スパイク・リーにとっての Do The Right Thing

その名前がハリウッドで最もパワーのある人物の82番目に挙がるスパイク・リーは世界の注目を集めた映画<ドゥー・ザ・ライト・シング>の監督だ。
彼のパワーというのは彼のフィルムが人々に与える影響力のことでありコマーシャリズムとは妥協しないという意味で最終編集決定権を握り一目置かれてるってことだった。
前作、<スクール・デイズ>のラストシーンで「Wake Up! (目を覚ませ)」と叫んで自覚を呼びかけたスパイク・リーは今回の攻撃的なラップ、パブリック・エナミーの<ファイト・ザ・パワー>にのってダンスするファイティングポーズで観る者に烈しいパンチを繰り出すMTV 感覚のオープニングに思わずノックアウトを食らいそうになる<ドゥー・ザ・ライト・シング>でも「Wake Up 、Wake Up 」とつぶやき自覚を促した。それはまるで「あなたがしていることを完全に自覚しなさい」と囁くオールダス・ハックスレーの著書<島>に登場するマイナ鳥のような効果をもたらしている。
スパイク・リー自身が語っているようにこれはレイシズム(人種差別)とピープル(住民)のことを描いたダイレクトに政治的な映画。
1986年12月に起きたハワードビーチ事件(黒人の若者3人がクイーンズの中流階級地区にあるピザ屋に迷い込んだときイタリア系若者に野球のバットで打ちのめされ逃げようとして1人が車に轢かれて死亡した)にインスパイアーされていた。
それにまた監督はニューヨーク市長選挙に合わせてこの映画を公開しようと撮影を急いだ。「コッチ市長を追い出そうぜ」ということで当時の市長エド・コッチに対抗して黒人ディンキンズ(後の市長)が出馬、「ハワードビーチ事件を引き起こした政治的情況について考えさせて違う情況の未来のために投票させる」まさにドゥー・ザ・ライト・シング、まともなことをしようってことだった。それに映画には黒人コミュニティの前向きなイメージを伝えるという狙いもある。

映画の設定はあるホットな一日だ。
この夏一番の暑さがスパイク・リーの家の庭とも言えるブルックリン、ベッドスタイ地区のあらゆるキャラクターの神経をすり減らす。隣近所はほとんどが黒人とプエルトリカン、黒人コミュニティに不可欠のローカルラジオ局"We Love Radio "から流れるDJ ミスター・ラヴ・ダディを聞きながらなんとかその日をやり過ごそうと、時折サルのフェイマス・ピザ屋のスライスを求めに歩き出す。サルとは2人の息子と配達人として雇う従業員のムーキー(スパイク・リー)とでピザ屋を営むイタリア系アメリカ人、25年間焼き続けた自分のピザを食って育った黒人のガキどもを見るにつけそれなりに彼らのことを理解する。
スパニッシュのガールフレンドと赤ん坊の息子を抱え養うのに仕事が必要なムーキーは街で働く者の一人。あとの者はほとんどが失意のどん底にあった。ラジオ・ラヒームはビートボックス(ばかでかいラジカセ)から放つパブリック・エナミーの騒音で一日中通りをどやしつける。騒々しくてエキセントリックなバギン・アウトは黒人の事情通を説いて回る。スマイリーは一日中マーティン・ルーサ・キングとマルコムX の写真を引っかき回してしつこく人にまとわりつく。 サルは人種差別者ではない、潜在的にはそうだとしても。ラジオ・ラヒームもまた愛をもって憎しみをノックアウトしようとしている。ムーキーは過激でもなんでもない。ことの起こりはバギン・アウトがふと気づいて「黒人が食べに来るサルのピザ屋の壁に飾ってある名士の写真になぜ黒人がいないのか」と文句を垂れたことに始まり、すべてが暑さのせいでエスカレートして人種差別の潜在的要素を明らかにする。そして結果は悲劇的。
白人警官に羽交い締めにされて窒息するラジオ・ラヒームの死を目の当たりにしたムーキーが放つ過激さはそのまま監督スパイク・リーの過激さに結びついて見える。
「この映画には始終ラジオ・ラヒームが流して歩く歌が必要だと気づいた」とリーは言う。「それは聖歌になってもおかしくない怒りの歌だ、それが可能に思えた唯一のグループがパブリック・エナミーだった。<ファイト・ザ・パワー>は映画の中で15回かかる」
映画の政治的イメージは60年代の黒人闘士のことを思い起こさせる。「彼らが言ったことは今でもまだ真実を告げている。パブリック・エナミーは彼らが気づいてることでやるべきことがたくさんあると思う。なぜって黒人の若い連中は主にラップミュージックから情報を得てるからだ。"あんたのゴールドの鎖はなんてデカイんだ"ってなおしゃべりはもう過去のものだ。そこが RUN DMC みたいなグループが大いに困ってる所以だ。つまり進歩的になったてことだよ。それにああいうラップはなんにもならない」
映画でもったいぶった酒飲み、ダ市長を演じたオジー・デイヴィスはアメリカ映画のヴェテランでマルコムX に共鳴して親密な友人になったことでも知られる。彼はマルコムの葬儀で追悼演説をした。そのオジー・デイヴィスが「スパイク・リーが表現するのは闘争のさらに進んだ成り行きだ」「彼のように外側に立って仕事ができるのがとても大事なことなんだ、ハリウッドは接触するのに彼の言うとおりの条件で彼のことを扱わなければならない」と言っている。
映画は二つの引用文で終わる。マーティン・ルーサー・キングの「暴力は役に立たない」とマルコムX の「自己防衛のための暴力は知性になりうる」だ。 「マルコムとマーティンの完璧なつながり。どちらの哲学も適切だと思う。だけど今のこの時代には俺はマーティンよりマルコムX の哲学に近づいて学んでる」
「この映画は人種差別者ではない。俺はどんな人種とも同様に黒人を過酷に扱う。コリアン(韓国人)が街でありとあらゆる野菜や果物を商うからってだけでどうして俺たちが彼らを厄介払いしなきゃならないのか理由がわからない。あまりにも永い間、俺たちは口実としてあれやこれや白人の言い訳を使ってきた。それに遅かれ早かれ人間として何かをするつもりなら俺たち自身のためにそれをしなきゃならない」
「マイケル・ジャクソンがナンバーワン・ロックスターだから、エディー・マーフィーが世界で一番の売上げを叩き出してるから、マイク・タイソンがチャンピオンだから、そしてマイケル・ジョーダンが世界一のプロバスケのプレイヤーだからってだけで、人は黒人がようやくここまで追いついた、すべてオーライだって思う。やれやれだよ。アメリカの低所得者階級の黒人たちは昔よりずっと深刻だ。俺たちは正義と人道に適った世界に生きているなんて考えになだめられるものじゃない」

1989年8月23日、映画の封切りからおよそ2ヶ月後ブルックリンのイタリア人居住区ベンソン・ハースト(映画でサルとその息子たちが住んでいた街)で数人の若い黒人が地元のイタリア人少年グループに襲われ一人が銃殺される事件が起きた。やれやれ。 黒人は殺されることにうんざりしている。自己防衛という概念が生きるのには必要な情況がここでは相変わらず続いていた。

<Do The Right Thing >はキツイ映画だ。
わかったフリや紋切り型の共感を容易に許さない。
By Motoi Kikuchi


タイム(89年7月3日付)の評価には書き手の苛立ちが明らかに見える。-- 議論の種をまき大論争になったところでおもむろにリーは「映画のメッセージを受け取っていない」と言い出す(わかりにくく作ったくせに)。そういう作戦は観客を集めるだろうが、とんでもないイカサマであり、悪質だ-- ということを評論家は言う。
タイムの論評はまさしくリーが期待していたとおりの反応だろう。わからないことへの苛立ちと破壊行為が肯定されていることへの不安、映画への非難という反応だ。
ニューヨーカー(89年7月24日付)はタイム、ニューズウイーク、ヴィレッジヴォイスと一応出尽くした後でもあり慎重に論じている。店を構える白人だからといってサルを人種差別の権力構造を代表するものと決めつけることが "fighting the power "として適当か?という質問を発する。そしてその答えは-- 映画という表現形式のため政治的明快さが犠牲にされたということだろう-- と言う。
しかし、パブリック・エナミーの"fight the power "を「政治的メッセージ」と受け取るべきなのか。この街は"peace "が日常のあいさつとして使われる場所だ。"fight the power "を、我々が「反権力」という言葉に対して持つ非日常的な重々しさを持って受け止めるのは間違いだ。この映画の一貫した、最も重要なメッセージならば、映画の作り手はそれをサルごときのバッドで粉砕されてそれっきりとはしない。街の「父」「母」に「ライトシング」を期待されるムーキーだが、彼のテーマとしてはこの曲が使われていない。
日本のシティロード* はこの映画をニューヨーカーやタイムとは逆に絶賛している。シティロードは-- 地道な商売をしているピザ屋を襲撃することがパブリック・エナミーの"fight the power "に対する"Right thing "ではないということはいうまでもない-- と言う。
だが「いうまでもない」ことが何なのかはっきり言わない。はっきり言うべき問題と思うのだが。
日本の他のメディアに現れた評価もほぼ絶賛と言える。「紹介者」はいても評論家は見当たらない。多少とも批判的と言えるのは田中小実昌だけではないか。「最後に事件がないと締まらないと思うのだろうか。締まらないほうがいい」(週間文春4月12日付)と言う。
だが、事件が起きてもこの映画は「締まった」終わり方をしているわけではない。100ドル札のぶつけ合いをした後で、サルは「今日も暑くなりそうだな」と何の気なしに言う。しかし、リーにとっては何の気なしに言わせた一言ではなかろう。前夜の事件には今日を昨日と打って変わったものにするような特別の重みを持たせていないのだ。どの程度特別かと言えば、せいぜい年一度の団地の夏祭り程度に非日常的だったのだ。
朝日ジャーナル(4月6日付)で出口丈人は「が、これを暴動と言ってしまうと何も見えてこない。黒人暴動として知られている出来事が、実は白人のボキャブラリーに過ぎず、黒人の物語としては暴動どころか言い分の主張ですらないこと」と言う。
「主張ですらない」というのは、サルの店襲撃が政治的な意図のない出来事だったと言っているのだろうか。しかし、この人は「左翼っぽい」わかりにくい言い方をするだけでなく、保守的な「左翼っぽい」バイアスをかけて映画を眺めている。上の文章は次のように続く。「{通りにたむろして何もしない}とは白人流の働くことしか目に入らない者の一方的な解釈に過ぎないこと。そういう黒人側の物語が生活感覚として見えてくる」しかし、すると井戸端会議のオヤジ3人は白人流の解釈をしているというのか。この評者は、映画に映っていないことを見てしまっているようだ。
みんながものわかりがいい。黒人側の生活感覚に共感できてしまう人がうらやましい。本気でうらやましい。だが、韓国人の店ではなく日本人の店だったら、東南アジアの街の日本人の店だったらと想像してみてもらいたい。あるいは、あそこでゴミ缶をぶち込むことができるのか。翌朝、卑屈さを持たずに給料を払わせられるのか。そうした「ライトシング」ができるのか。同胞から仲間はずれにされるのが怖くてやった、と後悔しないだろうか。-- 進歩的な(スタイルだけの)共感や賛辞は全然いらない-- とリーは言っているのではないのか。むしろ、堂々とわからないタイムのほうがまともなのではないか、とさえ思う。
<日本語>6月号(アルク出版)のインタヴューで中津燎子* は次のように言う。「異文化と本気でつき合っていくのなら、.......先に"地球市民としての日常的しつけ"をやって欲しい」
この人の言う"しつけ"は意味が少し普通と違う。一般にしつけと言えば、周囲との摩擦を避けるための技術-- たとえば、挨拶の仕方や、にらまれないよう目立たないようにすること-- が中心となると思われるが、こちらのしつけは、自分と他人とを峻別できるようにすることだ。人の言ったこと・自分の言ったことをきちんと区別しポジティヴな態度で端正な言葉を使うことだ。大人でもほとんどの人ができないが、これを日本語でこなせるようにならなければ外国語や異文化に対応できない、と言うのだ。
外国語に興味を持つかどうかに関わりなく、少なくとも世間の出来事に自分なりの解釈を加えてみようという人間なら当然持っているべき常識だろう。だが、朝日で読んだような意見、ぴあに書いてあったような感想を締まりのない日本語で口にしている自分に気づく。しかし、それではリーの映画をむしろケナすことになると思った。 この映画が×をつけるのは利いた風なものわかりのよさだから。

* シティロードは当時主流のぴあに対するカウンターカルチャー的情報誌
* 中津燎子は「未来塾」という主に英語の発音訓練を通じて異文化への対応を学ぶ会を主催する。この塾の大きな特徴は、塾生にたいへんラジカルに「まともな大人」であることを要求することだ。詳しくは「未来塾って何?」(朝日新聞社刊)を読んで下さい。
▲TAMA- 2 (1990年発行)掲載