管理されたドレッドロックス

今から10年ほど前イギリスで一番有名なドレッドはボブ・マーリーではなくてボーイ・ジョージだった。 ボーイ・ジョージはダビデの星みたいなイコンのシンボルを弄んだのと同様にドレッドロックスを不当に占有する。

1930年代からラスタファリアンがしている髪型ドレッドが文化の日用品化する時代に入ってきたのは確実だった。何年もかけて自然に伸ばしていたものをロンドンのヘアースタジオ、アンテナは一時的とはいえ短時間で長くしてそれらしくみせたし、インチキなドレッドの部類に入る AC ミランのストライカー、フリットのドレッドロックスにオランダのサッカーファンは敬意を表そうとしている。

イギリスでは本物でもインチキでもドレッドロックスが男性・女性、黒人・白人、ストレート・ゲイと社会のあらゆる分野の人びとに行き渡っているのが事実だ。
それはファッションにポップカルチャーにそして商売にと使われる。とはいえドレッドは、困難に立ち向かうシンボル的な強さを今でも持ち続ける。腰の位置まで伸びたロックス(髪のふさ)に人々が恐れをなしてドアにカギを掛けたような、ただひとつの意味を持ち得た時代を呼び戻すことができた。

70年代に入ってもまだドレッドは傍観者に恐れと畏怖を呼び覚ますことができた。誇り高いライオンのたてがみに似せたドレッドロックスは「強さをアフリカに期待して西洋文化あるいはバビロンのモラルの失墜を拒絶する」という宗教的意味合いを持った「精神的な信念を外面上に表すシンボル」でラスタにとっては黒人のアイデンティティを築き上げる断固とした最強のシンボルだった。

80年代には商業上の通用語そして大衆的な語彙にまでなるドレッドが再評価された。そしてソウルソウルなどのグループがそのスタイルの意味を「権力に対する反抗の印」から立派な人格を表す共通のシンボルにと転換させる。

そして今ロンドンの街には新たなドレッドがいた。
いつも当局の許可なしに営業してるくせにヒップホップとレゲエと黒人客の群を禁止するウエストエンドにネネ・チェリーにばったり出会える「スローモーション」などドレッド・クラブが2つあった。 このウエストエンドにコロニーを作る「アップタウン・ドレッド」には80年代のファンキーなドレッドから受け継いだ「主流になる」という哲学と70年代のドレッドロックスのラスタから受け継ぐ「強さを感じる自然の髪」と「自分自身に真実」の哲学の両方があった。
とはいえ、なんでも主流にしてしまうスタイルの略奪と文化の日用品化の時代には外観上のヘアースタイルから多くを求めるのは無理というものだ。

▲3千年の独立の歴史を持つエチオピアを「約束の地」と見なして皇帝ハイレ・セラシエを神とあがめるラスタファリアンは、メンギスツ前政権による暗殺説がささやかれるなか今年2月新政権が皇帝の遺体を発掘した際には「皇帝は不滅」と言って再埋葬への参列を拒絶する。
●TAMA- 13 掲載、1993年HOT