さはアメリカの比ではない。自殺者と自殺未遂者の半数は鬱病患者だ。成人の15人にひとりが鬱病にかかるが、ほとんどが気づかずに適切な治療を受けていない。
最近、ニューヨーク大学の学生3人が死に急いだ。ニュージャージで接近する電車の前に立ちはだかり3人は死んだ。ニューヨーク州シラキュースとその近隣の町では自殺する子供とティーンエイジャーの数に動揺している。
ニュースの自殺記事はたいてい深刻にかき乱された魂の詳細は除外して、個々の自殺の決定が無意識的で突発的だとほのめかす。それどころか自殺は普通、ひどく苦しめられる長い苦闘の終点だ。人は自殺の衝動と闘い、生き続ける理由を探し求める。友人はあきらめるなと説得を試みる。そして多くの場合、手遅れになる前に家族は愛する者のために精神的ヘルスケア、きちんとした診断、正しいクスリを手に入れようと悪戦苦闘する。
産まれた瞬間からデブラは息子のヨシュアに気をもんだ。2歳のとき、壁に頭を打ちつけて髪をかきむしるのが常だった。医者はADHD(注意力欠損・活動過多障害)と診断した。成長するにつれ彼はよくなっているように見えた。しかし14歳のとき、とてもふさいでいるように思えたので母親がカウンセラーのところに連れていく。家族以外には彼の鬱病は秘密のままだった。
ヨシュアは学校では誰でも笑わせる子供で通っていた。機会あるごとに外出して地元の高齢者センターの催しに出席するなどボランティア活動するティーンスピリットクラブのメンバーでもあった。ハイスクールの最高学年が始まる一昨年の9月、彼はクラスで「最も楽観的な人物」に選ばれる。しかしながら家ではデブラがマジに鬱病の悪化を疑い始める。友達と過ごすより寝室に閉じこもる時間のほうが長かった。気分の著しい変化は頻繁で極端だ。彼は頭痛がするとこぼし、気まぐれにしか眠らなかった。
デブラは躁鬱病(二極性障害)と闘う息子を記録に留めるベストセラー作家ダニエル・スティールの本<輝ける日々:ニック・トラナイの話>を買った。作家の息子ニックと自分の息子ヨシュアに類似性を見つけ、彼の母親がこのすべてに耐えていたのを知り気分が楽になる。でも本の結末は慰めをもたらさなかった。ニックは19歳でこの世を去った。
11月、友人が二極性障害を特集したタイム誌をデブラに見せる。記事には子供の頃に間違ってADHD と診断されたティーンエイジャーの説明があった。最後の徴候リスト40はどれもヨシュアにあてはまった。「現実から引きこもるか自分を隔離する;怒りっぽい気分の状態;的はずれな興奮によって容易に気を散らす;時々思い出したように眠る」
12月、精神科医に連れていくと医者が二極性障害と診断して抗痙攣薬Depakote を処方した。ヨシュアは診断とそっとしておいてくれない母親に腹を立て、吐き気と毛髪が抜ける副作用を訴えてクスリを飲むのをやめる。「ボクは二極性障害じゃない」
昨年1月、母親のボーイフレンドが仕事の合間に家に戻ると、よろよろ歩き支離滅裂なことを言ってるヨシュアを発見する。デブラが911に電話して、72時間集中治療を受けた。その朝彼はインターネットで知った化学薬品エチレングリコールが含まれる有害な液体を飲んでいた。後で面談した心理学者が息子が自殺未遂に狼狽していたとデブラに忠告した。
自殺は40年以上もデブラにとり家族みたいなものだった。元夫のおばの命を奪い、自分のおばのボーイフレンドの命を奪い、母親の命を奪った。5歳のとき救急車で運ばれていく母親を彼女はじっと見ていた。子供時代、鬱病と自殺の話題はタブーだった。
2月11日、ヨシュアは私立の精神病院から解放された。自殺の再挑戦に備えてデブラは家で仕事をすることにする。ヨシュアには処方箋を書く精神科医が必要だった。彼女は2週間医者を探し回った。返事もくれない医者、彼女の保険ではダメと断る医者、集中セラピーを必要とする新患を診るには忙しすぎる医者。健康保険システムが問題なのではないかとデブラは疑ってみる。ニューヨーク州では保険会社によっては精神的健康サーヴィスの利用を制限する。年間決められた回数だけを保険で補償する。彼女の窮地を説明するには深刻な精神科医不足のほうがもっともらしい。ニューヨーク中枢で治療を待っている人のリストは3ヶ月から4ヶ月先にもなった。
2月末、学生カウンセラーがヨシュアが腕を切っていたと聞きつける。腕を調べてみると手首から肘までに傷があった。デブラが救急治療室のあるシラキュースの病院に入れて、一晩そこで過ごす。2週間後、ヨシュアがよくいくサイトから首をつる輪の作り方のページを見つけた。コネチカットから飛んできた長男が指揮を執り、彼を7日間24時間監視した。
4月半ば、ヨシュアはよくなったとデブラは思った。精神科医と心理学者のチームも見つけた。4月15日は春休みの始まりだった。医者との面接の後、ふたりで映画<フォーンブース>を見に行った。12時間後、ヨシュアは首をつった。
ドアにはブリトニー・スピアーズの写真。ベッドの上にはメタリカのフラッグに映画<ファイトクラブ>のポスター。机の上にはプロレスラー、マンカインドの自叙伝。ヨシュアの寝室は癖になっていたハーシーのシロップのボトルもなければタコベルの袋も散らかっていない。映画<モーヴァン>の自殺したボーイフレンドもそうだったように、レディオヘッドのような好きなバンドの曲で作ったCD がある。それとばらばらになった人間の絵。墓石や十字架、首吊りなど死に取り憑かれていたことが一目瞭然だった。「これを見たときには動転した」とデブラ。「ずっとマンガのキャラを描いていたのが14歳になって謎めいた不吉な調子のものを描くようになった。息子が苦悩してたってことよね」
8月、州の「ティモシー法」キャンペーンを知ったデブラは渇望とフラストレーションのはけ口を見つける。ティモシーとは2001年に首をつって死んだ12歳の少年。彼の名がついた法案は、精神疾患にも身体の病気と同じ適用範囲を提供するよう健康保険会社に命じるものだ。どうしてそんなに熱心なのかと人に聞かれると「ヨシュアの死を無駄にできない。彼の死には意味があるはず」と答えた。でも別の理由もあった。ヨシュアの死から4ヶ月、近所の町に住む17歳の男の子も自殺したと聞いたのだ。

▲参考資料:The Village Voice Oct.29- Dec.04 2003 by J.Gonnerman
(TAMA-34 掲載、Jan.2004 )