スコットの本「Condemned 」と展示会

テキサス、アラバマ、昔の南部奴隷州の話だと思っていたのが実はニューヨークは長いこと死刑のリーダーだった。
1891年〜1963年までにニューヨーク市の北35マイルに位置するシンシン刑務所では全米一多い614人の死刑が執行された。一晩に8人が処刑された日もあるほどの過密スケジュールと世界に轟く悪評もなんのその世間の監視を見くびり任務を遂行しようとする刑務所職員のおかげで処刑室はいつも秘密のベールで覆われてきた。
それにもやっと終止符が打たれる。
スコット・クリスチャンソンの新作「Condemned 死刑宣告」が死刑執行で刑務所職員が必ず守る儀式や全米の青写真となってる入念にお膳立てされた日常業務の展開の仕方を示して秘密のゲートをこじ開ける。95年の死刑復活後ニューヨークが60年代に解体したと同じ種類の死刑産業を築いてその歴史を繰り返す構えに思える時機に本が出版されたのは興味深い。それにスコットはマンハッタンのミッドタウンにあるジョン・ジェイ大学のロビーに初公開の元死刑囚の上半身写真と愛する人への手紙、記録文書類を張り付けてニューヨークの良心に訴える。  

怒り・当惑・恐怖・挫折の表情が浮かぶ囚人たちをまともな人間に見せるモノクロ写真と同じくらいスコットが見つけだした記録文書類は衝撃的だった。死刑執行の立会に招待された立会志望者から所長に宛てた感謝の手紙、死刑執行人に通常料金150ドル支払うよう要請する所長の覚書、最後の食事の係から脚の電極係までそれぞれの受け持ちを詳細に述べた割当仕事のメモなど、どれにも官僚を励ますレトリックでそのぞっとする務めを隠そうとする職員の奮闘が明かされる。
1970年代スコットは刑務所をリサーチする博士号の学生として国家機密から歴史に基づく記録を集めるニューヨーク州公文書保管所の設立に協力した。77年保管係が初めてシンシンの壁に残るファイルでぎっしりの段ボール箱を差し押さえる。後日スコットは州の数件の刑事裁判を受け持ったときにこの記録にちらっと目をやることができた。  
3年前ニューヨーク州被告人協会がファイルを入手する権利を獲得するとスコットは公式の事務手続きの類にロザリオといった私物ばかりか被告人が自白を強要された後に刑を宣告された判例の類までも発見する機会を得る。弁護士なしに審問された被告人、知的ハンディがあるのが明白な被告人、「記録に残るこの死刑囚の圧倒的な数が今日の規範ではとても死刑候補者とは見なされない人たちばかりだった」と本の中でスコットは結論を下している。  
そもそも死刑が切迫した現実の出来事というより辛辣なキャンペーンか何かとしか思っていないニューヨーカーは今日の死刑はもっとこう人道的に行われるものと思っている。電気椅子はより好ましい薬物注射に代わっているし貧乏人には公選弁護人が割り当てられる。残念ながら本の出版が人を当惑させるのは最近の出来事が昔とそれほど変わってないことを示すからだ。
13人の無実の人間が危うく処刑されるところだったのに続きイリノイの共和党州知事ジョージ・ライアンが死刑執行の一時停止を要求した。13州の議員が死刑執行を停止する議案を提出している。それについこの間、裁判中に弁護士が眠りこけてたせいでテキサスの死刑囚監房に16年いたカルヴィン・バーディンが釈放されて死刑反対派が祝杯を上げたばかりだ。  

壁に写真と文書類を打ち付けるスコットの肩越しにジョン・ジェイの学生たちがざっと目を通しながら展示会についてあれこれ討論している。定時制の学生デボラは何度も研究を中断して展示のはかどりをチェックしに行く。心穏やかではいられないAP 通信の記事の抜粋を見つけた彼女は床にしゃがみ込んだ。
「運の尽きた男が死刑執行を止めようと最後の瞬間まで自然の法則に従って抵抗したのは1891年以来シンシンで執行された600件以上の死刑でも初めてのことだと刑務所当局は言った」運の尽きた男とは自白が強要されたものだと主張したパブロ・ヴァルガス35歳だ。「脚を蹴飛ばしてもがきながら叫ぶこの男が無実だと言うのよ、事実だったらどうするの?」
死刑を支持するか否かで答えを見つけ出そうとしていた法律家補助員のデボラは写真をじっと凝視する。彼女はどうやら死刑反対派になるつもりらしい。
●参考資料:NEWSWEEK feb. 2000 CNN.co.jp sep.28 benetton.com VILLAGE VOICE march 28, 2000
★Condemned : New York University Press 2000